1月12日
ファイナルテスト
Cookeryの生徒の、実技の最終テストが10月末に行われました。
一人一人が前菜、メイン、デザートのメニュー作りから始まりそれが調理法のどれを用いるか検討して、3時間半で完成の時間配分も考え、レシピを書き上げました。そして今日はサモアのトップシェフが一人の生徒を最初の準備から,最終盛り付けまでじっくりと見て試験をする日です。また合間には調理法や衛生、食品の知識など個々に質問をします。カウンターパートのイレーヌと私も、まるで試験をされてるようで、落ち着かない気持ちで外で待っています。生徒の誰はパンを上手く焼けただろうかとか野菜を煮すぎないだろうかと、話して待ってます。最後は盛り付け、味付け、舌触り、香り、濃度、温度など細かく評価して、75点が及第です。不合格の場合はもう1度テストを受けなおします。生徒の中にはアギーグレイスホテルのシェフから就職の誘いもありました。このテストは就職の登竜門のようなところもあります。

   シェフが試験官     後は評価を待つだけ     試験が終わって   試験を見守る友人とC/P
    

Japan day
サモア国立大学のサモアファレで、日本文化紹介の一環としてお茶を紹介しました。
私達も着物をきて,立礼で茶道を紹介しました。お点前と並行してサモア人のために、英語でお茶の歴史と頂き方も説明してもらいました。点前も表、裏千家と交互にしました。そのちょっとの違いが解ったかどうか疑問ですが。お客様も大勢きてくれました。最初に運ばれる干菓子の美しさに驚いていました。またお抹茶のちょっと青臭い香りにうっとし、綺麗に泡立ったお茶にトライする人が大半でした。Polytechからも、生徒とカウンターパートのエレーヌもきてくれました。彼女達は初めてお茶の点前を見て、そしてお茶を味わってとても喜んでいました。翌日はスピーチコンテストが行われ大勢の参加者でした。

                     お茶の紹介                   生徒、カウンターパートと一緒
    

10月15日
サバイイ島の生徒の家に行く
ホワイトサンデーの行われる週の始めにサバイイから来ている生徒から、家への招待をうけました。
サモアに1年半以上いるが、本当の村の生活を見たことがなかったので喜んで彼女の家にいくことにしました。しかし困ったことは、今まで仲間と動いていたので一人でサモア人の中で2泊も過ごせるだろうかという不安でした。さすがに同期の仲間は、2泊目は仲間がいるところに戻ってこられるように、サレロガの名物ホテルで待機してくれてました。生徒の住まいは島の西側でタクシーで行っても1時間半のところでした。田舎だからバスも日に数本しかないところです。朝9時に出て、やっと3時に家に到着です。近所の人まで家から外に出てきて、迎えてくれました。彼女の家は3世代の傍系家族で大家族です。家も壁ありの家2棟、サモアンファレ2棟、台所、ウム小屋、農機具置き場などありました。庭のパンの木の下には農耕馬が繋がれ、親豚や子豚が自由に動き回り、鶏も雛をつれて虫を探して歩き回っています。広い間仕切りの無い部屋は、蚊帳をつってカーテンをはって一家族の部屋になり、2家族は同居のような形になります。昼間はそこでおしゃべりしたり、子供をあやしたりしてます。シャワーも外で囲いだけです。家から布を上手に体に巻きつけていって、そのまま浴びるようになります。アピアでは見られない島のくらしぶりです。村全体が親戚のようなもので、生徒にいとこの家、おじさんの家おばさんの家と連れていってもらいました。

