宮之浦岳

(1936M)

屋久島の雨に携帯電話

日程

屋久島の宮之浦岳は鹿児島県、九州の最高峰であり是非とも登っておきたい山だった。2002年に一度計画したものの高速船「ドッピー」が満席でやむなく断念。今回は満席になりにくいと言うフェリーを利用しての計画とした。離島にしては近いとは言え鹿児島から四時間はさすがに長い。最初は楠川歩道から尾之間歩道へのルートも考えたが予備日を考えると今回は島の縦断を諦めざるを得なかった。白谷雲水峡からのスタートに変更。メインルートはかなり整備が進んでいるが屋久島は富山市の2.4倍も面積があって地形は急峻、雨が多くエスケープルートもあまり無い。無理しないどころか最大限の余裕を持って行動したいところだ。気になるのはやはり天候、計画には鯛之川の渡渉や投石岩屋での幕営が含まれていたので本格的な雨に来られるとどうしようもない。まさか鹿児島計画と同じく連日雨に悩まされ、結局エスケープする事になろうとは考えたくなかったが、それも厳しい現実だった。

5月1日 富山駅(14:16)鹿児島中央駅(23:40)
5月2日 鹿児島中央駅(07:40)鹿児島本港南埠頭(08:00−08:45)宮之浦港(12:30)=益救神社=宮之浦港(13:30)白谷雲水峡(14:10)=白谷山荘(16:00)
5月3日 白谷山荘(05:00)=トロッコ軌道出合(06:10)=大株歩道入口(07:15)=縄文杉(09:05)=新高塚小屋(10:15−11:15)=焼野三叉路(13:00)=永田岳(13:40)=焼野三叉路(14:25)=宮之浦岳(14:50)=投石岩屋(16:15−45)=石塚小屋(17:55)
5月4日 石塚小屋(06:05)=渡渉点(08:10)=屋久杉ランド(10:30−11:08)安房(11:50−12:48)平内海中温泉(13:30−15:48)安房(16:20)
5月5日 安房(08:40)鯛之川(09:00)=千尋の滝(09:35−45)=鯛之川(10:20−45)安房(11:10−12:01)宮之浦港(12:50−13:20)鹿児島本港南埠頭(17:20)鹿児島中央駅(17:40−17:53)
5月6日 富山駅(04:32)

山行記録

午前中は仕事の土曜日。手早く仕事を終わらせて駅へと向かう。前回の鹿児島計画では夕方出発でも十分翌日のフェリーに間に合うダイヤがあったのに今回は九州新幹線が開業したせいで夜行列車が軒並み廃止されて何だか割を食った格好だ。もし北陸新幹線が出来てしまったら、当然夜行列車である「きたぐに」や「のと」も廃止だろう。困った世の中になったものだ。富山から新大阪、博多、八代と順調に乗り換え、最終特急で鹿児島へ。この日は駅前のビジネスホテルで一泊した。翌朝は鹿児島中央駅からタクシーで鹿児島港へと向かった。海岸線に出ると対岸の桜島には笠雲がかかっていた。週間天気予報では連休の最終日以外はすべて曇り雨。しかもこの数日間、雨の日が後にずれ込んで来ての結果で、天気の事は直前まで分からない。鯛ノ川の渡渉はかなり微妙な状況。宮之浦岳の山頂は携帯電話が繋がるらしいので出来るだけまめに天気予報を確認する事にしたいところだ。鹿児島港ではちょうど錦江湾帆船フェスタとかで「日本丸」「海王丸」などが来ていて大勢の人が集まっていた。既に乗船手続きが始まっていた事もありタクシーを降りると早速フェリーに乗り込む。甲板の上からでもそれなりに帆船を見る事が出来た。フェリーは定刻に出港。しばらくは半島の山々を眺めるのに忙しかったが外海に出たところで中に入って横になった。屋久島が見えて来るまで待ち時間二時間弱、意外と短い。

  
左:鹿児島中央駅
右:宮之浦港のフェリー屋久島2

屋久島が見えて来たところで再び甲板に出た。思った通り雲に覆われて奥岳の方が全く見えない。ますます天候が心配だ。そうこうする内にフェリーは宮之浦港に到着。時間がありすぎるのでのんびり最後に下船する。そのまま最初の目的地である益救神社へと向かった。少し遠回りしてしまい15分ほどで到着。神社の広い境内はほとんど人気が無く、商売っ気もなく静まり返っていた。登山の無事を祈ってしばらく時間をつぶす。宮之浦港に戻ると白谷雲水峡行きのバスがもう来ていたのですぐこれに乗り込んだ。バスは上屋久町役場を経由、宮之浦川を渡り白谷林道に入るとぐんぐん高度を上げてゆく。車窓に映る景色が想像以上に急峻でとても近付き難い思いがした。計画段階が長過ぎて忘れていたがはっきり言って屋久島初心者なのだった事を思い出す。

  
左:益救神社
右:白谷雲水峡(バス停)

