別山

(2399.4M)

ヘルニアから復活登山

日程

2003年のお盆休みは蔵王山の縦走と決め、トレーニングを始めた矢先、7月の始めに首にヘルニアを患ってしまった。前日から首に違和感があり、当日は首が右側に全く動かない状態。即刻会社を早退し整形外科へ。二週間の自宅療養となる。それでなんとか仕事に復帰、8月までに痛みもなくなったが登山のほうは周囲からの反対が強く諦めざるをえなかった。そして9月には献血に長野へ行ったついでの「駅からハイキング」。長野駅から善光寺と裏山を巡る9kmのコースを無理なくこなす。そして登山復帰第一号として選んだのが白山山系の別山だった。この山に登る計画は燧ヶ岳に登る際の第二案としてあったもので病み上がりの身には丁度良いように思えたのだった。

9月27日

富山(04:25)白山登山道入口(07:55-15)=石徹白大杉(08:25)=神鳩避難小屋(09:30)=銚子ヶ峰(10:10−45)=三ノ峰避難小屋(12:35)

9月28日 三ノ峰避難小屋(05:25)=三ノ峰(05:35)=別山(06:45−00)=三ノ峰(08:00−25)=銚子ヶ峰(09:55−15)=神鳩避難小屋(10:50)=白山登山道入口(11:50)白山中居神社白山長滝神社富山(17:50)

山行記録

白山の南縦走路は石徹白道とも呼ばれ、その名の通り石徹白が登山口となっている。江戸時代には美濃国からの信仰登山で栄え、もともと越前国だった石徹白も今では岐阜県の一部となってしまった。白鳥町に入ってから国道156号を前谷で曲がり県道に入ると、かつて国境だった桧峠を越えて石徹白の集落に出る。さらに山奥へと車を進め、白山中居神社を過ぎ、石徹白川沿いの大杉林道を詰めた所が登山口。駐車スペースは舗装していない草地が半分ほどあるものの30台ぐらいあった。さすが前回の関東と違いほぼ予定通りの時間に到着する。先客は3台でガラガラだった。長時間運転だったので少し休憩し、朝食を食べてから出発する事にする。今日中に三ノ峰避難小屋に着けばよいのでコースタイムどおりに行けば大丈夫のはずだ。

           
左:石徹白の大杉
右:おたけり坂

登山道はまず石段から始まる。登山口の道標を見ると石徹白の大杉まで340M、階段420段だそうだ。石段が終わるとちょっとした平坦地に出て石徹白の大杉がその脇のほうに立っていた。さすが樹齢1800年と言われるだけあって大きい。休憩にはまだ早いので横目に見ながら通り過ぎた。少し歩くと再び登りが始まる。ひたすら樹林帯の登りだ。かなり暑かったが、道は良く手入れされているのか足元がとてもしっかりしていて歩きやすい。それでも病み上がりの身を意識し、極力歩く事だけに気持ちを専念する様にした。おたけり坂を過ぎると登山道の傾斜も緩やかとなり、やがて背後に麓の景色が望める場所に出る。それから左手に願教寺山を見ながらの尾根歩き。まだまだ樹林帯は続いているがようやく景色の楽しめる所までやって来た。

  
左:銚子ヶ峰山頂
右:銚子ヶ峰(一ノ峰より)

神鳩避難小屋には予定よりもかなり早く到着した。12人ぐらいは泊まれそうな綺麗な小屋だ。暑かったので小屋の前のベンチで着替えつつ休む。ここで二人組の登山者に抜かされた。十分ほど休み、避難小屋の前にある神鳩ノ宮跡の祠に手を合わせてから出発した。樹林帯はまだ少し続くが、やがて疎らとなり笹が目立って来る。背後に麓の景色が再び見えるようになると母御岩に到着した。岩の上に乗ると麓の景色はさらに良く見える。ここで先程の二人組みを含めて八人くらいを抜かした。長話をしていて知り合い同士のようだった。そこから少し登るとなだらかな笹原を歩くようになった。しかしガスが次々と流れてきて視界が悪くほとんど前が見えない状態になって来た。横風が強く、冷たいので合羽を着なければならなかった。やがて登山道は登りとなり銚子ヶ峰の山頂に到着した。予定ではここで昼食のはずだったが、参考にしたエアリアのコースタイムよりも二時間も早く着いてしまったので全くそんな気分にはならなかった。あまり早く三ノ峰の避難小屋に着いてもつまらないのでここでガスが流れるのを待つ。うまくいけば景色が得られ、先程の登山者に写真も撮ってもらえるはずだ。山頂にいた三十分程の間にガスはだいぶ上がって二ノ峰から下が見えるぐらいまで回復。そしてもちろん写真を撮ってもらう事も出来た。彼らは銚子ヶ峰までとのことだった。一人縦走路を北へ向かう。

       
左:一ノ峰、二ノ峰
右:三ノ峰避難小屋(小屋の向こうが福井県最高峰)

