イリオモテ島旅日記4

4日目(5月2日。曇り時々雨) 南風見田〜大浜

本日も曇天。南東の風が強い。リーフで波が砕け、飛沫を上げている。
このうらさびしい浜にいるのも、つまらない。風に吹かれていけるとこまで航海してみよう。
ナビゲーションは、手元にある「離島情報」の西表島の小さな小さな地図が頼りだから、いくぶん心もとない。

外洋は大きなうねりの先が飛沫となって飛んでいく荒れ模様。
珊瑚礁に守られた遠浅のプールをよたよたと西進した。

大きな岩を越えると広い砂浜が見えてきた。
南風見田(はいみた)の浜だ。テントが何張かあった。海岸を散策する人もいる。

ここが、キャンパーの南の楽園で有名な南風見田ビーチだ。
夏は北海道で過ごした季節移動型のキャンパーは冬になると西表の南風見田にきてサトウキビやパインの取り入れの季節労働をする。 伝説的なキャンパーも多いという。昨日は疲れてて、この浜に辿り着く前に、野宿してしまったのだが、南風見田でゆっくりできたら、さぞや楽しかったろう。

寄り道したかったが、浜の先がどうなってるか知りたくてそのまま、漕ぎぬけた。浜の終わりに、シーカヤックが数艇上陸していたのを発見。海の様子や情報を聞いてみることにした。タープをはって、のんびりしている数人の男女の集団に取って置きの笑顔を浮かべて近づいた。

ハナシをすると近くの南風見ぱぴよんの一行とのこと。
天気が悪いので、本日は停滞日している模様。
そこから先、さらに西の海の情報をお客さんらしき男性二人に聞いた。

「え?いくの?これから?」

うなずいた。

「フネは?」

振り返って海を指差す。砂浜に引き上げられた荷物満載のグラブナー君がちょこん。

「アレで?」

肯いた。冗談だろうという顔付きの二人。
そりゃ、そうだろう。オレだってそう思うよ。

奥のほうにいた顔の黒いオトコの人が出てきて、サータアンダキー(沖縄のドーナッツ)をさしだした。ありがたくいただく。

「食料は余分にもってるか?」

うなずく。

「これから先もリーフの中を漕げるんですか?」

と、聞くとすこしニヤリと笑って

「いや、リーフが切れているところがあるし、ここから先は外を漕ぐしかない。
西端の岬崎もリーフで大きな波がたつ。岸からうんと離れた方がいい…」

リーフの外…。
海に目をやると、白く砕ける波の向こうに、大きなうねりがあった。

外洋がどんなに荒れても、珊瑚礁で守られたリーフの海は、三角波はた立つもののオンショアであるかぎり、安全に航行できる。この先もそれを期待していた僕の気持ちを見越したかのような台詞だった。リーフの外のうねりもさる事ながら、リーフで立ち上がった巨大な波もやっかいだ。あれをくらうと、セルフベイラー(自動排水装置)をもたない、オイラのグラブナーはひとたまりもない。

こちらの弱気の虫に気づいたのか、さらに、言葉が続く。

「あの、フネで(逆風の中をここから)引き返すのは大変だな」

僕のインフレータブルカヌーを見て、そのオトコは言った。

その通りなので、うなずいた。

さて、どうしたものか…。
行けなくはない。いや、行ける!とどこかで声がする。
6割から7割くらいの力で抜けられる海況だし、もっとひどい条件下で漕いだこともある。
しかし、それは頑丈なハードシェル、沈してもロールができるシーカヤックでのことだ。
インフレータブルでどこまで、戦えるのか…
沈してオフロ状態になれば漕ぐことさえおぼつかない。
せめてフォールディングカヤックを持ってきていれば…

