宮之浦岳

(第二部)

縄文杉を過ぎると急に人の気配がなくなった。大株歩道の入口からずっと人の間を歩いていたはずなのにである。遅い人は縄文杉で抜かしてしまい、すごい人は先に行ってしまったのか。そもそも縦走する人が少ないのか。縄文杉で十分休んだし今度はマイペースで歩く事が出来るので気持ちは楽である。木道がなくなってしまったので木の根がうじゃうじゃしている登山道を歩く。急坂を木の根を利用して登った。ここも木道が必要ではないのだろうか。高塚小屋を過ぎて少し行くとようやく斜度も緩くなって主稜線に出たようだった。

         
左:高塚小屋
右:新高塚小屋

樹林帯はまだまだ続く。ここも当然整備はされているのだが周りに人がいないだけでようやく周りの木々に関心を向けられる気分になって来たから不思議だ。もう名のある杉も無いがそれでようやくいろいろな種類の木々を楽しむ事が出来る。天候がやや回復してきたのか辺りも明るくなってきた。やがて新高塚小屋に到着。小屋前には既に5、6人の人が思い思いに休んでいた。早速、小屋の前にある水場手前のベンチを占拠して昼食を取ることにする。ここで大体今日の半分の行程だ。コースタイムよりも早く着くことが出来たので一時間休憩を取ることにした。それにしても函館の人はどうしたのだろう。そろそろ追い越してもらわないと日没までに淀川小屋まで着けないはずなのだが。

         
かなりえぐれている登山道

新高塚小屋を出て少し行くと第一展望台に到着。ガスがひどくて展望など無い。稜線の両側に景色が得られる場所だけあって風だけがやたらと強くてすぐに退散した。しばらくは樹林帯の稜線を歩くのであまり考えないで済むのだが、登るにつれ確実にガスが濃くなっていくのが分かった。第二展望台の露岩で思い出したように携帯電話を出してみるが圏外。ここで単独の学生が場所を尋ねてきた。見ればスポーツバックにスニーカー、ジャージの格好。私も登山を始める前はこんな格好もあった気がする。聞いてみるとやはり登山は初めてらしい。普通、屋久島を最初に選ぶか?。地図もなくて資料は写真集のみ。しかし一日でここまで登って来たと言う事は最低私よりも体力はありそうだ。地図を見せながら話を聞いてみると永田歩道へ下りる予定とのこと。さすがにこれは心配だ。しかしこちらも屋久島初心者、注意できる事はあまりない。永田歩道は渡渉があったり道が荒れてる事、歩いている人が少ない事ぐらいしか言えなかった。とにかく行ける所まで一緒に歩いてみる事にする。第二展望台あたりからは木々の背もだんだん低くなって森林限界に近付いてきたのが分かる。えぐれた登山道を歩く事が多くなるが、ぬかるんで足場も悪く結構大変だ。

  
左:平石岩屋
右:焼野三叉路

潅木地帯を過ぎると笹が徐々に増えて岩がごろごろ目立つ場所に来た。一ヶ所岩をロープを使って登る場所があり、順番待ちがてら携帯電話を使ってみると今度は通じた。ちょうど平石岩屋の直下だった。早速、天気予報を聞いてみる。翌日の天気は雨のち曇り時々雨だった。つまり予定通り歩いて鯛之川のほとりに終日停滞するかエスケープするかの二択と言う事だ。翌々日は曇り時々雨、やはり不確定要素が多過ぎるか。渡渉の可否はもちろん、ヒルも出ると言う話だし。とにかく情報は手に入ったので歩きながら考える事にした。平石岩屋を過ぎると笹原の尾根をアップダウンを繰り返しながらひたすら登ってゆく。ガスの中で先の見えない登り、淀川小屋かららしい登山者の団体とすれ違う事が増えてペースも今ひとつ上がらず疲労のみが蓄積される状態。それでも何とか焼野三叉路へ到着。徐々に小雨まじりの風が強くなってきた。

         
左:永田岳
右:宮之浦岳

焼野三叉路には15程ザックがデポしてあり、休憩している人も十人以上いて狭い空き地がもう既に一杯だった。自分も同じくザックをデポし、サブザックで永田岳に向かう事にする。一緒に歩いてきた学生さんはここに置いて行く。先に宮之浦岳に向かうとの話だったし、情報は一応与えたのだからじっくり考えて行動して欲しかった。彼が永田歩道へ来れば必ず会うはずなので特に問題ないだろう。永田歩道を少し進むと笹原のえぐれた道となり迷う心配はないが、笹の高さが肩ぐらいまである所は下が全く見えないので足の運びに難儀する。アップダウンも何度かあって、特に鞍部から先は風の通り道になっておりまともに雨風を受けた。たまらず自然に足が速まる。ザックをデポしてきて大正解だった。永田岳の山頂は永田歩道から少し外れた岩の上だったが、ロープのおかげでルートを探す手間もなく悪天候でも簡単に登る事が出来た。山頂が狭くて写真を撮るのに少々時間を取ったがすぐに退散、往路を焼野三叉路へと引き返す。学生さんは永田歩道をあきらめたのか既にそこにはおらず、会う事もなかった。焼野三叉路から木道を黙々と登ってゆく。やがて宮之浦岳の山頂に到着したが、あまり特徴のないピークのせいか悪天候のせいで標識を見つけるのに一瞬戸惑った。淀川小屋からの登山者は一段落したのか周りには既に誰もいなかった。雨風に耐えるのも辛いので写真だけ撮って休憩もそこそこに先を急ぐことにする。

