蛭ヶ岳

(1672.7M)

見かけ以上に懐の深い山

日程

奥多摩と同じくらい東京に近い丹沢は、アプローチもよく整備も進んでいて気楽に登れる山域だ。ピークハントの最短コースから泊りがけの縦走まで自由にコースを選ぶことが出来、エスケープルートも豊富にある。今回は弟が同行するので簡単なコースにしようとも思ったが、相談の結果私が望んでいた通りヤビツ峠から西丹沢へ一泊二日の縦走を行うことになった。前回の鳥海山で登山靴を壊してしまったので今回は新品を買って履いてゆく。エアリアに注意書きされている檜洞丸手前のアップダウンはさすがに気になったが他は何も問題なさそうだった。

9月11日 川崎秦野駅(11:00)富士見橋(11:55)=三ノ塔(12:55-13:40)=行者岳(14:20)=新大日小屋(14:50)=尊仏山荘(15:30)
9月12日 尊仏山荘(06:35)=丹沢山(07:30)=蛭ヶ岳(09:00-20)=臼ヶ岳(10:30)=金山谷乗越(11:20)=檜洞丸(12:30-40)=西丹沢自然教室(14:25-33)中川温泉(14:36-15:53)新松田駅(16:49)新宿

山行記録

富山から最終特急に乗り弟の家に着くといつも夜12時を回っている。出発の予定は7時にしてあるので何ら問題は無いと思っていたら妹が来たりして思った以上に飲みすぎ、床に着いた時には3時を回っていた。夜中に気持ちが悪くなって吐いたり体調が悪かったせいもあって、朝起きたときには出発時刻をとうに過ぎていた。一瞬かなりあせったが最悪昼から出発しても大丈夫と言っていた手前、落ちついて代わりのルートを決め直す。行きの電車はほとんど寝ながらだったので乗り換えなど危ない場面が何度かあったが無事秦野に到着した。早速タクシーで富士見山荘へ向かう事にする。運転手さんが若い人で一緒に地図を見ながらとろとろ走る場面もあったが何とか無事に到着することが出来た。

  
左:表尾根への入口
右:二ノ塔

富士見山荘の前でタクシーを降りて、林道を登山道へと向かった。すぐに塔ノ岳へ向かう道標があり、登山道に入る。まずは階段から始まり、一度林道を横断。階段が終わると今度はガレ気味の登山道をジグザグに登ってゆく。曇り空で景色はあまり得られない。そのうえ風が強いのと二日酔いがひどいので体が言う事を聞いてくれないのがつらい。まだ30分も歩かない内からフラフラな状態だった。とりあえずペースを落とし、なんとかベンチのある二ノ塔へ到着した。昨日のアルコールが出ているのかひどい汗だ。

       
左:三ノ塔直下、背後は二ノ塔
右:三ノ塔直下から烏尾山、行者山方向

二ノ塔から三ノ塔まではすぐ近くなので休憩もそこそこにして出発する。わずかな下りの後に登り返し再び階段。それにしても思った以上に階段が多い。整備されているのは良いが気分が単調になって仕方がない。ともかく急な登りではあったが距離も短く二ノ塔までよりは楽に登ることが出来た。三ノ塔で昼食、そして昼寝にする。広い山頂には20人ほどの人が休んでいた。風の強い所で食事をするのは結構大変だったが寝ているうちに雲が流れて天候がわずかながら回復してきた。ありがたい。行者岳から上はガスに覆われて見えなかったが360度の展望を楽しむ。睡眠不足も解消し、ようやく気力が出せるようになって来た。

       
左:笹のトンネル
右:行者岳の鎖場

三ノ塔からはようやく変化のある登山道を楽しめる。まずは100Mを越えるちょっと本格的な下り。景色が良いのは良いがなかなかの急坂、ガレ場で足の運びに苦労する。弟も新品の靴とあってお互い靴自慢となった。まあお互い明日一日歩いて見なければ。ともかくスリップはしたものの難なく通過。登り返しには笹のトンネルを抜けて烏尾山に到着した。ここには営業小屋があるのだが賑やかだった三ノ塔と比べると誰もおらず閑散とした状態だった。しかもそれからは時間帯が悪かったのか塔ノ岳までほとんどすれ違う人もなかった。烏尾山を過ぎると表尾根の核心部、行者岳の岩場にかかるがそれも整備が行き届きすぎているせいであっけない。ちょっとしたアップダウンを楽しみ、何箇所かある鎖場も気楽に通過してしまった。

       
左:途中で見かけた鹿
右:尊仏山荘

書策小屋からは再び単調な登山道を歩く。ガスの中に入ってしまったせいで周りの景色もなくなりますますどうしようもない気分に包まれた。書策小屋、新大日小屋、木ノ又小屋と小屋の前では休憩を取ったが自然と足が速まる。何と言っても今日はまだ三時間程しか歩いていない。体力は十分だ。途中で鹿を見つけて時間を取ったがまずは予定通り尊仏山荘に到着。すぐにユーシン方向に少し下ったところにある水場に向かい、水を補給する事にする。この日の宿泊客は20人程度と少なく、ゆっくり休むことが出来たが期待していた夜景は残念ながら得られなかった。

  
左:気持ちよい日高の尾根道
右:開放的な不動ノ峰手前の笹原(箒沢ノ頭?)

