三嶺・剣山

(1893.4M−1954.7M)

ついに四国上陸だ

日程

九州、北海道と行って来たからには次は四国という考えに行き着くのはごく自然なことだった。三嶺ヒュッテの新築を知り、移動にムーンライト号を使うことに決めてからは計画も一気に具体化し、かねてからの希望通り三嶺−剣山縦走が可能になった。年明け以来久しぶりの登山のため尖山やねいの里で体力増強の山歩きを行い、自宅の周りも何度か走ったがこちらは天候不良のためあまり思惑通りにはいかなかった。

4月27日

富山(19:57)

4月28日

土佐山田(06:47)影(09:00)=西熊茶屋(10:00)=八丁ヒュッテ(11:25)=お亀岩(14:00)=三嶺(15:40)=三嶺ヒュッテ(15:50)

4月29日

三嶺ヒュッテ(06:00)=白髪避難小屋(08:00)=丸石避難小屋(11:30)=次郎笈(13:50)=剣山(14:40)=剣山山頂ヒュッテ(14:55)

4月30日

剣山山頂ヒュッテ(06:30)=見ノ越(08:00)=剣山山頂ヒュッテ(09:40)=一ノ森(10:15)=剣山龍光寺藤之池本坊(11:50)=川上(14:25)穴吹駅

5月1日

富山(04:28)

山行記録

サンダーバードを京都でムーンライト号に乗り換える。さすがグリーン車だけあって座席の前が広い。これだけ広いと寝台なんていらないななんて思いながら備え付けの毛布をかぶる。土佐山田駅では中にあったパン屋で朝食を調達。JR四国のアンパンマンバスはのどかさを一層引き立てるようだ。大栃では15分待ちで村営バスに連結。乗客は4人、しかしすぐに皆降りていき貸切状態となる。

  
左:大栃にてアンパンマンバスと村営バス
右:登山口の看板、柳井谷入口標高730mと書いてある

予定通り終点の影に到着。向かいのたばこ屋の婆さんと目が合ったので立ち話をして予定をオーバーしてしまった。道路は登りっぱなしでちょっときつい。五、六台の車が先へ追い越してゆく。登山の人もいるのだろうか。西熊茶屋には予定どうり到着した。まっすぐ進むと登山口の看板があり、傍らの地面には立入禁止の看板が落ちている。これをどう判断しようか考えたが結局そのまま前進する事にする。しかし、川沿いの道は見失いやすく、なぜか正面に高さ4Mの堰堤が現れた。100Mほど戻り直登すると登山道を発見。幕営装備の16kgを連れているのでこれはかなりつらかったが困難は始まったばかりだった。次から次と登山道が崩落している。崩落箇所4カ所の内2カ所は高巻きして相当時間をとられてしまった。川まで落ちていきそうな危険な場所もある。光石登山口からの道に出合い、ようやく一安心の小休止をとった。

         
左:登山道崩壊地点
右:お亀岩、亀に見えるような?

そこから先はウソのように立派な登山道が続いていた。八丁ヒュッテで昼食。朝の分が余分にあるのでラーメンを2袋食べる事にする。登り初めてしばらくして上から降りてくる単独の人と出会った。どうやら日帰りの人のようだ。まだ昼過ぎなのだがガスっているので早々に引き上げてきたとの事。急登を詰めて稜線に出るとやはりガスっていた。しかも風がかなりあって寒いくらいだ。傍らにはお亀岩が見える。

         
左:快適な縦走路を三嶺へ
右:三嶺山頂

西熊山を過ぎたあたりからガスが流れて日が射してきた。四国一と言われる稜線が眼前に広がる。自然に感嘆の声が漏れた。快適だ。笹原の道を進み三嶺頂上へ。明日歩く予定の稜線が続いているのが見える。そして剣山と次郎笈が仲良く並んでそびえている。待ってろよ、とか1人で思う。それにしても今日山の中で出会った人はたったの1人、誰もいない山頂でヒュッテに人が居るのか心配だ。


三嶺から三嶺ヒュッテ、分かりにくいけど後方右は剣山、次郎笈

心配は無用だった。ヒュッテには十人ほどの人達が休んでいた。自分の場所を確保した後、水場に向かう。急な坂道を十分ほどで発見。150mは下っているはずだ。登るのが嫌になった。小屋につくとすぐ夕食を用意する。三嶺ヒュッテは新しくてきれい。その上十分な場所が確保できたので楽に休むことが出来た。翌日のご来光を期待しながら眠りにつくことにする。