         
左:栗生岳
右:主なルートは木道が多い

宮之浦岳を過ぎれば幕営予定地の投石岩屋まで二時間弱。ようやく先が見えてきたが日没までに食事とテントの設営をやるには少々厳しい時間帯だ。時間があれば栗生岳や翁岳にも登ってみたかったが簡単に登れる様には見えなかったのでさっさと諦めて登山道を歩き続けた。翁岳の手前で登山道はトラバースに入る。やがて木道となった。疲れた足、既に洪水状態となった登山靴を引きずる身としては楽に移動できる木道がありがたい。ちょっとした湿原帯を抜けると投石岳を巻き、黒味岳との鞍部へと下ってゆく。木道を過ぎると道が悪くなった気がしたがもうどうでも良い。その鞍部が今日の幕営予定地、投石岩屋なのだ。着いてみると岩屋には誰もいなかった。とりあえず一番大きな岩の下に陣取って食事とする。岩の隙間は腰を下ろすには十分だがテントを立てるにはやや高さが不十分な感じだった。そして稜線と言う事もあって外は風が強い。雨はまだ降り続いているし、この状況では正直言って外にテントを出したくない。決断の時だった。ラーメンを食べ終わるまでに決めなくてはならない。

         
左:丸木橋
右:石塚小屋

残念だが今回はエスケープする事にした。何と言っても天候が不安定だし、鯛之川の状態が予想できない。登山靴も濡れてしまって長時間歩く事も難しいだろう。エスケープルートは淀川小屋へ向かうのとヤクスギランドへ向かうのと二つ考えられたが結局後者の安房歩道に向かう事にした。石塚小屋ならあるいはこの時間でも入れる可能性がある。いや、こうなれば最悪テントでも良いのだ。淀川小屋はテント場に入る事すら論外のはずだと考えた。荷物をまとめるとノンストップで歩き出した。気持ちはだいぶ焦っていたが一度気が抜けてしまうと足が重く、ガスが濃かった事もあってなかなかペースが上がらない。花之江河の周辺は歩きやすい道で良かったが安房歩道に入るとやや荒れ気味で倒木があったりアップダウンも多く結構大変だった。登山道はそれでもしっかりしていて何とか暗くなる前に石塚小屋に到着する事が出来た。小屋には20人以上の人がいて満員だったが土間は空いていたので、屋根の下で眠れて非常に運が良かった。

  
左:巨木の森
右:安房歩道の渡渉点

多少降ったり止んだりはあったにせよ一晩たっても天候は大きく変わらなかった。相変わらず小雨と風。樹林帯なので風の影響はあまりない。寝場所が土間だったせいで真っ先に食事を取り荷物を整理するが、下山後の予定があるわけでもなくゆっくり出発する事にする。熊本の人と一緒に出る事にした。登山道は少し荒れ気味で変わらないだろうが小屋にいた人たちはほとんど安房歩道を下る様なので気持ちはかなり楽だ。しかも樹林帯の一本道である。樹林が少し切れた小さな水たまりで一瞬戸惑った他は基本的に踏跡もしっかりして迷うことはなかった。何度もアップダウンを繰り返しながら歩いてゆく。一時間ほどで雨が強くなってきた。土砂降りの強い雨が断続的に続く。噂の屋久島の雨なのだろうか。あっという間に登山道に水が溜まり流れ出す。当たり前過ぎるが登山者が歩き、水が流れてどんどん登山道がえぐれてゆくのだろう。これでは主な登山道に木道が付くのも仕方がない。そして露岩の立つ展望台に出ると今度は風も加わって立っているのさえ大変な状態になった。ずぶ濡れになりながらやはりエスケープして正解だったと実感する。当然展望も何もないので岩には登らなかった。樹林帯を歩き続ける。高度を下げると風も止んで来た。沢の渡渉も岩伝いに難なく通過する。

