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◆久宝寺寺内町のなりたち
 久宝寺寺内町の歴史は、450年以上前、戦国時代にまでさかのぼります。文明2年(1470年)に本願寺第8世蓮如上人が久宝寺で布教した際、「帰する者市の如し」といわれるほど帰依する者が多かったので、文明11年(1479年)この地に西証寺を建立しました。後に西証寺は顕証寺と寺号を改め、天文10年(1541年)頃にこの御坊を中心として久宝寺寺内町が誕生しました。久宝寺は地理的に要衝の地にあり、中・南河内の門徒集団を束ねる拠点として多くの門徒集が集まり住むとともに、商工業者も集まって活発な商業活動が行われるようになりました。

 江戸時代以降は、農村部における商業の中心−在郷町−として発展しました。久宝寺は旧大和川(現在の長瀬川)の船運の要衝として、また堺から八尾街道を経て京都に至る主要幹線の中継点として栄えました。しかし慶長年間に本願寺の東西分派にともなって久宝寺の一部の住人が分離独立して八尾寺内町を建設し、宝永元年(1704年)に大和川の付け替えが行われると、それ以降地域の中心は八尾寺内町に移っていったのです。