逡巡しているオイラをみて、またコトバをつないだ。

「リーフを抜けるのなら、すこし戻ったボーラ口からでるといい。

もう引き潮だし、他は難しいからな」

考えている時間はあまり残されてなさそうだ。
停滞か。航海の中断か。

「岬を越す時は一気に抜けるしかない、途中は陸には近寄れないよ」

その人は、さらに経験に裏打ちされた的確なアドバイスをくれた。

この人の名前は山元さん。現地のシーカヤック・ガイドで、白鯨というシーカヤックも造っている。ハブ取りの名人としても有名な方だ。辞めろとも、行くなというのもない。

カヌーイストの野田知佑さんが、アラスカやカナダの川を旅する話の中で以前にこんな話を書かれいる。ユーコン川のレンジャー曰く、

 「この先の瀬を下ればあなたは90%死ぬだろう、

でも、トライするんだったら私が持っている全ての情報を伝えるよ。グッドラック…」

そんな会話を思い出した。
行くか辞めるか、判断するのは自分だ。他の誰でもない。。
しかし、事故が起きた場合は、捜索やイメージダウンなど、地元の人の迷惑をかけてしまう。 本来は、次元の違う話だ。が、頭ごなしにおさえつけない義に感じて、地元のカヤッカーには迷惑をかけたくはなかった。 第一、死ぬつもりなんかさらさらない。ソロになればなるほど、僕は慎重に臆病になる。
これ以上、心の迷いを、目の前にいる海の男に、悟られたくなかった。
そして、しぼんでいた勇気と、冒険心が、一気に爆発しそうなほど、膨らんだ。

追い風に乗って行けるだけ行こう。無理なら浜に上陸して風が治まるまで持つ。3日や4日なら停滞してもどうってことはない。水も十分あるし、冬山のビバークにくらべれば、まるで天国だ。もし、無理だった場合のエスケイプルートとしてクイラ浜へ抜ける山越えルートもある。歩いてなら、海岸伝いに引き返すことも可能だ。

行こう!人が住まない南西部へ。たった一人で!未だ見ぬ場所へ。

そう決めたとたん頭がフル回転しはじめた。情報を詳しく聞いた。関東からきているという二人のシーカヤッカーも丁寧に地図を示して教えてくれる。こまかな海岸線、等高線のありったけを脳裏に刻み込んで、出航。勢い気持ちが高ぶった。

なんとかリーフを越すと、大きなうねりが待っていた。
想像以上でも以下でもない。うねりのパワー。風の強さ。

うねりは大きいが、周期も大きいので、リーフの境で立ち上がる大波を上からかぶらなければなんとかなる。波に揉まれながら、ちっぽけなゴムカヌーは木の葉のように西へ流れ出した。

緊張感で、パドルを握る指に力が入りしびれそうだ。喉が無性に乾く。リーフの際を避けるため、かなり沖合いを航行していた。次々と波にのまれ翻弄される。時折崩れた波がフネの中に入ってきた。陸は遠く、波に見え隠れする。くじけそうになる心をごまかそうと大声で歌をうたった。やがて、頭の中が真っ白になってきた。

追い風を受けて飛ぶようにフネが走る。そのとき大きな波に持ち上げられ、サーフ状態になる。やばい。バウが前方の水面に沈んでいく。前方にある小さなデッキを越えて海水がくると、むき出しになっているオープン・カヌーは一発で、水が満水になってしまう。夢中でパドリングしてサーフィンする。波に負けないように。

シリーズで入ってきたウネリに、肝を冷やした時、弱気の虫が頭を持ち上げてきた。陸の方をみると、大きなウネリが、リーフの際にぶちあたり、大きな波を立ち上げていた。近寄ることさえできない。

なんという状況だ。やはりくるんじゃなかった。だが、後悔してももう遅い。
この状況をなんとかしなければ…冷静になるんだ。いつかはリーフも切れて波の立たない口がでてくるハズだ。
そのとき、前方に不思議なものが漂うのが見えた。
潜望鏡のようにちょこんと頭を持ち上げたユーモラスな姿。
ウミガメだ!

