雑誌以外の記事


『巨神ゴーグ』関連の資料のうち、雑誌記事以外のものをここでは掲載していきます。

(目次)

・巨神ゴーグ ドラマ篇〜愛と冒険の軌跡  (解説カード)/2001年2月17日 協力:チャゴ丸さま

・巨神ゴーグ ドラマ篇〜愛と冒険の軌跡  (内容)/2001年2月17日 協力:チャゴ丸さま

 

(*)なお、これらの記事の抜粋は、当時の責任者の方の所在も不明なことと、掲載から20年近く経っている事から、原著作者の不利益になることはないだろうと勝手に判断して掲載にふみきりました。この判断が不適当であるなど、原著作者から連絡があった場合には、予告無しに削除する場合があります。どうかご了承ください。

 

■巨神ゴーグ ドラマ篇〜愛と冒険の軌跡 

● 解説カード

2001年2月17日 協力:チャゴ丸さま

 

『ゴーグ』のこと、あれこれ。     安彦良和  

昨年春、映画『クラッシャージョウ』の完成試写の頃、『巨神ゴーグ』はスタートラインに足を乗せていた。
以来数えて1年と有余、その一切の作業が終了したのは今年5月の末日・・・。
2クール、26本のテレビアニメ・フィルムの為にしては、異例と言って一向にさしつかえのない日時を費やして、・・それはようやくゴールへとたどりついたのだった。

1年プラス数ケ月というこの製作期間は、優に4クール番組のスケジュールに匹敵する。
そして事実、単に「長かった」というだけではなく、この日数の経過中にはいろいろなことがあった。
予想外のトラブルから放送がお流れになり、あわやオクラ入りか…と思わせるようなスリリングな局面もあったし、スタッフの間ではロマンスの芽生えや、終局や、お目出たいジュニアの誕生もあった。
松竹株式会社やビクター音産の方々のお骨折りで、前代未聞の放映前試写会や全話ビデオ化の光栄に浴することも出来た。
私的に言ってしまえば、十余年間の仕事体験を通じて最も想い出深い、大きな画期の作品がこれだったということは確実だし、あそこにもここにも、大小の借りをこしらえてしまったような忘れられないパートナーは幾人となく居る。
あれやこれやの失敗にまつわる「後クサレ」をも含めて、「巨神ゴーグ」は僕にとって、本当にかけがえのない宝物になった。

 

所沢の「分室」にこもってひたすら絵づくりに専念した僕のガラ空きのガードをカバーして、「音」の世界を従全にとり仕切ってくれたのは音響監督の千葉耕市さんだった。
千葉さんには「クラッシャージョウ」の時にもさんざん世話になったが、長丁場だったから今度のお骨折りはまた格別である。
キャスティングに始まって、最後の打ち上げ旅行の幹事、ガイド役までもオンブと決めこんでしまった。あの渋面に刻まれたシワの幾本かは間違いなく『ゴーグ』とこの僕のせいなのだが、救いは千葉さんのダンディズムである。
実際、シワも白い髪も、痩身の千葉さんにはとても良く似合う。本当だ、とても-----よく似合う。

キャスティング上の一番のヒットは多分船長役の今西正男さんだろう。
他にもはまり役は多いが、やはりこの人が一番だったと僕は思っている。役付けで一番モメたのも「船長」だったが、今西さんの塩カラ声がそれと決まってからも「船長さん」は常にアフレコルームの主役だった(らしい)。
有体に言って、今西さんという人は決して器用ではない。
おまけにつたない絵の動きに合わせるという、アニメの仕事にあまり馴染んでいない。
為に所要の時間ということでは、今西船長はいつも金魚鉢の中の王者だった。おまけに役の上に劣らず、今西船長もまた巨躯である。
大きな躯を心もち縮めて、「ごめんよ…」とダメに応ずる所作はそこはかとない笑いの種だったが、その御苦闘の成果は22話の見事なモーション・ダイアローグに明らかである。
25話の枯れた独白も絶品だったが、聞けばこの時、今西船長はカゼを召されていたそうである。が、演技とカゼの関係がどうであるかは聞く人の耳に明らかな筈だ。
今は是非もう一度機会を得て、「チガウんですよ…」とまたやりたいものだと、未熟者のカントクは心待ちにしている。

セリフと言えばロイ役をやられた和尚さんこと藤本譲さんの23話の芝居もまた良かった。
「これで・・最後ですから…」の声に「なに!?」と目をむかれて、次には見事に出おさめの句を演じきって「どうだ」という顔をなさった。
そんな時、ガラスのこちら側で舌を巻く方はいかにも小人である。
こんな想いに連なる経験を、少ない回数ながらも味わえた所にも、良き想い出の断片はある。

