前常念岳・常念岳・蝶ケ岳・大滝山
2011.07.23 徳本峠〜大滝山・蝶ケ岳〜長塀山〜徳沢・・・小屋一泊
2009.09.07 三股〜前常念・常念・蝶〜三股・・・山小屋1泊
2003.08.07 一の沢から常念岳を日帰り
1993.07.24 三股〜前常念・常念・蝶・大滝山〜上高地・・・完全燃焼の日帰り踏破
2002.10.14 三股から「蝶ケ岳」・・・日帰り往復
1885.10.14 一ノ沢〜常念・横通岳・大天井岳・槍ケ岳・南岳・・北穂高岳〜上高地・・・山小屋3泊


前常念岳・常念岳・蝶ケ岳 登頂日2009.09.06〜7 単独行

●三股駐車場(5.45)−−−尾根上の道標(7.50)−−−前常念岳(9.20-9.40)−−−常念岳(10.30-11.20)−−−常念乗越小屋(12.00-12.20)−−−横通岳(13.00-1310)−−−常念乗越小屋(13.25)・・・小屋泊
●常念乗越小屋(4.15)−−−常念岳(5.15-5.30)−−−最低コル(6.20-6.30)−−−蝶槍(7.55-8.05)−−−蝶ケ岳ヒュッテ(8.35-8.50)−−−三股駐車場(11.40)
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≪1日目)

大キレット上空の月
槍・穂高の展望コース、常念山脈を久しぶりに歩いてみた。天気も上々、期待通りの展望を満喫してきた。

夏山最盛期は終わっているが、それでも人気のある山は登山者の姿が多い。今回選んだルートは三股から前常念→常念岳→蝶ケ岳と一泊で歩く楽な行程。
実は16年前、このコースをさらに延ばして大滝山、そして道なき沢を下って上高地まで、それを1日で歩ききったことがある。私の山行の中でいぢはん辛くいちばん疲労困憊した思い出のルートの一部をもう一度歩いて、あのときの自分の体力をあらためて実感してみようという思いもあった。

三股から蝶ケ岳へのコースを分けて前常念への登りにとりつく。展望のない樹林の中をひたすら上を目指して脚を運ぶ。1時間ほど登ったところで尾根上とう感じになり道標が立っている。
尾根上の道は勾配を緩めることなくつづく。樹相もシラビソ、ダケカンバなど高山帯の雰囲気が濃くなってくる。晴天のはずだったが山肌にはガスがまといついて展望はない。
樹林を抜け出すと、花崗岩の大きな岩がが行く手を阻むように急斜面に累々と重なり合い、埋め尽くしている。ペンキマークに導かれるようにして、この急登を登りきると避難小屋のある前常念岳山頂ととなる。ここまでかなり厳しい登りだった。前回は三股から2時間40分で登ったが、今回は3時間35分、これが16年で低下した体力をあらわしている。それでもガイドブックより2時間ほど短いということで満足すべきだろう。

岩塊の狭間に一等三角点がある。前常念岳は『一等三角点百名山』の一つである。避難小屋や岩塊に囲まれた一等三角点などをスケッチして15分の休憩。

大小の岩がごろつく稜線を常念岳へと進む。脚の疲労が強く、はがゆいようなのろのろペースで、一歩一歩脚を持ち上げていく。ガスの切れ間から常念岳が見え隠れしてきた。槍ケ岳もしっかりと姿をあらわした。山頂への気が急く。
常念乗越からのコースと合流すると、登ってくる人、下ってくる人で登山道はいっぺんに賑やかになった。
最後のひとがんばりで常念岳山頂となる。常念山脈の東側はガスに隠れていたが、西側の槍・穂高岳方面は登りの大変さを帳消しするようなみごとな展望で報いてくれた。
時刻はまだ10時半、乗越の山小屋へ入るには早すぎる。どっかと腰を下ろして展望を楽しむことにする。
西岳を前においての槍ケ岳が何と言ってもいちばんに目を惹く。穂高連峰もクリアに見える。大天井岳はガスに見え隠れ、槍・穂高連峰の背後には鷲羽、三股蓮華、双六、笠ケ岳など、じっくりと目に焼き付けたあとスケッチにかかる。
50分ほど山頂でのひときを楽しんでから、槍ケ岳あたりにガスがかってきたのを潮に乗越の小屋へと下る。脚の老化で下りでの膝の衝撃がこたえる。段差の小さいところを選んで下る姿は、きっと爺さんそのものだろう。

