追想の山々1226 up-date 2001.12.16
信州百名山のうち、北部に位置する7座を3日間で歩いた山行記録です。 | |||||
戸隠連峰西岳(2053m)
1993.10.28・・・・こちらに詳しい山行記録があります。 東京(2.30)−−−戸隠鏡池(6.30〜7.40)−−−楠川徒渉(7.55)−−−天狗原(8.25)−−−最初の鎖(9.10)−−−熊の道場(9.30)−−−無念の峰(10.05)−−−P1(10.30)−−−西岳(11.00-11.30)−−−本院岳(12.00)−−−最低コル(12.50)−−−八方睨(13.30-40)−−−戸隠奥社(14.30)−−−髄神門−−−鏡池(15.10) |
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荒倉山(1401m)
1993.10.29・・・こちらの山行記録をご覧下さい 竜虎トンネル(5.50)−−−霧見岳−−−砂鉢山(6.55)−−−霧見岳−−−竜虎トンネル(7.40) |
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鍋倉山(1289m) 1993.10.29 関田峠(12.00)−−−黒倉山−−−鍋倉山(12.45)−−−関田峠(13.30)
長野県戸狩から新潟県新井市へ抜ける峠道、その最高点関田峠から往復する。 2回も間違えてようやく関田峠への道へ入った。峠めざして自動車を走らせ、高度を上げて行くと、紅葉が山全体を覆い、燃え立つような色の洪水だった。茶店の先が峠の最高点で、ブナ林が広がり、その中に森林浴コー スが縦横に拓かれていた。 関田峠→黒倉山→鍋倉山へのコースは、尾根上のほとんど平坦に近い 歩きやすい道だった。両脇をブナの純林に挟まれた気持ち良いコースだ。関田峠から緩く下った先の鞍部が筒方峠で、小さい池が潅木の陰に見える。黒倉山まではつま先上がりの道をたどって行く。坂がややきつ くなると黒倉山の山頂で、最高点の鍋倉山へは直角に左へいったん下り、もう一度登り返す。急げば黒倉山から10分余。鍋倉山々頂には『黒倉山』と書かれた測量標識がある。黒倉山は『黒倉山』と『鍋倉山』2峰の総称で、長野県から見える峰を鍋倉山、新潟県側から見える峰を黒倉山と称する。鍋倉山の方が46メートル背が高い。山頂からは谷川連峰、越後三山な ど白衣をまとった姿が遠望できる。 開田峠までは同じ道を駆け足で戻った。 |
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高社山(1352m) 1993.10.29 夜間瀬スキー場下(15.30)−−−高社山(16.20)−−−スキー場下(16.50)
赤いリンゴ畑が広がる景観、それが晩秋の北信濃のシンボ ルである。そのリンゴ畑の向こうに形よい高社山の姿が見える。 登山口のある“よませスキー場”は何回もスキーに来ているが、高社山への登山口がどこにあるか知らなかった。登山口を探してうろうろしながら、別荘地や林道を行ったり来たりするうち、偶然にゲレンデの中間に出た。 時刻は既に3時半、つるべ落としの秋の夕暮れは間近い。今日高社山へ登る積もりはなかったが、明日の雨は確実らしい。今日のうちにに登ってしまうことにした.。 支度もそこそこに、懐中電灯、カメラ、セーター、水筒をザックにほうり込んで出発した。 裸のゲレンデを直登していく。見えている頂部はすぐ行き着けそうでいて遠い。緩く見える斜面もかなりの急登だった。時間との競争だ。リフト支柱番号が上から下へ1〜 22番まであり、それをめどに登った距離を測り、休む時間も惜しく足を運ぶが、今日三つ目の山はさすがに足が重い。支柱番号1、リフト終点まで登って、山頂はすぐそこと思い込んでいたのはあやまりで、まだそこから歩きでがあった。 ゲレンデ下の建物には灯が入り、夕暮れの気配が濃い。 リフト終点からは登山道に変った。風が強くなって来た。尾根の電波反射板が風を受けて唸っている。岩混じりの急登を攀じると山頂だった。4時20分、山頂まで50分だった。多分コースタイムの半分以下だろう。 高社山は《こうしゃさん》が正式名らしいが、地元では《たかやしろ》と呼ぶ人が多い。展望の二等三角点ながら、暮れなずむ夕靄の中に周囲はかすんでいた。 下山は小走りにかけ下り、懐中電灯を使わずに帰りつくことができた。 スキー場の管理人に断ってゲレンデの草地にテントを張った。草は柔らかい褥となり、シュラフにもぐりこむと、たちまち眠りの中に落ちて行った。 (2002.8.27、2009.10.21 高社山登頂はこちら) |
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志賀山(2036m) 1993.10.30 志賀硯川駐車場(5.35)−−−渋池−−−志賀山(6.45)−−−渋池−−−硯川駐車場(7.45)
