山のエッセイ3107  up-date 2007.10.14 山のエッセイ目次へ

1500座登頂

Mさんが山頂まで持参してくださいました
50歳過ぎからはじめた登山は年齢的にも遅い方だったと思います。姿を変えたガンとの戦いのようにして日本百名山へ挑戦したのがきっかけでした。千座登頂を果たしたとき、できたら『生涯1500座』という夢を描くようになりました。

昨日(2007.10.13)山友のMさんの同行を得、1500座登頂記念として八ケ岳山系の八柱山(2114m)へ登りました。もちろん2回以上登った山もカウントとしては一座です。
私なりに数えると1500座は昨年すでに到達していました。しかし『それを一座に数えるのはおかしいよ』という異論の出る可能性もあります。ひと塊の山として呼ばれていても、複数のピークがある場合、私はその一つひとつをカウントしています。たとえば鳥海山は「新山」と「七高山」で2座、手塩岳と前手塩岳、神室山と前神室山・・・など同様の事例がほかにもいくつもあります。また逆に富士山の場合は山頂にいくつものピークがありますが、富士山全体を1座としています。これも同様の事例がほかにもあります。

    私なりの基準として次のように考えました。
    ■一等三角点の山、および三角点があって山頂をなしている山
    ■日本山名辞典(三省堂刊)に掲載されている山
    ■国土地理院地形図に山名が記されている山
    ■国土地理院地形図に山名がなくても、その地域では呼び名
      を持っている山
    ■山巓に準ずる高原、湿原、峠などで登山・ハイキングの対象に
      なっているもの

いくつかの異論があってもそれにたえられる数を登ってから1500座登頂の報告を出そうと思っていました。ということは少なくても1500を50座上回った時点と決めていました。
昨日の八柱山で1590座となりました。この数字なら多少の異論は吸収できると思います。
10年前は1500など夢のような数字でしたが、どうやらそれが実現できました。

振り返りますとベースとなっているのは日本百名山です。すべてはそこからの積み重ねでした。日本百名山志向がとかく批判を受けたり蔑視されたりする嫌いがありますが、私の場合は間違いなく日本百名山が土台となって今日まできています。

1500という数字が脳裏に刻みついたきっかけは、私が奈良県の白髭岳へ登ったとき、山頂に『今西錦冶先生1500登頂の山』というような表示があるのを見たからです。80歳を過ぎていたそうです。多くの山友、弟子などにサポートしてもらって白髭岳の山頂に立ったと聞いた気がします。
登山界の先達、著名な登山家にして1500を登るというのは大変なことだったんだなと感じたことで、この数字が記憶の中に残されたというわけです。結局今西氏は1502座登ったということです。

登頂した山は下記の『これまでに登った主な山々』をごらんください。ほとんどすべてが記載されています。