常念乗越小屋90周年記念として
宿泊者全員に配布していました
夕方まで時間がありすぎるので、部屋へ荷物置いて横通岳を往復してくることにした。ガスの日は雷鳥に出会えるチャンスも大きい。残念ながら期待は実現しなかった。横通の山頂には何の表示もなく、大きなケルンがいくつも積んであるだけの広い山頂である。

小屋へ戻り部屋へ入ると同室の男がいた。顔も確かめずに挨拶しようとすると、なんと!、それは私の実弟だった。お互いびっくり仰天、まったくの偶然、まさに“タマゲタ”の一語。同室でなければお互い同宿していることすら知らずに過ぎてしまったかもしれない。生ビールで乾杯し、おかげで良い一泊を過ごせた。(山小屋で本物の生ビールを飲める時代になったことも感慨である)

≪2日目≫

出来たら弟と行動をともにしたいところだが、一の沢へ車を止めてきたということで、残念ながら別行動となる。

私が駐車してある三股林道は、道路工事のために車両通行規制が解除となる時間帯は1日のうちいくらもない。12時から13時までの解除時間に間に合うように下山したい。

夜明け前の4時15分、弟と別れて小屋を出発。満月に近い月が穂高岳の上空に浮いている。懐中電灯を使わずとも煌々と照らす月明かりだけで歩ける。それでも岩クズの歩きにくい道は浮石などに注意しながら慎重に足を運ぶ。ほの白かった西の空が、次第にオレンジ色を濃くしていく。快晴。槍ケ岳のシルエットか神々しい。月はまだ中空にある。夜明けの序曲のような神秘的なときが流れて行く。アルプス交響曲の夜明けの曲を目で聴いている気分だ。

上空は青みが増してきた。ちょうど1時間で常念岳山頂、そして数分浅間山の左肩から太陽が昇り始める。浅間の噴煙がそよぐこともなくまっすぐに立ちのぼっている。夜明けのハイライト、槍ケ岳の穂先から朱に染まっていく。夜の帳の中で藍色に沈んでいた山々は、光陰を受けとめていっせいにその貌を鮮明にしていく。
15分ほど夜明けのドラマを満喫してから蝶ケ岳へと向かう。

ざら場の長い下りをコルへと下って行く。急勾配のざら場は足元から目を離せない。何回も立ちどまりドラマの続きを確認するように、刻々と変わっていく夜明けの景観を目にしてはまた足を前にだす。蝶槍への登り返しを考えると気が重くなるような下りがつづく。

高低差約450ルール下った最低コルから一つピークを越えて樹林帯へと入っていく。樹林がとぎれてホソバトリカブなど秋の花々の咲くお花畑が広がる。気分転換になる花々を愛でて再びシラビソなどの樹林に変わり、小さな池の傍を通り過ぎてから最後に蝶槍への登りが待っている。

道路規制解除の時間には十分間にあうと思っても、万一という気持ちからどういても気は急く。休むことなく登りきって、再び森林限界を抜け出ると槍ケ岳から穂高岳にかけての大展望が広がる。蝶槍で腰を下ろしておやつを食べ、眼前の展望をむさぼる。
常念岳からここまで移動してくると、今度は穂高連峰がぐんと近くなる。10日ほど前に歩いた北穂、奥穂、前穂が目の前に迫る。
見える山岳をざっと記しても、槍から穂高、焼岳、霞沢岳、乗鞍、御嶽、笠、黒部五郎、双六、三俣蓮華から後立山連峰、頚城の山々、高妻、浅間、八ケ岳、美ケ原、富士山、南アルプス・・・・とにかく360度、中部山岳の山が全部見えると言いたいほどの展望だ。

蝶ケ岳ヒュッテの前で三股までの所用時間などを見直し、大展望の見納めをしてから下山にかかった。
三股までの高低差は1400メートルほど、所要時間はガイドブックで2時間50分、7年前に歩いたときは1時間55分、それをもとに計算すると、2時間30分というところか。