案の定、雨となった。 熊の湯硯川駐車場へ車を止めて明るくなるまで仮眠。 除雪した雪が積み重なっている。風が強く、時折雨まじりとなって自動車を揺らす。 5時35分明るくなりはじめたのを見て出発する。長靴、雨具のいでたち。 前山ゲレンデの右手から前山をめざす。一大スキーエリアの志賀高原へは何十回通い詰めたことか。 前山のてっペんは風が強いが雨はたいしたことはない。渋池から数センチの雪はあるが、登山道ははっきりしている。 四十八池、鉢山、 志賀山の十字分岐から道は急登に変わる。コメツガやオオシラビソの中、岩混じりの道は、降雪後歩いた人があって、登山靴の跡が幾つも残っていた。 霧の中、右手に釜池が見えると頂上までは近い。高度が上がって風が一段と強くなって来た。 展望盤のあるピークに到着。しかし樹林に囲まれてせっかくの展望盤 も役に立ちそうもない。山頂という雰囲気がないのでもう少し足を伸ばして見た。10分ほど先にまたピークがあった。三角点がありここが志賀山の頂上だった。ガスで展望はないが、スキーの折りに横手山や東館山や寺小屋山などから、素晴らしい眺望を経験しており、心残りはない。 同じ道を硯川の駐車場まで戻った。往復2時間10分だった。 |
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笠ケ岳(2076m) 1993.10.30・・・・日本300名山 林道七味笠岳線の途中(8.00)−−−峠(8.25)−−−笠ケ岳(8.50)−−−峠−−−林道途中(9.25)
志賀山を下山して笠ケ岳登山口ヘ移動。 登山口は笠越スキー場から五色温泉、山田牧場へ抜ける林道最高地点の峠にある。林道が開通する以前は、山田牧場か熊の場から歩かなければならなかった。今は自動車を使って林道峠まで行ってしまうと、30分ほどで頂上に達してしまう。 林道途中から積雪が残り、やがて圧雪氷化状態となった。さらに『この先崩落、通行止め』の表示、ここで道路脇に自動車を残して歩きはじめた。 ゴム長靴は極めて調子がいい。林道を25分歩いて峠に着いた。笠ケ岳登山口の看板が立っている。売店が 1軒、強風と霧の中、固く閉ざされていた。 笠ケ岳を遠くから見ると、「ドーム」という表現がぴったりで、その特徴ある山容はまさに志賀高原のシンボルであるが、今日はその姿を眺めることはできない。 峠からはそのドームの部分を登ることになる。いきなりの急登である。風も猛烈に強い。しばらく笹や潅木の間を行くが、やがて岩のむき出した険しい道となる。しかし足がかり、手がかりはしっかりしているし、危険箇所にはロープが固定されているので心配はない。岩の間に詰まってた雪を踏んで峠から25分、頂上に到着。 この山を地元の人は「かさ」とか「かさだけ」呼ぶ。日本300名山に名を連ねる名山でもある。巨岩の下には石祠が祀られている。二等三角点標石が冷たい雨と風に吹きさらされていた。深いガスで展望はゼロ。 風に追われるようにして山頂を後にした。 |
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横手山(2305m) 1993.10.30・・・・日本300名山 志賀草津道路のぞき(10.15)−−−横手山(11.00)−−−のぞき(11.00)===東京へ
寒風にふるえる雪化粧の山頂は、スキーシーズンには早く人影もない。 昔、横手山へ登るコースの一つに、熊の場から“のぞき”を経由山頂へ向かう道があった。当時、こののぞきには小屋があって登山者に利用されていたようだが、その小屋も今では立派なドライブインとなって盛業である。 のぞきの駐車場で外に出るとたたきつけるような強風だった。観光客もあわてふためく ようにしてドライブインに逃げ込んで行く。標識も何もないが、見当をつけてドライブインの真ん前から、道路擁壁を乗り越えて横手山へ取りついた。横手山は無雪期ならば渋峠からリ フトまたは自動車で、のぞきからならベルト式のエスカレーターのようなのに乗り、リフト乗り継ぎで山頂まで行ってしまう。冬ならば当然スキーリ フトが楽々と山項まで運んでくれる。観光の山と化した今、 歩く人もないのか登山道は荒れるにまかせ、崩れた土止めの丸太などに登山道の痕跡を知るのみ。 岩屑の斜面を、風にたたかれながら登っていくと、わずかな踏み跡が茂みの中へ通じていた。雪で押し倒された笹をかき分け、道を探りながら進む。リフト索道の下に出たところで道が途切れた。仕方なく索道の下を這うように登って、1支柱分行った所で運よく登山道らしい形跡を見つけることができた。 雪を踏んで心細い道をたどると、はじめて標識に出あった。矢印の一方は横手山、もう一方は鉢山を指していた。ここからは比較的はっきりした道となり、やがて広い山項の一角に登りついた 霧の中に横手山ヒュッテの大きな建物がかすんで見える。拡声機から音楽が流れている。スキーで数え切れないくらい立った山頂である。ガスで展望はないが、ここからの眺望はまだ目にしっかりと残っている。 シャーベット状の雪を踏んで渋峠方面へ数分も行くと、『横手山神社』の額のかかる鳥居をくぐり、見晴らしの山頂に出た。山頂には二等三角点や石の祠がある。スキーリフト、電波塔、観光ヒュッテと立ち並び、あまりにも人工化してしまった。 下山は薮っぼい道を嫌って、スキーのキングコースを通ってのぞきまで下った。 標高差は合わせても1000メートルそこそこの山を3座、午前中に登り終った。 |