  おばさんの家の前で    台所ファレと子豚       生徒と妹         家族全員集合
    

ホワイトサンデーとトウナイ
10月第2週の日曜日はサモアの大きな宗教の祭りです。
この日は郷里に帰るひとが多くて、連絡船などみてるとまるで民族大移動です。ホワイトサンデーは子供に教会に着て行く白いドレスやラバラバを買ってあげてこの日ばかりは大人より先に食事もたべれます。教会は前日に綺麗に飾り付けられて、当日は新しい洋服を着せてもらった子供達が主役のチャアーチサービスがありました。歌と踊りで教会誕生、また詩編の1節を子供達ひとりずつ暗誦して、最後はサモアに彼女達の派の教会が根付いたいきさつのドラマがあり、演じる子供も泣き、見てる大人も泣きながらみてました。ホワイトサンデーはサモアの子供達にキリスト教を体で覚えさせる時なのかなと思いました。教会に行って帰ってきてみんなで食卓を囲む料理がトウナイといいます。朝6時前から男達が火を起こし、焼き石をつくり、タロイモグリーンバナナの皮むき、ココナツミルクを作ってタロイモの葉でくるんでバルサミ、をつくります。そして今日はご馳走なので、子豚を殺します。捕まえて頭から水の中に突っ込んで窒息させます。苦しくてお尻をぴくぴくさせてました。やがて静かにになったら、焼き石の上で毛を取り、それからきれいに内臓をぬいて、そこに焼き石と葉っぱを詰めて豚の成型して焼き石の上にそれぞれの用意したものと一緒にのせ、生の葉、少し発酵したような葉を順々にこんもり乗せて、蒸し焼きにします。そして11時半ごろ教会から帰ると、大きなゲストファレで、椰子の葉で編んだランチョンマットの上にバナナの葉をのせそこに朝から用意した、ウム料理を子供が先にたっぷり食べます。そして食後の手洗いの水も大人がサービスしてくれます。

   教会の飾りつけ     おめかしをして教会へ    今日はお姫様      教会で歌う子供達
    

9月21日
サモアでクラス会
40年ぶりのクラス会をサモアでしました。成田を旅たつ時に、5名の学友が見送りに来てくれたので、彼女達の分を含めると12名のクラス会です。乗り換えしながらやっとサモアに着きました。今夜は私の宿泊しているホテルに直行です。空港からおしゃべり全開です。時々外を見ると降る様な星と、サモアンファレに寛ぐ人達が見えて、サモアに来ているのを実感したようです。各部屋で荷物をといてから、私の部屋に集合しました。皆さんから沢山お土産を頂き、私の部屋は一挙に日本の香りです。用意しておいたラバラバをそれぞれに選んでもらい、明日からのサモアンライフに備えました。
ツアーバスを仕立てて、私の勤務先のポリテクを見てもらってウポル島の東側を回ってシナレイリゾートホテルにいきました。乾季だというのに、大雨になってしまいサモアで一番きれいなラノマノビーチも今一つで残念です。シナレイは全室コテージになってるので,居間に集まりまたまたおしゃべり。40年前の真相が明らかになったり、友人の名前を言うとそこから色んな話が出たりで時間がつきません。また広いジャグジーも部屋にあるので、皆で温泉しました。それからCookeryの卒業生がシェフとして働いてるのを見てもらいました。翌日も降ったり止んだり、引き潮の時海に出て、珊瑚と熱帯魚を覗き見です。其の綺麗さに皆感動でした。夜はサモア名物のフィアフィアです。またツアーバスを仕立てて、西回りでアピア市内に向かいました。道々には日本人には珍しい植物がいっぱいです。ココアの木に吃驚、バナナの生り方に納得です。そしてサモアの村の生活を垣間見たり、男達に行き会うと、彼らはプランテーションに向かうところなのか、刃渡り50センチもるブッシュナイフを携帯していて、それも吃驚です。市内のキタノツシタラホテルに泊まりました。今夜もフィアフィアがあります。今夜は今年のミステウイラ候補12名が招待されていて華やかです。またまた力強い踊りと火の踊りには皆感動です。締めくくりは市内見物と買い物です。小さな街で少し愕き、また大部分の人が民族衣装を着てるので異国情緒たっぷりです。サモアの布地とパンタナスのバックがお気に入りでした。また黒真珠を買った人もいました。この次のクラス会にはきっと彼女の胸や耳を飾っているでしょう。
楽しい旅も終わりになりました。帰国したら年老いた親の介護が待ってる友もいます。サモアの事を思い出しながら頑張ってね。