ところが下りは膝をかばってしまうために、思いのほか足が遅くなってしまう。自分ではけっこう歩いているつもりだが、どうもそうではないらしい。刻々と時間は過ぎて行く。結局この下りに休憩なしで2時間50分かかってしまった。 同じこの道を7年前には登りでも2時間50分で登れたのに。

脚力の衰えはいかんともしがたいが、天気に恵まれて槍・穂高の展望が脳裏に刻まれた楽しい山行だった。


常念岳 登頂日2003.08.07 単独行 ・・・・一ノ沢から日帰り

一の沢林道駐車(4.35)−−−登山口(4.40)−−−「常念小屋まで3.6キロ」の表示(5.30)−−−烏帽子沢(5.50)−−−一の沢を離れる(6.35)−−−常念乗越(7.20)−−−常念岳(8.05-8.20)−−−常念乗越(8.55)−−−一の沢(9.30)−−−烏帽子沢(10.00)−−−登山口(10.50)−−−駐車地点(10.55)
所要時間 6時間05分(休憩を除く)   
常念岳山頂
『好きな山は?』と聞かれると、三本の指に入る山として躊躇なく常念岳の名を上げることにしている。にもかかわらず、これまでに登ったのは2回だけ、それも11年も昔のことになる。

20才台の後半、松本市に4年半ほど住んだことかある。松本平から西方を眺めると北アルプスの山並みが連なる。しかしその風景は大きなひと塊の山塊としか映らない人が多いかもしれないが、そんな中でだれでも言い当てられる山が一つだけある。それが常念岳である。それほど目立つ山であり、見る者の気を惹く魅力がある山とも言える。

はじめて登ったのは、その松本市を離れてから20年近い歳月が流れてからだった。癌の手術を受ける1年前のことである。山慣れない当時、好天にも恵まれ、山頂から目にした一大景観は、生まれてはじめて目にするような圧倒される眺めだった。

登り甲斐があり、山頂展望は一級品、里から見上げる姿も目を惹きつけてやまない。各地の山1000座以上登り歩いた今も、依然として好きな山ベストスリーとしての地位は変わっていない。


はじめて登ったときと同じ一の沢コースから登ってみた。昔より林道が少し奥まで延びている感じがする。
一の沢林道舗装終了地点の路肩の広がった場所へ駐車。徒歩十分で登山口。登山届を提出して出発する。十年以上経った今、ほとんど記憶がない。はじめてのコースを歩く気分と変わらない。
途中で花の写真を2、3枚写したり、水を飲んだりしただけで、休憩なしのまま常念乗越へ登り着いた。天気が良いとここで劇的な大展望が待っているはずだが、四囲はあいにくのガスで展望はない。
乗越から一気に山頂をめざす。標高差400メートルの山頂は見た目以上にきつい登りである。喘ぎ喘ぎ登って行く何人もの先行者を追い抜いて、巨岩累々とした山頂へ到着。ふだんは大勢の登山者が憩のひとときを楽しんでいる山頂も、寒い風とガスで1組の登山者がいるだけだった。展望はないがここからの展望の記憶が鮮やかに蘇ってきた。
寒い風にあたりながら、十分ほどの休憩をしてから山頂をあとにした。

常念岳乗越でも休憩は取らず、そのまま一の沢コースを駈けるようにして下って行く。
下山の途中、登って来る登山者の数は100人以上もあったかもしれない。常念小屋泊で下山している登山者にも追いつき、追い越して11時には登山口へ降りたった。

登り3時間半、下り2時間35分の特急登山だった。またいつか天気の良い時に登りにきたいと思う。


 前常念岳〜常念岳〜大滝山(2857m) 登頂日1993.7.24 単独行 曇り・雨

三股(5.30)---前常念岳(8.10)---常念岳(9.00)---蝶が岳ヒュッテ(11.40)---大滝山(12.55)---大滝山荘(13.30)---徳沢園(16.40)---上高地(17.55)===新島々
所要時間 含休憩 12時間30分   
完全燃焼・疲労困憊・・思い出の山行(55歳)     
梅雨明けが遅れているが、シーズンはすでに夏山期を迎えて、新宿駅6番線ホームは急行アルプス待ちの登山客で混雑していた。
豊科駅から登山口の三又へはタクシーを利用。目的は未登の三座登頂。一つは一等三角点研究会選定による一等三角点百名山『前常念岳』、他に信州百名山の『蝶ケ岳』と『大滝山』である。あわせて私の大好きな常念岳へも8年ぶりで立とうというわけだ。この先の苦しみなど予想だにつかず、楽しみ満載に胸を躍らせていた。

