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王の剣士
【番外四「黒森ヴィジャと雪呼ぶ獣〜と温泉紀行〜」】


 アスタロトは亀裂の中に飛び降りるなり、アーシアに駆け寄って抱き締めた。確かな感触にほうっと息を吐く。
「アーシア、大丈夫? 怪我はない?」
「アスタロト様」
 額を当てて心配そうに自分を覗き込んでくるアスタロトの様子を見て、アーシアはほんの少し辛そうに眉を寄せ、アスタロトの腕に手を置いて向かい合った。
「僕は大丈夫です。――何で降りてきてしまったんですか」
「何言ってるの、当たり前じゃん。アーシアを一人でこんな所に置けるか」
「アスタロト様」
 それじゃ違うんです、と言おうとして、アーシアは俯いた。
 アスタロトを守りたいと、何より強く思っているのに――どうしていつもこうなのだろう。
 もっと強ければ、さっきだってあの獣を、アスタロトではなくアーシアが追い払えたはずだ。
 レオアリスだったら、何の問題もなくアスタロトを守れる。
(剣も使えないし、僕には強い牙もない)
「心配する事ないよ、アーシアは私が守るから」
 そうではないのだとは言えず、アーシアはただ笑みを浮かべた。
「それにしても、本当にあったかいよね、ここ。外より全然いいや」
「――そうですね。不思議です。外はあんなに雪が降ってて凍ってしまいそうだったのに」
 ぽう、と暗闇に明かりが差し、隣を見るとアスタロトが手のひらに炎を灯したところだった。
 ゆらゆらと揺らぐ炎の光に、アスタロトの綺麗な顔が浮かぶ。
 こんな状況なのに、瞳に踊る炎はきらきら光っている。
「見て、奥に続いてるよ。洞窟の途中みたいだね」
 アスタロトは左右に炎を揺らしてみせた。灯りの先で、狭くなったり広くなったりしながら、この地下の空間は左右に伸びている。
「――」
 暗がりと、その奥に溶けるような洞窟を見て、アーシアはクスリと笑った。
「どうしたの?」
「いえ――森の下の洞窟って、懐かしいというか……あの時はもう、こんな事は二度と無いと思ってましたけど」
 アスタロトは不思議そうな顔をした。
(そうか、アスタロト様は知らないんだ)
 黒竜と共に地中に落ちたアスタロトを助ける為に、レオアリスと一緒に地下の坑道を降りた。
 あの時の不安と、今とは全く違う。
 今はアスタロトは隣にいる。
 自然と、両手が拳を作る。
(良し――)
 傍にいるのだから、力不足だとか何とか、嘆いている場合ではない。
 あの時と同じ――、自分ができる事をするのだ。
「アーシア、出口を探そうよ。探検しながら行こ」
 アスタロトはアーシアに手を差し伸べた。
「探検しながらって、」
 ここを動かない方がいいのじゃないか、とも思ったが、アスタロトは屈託なく笑っていて、その上今のアーシアは前向きな気分だった。
「あったかければ大丈夫、何が来ても全然平気。私がアーシアを守ってあげるから」
「――僕が、アスタロト様をお守りしますよ」
 アスタロトはアーシアを見つめ、嬉しそうに頷いて彼の手を握った。




「おぉおお〜ぅ、いねぇ! カイ、マジでここだったんだな?!」
 つい四半刻前までアスタロト達がいた場所に降り立ち、クライフはカイを振り返った。
 カイが心外そうに頷く。
 場所は間違い無くここのようだが、アスタロトとアーシアの姿は見当たらなかった。
「ひゃ〜、どこ行ったんだ〜」
 右、左と顔を向ける。
「クライフ! どう?!」
 頭上の亀裂からフレイザーの声が降ってくる。垂らした縄が一緒に揺らされた。アスタロト達を引き上げる為に樹の幹に括り付けたものだ。
「いねぇ! 移動してる!」
 クライフの返事を聞き、フレイザーは驚いて亀裂を覗き込むように両手を付いた。
「嘘ォ!」
 「う」と「そ」の間に小さい「っ」が入った発音だったが、アスタロトがじっとしていないのは充分納得できる。
 フレイザーは溜息と共に額に手を当てた。
「困った方ねぇ……カイにまた探してもらう? それとも上将に報告が先かしら」
「アスタロト様達を先に見つけた方が安心じゃねぇ? 報告の間にどんどん遠ざかっちまいそうな勢いだぜ」
「そうね――。そうしましょう、クライフ、貴方も一旦上がって……」
 フレイザーの声が途切れ、クライフは亀裂を見上げた。
「フレイザー? どうかしたか?」
 クライフの声が洞窟内に反響し、遅れて、獣の咆哮が壁に跳ね返りながら落ちてくる。ぎょっとしてクライフは声を張り上げた。
「フレイザー!」
「ねぇ、また雪が止んだわ」
 フレイザーが身体を起こしたのか声が一旦遠退き、またはっきりと亀裂を通って届いた。
「近付いて来る!」
 クライフは頭上を睨み付けた。
 確かに、再び、今度はもっとはっきりと、咆哮が洞窟の中にも反響している。
「上将は――」
 何故また近付いて来ているのか。
 レオアリスは。
「大丈夫に決まってる!」
 叫んでクライフは縄を掴んだ。
「くっそ、ロットバルト、あいつ何やってやがんだ」
 レオアリスに付いていながら、取りこぼすとは。
「いや、言ってもしょうがねぇ」
 とにかく、状況が判らない以上、地上はまずい。
「――フレイザー、降りてこい! アスタロト様達の居場所が判るまで、中にいた方がいい」
「判った!」
 フレイザーは辺りを見回し、縄がしっかり樹の幹に巻き付いているのを確かめてから、最後に飛竜に上空へ退避するように指示した。
 二騎の黒鱗は近付いて来る咆哮に興奮した様子ながらも、フレイザーの指示通り雪の止んだ空へ飛び立つ。
 咆哮はどんどん近付いて来る。後方の樹々が揺れた。
 フレイザーは亀裂に向かって叫んだ。
「降りるわ! どいてて!」
 抱き止めちゃおっかなー、と思っていたクライフは、さすがに諦めて広げかけた両手を収め、壁際に退いた。
 縄を伝うようにしてフレイザーがひらりと降り立つ。
「上は?」
「まだ姿は――」
 言い終わらない内に、一際大きな吼え声が響き、洞窟内を震わせた。
 まるで鐘の中に頭を突っ込んだまま叩き鳴らされているようだ。
 思わず二人とも耳を押さえ、張り詰めた顔を上げた。
 声は亀裂から落ちてくる――真上だ。
 硬いものが、地面を掘り返そうとしている音が聞こえる。
 遠慮の欠片も無い爪音と唸り声。
 雪と土、削り取られた岩の欠片がばらばらと落ちてきて、クライフ達は二、三歩後退った。
「――」
 クライフもフレイザーも剣の柄に手を掛け、息を詰めてじっと頭上を見つめていた。
 ガリッ、ガリッ、ガリッ、ガリッ、ガリッ……
 すぐにでも、あの白い獣が亀裂から首を突っ込むのではないかと思えたが――、やがて音は止まった。
 少しの間低い唸り声だけが続いていたものの、それも次第に遠退いていった。





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renewal:2010.02.06
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