九重山

(1791M)

初のテント山行

日程

都道府県最高峰登山もいよいよ中盤にかかり、次はどの山に行こうかと考えていた。そんな折り何気なく見ていたエアリアマップの中に「ますずし」の文字を見つけた。場所は九州、豊後竹田市。日光でますずしを食べて以来県外のますずしに敏感になっていた私は即座に次の連休の目標を九重山に決めた。ここを一巡りするには最低一泊はしたい。九重山には法華院温泉という旅館があるのだが完全予約制かつ人気の宿であっさりと断られた。こうしてついに私もテントを購入する事にした。九州の気候を甘く見ていたので小屋泊まりにテントを追加しただけというお粗末な装備で山に入る。小屋泊まりからテント泊への切り替えが全く忘れられていた。

5月1日 富山駅(14:14)大分駅(23:25)
5月2日 大分駅(06:04)豊後中村駅(07:48−08:56)九重山登山口(09:49)=長者原(09:55−10:20)=坊ガツル(12:10)=段原(13:20−45)=大船山(14:05)=段原(14:35)=平治岳(15:50)=法華院温泉キャンプ場(17:40)
5月3日 法華院温泉キャンプ場(06:05)=すがもり小屋跡(6:50−10)=三俣山(08:10−30)=すがもり小屋跡(09:00)=久住分れ(09:50)=中岳(10:50−10)=稲星山(11:45)=久住山(12:30)=本堂跡(14:00)=久住山南登山口(15:00)=久住車庫(16:05−15)豊後竹田駅(16:40)

山行記録

富山駅からサンダーバードに乗り、新大阪から新幹線、小倉でソニックに乗り換えて大分に入る。初日は大分駅前のビジネスホテルに泊まった。翌朝は起きるのが遅かったのでホテルを出るとすぐに駅まで駆け込む。久大本線に乗り、豊後中村へ。予定ではバスに乗るまで時間があるのでここで何か買って朝食を食べる予定でいた。ところが駅前には何もなく無為に時間を過ごす事になった。やはり途中で何か買っておくか、食料を準備しておくべきだった。九重行きのバスは筋湯温泉経由でかなり遠回りしたが、それは折り込み済み、予定通り九重山登山口(長者原)に到着した。ちょうどNHKの「きょうはとことん大分」を放送中で駐車場には大型モニターを積んだ車が停まっていた。

  
左:豊後中村駅
右:長者原(九重登山口ヘルスセンター)

とりあえずすぐにでも出発したいが腹が減ってはどうしようもない。ビジターセンター横のヘルスセンターで遅い朝食を食べ、さらに登山中の食料を調達した。結局予定よりも30分遅れで長者原を出発する。いきなり木道。枯れたカヤが繁るタデ原湿原を横断する。樹林帯に入ると九州自然歩道の看板があり、その名の通り歩きやすい登山道を登って行く。高度を上げると長者原を一望できる場所を通る。やがて道は平坦になり再びカヤの草原を歩くようになる。さらに木道を快調に歩いてゆくと雨ヶ池に到着。泥が剥き出しているのでそれと分かるが、水はなくあまり池らしくない池だ。さらに先へ進むと草原は徐々に狭くなり樹林帯が迫ってくる。雨ヶ池越から坊ガツルへの下りは再び樹林帯。時折覗く坊ガツルの景色がとても良い。そこを下り終えると平坦なカヤの草原が目の前に広がり、坊ガツルに到着した。

  
左:坊ガツル(雨ヶ池越方面より)
右:坊ガツル(平治岳方面より)

当初の予定では法華院温泉キャンプ場でテントを設営した後に軽装で大船山に登るつもりだったが、思ったより温泉が分岐点から離れているようなので直接向かうことにする。坊ガツルのキャンプ場を通り過ぎ、すぐ山に取り付く。まずは樹林帯の登り。九州自然歩道を外れたので今までのペースが維持できなくなった。暑さや空腹も体に堪えて来てかなり苦しい状態が続く。なぜこんな暑い時間に空腹を我慢して今日一番の登りをする羽目になったのか。どこで間違ったのか。頭の中がぐるぐる回る。それでも登るにつれて周りの樹木が低くなり景色が開けて来た。段原で休んで飯を食おう、その気力だけで足を前に運び、なんとか稜線までたどり着いた。ここで休憩する人は少なく、空きスペースに一人座り込んで昼食にする。

  
左:大船山(段原より)
右:平治岳(北大船山下部より)