コースタイムは前常念岳まで4時間30分、さらに常念岳へは1時間。普通はそこで常念小屋へ下り1泊となるのであるが、私は1日で上高地まで歩いてしまおうという計画を立てた。 全行程の標準コースタイムは18時間強という行程である。

常念岳山頂と穂高連峰
歩き始めると早々に急な登りとなる。広葉樹からコメツガなどの針葉樹へと変わって行く。 やがて森林限界を抜けて展望のいい尾根となり、競り上がってきた蝶ケ岳が視界に入って来た。一方目指す前常念岳も花崗岩のくすんだ灰色の姿を目の前にあらわした。
常念岳〜蝶ケ岳の稜線の後ろに見えてきた穂高連峰の姿に励まされるようにして急登を登り切ったところが、前常念岳、目当ての一等三角点は小屋のすぐ背後にあった。
前常念岳までは、コースタイム比1時間40分の短縮で出足は好調。 
雨粒が落ちて来た。急いで雨具を着用するが、いっときばらばらと降った雨は、間もなく止んで再び視界がきいてきた。

8年ぶりに常念岳岳山頂に立つ。そう言えばあのときの常念岳から5ヵ月後に癌の手術を受けたのだった。癌を乗り越え、今またこうして懐かしい山頂に立っているのが夢のようだ。
槍ヶ岳から穂高連峰の展望は言うまでもない。多少ガスっぽいが霞沢岳や乗鞍岳、それに三俣蓮華、鷲羽、水晶、大天井、野口五郎と北アルプス核心部の山巓がひしめく景観におおいに満足する。

次のピークは蝶ケ岳。 高度約400メートルを急降下する。最低コルまで下り切らないうちにガスが吹き上げて来て、展望はすべて消え去った。再び降り出した雨に追われるように、起伏の多い主稜線を蝶ケ岳へと急いだ。やや疲労感を感じながら登りにかかって、潅木林を抜けると礫岩の道となり、ケルンの点在する蝶ケ岳山頂に到着。信州百名山の一つである。
すぐ先の蝶ケ岳ヒュッテ着は11時40分、すでに宿泊する登山者の姿がたくさん見られるが、私の行程はまだまだ先が長い。

予定としては蝶ケ岳ヒュッテから大滝山を登頂、再び蝶ケ岳ヒュッテヘ戻ってから、長塀尾根を下ることを考えていたが、この雨では無理かもしれない。大滝山登頂は中止してここから長塀尾根を下り、徳沢へ降りた方がいいだろうか。気持ちが迷う。
蝶が岳ヒュッテへ入って受付の女性に「大滝山荘から徳沢川沿いに徳沢へ下る道は荒れていると聞いていますが、どんな状態かわかりますか」 と尋ねると、「この間も小屋の者が登りましたが、いい道で十分歩けるそうですよ」という返事がかえって来た。徳沢川のコースが歩けるのなら、大滝山の山頂を踏んで直接徳沢へ下ればいいのだ。時間もまだ12時前、上高地まで私の足で4時間前後と見積もっても、夕方までに楽に下山できる。そう計算した私は、パンを一つ食べ、蝶ケ岳ヒュッテを後にして、相変わらずしとしとと降る雨の中を大滝山へと向かった。

本当はヒュッテから下山しておけばよかったのだ。売店の女性の返事が私の気持ちを変えてしまい、とんでもない苦労をする羽目になった。それにしても三又から常念岳へ登り、この蝶ケ岳までを1日のコースとするだけでもかなりの健脚コースなのに、さらに大滝山まで登って上高地へ下山するという韋駄天まがいの行動は、少々無謀だったかもしれない。

