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王の剣士
【番外四「黒森ヴィジャと雪呼ぶ獣〜と温泉紀行〜」】


 辺境に近付くに従って寒さは増し、飛竜の翼が切り裂く風にも少しずつ雪の粒が混じり始めた。見渡す地上は所々白い雪に覆われている。
「寒い……」
 アスタロトがぼそりと呟く。高い位置で結わえた長い黒髪が向い風に吹き散らされて、一層寒そうに見える。
「そりゃそうだ。これから北に行く毎にどんどん寒くなるぜ。飛竜の速度なら余計だし、向こうの空模様だとその内吹雪くだろうな」
「ぇえ〜」
「引き返すか?」
 ここでうんと言っておけば――その後の苦労は無かった。
「やだ」
 しかしアスタロトは断固として首を振った。
 既に行程の八割は過ぎていて、せっかくここまで来たのに今さら帰るのなんてもったいない。この場所からではもう王都よりも黒森の方が近いのだ。
「いいの。温泉に浸かったらぽっかぽかになるよ。こんな雪、温泉に浸かって眺めたら食後のおやつみたいなモノだよ。ああ楽しみ〜」
 ちょっと自棄気味な口調ながら、夢見るような仕草で両手を合わせている姿からは、今日の旅行を心の底から楽しみにしていた様子が伺える。
 ただ、それで寒さが消える訳でもないが。
「ふぁっくしっ」
 盛大にくしゃみをして、アスタロトは細い身体を震わせた。
「寒ぅい! 毛皮持ってくれば良かったぁ」
「だから言っただろ、しょうがねぇな……ほら、これ着てろよ」
 レオアリスは自分の着ていた外套を脱ぎ、アスタロトに差し出した。
「いいの? お前が寒いんじゃ」
「いいよ。俺は慣れてるから」
 少し迷っていたが再び強い風が吹き付けて、アスタロトはアーシアの背から手を伸ばして外套を受け取った。
 袖を通すとまだ残る温もりがふわりと伝わり、自然と息が零れる。
「……あったかい」
 そっと呟くと、何故だか胸の奥がぎゅっとした。
 悲しい時のような――、でも少し、違う。
(何かちょっと大きいし)
 アスタロトには少し袖が余る。今は広げた手の分くらい、レオアリスの方が身長は高いだろうか。
 出会った頃はほとんど変わらない身長だったのにと、ふとそんな思いが浮かぶ。
「――」
 視線の先で、レオアリスは乗騎を寄せたロットバルトと会話を交している。この天候のせいか横顔は普段より厳しい。
「やっぱり飛竜はきつかったな」
「一時地上に降りて様子を見ますか? そろそろ翼の温油を塗り直す時間ですしね」
「そうだな……」
 寒冷地を飛ぶ為に、飛竜の翼やからだに発熱性のある油を塗っている。二刻前に塗ったばかりで通常なら五刻は保つが、強い寒風と雪のせいでその効果は薄れてきているようだ。
「ついでにもう少し装備を整えた方がいいか。ちょうどこの先にカレッサの街がある。街道筋の街はこれで最後だ、休憩がてら一旦降りよう」
「はは。もうこりゃ一種の作戦行動っすねー」
 たかだか温泉に浸かりに行くとは思えない状況にクライフが笑って、レオアリスもにや、と笑みを返した。
「温泉地到達が最大目標のな。無事着けば五割達成だ」
「残り五割は?」
 フレイザーが首を傾げる。
「生還したら」
 冗談めかしつつ一部に真剣な響きを滲ませているのは、向う場所が他でもない、黒森だからだ。
 レオアリスはこの中の誰よりも、黒森の苛烈さを知っている。
 真冬のこの時期、黒森を往こうとする者は、常に死を忘れてはいけない。死はまるで初めからそこに居たかのように、いつの間にか傍らに寄り添っている。
 クライフはレオアリスの言葉に、改めてそれを肝に命じつつ、頷いた。
「早いとこ五割こなして、温泉浸かって雪見酒と洒落込みたいですね」


 一旦降りたカレッサという街は、街道沿いの小さな街だった。レオアリスの言葉通り、黒森の前にある、最後の街だ。
 もうこの先は黒森に至るまで街と呼べるものは無く、小村が点在するだけになる。
 この街はレオアリスにも馴染みが深く、ここからは故郷も近い。レオアリスは街門の広場でハヤテから降り、感慨深げに街を眺めた。