ミキシングは当初はベテランの泉山さん。
途中からは新進の依田さんに代られたが、その交代の因になった「テレセンの火事」も、長丁場故の事件の一つと言って良かった。
泉山さんも『クラッシャージョウ』でお世話になった方で、見るからに手練れの音屋さんだったが、事故を機に東北岩手の農家へと劇的な人生転換を果された。
『ゴーグ』の仕事が心残りと言われ、放映ネットはないがビデオで逐一看るからというお話には感じ入った。
良い仕事、デカイ仕事を山ほどこなされたプロの方々の、こういう姿勢を見せられた時ほど嬉しいものはない。
半端な自分の仕事が本当に救われて一瞬でも光り輝いて見える。

 

効果の佐藤さん、お子さん泣かせてすみません。僕のキイの音も使ってほしかった…。
真弓さん、キートンさん、一美さん、熱演ごくろうさま。
-----あ、これで紙数一杯。最後までとりとめなかった仕事にふさわしいようなこの文章…。
とりあえず、こんな所で。

私のゴーグ     田中真弓

小さい頃(今も小さいですが)「鉄人28号」が好きで、金田正太郎くんが、うらやましくて仕方ありませんでした。
いい年をこいた今、あの頃よりもっと強い想いで、田神悠宇くんがうらやましいのです。

「奥様は魔女」を夢中になって見ていた頃は、(すでに大人でしたが)"もしかしたら、私も魔法が使えるかもしれない"と本気で思い、口先をとがらせて、チョコチョコと動かしてみたのです。
今、私は、時々"もしかしたら、私にもゴーグがついててくれるんじゃないか"と思って、小声で呼んでみたりするのです。

連日の酷暑のせいで、頭がおかしくなったわけではありません。
それほどゴーグには、魅力があるのです。
鉄人はリモコン操作でしたが、ゴーグには、意志があり、心があります。
あの表情のないはずのゴーグの眼が、悠宇を見つめる時、限りなくやさしく見えてしまうのです。
武器を持たないゴーグは、戦うといっても、とっくみあって、素手でたたいたり、けったりするだけ、それでいてメチャ強いのです。この点も、ゴーグならではの魅力であります。

物静かで、実行あるのみのゴーグって、安彦先生にどこか似てるって思うのは、私だけでしょうか。
昭和59年3月25日、「巨神ゴーグ」放映前のキャンペーン上映会の為、安彦先生といっしょに仙台へ行った時のこと、帰りの新幹線の中で、はじめて1対1でお話をさせていただきました。
「巨神ゴーグ」にかける情熱や、安彦先生の生き方の真摯さを、静かな口調の奥にひしひしと感じ、"この作品にかかわれたことは、至上の幸福である"と、改めて思いました。

ゴーグは、今私の中で、ただやさしいだけでなく、その名の通り神になりつつあります。
それは辛い時に、"ゴーグ!"と呟くだけでなく、心のどこかで恐れている、畏敬の念を抱いている、ということです。

でも、"困った時のゴーグ頼み"のケースの方が多いかな、私の場合-----。
例えば、原稿が〆切りに間にあいそうにもない時とか、叫んでみたりするのです。ゴーグー!!

(昭和59年8月27日)

 

 

●内容

2001年2月17日 協力:チャゴ丸さま

 

(BGM「紐育」のジャズの部分が流れる)

「僕の名前は悠宇…。13歳にしては、ませてると思う。

いま、僕はかったるい体を持て余しながらこの数ヶ月の間、目まぐるしく展開した冒険旅行は一体なんだったんだろう…、ぼんやり考えている。 そのことは終わってしまったことなんだけど…、いや、もしかしてこれから始まることなのか…。僕にもわからない。

…あ、いま、冒険旅行って言ったけど初めからそうなろうとは僕だって思ってもいなかった。でも、どうしてそうなったのか。おそらく、このことを聞いたら誰だって現実なのか空想なのかわからなくなると思う。

そう、異次元の世界か…。」

 

「旅立ち」、「GAILの島」、「異星の人」、「そして、ふたたび…」と4つのパートに分かれ、悠宇の補足ナレーションが入って総集編。

 

(BGM「紐育」のジャズの部分が流れる)

「僕の冒険はこれで終わった。あれからもう5ヶ月。なんだか何もかも夢だったみたいだ。」

「悠宇」(遠くからドリスの声)

「えっ、ここ?あ、ここね。ニューヨークなんだ。僕はね、今、ウェイブさんの新しいアパートで…、」

「悠宇!」

「あーん、うるさいなー、(大体オーバーなんだよ、金きり声でさ、オウストラルでもそうなんだけど、面倒見きれないよ−(小声で))」

「コラー!!」

「ははは、あ、そうだ、アロイとサラも一緒だよ。ハイスクールで勉強してるんだ。トメニクさんからは時々、手紙が来るみたい…。船長?ああ船長は相変わらずさ…。みんな元気だよ。じゃ、いつか、またね、バイバイ!」

 

 


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