燧ヶ岳

(2356M)

二人三脚のドライブ山行

日程

北海道計画以来、北海道登山で多額の出費を強いられたこと、婦中町の六治古サークルに入ったこと等の理由でしばらくは登山を休むつもりでいた。そんな時に朝日岳で一緒だった人から誘われて作った計画がこの燧ヶ岳登山だった。初めての山域なので燧ヶ岳と至仏山を含む少々欲張った計画になったが、エスケープルートは多いので行きあたりばったりで何とかなるだろう。とりあえずルートを四種類ほど設定しておく。何回か打ち合わせを行ったが、ほとんど実力の分からない人と初めての幕営なので悩み事は尽きなかった。結局は天候や体力の都合上、途中でコースを変更する事になった。

山行記録

10月7日 富山(22:00)
10月8日 大清水(06:10)=三平峠(08:00)=尾瀬沼ビジターセンター(08:45)=柴安ー(13:25)=下田代キャンプ場(15:55)
10月9日 下田代キャンプ場(07:20)=沼尻(08:50)=三平峠(11:30)=大清水(13:15)富山

事前に打ち合わせたとおり私の家まで迎えに来てもらい、Yさんの車で出発する。国道8号線から253号、17号、120号、401号を通り登山口の大清水まで交代で運転して走った。尾瀬はかつて来たことのある日光とは近いのだがその時は高速道路を利用していたのでこのコースは今回が初めてである。少々不安があったのでYさんと話しながら、到着までほとんど起きていた。後から考えればこれが良くなかったかもしれない、出来れば交代で寝るべきだったと思う。大清水に着いてから二時間ほど車で仮眠を取り、駐車場の料金所が開くのを待つ事にした。同時に山登りの準備を整える。始めから半ば埋まっていた駐車場はいつの間にか一杯になっている。駐車料金を支払ってからすぐに登山口を出発した。

  
左:大清水(バス停)
右:一ノ瀬休憩所

登山口のゲートを越え、しばらく林道を歩く。さすがに人が多く、追い越したり追い越されたりしながら緩い坂道を登ってゆく。一ノ瀬休憩所を過ぎると林道は終点で、横の広場では業者の人が車の傍で背負子に荷物を着けているのが見えた。ここから山道に入って行く。良く整備された立派な道でとても歩きやすい。峠の登りは多少きつかったが立派な階段が整備されていて危なげなくほぼノンストップで越えてゆく。尾根に出るとしばらく平坦な木道を歩き、それから少し登ると三平峠に着いた。たくさんの人が休憩していて自分たちも休憩ついでに写真を撮ってもらった。

       
左:三平峠
右:尾瀬沼ビジターセンター

三平峠を過ぎて尾瀬沼の方へと下りてゆくと徐々に尾瀬沼の姿が見え隠れしてきた。三平下の尾瀬沼休憩所で一休み、さらに沼沿いに行ったビジターセンターでも時間をとって観光に親しむ。対岸に現れた燧ヶ岳へすぐにでも登ってしまいたい気持ちだが今回の予定は余裕を見て組んであるのでゆっくり登っても十分時間はあるはずだった。ただ、その場を素通りするよりも思ったほど休めなかったのは誤算だった。

  
左:燧ヶ岳
右:尾瀬沼、背後に日光の山々が見える

予定通りになるように時間を合わせてビジターセンターを出た。尾瀬らしい草紅葉の湿原に包まれて木道を歩いているととてもいい気分になる。樹林帯に入ると長英新道への分岐点で曲がり、燧ヶ岳に向かう。ようやく登山道らしい道になってきた。細く、足元のえぐれた道はさすがに追い越しを掛けるには不向きであちこちで渋滞が発生していたが、そこをYさんはぐいぐいと追い越していく。余裕に浸っていた私はあっけに取られつつも遅れまいと後に付いていった。

  
右:ミノブチ岳から俎ー
左:柴安ー(燧ヶ岳山頂)