「懐かしいな――村にいた頃は良くこの村に買出しに来てたんだ。飛竜なら一刻もあれば飛べるけど歩くと丸一日くらいかかるんだぜ」
「へぇー」
「真冬は道が埋まっちまうから、冬の前と、冬を何とか越して春に近付いてきたら……前はここでもかなり開けてると思ったけど、今見ると小さく感じるな」
 しかも真冬とあって、街は建物から通りに至るまで厚い雪化粧を纏っている。春や冬の初めの市が立つ時期に比べて人通りもそれほど多くは無く、この街からは王都の喧騒は想像すらできない。
 この街を寂しく感じる事が、自分自身の変わり様と、北の辺境地域の変わらない厳しさを改めて突き付けられてもいるようで、複雑な感傷を覚えた。
 それも今回のシュランの振興策で少しは変わるのだろうか。
「――」
「しっかし目立つみたいですねぇ」
 クライフの言葉に、レオアリスは改めて広場を見回した。
 確かに――他から訪れる者も少ない為に、飛竜を連れたレオアリス達は非常に目立った。
 そもそも黒燐の飛竜は近衛師団の乗騎と知られていていて、しかも銀翼となれば大将級の乗騎というのは周知の事実だ。
 近衛師団と、銀翼の飛竜――、そしてその主が歳若い少年となれば、それが誰なのか嫌でも知れる。
「王の剣士だって?」
 通りに出ていた人々の視線が集中するばかりか、わざわざ家の中にいた住民に声を掛けて連れ出しては、レオアリス達を遠巻きに眺めている。
 冬のこの時期、この辺りは娯楽が少ない。王都からの近衛師団の来訪など、久々の刺激に富んだ話題とも言えた。
 故郷の村に帰るところか、それとも何か任務かと囁き交わす人々の視線は好奇心に満ち、そして好意的だった。
 そんな人だかりの中を縫い、この街の警備隊の制服を纏った男達が数名広場に出てきた。四十代前半の男が後ろに続いた警備隊士数名になにやら指示をすると、一人小走りに駆け寄った。
「大将殿」
 男はレオアリス達の前に来ると、恭しく一礼した。少しぎこちないその動きに緊張が見て取れる。
「カレッサへお越しいただき、光栄です。私はカレッサの領事館警備隊隊長、リールと申します。その、誠に失礼ながら、近衛師団の方々が今回こちらへお越しの理由は……」
 どことなく不安と緊張を交えたリールに対し、ロットバルトが安心させるように笑みを返した。
「お騒がせして申し訳ない。この街へは飛竜の温油を足す為に立ち寄ったのですが、準備が整えば出立します」
「いえ、騒がすなど滅相も――! しかし左様ですか」
 街での案件では無かった事にほっと安堵の息を吐き、リールは気付いて慌てて手を振った。
「あ、こんな場所で失礼しました! すぐ領事館へご案内します! もう遅い、今晩は領事館にご滞在になりますか? あ、いや、すぐに発たれるのでしたね、では少しでもお身体を暖めて行かれては」
 多分さっさと行ってもらった方が有難いだろうと思うが、リールは律儀に休息を勧めた。
 できればお言葉に甘えてこの街で留まり、明日には王都へ帰りたい、というのが大方の意見ではある。が、それも内心の話だ。
「せっかくのお勧めですが、お気遣いなく。残念ながらこの先のシュランへ行く途中ですので」
「シュラン」
 リールはさっと表情を厳しくし――頷いた。
「やはりシュランですか」
「やはり?」
 やはりとは奇妙な言葉だ。レオアリス達は顔を見合わせた。
 レオアリスが改めて管理に向き直ると、それだけでリールは素早く背筋を伸ばした。
「やはりと言うのは?」
「い、いえ、失礼致しました。ご任務に口を出すつもりはございません!」
 今更ながら自分が余計な口出しをしている事に気付いて、リールは口早に詫びた。近衛師団の任務内容は問わないのが不文律だ。
「出過ぎた事を言い、いえ申し上げました、申し訳ございません!」
「問題ない、それより」
 やはりという言葉が気に掛かり、レオアリスはリールに一歩近寄ると声を低く抑え、問いかけた。自分達が何も知らないというのはこの際伏せておいた方がいい。
「シュランで何が起きているのか――状況を詳しく教えてもらえるか」
 ほっと息を吐き、リールはレオアリスを見て同じように声を低くした。