  
左:大和杉
右:ヤクスギランド

標高1400M付近まで来ると再び屋久杉を目にするようになる。ずっと泥濘気味だった登山道も木の根が混じった道になって幾分歩きやすくなった。相変わらずアップダウンはあるが行程も半分を過ぎるともう着いたも同然と気持ちは楽なものだ。途中、看板があったので大和杉にも寄り道してみる。登山道からだと森に紛れてはっきりしないが、階段を50Mほど下りて近くまで来るとやはり名のある杉らしいその存在感に圧倒された。登山道も最後の方になると赤土が出て滑りやすい場所もあったが何事もなくヤクスギランドの週回路に出合う事が出来た。出た途端に油断して転んでしまったが。そのまま苔の橋、荒川橋を渡り千年杉は寄り道したが最短コースで入口へ向かう。早速、バス停を見てみるとまだ時間があったので向かいにある売店兼休憩施設の「林泉」で雨宿りがてら時間をつぶす。中は同じような考えの人で結構混み合っていた。昨日の函館の人もいた。淀川小屋泊りで到着は夜九時を過ぎていたとか。私の事を心配してくれていたらしい。正直申し訳なく、とにかく再会出来て良かった。

  
左:屋久どん
右:平内海中温泉

とりあえずバスで安房へ向かう。雨も収まり天気予報どおり午後からは曇りのようだ。しかし心配の種は天候ではなく今日の宿。もともと予備日の考えだったので初めから場当たり的に動く心積もりだったのだ。もう宮之浦まで行ってしまおうかとも考えていたが、熊本の人が言うには安房にもキャンプ場があるとの事。港から歩いて一緒に「屋久どん」へと向かい、ここで昼食、そしてテント場も確保する。それから荷物を預けてバスで平内海中温泉へと向かった。天候はさらに回復し青空も見えてきたが、連休中青空が見えたのは結局この温泉に入っている一瞬だけだった。バス停から歩いて五分。脱衣場も何もないので荷物はそこら辺に重ね、素っ裸で入る。地元の人、ツーリングで来た人、登山の人等々でそこそこ混んでいた。熱い風呂とぬるい風呂があるので割と長風呂が出来る。まあ、海で泳ぐ奴もいたが。ただ観光地だけに観光客らしい人が次々とやって来て眺めて行くのには参った。一応混浴だけど女の人が入れる環境ではないだろう。帰りは再びバスで安房に戻った。夕立が降って来たのでAコープ隣の土産物屋で土産を買いつつ時間つぶし。雨が止んでから屋久どんへ移動し、夕食をとった。結局夜九時半ぐらいまで飲んでいたと思う。熊本の人は次の日一番で帰るとの事でここで別れた。テントに戻りすぐに寝る。

  
左:千尋の滝
右:宮之浦港

いよいよ屋久島最終日。屋久どんに荷物を預けてバス停へと向かう。早起きをしてとりあえず大川の滝へ行くつもりだったのだが、バスの始発時間が八時四十分と遅くあっさり実行不可能になってしまった。昼過ぎには宮之浦へ到着しなければならないので時間がない。バス時間ぐらい前日のうちに調べて置くべきだったのだ。結局バス停近くで一時間半ぐらい時間をつぶす。しょうがないので屋久杉自然館と迷ったが鯛ノ川に未練もあったし結局千尋の滝を見に行く事にした。鯛ノ川のバス停から舗装道路を35分ほど歩いて展望台に着く。滝も見えるが反対側の海岸線も見られる景色の良い場所だ。滝への道は前日の事故で警察関係者がいてちょっと入れる雰囲気じゃなかった。バス停まで戻り、向いの「ぽん・たん館」でみやげ物を買いつつ帰りのバスを待つ。鯛ノ川での沢登り事故について第一報は前日の昼に聞いてはいたが具体的に知ったのはこの時だった。まだ一人見つからないと言うことで、警察の人があちこちにいて、海上にはヘリや小型艇も巡回していた。一ヶ月に35日雨が降ると言われる屋久島で沢をやるにはそれなりの覚悟が必要だと分かるが怖い事である。そうこうするうちバスが来たので安房へ向い、荷物を回収、次のバスで宮之浦へと向かった。千円札が濡れていて両替できず、たまたま居合わせた例の函館の人に不足分を頂く。またしても迷惑をかけてしまった。

バスを降りると既に乗船手続が始まっていたので手続を済ませてすぐ列に並んだ。さすがに連休最終日だけあって本当に積めるだけ人が乗り込んでいる。乗客も疲れてか中で休む人が多く通路さえ空きスペースがほぼ占領されている状態だった。それでも甲板へ出て景色を見たり、中で寝たりと自由に動き回る事は出来た。鹿児島駅へのアクセスに余裕が無かったので、フェリーでタクシーを予約、そして早めに出口へ並ぶ。ここへ来てギリギリの計画。緊張のせいか帰路の船はとても短く感じた。急いでタクシーに乗り、鹿児島駅へ。あとは八代、博多、新大阪と乗り換えもスムーズに富山へ着いた。今回の屋久島は天候に恵まれなかったけど初屋久島は十分に堪能出来たし十分納得できるものだった。是非機会があればまた来たいが貴重な四連休を回せる日はかなり遠そうだ。

余談 二年前の鹿児島も雨だったので半ば悪天候は予想していた。しかしそれでも確実な情報は欲しい。使う事さえ出来れば携帯電話はとても役に立つ道具だ。
世界遺産の影響か登山道全体が観光地化しつつある。
第一部 HOME 2004年 蔵王