     ラノマノビーチ   シナレイでラバラバを着て   フィアフィアへ シナレイで働くCookeryの卒業生
    

6月30日
ファンクション
2月に入学した生徒が二ヶ月間の衛生、栄養、法規についての座学が終わり、4月第2週目から実習に入りました。それの初めての勉強結果の発表がありました。南太平洋教育者会議がサモアで行われ、其のパーテイがポリテックで催されました。Cookeryの生徒もビバレージの生徒も今日が其の成果を発表する日です。彼らはテーブルセッテング、盛り付けなども学んでホテル関係のシェフに成長していくのです。今年もポリテックの目玉になった寿司がオードブルになって登場しました。また南太平洋地域の飲み物のPoi(ポイ)も作りました。これは熟したバナナ、ココナツの果肉、ジュース、ココナツミルク、砂糖を入れてミキサーにかけ、それを冷凍庫に入れて、シャーベット状にした飲み物です。色は今ひとつですが元気になりそうな美味しい飲み物です。

     セッティング       ケーキを持って     オードブルと生徒    タパクロスを飾った会場
    

5月31日
カバの儀式:
100年くらい前までは南太平洋地域ではアルコール飲料はなくて、カバが飲まれていました。だから今でも村の大事な催しはカバの儀式からはじまります。場所は村のハイチーフのミーティングファレで位によって座る順序が決められています。まず口上が述べられタポーによって作られたカバを椰子のお椀にたっぷり注がれ、客はまず大地の神に感謝の印にパンタナスの敷物に一口分こぼしてそれから飲み干します。
野菜マーケットにカバの原木が売っていました。カバは胡椒科の木の根を薄くスライスして天日に干して、それを鉄の入れ物に入れ、鉄棒でトントンたたいて粉にします。そしてこの粉を水で溶き細かい粒子が口に残らないように、植物の茎で作ったタワシのようなもので何度も漉くっては絞りを繰り返してなめらかにします。この植物の茎に粒子が着くようです。液の色は灰色で味は泥のような味がします。シスターがカバを評してビールは人を愉快にしてカバは哀しくさせる飲み物と話していました。マーケットでも篤志家の寄付でカバが振舞われています。男の人達がカバ桶のまわりの椅子に腰掛けて飲んでいますが、おしゃべりするわけでもなくそれはとても静かです。気持ちの落ち着く飲み物かもしれません。一時はドイツでは肝臓に悪影響と言われていたのですが、最近のレポートでは因果関係が無いと報告されてます。

             カバの儀式             鉄棒でカバを粉末に  カバの木の根をスライス
    

4月28日
マタバヌ山噴火口ハイキング:
初めてサバイ島のハイキングに挑戦しました。
マタバヌ山は650mあり、百年前に噴火して今は休火山になっていて、手付かずの自然が残っています。ここに行くために前日マナセのタヌビーチに泊まり、宿の人にPaia村まで車で送ってもらいました。そこからプランテーションの農道を歩くこと1時間半、プランテーションには椰子、バナナ、たろいも、所々にココア、ライムが植えてありました。日本の畑道は丈が低く、また土が見えるように良く手入れされてるのですが、ここでは下草が生い茂り、また牛が繋がれていたり、馬がいたりでドキッとします。プランテーションの番犬がいないか、ひやひやしながら歩きました。ようやく溶岩台地の入り口につきました。ここからは人の手が入ってない状態の植生になっていて、羊歯やノニの木、蘭科の花、潅木などが生えています。振り返ると山々の向こうに太平洋が見えました。登ること45分でBlue houseにつきました。ここはPaia村の番人が居て、入山料を徴収します。それと登山名簿のように名前や国、日付など記入すると後日、木の標識に書いて登山道に立ててくれます。サモアの観光地は村単位で自治され、道路の整備や草刈などをしてくれてます。ここから噴火口までまた45分の道のりです。火口は今は鳳凰樹のような木が生えて大きくなって、ちょうど目の高さが木の天辺になってます。そしてアピア辺りでは見ない、お腹の辺りが綺麗な黄色の小鳥が飛び交っていました。火口を覗きたいところですが、地盤が弱くて崩れてしまうので、2m程さがった辺りで見てました。帰りはPaia村まで戻って、タクシーも無いので子供たちのファミリーのトラックに乗せてもらって、タヌビーチに帰りました。

