追想の山々1080  up-date 2001.07.18

        1997.08.25 妙高山・火打山・焼山
        1990.06.02 火打山・焼山
        2010.08.17 妙高山

火打山(2462m) 登頂日1990.06.02-03 曇→快晴 単独
●東京自宅(2.50)===笹ヶ峰(8.40)−−−黒澤(9.50)−−−高谷池ヒュッテ(11.35)−−−火打山(12.50-13.15)−−−高谷池ヒュッテ(14.00)−−−黒澤池ヒュッテ(14.45)
●黒澤池ヒュッテ(4.15)−−−妙高外輪山散策−−−黒澤池ヒュッテ(6.00)−−−富士見平(7.20)−−−黒澤(8.10)−−−笹ヶ峰(8.47)
所要時間  1日目 6時間 2日目 4時間30分 3日目 ****
   素晴らしきかな、残雪の頚城=(53歳)
火打山(中央)と焼山(左)・・・妙高山外輪山より


信越国境の妙高山を主峰とする一連の峰々を『頚城山塊』という。なかんづく妙高山、火打山、焼山の三山を頚城三山と言い、名峰として知られている。

日本百名山85座目として火打山を訪れた。有数の豪雪地帯、まだかなりの雪は覚悟せねばなるまい。
百名山は残すところ16座、はやる気持ちに急かされ、登山シーズンを待ちかねて出かけることにした。黒沢ヒュッテに電話を入れると、残雪は1メー トル以上、ピッケル、アイゼンは必要ということだった。手強いかもしれない。

午前3時前、雨の東京を後にした。ラジオの予報では明日は快晴。
笹ヶ峰への県道は、濃い霧の中をカーブを繰り返し、最後に大きく曲がって道が平坦になったところで、嘘のように霧が切れ、前方に雪に覆われた山稜が現れた。う−ん、やはり雪は多そうだ。 
笹ヶ峰着8時15分。支度を整え、登山届けに記入。丸太を並べた登山道に入る。丸太の先は水たまりや、ぬかるみっぽい道となる。乾いたところを選んでいる間に、脇道にそれてしまい、スタートからやりなおす。ブナ林の下を1時間弱で清流の黒沢に着く。雪解けの水は冷たく、10秒と手を入れていられない。

重い登山靴に、ピッケル、アイゼンを背負っていつものスピー ドが出ない。急勾配の十二曲がりを終って傾斜が緩むと、樹相もブナからオオシラビソに変わり、それと同時に残雪が現れて来た。忠実に靴跡を追い、赤布を確認しながら薄暗い黒木の樹林帯を進んで行く。黒沢からほば1時間、黒木の途切れた富士見平に到着する。時間以上に歩いた感じがする。オオシラビソ以外の潅木類は雪の下である。
一服入れて高谷池に向かう。雪は締まって沈むことはない。この辺りはペンキ印も赤布もなく、足跡だけが目印だ。足跡がなければ私にはとても動きがとれない。
霧の先に三角屋根の高谷池ヒュッテが見えて来た。ヒュッテには立ち寄らず火打山を目指す。夏道とは違って、全面雪に覆われた湿原の真ん中を突っ切って、一段上ったところが天狗の庭だ。乱れる足跡を慎重に拾って火打山への尾根ルートに乗る。  
尾根筋はところどころ雪が消えて夏通が現れる。どうやらピッケルもアイゼンも不要であった。途中ピッケル、アイセゼンをデポ。ほとんど雪原といってもいい斜面を一歩一歩詰めて行く。丸太の階段が雪の下から現れたりする。
雷鳥の鳴き声、目で探すといたいた・・半分夏毛に変わった雌が一羽潅木の間に動く姿を確認する。茶色に変わった雷鳥は、地肌や潅木の現れた場所に身を置いて、残雪の上には出ないところが賢い。 
頂上への詰めはいよいよ傾斜がきつく、雪稜をひと足ひと足ステップを切って行く。スリッ プしたら下まで一気に行ってしまいそうな斜面だ。先行者のステップを使って登り詰め、 傾斜が緩んだところで地肌が出て来た。きつい雪上登高が終わるとそこが山頂の一角だった。 小さな石仏が一体、火打山
雌を追うオス雷鳥(私自慢の1枚)
頂上を示す板切れがひとつ。名峰にしては飾り気のない頂であった。山岳展望優等生の頂も、今日はガスで眺望ゼロ。  
濃霧がハイマツの上を間断無く吹き流れる。  

眺望を諦めて頂上を辞した。雪の斜面をグリセードで軽快に駆け下る。再び雷鳥に出会う。今度は雌雄の二羽だ。カメラを構える。雌の姿以外眼中にないかのように、雄は雌を目指して私の足元を横切る。シャッターチャンス、私としては傑作をものにできた。

高谷池から黒沢ヒュッテに向かう。このまま下山して笹ケ峰でテント泊をしてもよかったが、明日の快晴に期待し、 黒沢池ヒュッテに泊まることにした。
八角形の黒澤ヒュッテは場違いに青く塗られ、入り口も宇宙船のハッチのように小さい戸口だった。小屋は昨日がシーズン初日の営業開始で、昨夜の宿泊は一人だけだったとのこと。
ダケカンバの樹幹が夕映えに輝いて絵のように美しい。妙高山にかかっていたガスがみるみる晴れ、全容が目の前に出現した。

4時起床。外は快晴、残り星が二つ三つ。昨日のガスに閉ざされたモノクロの世界から一転、今朝は色彩に溢れている。アイゼンをつけて外輪山を三田原山方面の途中まで行って見る。雪が締まってアイゼンの効きがいい。ヒュッテから高度差にして150メートルか200メートルほども登っただろうか、火打山、焼山、金山、そして天狗原山がモルゲンロートに照らし出されている。妙高も目の前視界一杯に広がっている。ダケカンバ樹林を透かして、後立山方面の雪稜が紺碧の空を画し、雄峰群をなして延々と連なっている。
外輪山残雪の散策と展望を楽しみ、雪に座して朝食を食べてから、黒沢湿原へ下った。

黒沢岳と妙高外輪山に挟まれた黒沢湿原は一部雪が消えて池塘が現れているが、花の季節にはまだ早すぎる。見分けにくい踏み跡をたどると、ときどき木道が顔を出し、ルー トが誤っていないことを確認して安心する。
湿原の末端が狭まって、急に沢となって落ち込むあたりでルートが不明となる。かすかにあった足跡も消えてしまった。何回か谷を下ったり上ったりして探すが、足跡らしいものは見当 たらない。地図を広げて見ると、沢の上部を西側にトラバースして行く等高線沿いのルートがある筈だ。どうしてもそれが見つからない。  
ヒュッテに戻って聞くか、あるいは茶臼山から高谷池ヒュッ テに出て昨日のコースを下山するつもりで戻りかけながら、湿原突き当たりの山の斜面を見ると、雪に白く輝く一筋が目に入った。やはり足跡だった。

後は足跡を伝って行くと分岐の富士見平に出た。
富士見平からは白銀の朝日岳、雪倉岳、白馬三山・・・・・・うっとりするような眺めが得られた。 
笹ケ峰牧場から振り仰ぐと、火打、焼山の残雪が眩しく輝いていた。また目の前には黒姫山、そして高度感のある高妻、乙妻山が聳えている。
日本百名山85座目の登頂に満足して帰路についた。
その後火打山には2回登っています。