         
左:山頂直下の鎖場
右:笹に隠れた道

視界五十メートル、小雨まで降っている。昨日とはうって変わった悪天候だ。先を考えて予定より一時間早く小屋を出る。三嶺の頂上も何も見えない。頂上直下は鎖場だ。昨日までの穏やかな三嶺とは別の険しい部分を感じる。途中、白髪避難小屋からの一行に出会った。白髪小屋の方は超満員だったらしい。まだ三嶺ヒュッテが建て替えられたのを知らない人がいるからだろうという話だった。白髪避難小屋を過ぎると雨の方が本降りになってきた。風も強い。眼鏡が曇って何も見えない。笹で足元が隠れて足の運びもおぼつかない。と、その時境界標の柱に足を強打する。なぜこんな道路にと思うよりとにかく痛い。こんな所早く出てしまいたいが視界がきかないので不安が増すばかりだ。ただ、こんな天候でも20人以上の人とすれ違った。踏み跡もしっかりしていて利用する人は多いようだ。

  
左:避難小屋跡を過ぎれば刈払われた道だ
右:三嶺へ14000m・・よく来たものだ

朽ちかけた避難小屋跡を過ぎれば登山道も刈り払われていた。丸石避難小屋で昼食をとり、次郎笈へと向かう。当然山頂からは何も見えずただ行っただけということになってしまう。次郎笈水を飲むが雨の味だった。剣山の山頂もこの天候で直前まで見つからずあせる。予定ではキャンプ場に降りて幕営のはずだったが、この天候でさすがに剣山山頂ヒュッテに直行する。一部屋二人だ。混んでいなかったので風呂に入りビールを飲んで疲れた身体を回復。今日もゆったり眠れそうだ。

         
左:剣山山頂
右:次郎笈・・白いのは雪渓

予報では午後から雨とのことだった。今回の山行は天候に恵まれなかったようだ。ご来光を見に山頂に上がるが徒労に終わる。朝食後、山小屋の親父に聞いて大剣神社経由で見ノ越に向かう。この神社のご神体はたおやかな山の中で唯一剣山と言う名にふさわしい岩である。神社の出来た昔はもっと剣らしい形をしていたのだろうか。さらに下りた見ノ越には剣山円福寺と剣神社が並んでいる。お守りを買い、山頂へとって返す。リフトは9時からで駐車場には車が入り始めていた。  

                
左:大剣神社の御神体、下には御神水がある
右:見ノ越の大剣神社

いったん頂上ヒュッテに戻り、小屋の横にある剣山本宮宝蔵石神社でさらにお守りを買う。小屋の親父に別れを告げ、山を下りた。二ノ森、一ノ森のピークを踏み、一ノ森ヒュッテで出会った夫婦と一緒に行く事にする。時間はたっぷりある。土砂崩れで壊れた剣山本宮のそばを通り、すぐ下にある剣山龍光寺藤之池本坊で昼食にした。かたわらには藤之池がある。予報どうり雨が降ってきた。あわてて屋根の下に移動。寺を出てからは蛇行してゆく林道を突き抜けて先へ進むが、川に前を遮られる。崖になっている、どうやら先に進みすぎたようだ。あわてて引き返す。ここの看板は分かりづらい。

  
左:富士ノ池の剣山本宮剣神社仮殿
右:村営バス

橋を渡ると国道に出た。途中、乗っていかないかと声をかけられるが、バス停の写真を撮りたかったのでこれは遠慮する。既にバスはバス停から少し離れた待避所に停まっていた。窓をたたいて中に入れてもらう。定刻になりバスは穴吹川沿いの道を走り出した。五分ほど先に車が先行し、すれ違う車を無線で報告しているのが分かる。細くてすれ違い出来ない道が多いのでこれは便利だ。無事、穴吹駅に到着。阿波池田、岡山、新大阪で乗り換え、きたぐにの寝台で富山に着く。その日は仕事だった。

余談

登山道の崩壊に関する情報が分からなかった。登山口の立入禁止の看板はすでに壊れていてロープも切れたままになっている。崩落箇所は山慣れた人ならなんでもないと思うが、悪天候の場合には通るべきではないと思う。
木屋平側の道路に出る最後の看板は分かりにくい。

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