   Paia村の子供達    プランテーション山林道   登山道のSV仲間     マダバヌ山噴火口
    

4月15日
私の誕生会:
サモアでの私の誕生日を、生徒達に祝ってもらいました。
この日はカウンターパートのアファの誕生祝いも一緒でした。10時のブレイクに誕生会をしてくれました。英語とサモア語のハッピーバースデー、次に生徒のお祝いの言葉と有難うの返礼があって、生徒たちの賛美歌、ケーキのろうそくを吹き、ケーキカットがあります。それからはサモアの歌がどんどん出て、アファがタポーを踊り始めます。私もしないといけないらしく、ちょっとアファを真似て踊りました。なかなか格好がとれなくて大変でした。最後にはケーキを小さく切って生徒に配ります。サモアのケーキはチョコレート生地のものが多いです。シュガーアイシングでバラの花を飾ったり、周り全体に色を付けたりします。暑い気候のせいか、生クリームでデコレーションしたものは売られていません。

    生徒と記念撮影       バースデーケーキ(SINAは私の愛称)     タボーを踊るアファ
     

今年の生徒:
今年は71名の大勢の生徒が入学しました。しかし先生は1名減って3名と私です。
生徒はやんちゃな子もいて、学校の周りの大きななマンゴーの木に登って、マンゴーを落としたり、学校の屋根に登って棒を使ってマンゴーを落とす生徒もいます。昨年は石を投げてマンゴーを落とすだけだったのに。またファアヒネもいます。男の子だけど女の子みたいな生徒です。髪も長くして、上着の色に合わせてリボンをしてきます。制服は水曜日と金曜日は必ず着用ですが、あとの日はノースリブ、T-シャツ以外なら良しです。女性徒は髪に花を飾るように指導されます。

スタッフと一緒にモーニングティー              教室の生徒たち
    

サモアの成人式:
ポリテクの先生のお嬢さんの、21歳の誕生パーテイに招待されました。
21歳はサモアでは特別で成人式も兼ねて、大きなパーテイをするそうです。フィアはハンデイーキャップがありますが、人の名前と特徴を直ぐ覚え、とても思いやりのある人です。普段は家にいて掃除をしたり、テレビをみたりして過ごしているので、昨年の台風の被害のニュースをみて、しきりに日本の私の家の心配をしてくれました。フィアは弟妹たちの学校の迎えの車に乗って、ポリテクにも寄って行きます。彼女を生徒も先生たちも温かく迎えて少し話していきます。サモアのパーテイは、家のゲスト用のファレで行われ、夜の7時から開始予定でもそこから三々五々集まりプレゼントを渡し、今日の主役と話し、テーブルに案内され飲み物が振舞われます。そして雇ったバンドが常にサモアの歌やポピュラーソングを歌っています。40分位すると大半が揃い、フィアのお父さんの挨拶、牧師の祈り、皆で賛美歌、またお父さんの挨拶、フィアの挨拶があり、乾杯でまた飲み始めます。その間にも演奏が続き、出ていって踊りたい人が踊ります。1時間くらいしたら、今日の主役がタポーをおどります。この時は皆で囲み手拍子を打ちタポーに敬意を表してお金を投げます。1次会の終わりは牧師婦人のタポーで閉めます。ケーキカットも宴の途中で両親に伴われて行われ、お客に配られます。料理は一次会の最後の方に家族がお弁当箱に詰めてお客に配ります。そのころが宴のお開きの時間です。2次会はお弁当を食べ、歌って踊って午前2時ごろまで続きます。そしてお客は酔っ払い運転で家路につきます。