翌朝、やや霞んだ空ではあったがまずまずの天気、御来光を見に外へ出ると昨日は見えなかった富士山がうすぼんやりと見えた。朝食後、すぐ小屋を出る。今日は行程が長いうえ帰りの電車の時間もあるので要注意だ。塔ノ岳から樹林帯の階段を下ってさらに登り返すと木々がばらけて見通しが効くようになってくる。そしてちょっとしたアップダウンも楽しくなるすばらしい庭園を散策しているような、気持ちよい尾根道が続く。やがて丹沢山に到着。山頂にはみやま山荘があって広場のようになっているが樹林に覆われてあまり展望は得られなかった。しかしそれもほんのつかの間。少し下ると再び展望が得られ、さらに鞍部の急激なアップダウンを過ぎると思いがけず開放的な笹原が広がって来る。まわりの景色を見ているとつい散策したい気分になったが登山道以外に踏み跡もあまりなくこの先の体力を考えてすぐ傍にある東屋で休憩をとった。不動ノ峰の山頂は少し先の樹林の中にあって展望は得られなかったが、すぐに木々が疎らになって再び気持ちよい稜線歩きが続く。

  
左:蛭ヶ岳山頂
右:山頂より臼ヶ岳、檜洞丸

棚沢ノ頭を過ぎるとようやく蛭ヶ岳が目の前に見えるところまで来た。鬼ヶ岩のガレ場を一気に下るとあとは蛭ヶ岳までの最後の登り。鬼ヶ岩からはすぐ近くに見えたのだが意外とこれが結構長かった。蛭ヶ岳山荘を過ぎると山頂はすぐである。山頂には十人ほどの人がいたがほとんどが塔ノ岳で泊まっていた人たちだった。一緒になって周囲に広がる景色を楽しみながらこれから向かう檜洞丸を確認する。思った通り結構大変そうだ。やはりこれからが本番の予感がした。

         
登ったり下ったり左:(臼ヶ岳付近?)右:(金山谷乗越付近?)

山頂に一緒にいた人のうち二人だけが自分たちと同じコースへ向かった。ほとんど同時に出発しのだが大柄なお兄さんはどんどん先へ行ってしまい、小柄なおじさんは後ろに見えなくなってしまった。蛭ヶ岳からはまず250M以上の下り。昨日の三ノ塔の下りを思い出して一気に下りる。途中からは樹林帯に入り景色もほとんど得られなくなってしまったが周りの変化に気付くのに多少の時間を要した。蛭ヶ岳までの歩きやすい展望の稜線歩きから樹林帯の小刻みな登山道へと全く違う山に入った感覚だ。ミカゲ沢ノ頭を越え、臼ヶ岳へと向かうが樹林帯のアップダウンはとにかく暑く、急速に水分を消耗してしまう。疲労を覚えつつも何とか臼ヶ岳に到着し、ともかくベンチで休憩した(後からピークは別のところにあったと知った)。この時は水が足りなくなるのではとかなり心配した。しかし臼ヶ岳を下ると登山道は幸いにも稜線の北側に多く付けられており、また谷からの風も吹いていて思ったよりも消耗せずに金山谷乗越へと着くことが出来た。途中、痛々しい崩壊地の脇を何度か通ったがそれに助けられた感じだった。

       
左:青ヶ岳山荘
右:檜洞丸山頂

いよいよ檜洞丸への最後の登り、標高差は300M弱。今日最後で最大の登りだ。樹林帯の上り坂がひたすら続く。南斜面となり当然暑いので出来るだけゆっくり歩くようにしたが、それでもついに途中で弟の足が止まってしまった。相当バテている様子だ。仕方がないのでその場で昼食を取ることにする。しかしバスの時間を考えるとあまりゆっくりしている暇はない。この時点ですでに予定を一時間もオーバーしていた。食べ終わるとすぐに出発する。それからはゆっくりとではあったが順調に前に進んだ。青ヶ岳山荘で水を買い、何とか檜洞丸の山頂へと辿り着く。思った以上に大変なコースだった。しかし山頂には西丹沢かららしき登山者が20人くらいいて、その賑やかな雰囲気にここまでの達成感のようなものは飲み込まれてしまった。

  
左:整備された登山道
右:西丹沢自然教室

檜洞丸から先はもう下るのみだ。道も良く整備され、人も多く断然歩きやすい。時間を気にしつつも気楽に歩く事が出来た。山頂から階段を少し下るとしばらくは木道があり、広くて歩きやすい登山道が続く。やがて分岐からつつじ新道に入ると傾斜もきつくなり道幅も狭まるが、当然整備は十分で渋滞を縫いながら前に進んだ。体力も回復し、ゴーラ沢出合を越えてのトラバース道あたりからはほとんど小走りでゴールの西丹沢自然教室へと向かった。おかげでバスの出発時間の八分前に着く。当初予定していたバスの次のバスの時刻を控えて置いたのが良かった。すぐにバスに乗り込み、次の目的地中川温泉へと向かう。とりあえず湯元・信玄館に入った。土産として「飲む温泉水」を購入。それからさらに次のバスで新松田駅へと向かった。そして小田急で新宿に出て、東京駅から富山行きの特急に乗った。稜線歩きだけでも多様な姿を見せてくれた丹沢はとてもすばらしい山域だった。

余談 時期的にまだまだ暑かった。
混雑を心配した尊仏山荘だったが実際にはガラガラでアットホームな雰囲気を十分に味わうことが出来た。
登山にカメラを持ち歩いて一年、この山行の反省からようやくエアリアのコースタイムを上回れなくなった現実を知る事になった。
新品の登山靴は特に慣らしなどしてなかったがとても足に合っていて調子よく歩くことが出来た。
1999年 HOME 伊吹山