段原から大船山へは火口壁の稜線を20分ほど歩く。腹が治まったせいか足取りも軽く山頂に到着した。かなり人が多い。いや、多いのもうなずける。正面の三俣山、背後の黒岳を始めとする九重の山々、阿蘇外輪山、由布岳、その他名も知らぬ山々が360度すべてに見渡せる。まさに箱庭という言葉がふさわしいほどいろいろな地形が凝縮されている感じだ。中岳方面が逆光でよく見えないのが惜しい。素晴らしい景色を前に足が動かなかったが、あまり下山が遅くなると不味いので大船山を離れることにした。段原まで戻り、さらに北大船山を越えて大戸越へと下る。登山道沿いには有名なミヤマキリシマだろうか、背丈ほどの灌木がびっしりと生えて来た。意外と堅い木で突き刺さると痛い。ザックが引っかかるのも気になる。花が咲いている時期でもなくはっきり言って邪魔なだけだ。こんな所でテントを担いでいる自分が悪いのだろうか。気を使いながら登山道を歩く。大戸越を過ぎ、平治岳に取り付いてもこの状況は変わらない。しかもかなりの急坂を登る。大汗をかき両手を使いながら少しずつ前に進んだ。背後にはどんどん景色が広がってくる。これは期待できそうだと登りきった場所はニセピーク。本当の山頂は灌木の茂る平坦な道をさらに奧へ行った場所にあった。平治岳山頂からは北側の景色がよく見えるが、九重方面については高度感が得られず大した物は見えなかった。もう体力も限界に近づいてきたのか体がフラフラだ。思わず休憩にはいるが、日没までにテントを立てなくてはいけないと再び歩き出した。

  
左:一人一石運動
右:法華院温泉山荘

平治岳の急な下り坂をこなし、大戸越から坊ガツルに向かいカヤの原っぱを下りてゆく。やがて登山道は樹林帯に入る。ところどころぬかるんで歩きにくかったが涼しくなって助かった。途中で何度か「ここから石を入れて下さい」と書かれた看板が立っている。意味がよく分からなかったが、坊ガツルに着いて「一人一石運動」の看板を読んでようやく納得した。坊ガツルから法華院温泉は歩きやすい事もあって思いのほか早く着いた。早速手続きをしてテントを立て、温泉に入る。ここはかつて九重山法華院白水寺だったところで江戸時代までは修験道で栄えたという所だ。往時の名残で観音堂には十一面観音像が祀られているらしい。温泉で十分に体を温めてからテントに戻り、持ってきた服を全部着て寝た。夜は思った以上に寒かった。

         
左:護摩堂岩
右:北千里浜(三俣山中腹より)

窪地の日の出は遅い。またも寝過ごしてしまった。テントを撤収するとすぐに出発。法華院温泉の裏から谷沿いの登山道を登って行った。砂防ダムが連続し、重機が何台もあることからかなり崩落が進んでいる様子が窺える。対岸にそびえる護摩堂岩がひときわ目に付いた。寒さと空腹を耐えながら登ってゆく。やがて大きな岩がごろごろするようになり、それを越えると北千里浜が見えてきた。白い砂利が撒かれた庭園を思わせる風景だ。ケルンと黄色いペンキ印が行き先に向かって連なっているのが楽しい。中に入るとまさに別世界を歩いている感じがした。分岐を過ぎて少し登るとすがもり越に到着。ここは風の通り道になっているため、壁だけが残るすがもり小屋跡に逃げ込んで遅い朝食を取ることにする。

  
左:三俣山西峰にて
右:三俣山(久住別れより)

空腹を満たすとすぐ三俣山に取り付く。いきなり昨日の平治岳を思わせる急な登り。始めは風が強く大変だったが登るにつれて天候も回復し、順調に前へ進んだ。西峰に着くと九重山の主峰群がまともに姿を見せ、写真を撮っている人も多く山頂に立ったような気分になる。ちょうど「三俣山」と書かれた板もあって、危うく山頂と間違えるところだった。登山道をさらに進み、緩い起伏のある山頂の草原を本峰へと向かう。三角点があるのでそれと分かる。本峰は山頂部分の北側にあるせいで飯田高原がよく見え、眼下には長者原や筋湯温泉を望む事が出来る。帰り際に南峰に寄り、三俣山にある四つの峰の内で時間のかかりそうな北峰には行くのをやめた。それでも山頂巡りに思ったよりも時間がかかってしまった。急いで往路を戻り、すがもり越に下った。

  
左:御池と久住山(中岳より)
右:中岳(稲星山より)