    フィアと一緒に  仲良しの観光大臣の息子と 彼の助けでタボーを踊る 左は男性のファアフイネ
    

3月6日
ポリテクの新学期:
2月5日に入学式があり、7日から4週間のオリエンテーションとコンピュターの授業がはじまりました。
今年は昨年より25名多いです。私のいるCookeryも2名増えて10名です。施設的に少し無理があるように思います。中には現在ホテルのシェフをしていて、入学している生徒もいます。サモアの入試の方法は高校にあたるカレッジで統一試験のようなものをして、そこで英語、数学、サモア語、歴史、科学を10段階で評価した学校の証明書とホスピタリティ科の主任の面接で決まります。一応1月25日で締め切ったのに、その後も面接の約束をして人数がだんだん増えました。オリエンテーションは観光一般、衛生、面接の受け方、キャリアの積み方、など関係者や卒業生も招いて授業がおこなわれます。朝は毎日交代で進行係りが出て、賛美歌と祈りからはじまります。この毎朝の素晴らしいハーモニーの歌声にサモアはキリスト教が強く根付いてるのを感じます。3月4日は1年分の学費を納める最終日です。ちなみに650タラです。これは45歳くらいの人の公務員の1ヶ月分の給料です。もし納入が無ければ入学は取り消しです。余計に入学させたのは未納者を見込んだからのようです。9月には今までの成績、態度など鑑み、授業料半額返還のスカラシップがあります。
また学校がはじまってまもなくして、高校生の進路指導の一環として、市内のホールでキャリアデーがありました。ポリテクもアクアマリンという新しい学科の紹介も兼ねて参加しました。生徒たちも大いにポリテクに関心をもって色々質問がありました。

   ファレで待つ生徒     オリエンテーション           キャリアデーの高校生
    

2月12日
タヌビーチ再訪:
昨年タヌビーチであやうく水難事故になってしまって、今はすっかり元気になったOさん達と再びタヌビーチに行きました。(サモア便り1:10月29日「快気祝い」参照
今こちらの季節は夏で、おまけに雨期で時折強い雨がふります。海の向こうから雲が覆ってきたと思ったら強い雨が30分降り、やがて強い日差しになってきます。海はこの季節とても危険だそうです。潮流がとても早くなっています。海が速い川の流れのように漣をたては左から右へ流れてます。さんご礁の向こうも乾季の季節の時より大波がたっているようにみえました。今回はビーチファレで刻々と変化する海と波の音を楽しみました。またここのビーチファレの庭にはバナナが沢山植えてありました。ちょうど順をおっていつでも収穫できるように、バナナが育っていました。

  雨滴を導く為のすだれ   黒い所がバナナに      バナナの花      吊るして食べごろに
    

2月12日
誓願式に出席:
カトリックのサレジオ会から1名の日本人の修練者が1年2ヶ月の修練を終えて、神の道に進む決心を表明する誓願式がありました。(サモア便り1:10月4日「サモア再訪」、10月8日「ドンボスコ訪問」参照
これから本当の神父様になるには、まだ10数年かかるそうです。その間に何回かの問い直しがあるようです。日本からは彼の両親とお兄さん、管区長、ブラザーが来てこの喜ばしい式に出席しました。他に修練していた人は、サモア人2名、パプアニューギニア人1名でした。教会の式は各家から持ち寄った、樹皮を薄くのばして布のようにして、そこへ伝統的な柄を型押ししたタパクロスが敷き詰めてありました。教会に飾る花はサモアに至るところに咲いている蘭で飾れていました。式はとても荘厳でかつ素晴らしい歌声と溢れる光に満ちていました。

    ご家族と管区長    敷き詰めたタバクロス            誓願式の様子
    

12月9日
忘年会:
12月4日にキタノ・ツシタラホテルでサモア日本人会の忘年会がありました。
サモアの日本人会の会員は80名ほどです。忘年会では地ビールのバイリマビール、ワイン、そして日本人のホテル総支配人が味付けした和風バーベキューがでました。そしてお祭りの雰囲気が盛り上がるように提灯が飾ってありました。出席の決まりが浴衣着用だったので、浴衣を着て出かけたら、浴衣姿は私とサモア人と結婚された方の5才の娘さんだけでした。久しぶりに日本のお祭りの雰囲気を味わいました。プールの周りにテーブルがセットしてあってビーチバレーを応援しながらの忘年会でした。いろいろな一年でしたが飲んで食べて、来年に向かって心をリフレッシュしました。