常念岳〜蝶ケ岳の縦走路に比べると、ひっそりとして人影はなく、あまりの違いに戸惑うほどだ。コースの途中には目を見張るようなコパイケイソウの群落が何カ所も出現した。まさに今を盛りの背の高い白穂が、一面埋めつくすように咲き競うさまは、感動そのものであった。登山者が少ないのに、登山道は手入れも行き届いて文句ない快適さである。途中いくつかの池や残雪があったりして、ガスの中でもそれなりの変化を楽しむことができた。
鍋冠山経由小倉へのコースを分けて下って行くと、霧の中に建物が浮かび上がってきた。大滝山荘だった。1時間45分のコースを1時間もかからずに歩いてしまった。

大滝山荘は、休業改築のまっ最中だった。髭の大工のおじさんが出てきた。寄ってお茶を飲んで行けと勧める。とりあえず山頂まで行って来ますと言って一投足の山頂へ向かった。
ハイマツの植生する山頂は遮るものもなく、ここも目を見張る展望台のはずだが、今日はそれを想像するのみ。下界の松本平から西を眺めると、鍋冠山や常念岳と並んでよく目立つ大滝山は、信州百名山の一つである。
展望はなくても足を伸ばして山頂を踏んだ満足感を十分味わう。

小屋へ戻っておじさんから温かいお茶を御馳走になる。徳沢までは高度差約1000メートルの下り、私の足なら1時間30分と踏んで大滝山荘を後にした。ところが山歩きをはじめて以来数年間、こんな心細い不安な思いに駆られたことは初めという体験をすることになった。  
昭和59年刊のガイドマップには、大滝山荘から徳沢まで、はっきり登山道が記されている。下り2時間30分となっている。ところが最新のガイドマップでは『廃道』と記されているが、 蝶ケ岳ヒュッテ女性の言葉を信じて下山にかかった。
倒木が放置されたままになっていたりして、利用者の少なさがうかがえる。薮が茂っているところもあって歩き憎いが、最初のうちは道はかなりはっきりしいて迷うことはなかった。 『大滝山荘へ30分』という標識がある。その先何回かのジグザグを繰り返しているうちに、急に踏み跡が薮の中へ消えてしまった。行きつ戻りつ探すがその先のコースが見つからない。不安がよぎる。大滝山荘まで戻り、蝶ケ岳まで行って一泊しようか・・・・再び気持ちが迷う。 「迷ったら戻れ」セオリーどうりに道のはっきりしたところまで戻ってみた。小枝に脱色した小さな布切れを発見、そこで消えかかった道を見付けた。
あいかわらずゆったりとした下りがつづく。道をふさぐ倒木が繰り返し行く手を邪魔する。最近はほとんど登山者の歩いていないことは明らかだ。

渓流の瀬音が高くなって、徳沢の流れに降り立った。 このコースは手入れもされずに放置されてから何年になるのか、渓流に沿う登山道には雑木がうるさくはびこり始めている。すでに登山道とはいいがたい状況に不安は一層募るものの、ここまで下ってしまえば時間的には、もう稜線へ登り返すのは難しい。この渓流沿いを下って行くしかない。一番気になるのは、この谷に通過不能な滝が現れることだ。さまざまな事態を頭に浮かべながら、一方では焦燥感に追われるようにして足を運んだ。
道形はさらに不鮮明になり、途切れる状態が繰り返される。沢芯から高みへ、高みから沢へ、頻繁に上下しながら道を探したり、強引に斜面の薮や、流れの縁の夏草を分けたりして進む場面もますます多くなってくる。焦る気持ちを押さえるために、小便をしてひと呼吸入れる。道が分からぬまま高みをへつって行くと、かすかな踏み跡らしいものに出会う。登山道なのか獣道なのかわからない。