終点の白谷雲水峡に着き、バスを降りると既に小雨が降っていた。雨具を着けるほどではなくすぐに止む。バス停にもなっている管理棟付近は下山を待つ人々で溢れていた。入園料金を払い、バスに乗ってきた人達と一緒に人波を掻き分けて入口を通過する。とりあえずはここの目玉であるはずの弥生杉へと向かった。整備された木道、階段を登りきると道沿いにそれはあった。間近で見る杉の大木に感動。これが本物の屋久杉・・。しかしその感動は北海道でキタキツネを始めて見たときと同じですぐに慣れてしまうに違いなかった。さつき吊橋を渡らずにやり過ごし、原生林コースへと入るといよいよ山道が始まる。これがハイキングコースと思っていたら意外ときつかった。土は柔らかく、岩には苔が生えていてとても滑りやすい。アップダウンやカーブも多い。そこを軽装の観光客に負けじと歩いてゆく。いくつか名のある大杉の傍らを通り抜けて楠川歩道に合流し、くぐり杉を文字通りくぐると白谷小屋はもうすぐそこだ。

         
左:弥生杉
右:くぐり杉

到着がやや遅かったせいか小屋にはすでに20人ぐらいの人がいた。まだ空きスペースは十分にあって場所を確保したがトイレの前で結構臭う場所だった。あまり中に居たくなかったので外で食事をしゆっくり過ごすつもりが、人がまだまだ増えてきたり雨が降ってきたりで日没前には中に入って休まざるを得なかった。一緒になった函館の人からウイスキーを頂く。次の日が結構大変なのですぐに横になった。結局この日は30人ほどの人が泊まっていたと思う。思ったより少なくゆったり過ごす事が出来た。

       
左:白谷山荘
右:トロッコ軌道

朝食は小屋の中で済ませてほぼ予定通りの時間に白谷小屋を出た。霧が濃いが幸い雨は落ちていないようだ。函館の人と一緒に歩く事になった。この人は淀川小屋までとの事。投石の岩屋まででもコースタイムで十一時間以上かかるのにきっとすごい人に違いない。私が前を歩いていたので迷惑をかけたくないと思ったら昨日のくぐり杉が見えてきた。早くも失敗。あわてて来た道へ引き返す。既に登山道、登り始めるとすぐに体が熱くなってきた。そして何度かお互い脱いだり着替えたりしているうちに結局離れ離れになってしまった。辻峠を過ぎると踏み石伝いの道が始まり、急に歩き易くなる。そして思ったよりも早くトロッコ軌道に出合った。ここで少し多めに休憩。函館の人を待ってみる事にする。荒川登山口から来た人々が次々と前を歩いて行き、ヤクシカも現れたがその人はなかなか来なかった。やっぱり計画通り歩こう。先は長いのだ。きっと太鼓岩にでも行っているのだろう。すごい人なら追い付いて来るさ。十五分程で切り上げてトロッコ軌道上を先へ急ぐ。休憩は十分、非常に歩きやすい木道が続くのでペースを抑えるのに何度も気を付けなければならなかった。ずっと登りっぱなしの単調な道が続くので精神的にも肉体的にも忍耐力の必要な所である。途中、迂回路(近道?)がいくつかあったが軌道の修復も昨年には終わっていたはずなのでかまわず軌道上を歩いて行く事にする。

       
左:大株歩道入口
右:対岸にあるトイレ

大株歩道入口では多くの人が腰を下ろして休んでいた。ここから本格的な登りが始まるので気持ちの切り替えが必要だ。荷物を下ろして岩の一つに腰掛ける。ふとトロッコ軌道の終点が気になったので橋を渡って見に行くとそこには新しく立派なトイレが建っていた。早速これを利用させてもらう。

       
左:大株歩道の木道
右:ウイルソン株

いよいよ大株歩道へと足を踏み出す。最初かなりの急登で始まるがそれもわずかで緩い登りとなって一安心、周囲にせまる樹林を眺めながら割と余裕で歩いてゆく。その名に恥じぬ風格を備えた翁杉を通り過ぎると登山道は木道になった。縄文杉まで断続的に続く長い木道だ。やがてウィルソン株が見えてきた。最大の屋久杉と言う事で想像力をたくましくしていたせいか現物が意外と小さく感じてしまう。出来る事なら何の予備知識も無い状態で見たかったところだ。一応、幹の内側にも入ってみるが中にはアベックが二人の世界を作っていてとてもスペースに余裕ががあるようには見えず退散した。木道は長い階段となりいよいよ本格的な登りが始まった。歩きやすいのはいいがきついものは何でカバーしてもきつい。新高塚小屋からの団体がぞろぞろ下りて来てペースを乱されたりしてバテる寸前。おまけに雨まで降って来る始末。まだまだいくつも名のある大杉を通過したが、さすがにいい加減以前ほどの関心は無くなって来た。それでも写真を撮るのだけは忘れずに歩く。

          
左:縄文杉(合成、補正が下手で少し違っています)
右:縄文杉を見学する人々

木の階段が遊園地の遊具に登っているような明らかに登山道と違う感じになったと思ったらこれが縄文杉の見物台だった。上に登ると縄文杉が正面に現れる。距離20Mぐらいは離れているだろうか。生きている最大の屋久杉らしい。その異様な風格と合わせて興味は尽きないがこれでは距離がありすぎて縄文杉のすごさは激減してしまう。もっと近くから見てみたい。しかし屋久島のシンボルと化した現在、押し寄せる観光客を前にしては仕方の無い事だろう。ほとんど皆が縄文杉を写真に撮ってゆくのだからむしろ離れていた方が良いのかもしれない。徐々に雨も止んできたし偶然なのか見物人が思ったほど多くなかったので遠慮せずじっくり眺める事が出来た。ウィルソン株もそうだが縄文杉も映像で何度も効果的に見せられているせいか実物がやっぱり相当控えめに見えてしまうというのが感想だ。

第二部 2004年 HOME