「その、ご存知の通り、最近シュランは連絡が途絶えています。先月末に王都へご報告してからずっと、あまり状況は変わっていません。激しい吹雪が頻繁に吹き荒れて、シュランへの道を閉ざしてしまっています」
「人手を派遣したんだろう」
「はい、一度は北方公の捜査官も来ましたが、吹雪が激しくて原因は結局判らず――」
 レオアリス達はまた顔を見合わせた。ベールの派遣した捜査官が判らないというのは、かなり問題が大きいようだ。
「原因を探ろうにも未だ半日と森に留まれた者がなく、皆吹雪のせいで引き返しています」
「――」
「新しい情報が無く申し訳ありませんが――他でもない大将殿がおいでとあって安心しました。この土地で育たれた貴方なら、きっと原因もわかると思います」
 リールは期待を込めてそう言った。そこに込められた期待は、この土地に住む者達の期待でもある。
 自分達と変わらない立場から出たレオアリスであれば、厳しい北の大地を、少しでも良くしてくれるに違いない、と――。
「シュランの事業が上手くいけばこのカレッサを訪れる者も増えるはずで、我々としても成功して欲しいのですが――このまま道が閉ざされたままですと、村人の安否すら危なくなってきます。どうぞ、よろしくお願いします」
 お気をつけて、と付け加え、リールは恭しく敬礼を向け戻って行った。
 レオアリスはリールの姿を見送り、考え込むように腕を組んだ。
「道が閉ざされている、か――」
「大雪で閉ざされちまってるんですかね」
「いや。その程度はここら辺じゃ普通だからな。あんな深刻な言い方はしない。警備隊の人間がああ言う以上、何か他に原因があるんだろう。――アスタロト、大公は何か仰っていたか?」
「え? ……うーん……んー?」
 いきなり話を振られ、アスタロトは腕を組んだ。
「そ、そう言えば、ベールの話の途中で出て来ちゃったような……んー」
 確かにベールは何か言っていたような気がするが、よく覚えていない。それにあの時の話題に触れるのは、何となく、遠慮したかった。
「あー、いいよ」
 しかめ面で唸るアスタロトの肩を叩き、レオアリスは視線を戻した。もうそろそろ日も暮れる。行くのであれば急がないといけない。
「王都に確認を取りますか」
「そうだな――カイ」
 ロットバルトの言葉に頷き、レオアリスは彼の伝令使を呼んだ。どこからともなく現れた黒い鳥はふわりとレオアリスの右腕に降り、暫くぶりの北の空気を嬉しそうに嗅いだ。
 指先でカイの小さな頭を撫でる。
「悪いけど王都に飛んで、グランスレイから大公に状況を確認してもらってくれ」
 カイは了承の代わりにぱちりと丸い眼を瞬かせ、羽ばたきの音を残して空中に消えた。
 ロットバルト達はレオアリスの判断を待って視線を向けた。
 結局レオアリスが何を選択するかは判り切っている。その判断は、既に温泉地へ行こうという気楽なものではなく、ある意味任務に等しい。
「とにかく、俺達は行ってみよう。もう一刻もあれば着く。シュランの周辺の状況を見て、対応できるかどうか、後はそれからだな」
「承知しました」
 三人の纏う空気が素早く引き締まったのはさすがだ。
 一人を除いて。
「――仕事……」
 アスタロトはとても悲しそうな顔をした。
 せっかく仕事を離れて王都も遠く離れて遊びに来たはずが、いつの間にやら普通の任務になっている。
「すぐ宿に行けないの……?」
 しょんぼりした様子にレオアリスは思わず笑ってしまった。
「道が雪で閉ざされてても、飛竜には関係ないかもしれないけどな。寒いならお前とアーシアはここで待っててもいいぜ。後でカイを知らせに寄越す」
 さっきまでレオアリスはあんまり乗り気じゃなかったのに、と内心思いながらも、アスタロトはアーシアの手綱を掴んだ。
「――行くよ。私が言いだしたんだし、私だって気になるしね」





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renewal:2010.01.16
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