森林限界を越え、ガスが上がると俄然歩きやすくなる。休養も十分だ。さしたる苦労もなく一ノ峰に到着した。ここから見た銚子ヶ峰がまた格別。是非、名山の列に加えたいものだと思う。振り返って行く先の二ノ峰は上部がまだガスに覆われ、まさに城壁の雰囲気だった。歩きやすい登山道とは言えさすがの急斜面に今までと違う手応えを感じる。地形図では一ノ峰も二ノ峰も同じような登りだが、さすがに疲れが出て来たのだろう。時間は十分にあるので気楽に構えて前に進む。二ノ峰の割となだらかな上部を過ぎるといよいよ今日最大の三ノ峰への登り。ガスで周りが全く見えなかったので文字通り闇雲に登って行った。銚子ヶ峰、一ノ峰、二ノ峰と蓄積されてきた疲労にここへ来て空腹の苦しみが加わる。かなり辛かったが三ノ峰避難小屋へ無事に着く事が出来た。ゆっくり歩いたつもりだったがやはり予定よりも相当早く着いてしまった。時間的にまだ別山を狙えたが、天候も悪く体にも気遣って予定通り今日はここで終りにする。とりあえず小屋裏にある福井県最高峰を踏んでから小屋に入った。15人は泊まれそうな小屋の中では4人の人が鍋をつついていた。その横で昼食のラーメンをすする。久々に得られた何もしない時間が心地よい。横になって無為に時を過ごした。夕方になって今日は十分余裕で寝られそうだと思っていたところ、鍋の人たちはあっさり撤収して帰ってしまった。今回も含め、いつも避難小屋を期待するときにはもしもに備えてテントを持参しているくらいなのに今晩は一人。いくら紅葉時期を外したとは言え、初めての経験だけに信じられなかった。夜はとても静かで結露のポタポタ落ちる音がとても気になった。

  
左:別山山頂
右:白山御前峰(別山より)

翌朝、睡眠は十分で早起きも出来たのだがヘッドランプで登山をするほど気合も入っていなかったので空が明るくなってから出発する事にした。天候は昨日とは打って変わって快晴だった。ほとんど無風状態で自分の歩く音以外は何も聞こえない。三ノ峰を通過し鞍部を過ぎたあたりで御来光を迎えた。雲海からのご来光、自分の周囲数キロに誰もいないと思うといい気分だ。少しでも早く山頂を独り占めしたいと御手洗池など横目に見ながらまっすぐ山頂を目指す。さほど広くはない別山平を過ぎ、再び細くなった尾根の上に出るとやがて白山御前峰など北方の景色が見られるようになる。背後に広がる大パノラマを気にしつつ登ってゆくとやがて別山の山頂に到着した。文字通り360度の景色、白山山系の山々はもちろん穂高、乗鞍、御岳等のアルプスの山々から能郷白山の連なりまでが雲海の上に頭を出してるのが見えた。早速写真に収める。自分の写真は自分でケルンを作ってカメラの台にして撮った。今回の山は天候も含め、予想以上に良かった。やっぱり登山はやめられないな。

         
左:御手洗池と別山
右:別山平から別山

別山からの帰路にはのんびりと御手洗池に寄った。思った通りの小さな池だったが一年前に行った仙人池と同様、池越しの写真はとりあえず押さえておきたい気持ちにさせるものがある。池が小さく、撮る場所が限られていたので一枚だけ撮った。


三ノ峰から別山

下山路では石徹白方面や赤兎方面の景色を楽しみつつ歩く。三ノ峰でようやく今日初めての登山者と出合った。上小池の方から日の出とともに登って来たらしかった。さらに三ノ峰の小屋まで来るともう15人位の人がいた。さすがに小屋の中でゆっくりという雰囲気ではなさそうだと前を通り過ぎる。それからは三ノ峰の下りにやや難があったものの全体的に歩きやすい縦走路を快適に歩いた。好天のせいかこの日は前日よりも歩いている人が多く登山口までに30人ぐらいすれ違い、登山口の駐車場も来た時にはほぼ満車状態だった。渓流釣りや石徹白の大杉を見る為に来る人も結構いるようだった。

       
左:白山仲居神社
右:白山長滝神社

下山後は車を移動し、白山中居神社と白山長滝神社へと寄ってみる事にする。白山中居神社はその昔白山長滝神社と別山、白山の中継地点として、また石徹白の中心地として栄えた神社だ。広い境内には大きな杉が林立しており、その歴史とかつての権威を窺い知る事ができた。看板に書いてあった古代祭祀の話といい、社殿の配置も古代のものなのかすっきりしていない。おかげで写真を撮るのに苦労した。一旦道の駅「白鳥」で昼食、そして向かった白山長滝神社は白山美濃禅定道(南縦走路)の美濃馬場(登山口)として隆盛を誇った神社だ。木立に囲まれた広い境内はしかし閑散としてかつての繁栄を窺い知る事は困難だった。明治時代の火災で大半の建物が焼失し、主な建物が大正時代の作となってしまっているという事だけでなくそれはもはや完全に過去のものとなった信仰登山を象徴している様で寂しい気持ちになる。ちょうど整備事業で修復中の様子だったがどういうふうになるのか気になるところだ。
それから再び道の駅に寄り、みやげ物を買ったあと家路についた。全く渋滞に捕まることなく予定通りの帰着。今回はゴールデンウィークと比べてあまりに良く出来た計画だった。

余談 実は内心かなり体に気を使った登山だった。家の周りを走ったりそれなりにトレーニングもし、山行中も写真をあまり撮らないようにしたり、休憩回数を増やしたり。しかしその効果も分からないほど快適な登山だった。
本当に久しぶりに昼から全く動かない暇な登山が出来た(高天原以来か)。意外に暇な登山の方が動きまくる登山より印象に残るから不思議だ。
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