北千里浜まで戻り、今度は久住別れへと向かう。噴煙を上げ、真っ白な姿を見せる硫黄山を横目にしながら平坦な北千里浜を歩く。この別世界で昼寝でもしたら最高なのだが、あいにく今日は時間がない、先を急ぐ。北千里浜を抜け、登り詰めた稜線が久住別れ。メインルートだけあってたくさんの人が休んでいた。西千里浜に行く予定もあったがあまりに渋滞がひどく、途中で引き返して休憩にする。そういえば腹が減ってきた。今回の登山に持ち込んだ食料はパンがほとんどだったが腹持ちが悪くてなんだかいつもの調子が出ない。山頂でお昼にしようと目の前の久住山を後回しにする。そして空池や御池の景観を楽しみながら天狗ヶ城経由で中岳に登った。山頂で昼食を食べながら景色を楽しむ。空が霞んでいて、阿蘇や祖母山、由布岳などの遠景はぼんやりとしか見えないが、九重の山々はほどんど一望できた。予定よりも遅れているので休憩もそこそこに出発。残り時間を気にしながら今度は稲星山経由で久住山に向かった。どちらも南側に展望が開けていて久住高原を見渡すことが出来る場所だ。しかし久住山は人が多い。写真を撮ってもらうだけで15分もかかってしまった。百名山で三角点、阿蘇方面の展望も良いという事なのだろうか。ともかくバスの時間まで余裕がないのですぐにその場を立ち去った。

  
左:本堂跡
右:久住山南登山口

久住山と稲星山の鞍部にある分岐点から南登山口へと向かう。まずは眼下に久住高原を眺めながらの尾根下り。一番遠くに見える集落が久住の町だろうか。まだまだ先は長い。休憩時間を惜しんで急な坂道を下ってゆく。やがて樹林帯に入るが思った以上に足に疲労が溜まってしまって速度が上がらない。全く時間を短縮できずに本堂跡に到着。ここはかつて久住山猪鹿狼寺のあったところで伝教大師最澄が開基した昔から山岳密教の拠点だったところだ。江戸時代の火災で寺は麓に移り、今は小さな祠と礎石だけが残っている。写真だけ撮ってさらに進むと久住高原ロードパーク有料道路の下をくぐり、ついに舗装道路に出た。そのままカヤの草原の中を下ってゆくと久住山南登山口に着いた。少し歩いて国道に出ると向かいがくじゅう花公園でたくさんの車が停まっているのが見えた。


豊後竹田駅

くじゅう花公園から久住のバス停までは国道の一本道。地図で見ると五キロぐらいありそうだが、疲れた体でバスに間に合うだろうか。どのみち余裕はない。南登山口キャンプ場にあるバス停は平日のみの運行だ。ひたすら歩き続ける。豊後牛記念碑までは単調な道が続き、現在地が全く分からずかなり苦しい思いをした。記念碑が全行程の真ん中あたりなのでそれを越えると気分は楽になった。時間が無かったので立ち寄る予定だった久住山猪鹿狼寺、久住神社はパスする事にする。久住車庫のバス停は国道沿いの商店街の中にあった。なんとか間に合った。程なくバスが来たのでそれに乗り込む。豊後竹田駅に着く頃、外は雨になっていた。早速、駅でますずしについて聞いてみた。しかしあまり要領を得ない。養鱒場があるというので電話してみると、どうやら仕出し料理の一部になっているらしい。残念だがとてもお土産になりそうにはなかった。諦めて今夜の宿になっている駅前のビジネスホテルに向かう。もはや疲労には耐え難く、翌日の食料を調達してすぐに休んだ。

余談 始めから計画が杜撰で食料、水、行動時間が終始不足し気の休まる暇がなかった。
豊後中村駅で食料を調達しようという計画は完全に失敗だった。
パンはもともと口に合わない上に腹持ちも悪いので避けていたのだが、長者原ヘルスセンターにはパンしかなく今回はそれが裏目に出た。

テントと寝袋を同時に買うことをためらった為に夜は寒い思いをした。最低気温ぐらい調べるべきだった。
豊後竹田のホテルで食事の時に登山帰りの人が5,6人いて山談義になり、北海道へ行くきっかけが出来た。

九重山は九重町と久住町にまたがって整備され、山名論争の結果、山塊の総称が九重、三角点ピークは久住山と言う事になっているらしい。今回の登山でも登山口が九重山登山口、下山口が久住山南登山口とそれぞれ徹底している。
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