  キタノ・ツシタラホテル     ホテルのプール      食事風景        揃って記念撮影
    

12月7日
サモアンココ:
この黒い固まりは、ココアです。
サモアに住んで半年目でこの黒いものがココアであることを知りました。サモアではココアをパパラギココア(パパラギは「外人」の意味)をサモアンココと区別しています。パパラギココアは私達がココアとして飲むあのパウダーココアです。サモアンココはココアの実を良く炒ってからすりつぶしたものです。丁度すりごま状態になったものをビニール袋に入れてカップに入れて固めたものです。これを削って水を砂糖を入れて煮出して飲みます。とても香ばしく、なおかつ豆の小さい粒が口に入ります。そして牛乳は使いません。油脂分もあり、何か覚醒作用もある気がします。サモア人の好きな飲み方です。ココアの木はクヌギやナラのような木で、やや葉が大きいです。幹に直接ココアの実がなってます。そして、白い小さな花も幹に直接咲いてます。とても奇妙な木です。硬い実を割ると中はとうもろこしのようになってます。白い綿毛に包まれて豆が並んでます。この白い部分は口に含むと甘酸っぱい味です。クチャクチャしているといんげん豆のような豆が出てきました。これがココアです。サモアでもしいっぱい収穫できれば、チョコレートの原料でどこかに輸出するのだろうけれど、自分達の飲料だけに庭や畑に植えているようです。

     ココアの木      市場のサモアンココ      ココアの実          実の中身
     

12月7日
いろいろな木:
私の住んでいるホテルにはプランテーションもあってバナナを初めとしていろいろな木があります。
大きな木はアボガドです。サモア語ではアボカといっています。12月末には収穫出来ます。サモアの人はアボガドをスライスしてパンに載せ、少し塩(マシマ)を振りかけてサンドイッチにして食べるそうです。
大きな葉っぱの木はパンの実(ブレッドフルーツ)の木です。皮をむいてウム料理にしたり、茹でたりして食べます。丁度黄色っぽい色のじゃがいものような味です。次の木はモソオイという木です。木の枝に細かい柳の葉のような葉がモヤモヤと付いています。これがとても良い香りでウラ(レイ)を作ります。ウラは会議やパーティのときに礼を尽くす意味でも必ず用意してあって、お客の首にかけてくれます。
赤い炎のような花はタマリン(鳳凰木)です。街路樹としてよく植えられています。この木は枝を良く張って良い日陰を作ります。炎のような赤い花をつける頃は雨季が近いこと、クリスマスが近いこと、子供達の卒業シーズンであることをこの花からサモア人は思い浮かべるようです。

   アボガド           パンの木          モソオイ           タマリン
    

12月5日
卒業式:
鳳凰木(タマリン)がサモアの街を赤く染める頃は卒業式の時期で、雨季の季節でもあります。
12月1日にポリテクニックも卒業式がありました。試験が11月初旬にあり、その後学内ミーティングがあり、卒業認定とトップスチューデントも決められました。卒業式は国会の近くの大きなホールで午後5時から始まりました。生徒は学校で貸し出すガウンを着て式に臨みます。教師も学校のガウンを着るか、または先生が自分の卒業した学校のガウンを着て卒業式に参加しました。大きなホールは生徒の家族と兄弟でいっぱいになります。式は先ず司祭の祈りで始まり、学長、来賓の祝辞、理事長から卒業証書の授与です。生徒は右手で握手をして、それから左手で証書を額のところまで上げて先生と父兄に挨拶して壇上から降ります。彼らはとても嬉しそうです。この卒業はとても価値があるように思います。私のいるCookeryでは8人の生徒のうち、1名が9月でドロップアウトして2名がコンピュータが75点に達しない為、卒業は先送りで、結局5名が卒業です。他の課もコンピュータが大変らしく、その為に卒業が翌年になる人が約1割います。式次第が進行する度に生徒が歌います。彼らは小さいときから教会で聖歌を歌うのは生活の一部なので、その歌声は素晴らしいハーモニーです。司祭の終わりの祈りで式が終わると生徒はお互いに抱き合って卒業を喜び合い、家族や親戚も生徒にとキャンディのレイや花のレイを生徒の首にかけてあげて卒業を喜び合います。そして卒業式が終わると就職活動が本格的に始まります。

 ポリテクのJICAメンバー  式典を待つ生徒達     卒業おめでとう!      父兄と生徒
    


サモア便り2

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