蝶ケ岳ヒュッテでは何故『十分歩ける』などと言ったのだろうか。私が間違えて違うコースへ入ってしまったのだろうか。それにしても10年ほど前まではちゃんとしたコースとして地図にも載っていたのだから、案内板や標識の名残があってもよさそうに思えるのに、それらしきものもまったく目に触れないのも変だ。しかし徳沢園へ流れる沢は1本しかない。間違うはずはない。とにかくこの沢をたどれば徳沢園へ行きつける。そう自分に言い聞かせ、迷いを払って下った。
ずっと左岸を歩いているが、あるいは道は右岸に移っている可能性もある。そう思って対岸にも注意を払っていたが、それらしい様子は見つからない。むしろこちら側より対岸の方が、山の斜面が急峻に谷まで落ち込んでいて、今歩いている左岸より状況は悪そうに見える。
大滝山荘から徳沢まで1時間30分と見ていたが、すでにその時間はとおに経過していた。 流れの中をじゃぶじゃぶ歩いたりしていると、針葉樹の幹に古びた板が打ちつけられているのが目に入った。字は完全に消えているが、かつての登山標識に違いない。この板切れ一枚が今の私には大きな励ましだった。
高度計を見ると1700メートルあたりにいるらしい。徳沢まで残り150メートルの高度だ、あと2〜30分か、そう思ってやや安堵を感じたが、歩けども歩けども槍沢出合いらしい気配にはならない。谷は相変わらず狭い。時刻はすでに4時近い。背丈の夏草が茂り、樹林の下はすでに薄暮の色が濃くなっていた。
“ビバーグ”が頭をかすめる。雨の中、防寒具もない状態で、それは何としても避けたいことだ。 健脚には自信があったが、さすがに体全体を強い疲労が襲っていた。

大雨に押し出された礫岩の大きなデブリを2度3度とわたる。足元を崩したら、一気に上部の崩落を誘発しそうな恐怖を感じながら、そっと、しかし素早く通過する。
川幅が広がってきて目の前に砂防堰堤が現れた。堰堤があるということは、工事に用いた道の名残があるに違いない。勇躍元気が蘇った。堰堤は高過ぎて飛び降りることが出来ないので、大きく高巻いて堰堤の下に出ると、かすかな道形を見付けることができた。しかしこれはいっときの糠喜び、道はすぐに消えて依然背丈の草をかきわけたり、斜面の薮をへつったり、水流を渡渉したりを繰り返す。
二つ目の堰堤。堰堤脇の高さ数メートルの崖を下降しようとしが、岩が脆く途中から足掛かりもなくなった。しかたなくやっとのことで堰堤上まではい戻り、今度は足場の悪い急斜面を大きく高巻いて越えた。
河原が次第に広がってきた。徳沢が近いことを感じるが、霧の立ち込める下流を見ても、谷が広々と開ける様子がない。4時を回って一層焦りが高じてくる。沢まで急峻に落ちていた山腹が、沢沿いにかけて平坦の樹林に変わって来た。
三つ目の堰堤、これは2メートル程だったので、堰堤の上から飛び降りる。そしてふと目を上げると沢を横切っているケーブル状のものが目に入った。近づくと、山小屋なんかでよく水を引くのに使う、黒いパイプホースだった。ワイヤーに確保されて、こちら左岸から対岸の右岸へ下り傾斜をつけて伸びている。ということは右岸の先へ導水されているのだ。その先が徳沢園にちがいない。そして対岸は蛇籠で護岸されているのを見ても、その感を強くした。期待に裏切られないことを祈って、膝までの流れを渡渉して対岸にわたり、ホースを辿る。ホースはすぐに土の中に見えなくなってしまったが、とにかく西の方角へ歩き始めると、樹幹に赤ペンキを発見、そのペンキを追って行くと、何と300メートルばかり歩いたところで、自動車の轍の残る林道に飛び出した。

林道を数分も歩くと、徳沢園のキャンプ場に出た。立ち込める夕もやの中に炊飯の煙がたなびいていた。
体の力が抜けて行くような安堵感に包まれた。既に時刻は4時40分。1時間30分の見込みが倍以上かかっていた。あと1時間遅くなっていたらビバーグとなっただろう。 このあと上高地までコースタイムで2時間も残されている。さすがに足は重くいつものスピードは出ない。夕暮れの梓川に沿った道は、昼間は引きも切らぬ人の列がつづくが、夜の帳を迎えて人の姿もなく、静寂に包まれていた。
闇の迫る道を、最後の力を振り絞るようにして足を急かせ、上高地への到着は5時55分だった。
バスの時間を聞くと6時が最終とのこと、雨具を着たまま出発直前の最終バスに飛び込んだ。
夜行列車での睡眠不足に加え、途中わずかな休憩だけで朝から12時間の歩きづめ。さらに大滝山荘からの下山で予想外の体力を消耗しながら、このロングコースを歩き切ったのは、数ある山行の中でも思い出深い山行となった。