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「うおぁ……頭痛ェ……何でまた飲んじまったかなぁ〜。しかも道で寝てるし……」 朝の光に満ちた通りを痛む頭を抱えてフラフラと士官棟へ向かうクライフを、隊士達の騒めく視線が追いかけていたが、取り敢えず出勤する事に全力を傾けていたクライフはそれに気付いていなかった。 士官棟の前庭で、出勤してきたヴィルトールとばったり出くわした。 「おや、珍しく早いねクライフ」 ヴィルトールはにやりと笑った。その含みのある顔にクライフが眉を寄せる。 「何でェ」 「いや大した事じゃないけどね、昨日お前が帰った後、お姉兄さんが訪ねてきたよ。フレイザーみたいな緋色の髪の」 「おねに……ひぃっ」 「朝、手袋を部屋に忘れて行ったって言って持って来てくれて」 「うわぁあああ!」 クライフは真っ青になって手を振りヴィルトールの言葉を掻き消そうとしたが、ヴィルトールは最高におかしそうな顔で腕を組んだ。 「お前にそんな趣味があったとはねぇ。だから彼女を作らなかったんだな」 「違っ」 「あらクライフ、お早う」 想い人の登場に、クライフは慌てて振り返った。こんな話をフレイザーに聞かせたくはない。 「フレイザー! おは」 近付こうとしたクライフの数歩手前で、フレイザーはさっと身を躱した。 「フ、フレイザー……?」 「あ、ごめんなさい、ちょっと。でも趣味は人それぞれだものね、私は悪いとは思わないわよ」 フレイザーはもうすっかり、労りの眼を向けている。 「いや、違うんだ、フレイザー」 ちょうど朝の出勤の時間で、隊士達の行き来が一日で一番多い時間帯だ。会話を聞きつけた隊士が隣の袖を引き、自然と士官棟の前には人だかりが出来始めた。 クライフの額に油汗が滲む。 その中を涼やかな声が掛かった。 「――お早うございます。そこで何を?」 士官棟への低い門を塞いでいる三人を見て、ロットバルトが訝しそうな視線を向けている。 「いや、ロットバルト、クライフの所に昨日女性……いや、男性か、が訪ねて来てね」 嬉しそうに話し出したヴィルトールを押しやり、クライフは素早く救援を要請した。 「ロットバルト、説明してやってくれ! 俺昨日ちゃんと話したよなぁっ」 「ああ――」 その事か、とロットバルトが肩を竦める。クライフはほっと息を吐いた。 これで誤解が解ける。いつもは腹の立つこの男の冷静さも、今は非常に有り難い。 が、ロットバルトが口を開く前にヴィルトールはもう一つ、別の話題を取り出した。すごく楽しそうだ。 「あ、昨日って言えばお前――ロットバルトに言い寄ったって本当かい?」 「……はぁあああ?!」 「深夜に馬車で大声で叫んでたのを隊士達が見たそうじゃないか。人の趣味にとやかく言う気はないけどねぇ、同じ隊でそういうのはどうかなぁ」 「んなバカな、ロットバルト」 「あれか」 「アレ?! あれって?! 俺何か言ったっ?!」 ロットバルトはにやりと笑った。 「ああ……申し訳ない。全く、好みではないので。せめて女性だったら少しは考えない事も無いかもしれませんが」 「いやいや、そうじゃないだろ、そんな話じゃなかっただろ?」 「まあ、私に関する事は前後を知らないが故の完全な勘違いですが、他に関しては黙っていれば済むという状況ではなくなったようですね」 「いやいやいやお前、何自分の事だけ綺麗に否定して……いや否定していいんだけどよ、まずその前があるじゃねぇかよ」 「何だ、ロットバルト 「そりゃそうよねー」 「 今度こそ、この場を収めてくれそうな爽やかな声が掛けられた。 「どうしたんだ、皆してそんな所に固まって」 「上将っ」 レオアリスだ。 いつも通りの明るい眼差しをクライフに向けていて、レオアリスの姿は朝日に輝いて見えた。 もう他の誰も救いにはならない。 クライフを助けられるのはレオアリスだけだ。 「上将っ、こいつらが寄ってたかって俺の事からかうんですよ〜っ」 「からかう?」 「上将、昨日来た彼女の事ですよ、クライフをからかったら照れちゃって」 「彼女じゃねぇ!」 レオアリスは思い浮かべるように視線を上げ、頷いた。 「ああ、あの人か。忘れ物って、お前の手袋をあの彼女が持ってきて、俺が受け取ったんだ。ちょうどここで」 「あの、上将、「彼女」じゃないですからね? 声聞きました?」 「ちょっと低かったかな。気にしてたのか?」 「いやいやいや」 気にしなさ過ぎる。 「あれはですね」 クライフは詳しく説明すべくレオアリスの傍に寄った。 さっと腕が伸び、フレイザーがレオアリスを引き寄せる。 「ちょっと、上将にはあんまり近付かないでよね」 「上将までお前と同じと思われたら困るだろ」 「何言ってんだ……」 クライフはロットバルトを探したが、もう中に入ったのか姿は無かった。 「上将、クライフには構わないでください。おもしろ……いや、これはあいつ自身の問題なんで」 ヴィルトールは完全に判っていて、からかう事を楽しんでいる。 「――っいい加減にしろ!」 堪忍袋の尾がぶっつり切れ、クライフは大声で叫んだ。 「誤解だっつーの! いいか、よぉっく聞きやがれ! 俺ぁ女が大好きだッ! 特に胸のでけぇ女が好きだねーっ! あー乳揉みてぇ!」 「――」 しん、と通りが静まり返った。それまで興味津々で立ち止まり耳を傍立てていた隊士達が、さっと視線を反らす。 逆に数少ない女性陣の視線は一気に底冷えし、クライフに突き刺さった。 「アホだな、あいつは」 「判ってるわよねぇ、せっかく冗談で流そうとしてあげたのに」 ちょっとばかり調子に乗り過ぎたかもしれないが、そこは二人とも余り気にしていない。 レオアリスが真面目な顔を作る。 「――クライフ。上官として言わせてもらうが、往来でそんな事を叫ぶのはどうかと思うぜ」 「――済みませんでした……」 クライフは素直に頭を下げた。怒られるのは仕方ない、誤解が解ければ―― 「それに、確かに昨日の人は痩せてたが、身体的な事を言うのは」 「いやいやいや! まず根本的にそこが違いますから!」 「違って何が悪いんだ?」 「――」 レオアリスの言葉にはいつも、考えさせる力がある。 認識が違っていたとしても。 (何が――。あ、あれ、悪くない、かな……) 美人だったし、本人が好きでやっている事を何も判っていない他人が否定したりするのは良くない…… 何となく納得しそうになり、クライフははっと我に返った。 「いや違うんです! あいつ、いや、あの人は――、男なんです!」 レオアリスは眼を丸くした。 「――え、男なのか、あの人」 「そうなんです!」 「へぇ……男か、判んなかったな」 「そうなんですよ〜。良かったー、ようやく言えたー」 ほぉっと胸を撫で下ろしたクライフを尻目に、ヴィルトールはにこやかな笑みでレオアリスの背中を軽く押した。 「まあ上将、一段落ついた事ですし中に入りましょう。ここは寒いですからね」 ヴィルトール達が棟内に入って行き、溜まっていた隊士達も持ち場に散って行った。 士官棟には朝の爽やかな陽射しが降注ぎ、建物と前庭の色彩も鮮やかだ。 ああ良かった、誤解が解けた、とクライフは胸を撫で下ろし、ふと首を傾げた。 「――あれ?」 |
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