緩い登り坂で始まった長英新道も半ばを過ぎる頃にはかなり急な登りになってきた。樹林帯を抜け、ハイマツ帯に出てくると尾瀬沼が眼下に広がってきて素晴らしい景色が得られるようになった。ただ、追い越しでペースを乱したのがだんだん効いてきた。Yさんと言えばいつの間にかかなり後ろの方で立ち止まったり歩いたりを繰り返している。結局ミノブチ岳にはほぼ予定通りの時間に到着することになった。ここで昼食。何か食べれば回復するだろう。1時間ほど休憩。今度はちゃんと一定のペースで体力に余裕を残しながら登ることにする。残る俎ー、柴安ーの急な登りもここまで来ればもうわずかで難なく山頂に到着した。柴安ーまで来ると尾瀬沼は山影に隠れて半分ぐらいになってしまったが、今度は尾瀬ヶ原の方の景色が一望できる。もちろん会津駒ヶ岳や至仏山、日光の山々なども見ることが出来た。今日はもう下山するだけなので周囲の景色を眺めながら再び余裕を取り戻した。

       
左:至仏山・尾瀬ヶ原
右:下山路(分岐点付近より)

割となだらかな山頂部分を過ぎるとすぐにガレ場の急坂が始まった。浮石が多いので下に落とさないよう慎重に下りてゆく。意外と歩いている人は少なかった。ひょっとすると登るときに見た人々のほとんどは日帰りの人だったのかもしれない。分岐点を過ぎて見晴新道を下りてゆくがほとんど誰にも出合わなかった。今歩いている道が本当に正しいのか自信がなくなりそうだ。樹林帯に入っても涸れた沢や笹に覆われた足場の悪い道が続く。ほとんど気を抜くことが出来ず、精神的にかなり疲れた。やっとのことで木道まで出ると速度も上がり、すぐ下田代十字路(見晴)に到着した。


下田代キャンプ場

小屋の建ち並ぶ大通りでしばらく偵察がてら休憩。どうやらキャンプ場の受付は燧小屋でやっているようだ。受付を済ませてキャンプ場へと向かう。かなり広い場所があり25基以上テントが立っていてもまだまだ余裕があった。それでも良い場所は順々に埋まっており、結局トイレや水場を避けるとかなり奥の方にテントを張ることになってしまった。すぐに食事を済ませて一休み。暗くなってからはスライド上映会もあり、尾瀬をより親しむことが出来た。

       
左:沼尻休憩所
右:尾瀬沼西岸の木道

朝起きると既に雨が降っていた。至仏山に向かう計画は条件が良くても難しいと思っていたので心残りはあったが諦めることにした。そして尾瀬沼経由で大清水へ向かう最短コースを歩くことにする。見晴から続く木道に沿って沼尻へと向かった。泥濘や沢の渡渉も木道を歩くと非常にスムーズに越えてゆける。Yさんは懲りもせずまた追い越しを掛けて先に行ってしまった。何の為に至仏山を諦めたのか、少々やりきれない気持ちを整理できなかったので今度は無理せずに歩いていくことにした。沼尻休憩所で土産を買い、休憩。尾瀬沼西岸を通り、三平下から大清水へと向かった。雨の中の歩行ではあったが、この日は歩行時間が短かったせいか最後までペースが落ちることはなく、体力に余力を残してのゴールとなった。
帰りには吹割の滝を見に行ったあと、再び一般道利用で往路を富山まで戻った。今回の山行は体力的にも精神的にも楽なものに終わったが、二人の歩き方や気の持ちように違いがあって多少ギクシャクした内容になってしまった。あまり良く知らない人と山に行くのは思った以上に課題が多いなと思い知らされてしまった。

余談

二人で交代しながら運転するのは一人と比べて全然楽だった。
整備の進んでいる尾瀬沼、尾瀬ヶ原周辺と比べて燧ヶ岳への登山道は明らかに整備が遅れていて意外な感じがした。もっとも山登りを楽しむには整備をしない方が良いのですが。人が多いうえ追い越しには向かない道で苦労した。
全体的に行き当たりばったりな部分が多過ぎ、調子が上がらなかった。

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