波涛の向こうにアオウミガメ!

大きなアオウミガメが波間の中で、頭をもたげで、懸命に陸地を見ている。おそらく産卵場所となる浜を探していたのだろう。こんな状況の中で、こんな素敵な生き物に出会えるなんて。

嬉しくなってくる。すぐ近くパドルが届きそうな場所ですれ違った。あっという間に小さくなる。

一方的な思い込みだが、しっかりやれよと励ましてくれているような気がした。

気を取り直して、落ち着くと波の動きとの一体感が戻ってきた。
大丈夫。僕はまだがんばれる。
不思議だ。あれだけ不安にさせられていた上下動が小さくなったような気がする。
強い追い風を受け、一路西へ。その日の出来事はまだ、序の口だったことをこの時の僕は知る由もなかった。

一時的だが、ウネリと風がおさまったのか、リーフで鎌首を持ち上げていた波が小さくなったように見えた。その時陸の浜に、フネが見えた。大きな浜に裏返してフネが置いてある。その上に、シュノーケルやフィンなどの素潜りの道具があるのが見えた。

?!

あんな所に人がいるのか?地元の少年が旅にでたのか?なんとも不思議な光景だ。
航行の調子がでてきた時だが、突然興味が沸いた。好奇心に勝てず、陸へと進路を向ける。かろうじてリーフ帯をかわし、長い浅瀬が広がった浜に上陸した。

裏返ったフネのところへいってみる。漁で使う舟というよりは、公園の池に浮かんでいるボートといった代物だった。船底に無造作におかれた素潜り道具は比較的新しい。やはり此処へ来た人がいるのだ。回りに目をやるが人らしい気配は…

いた!

200m位先に黒い塊が動いていた。ぱっとみごみ袋みたいだが、黒っぽい人がうずくまっているのだ。ちょっと驚きながらもその黒い塊に向かっていった。

わずか数メートルに近づいても、うずくまった人間は僕に気づかず、一心不乱に砂を掘っていた。その時、何かを見つけたらしくにやりっと笑った。ちょっと氷つきそうになったが、拉致があかないので、勇気をだして声をかける。

しかし、まだ、その掘り出したものをうれしそうに眺め回すだけで、僕に気づかないようだ。「ひょっとして、やばい人か…」もう一度、こんどは肩をゆっくり叩いてみた。

と、「うわっ!」その物体が飛び上がった!わいおい勘弁してくれ。

その人物はすごい格好をしていた。なんと服が黒いビニールのゴミ袋なのだ。真っ黒に日焼けした顔は皮膚の皮があちこちはがれていた。そして牛乳瓶のような眼鏡。

ことばが通じるのだろうか?緊張が走る!

その驚いた人物がまた、とたんにぺこぺこし始めた。

「いやー、すいません。すいません」

なんだかわからないが、こちらもぺこぺこしてしまう。

ちょっと落ち着いたのかようやく、まともなセリフがでてきた。

「あー、びっくりしたなー。どこから来たんですか?」

そりゃ、こっちの台詞だ!まあ、あとから来たのはオレだから、海を差した。
荷物満載のカヌーを。

「えー、こんな中、きたんですかあ?一人で?いやーすごいなー?」

「すごいって、君も、あのフネでやってきたんだろう?」

「そうなんですけどね、来たのは3日くらい前で、その時は海が穏やかだってたんですよ。それから、波が強くなってね。停滞してたんです」

「すごいねー。あのフネで…、で、何してたんですか?」

「何してたって、食料が乏しくなってきたんで、貝を掘ってたんですよ。でも、ホラ、奇麗な貝があるでしょう。その度に見とれちゃって…」

「…」

「あっ、私以外にもう一人いるんですよ。そいつと二人で、旅にでたんですが、今漁にいってるんで、じき帰ってくると思います」

西表島のサトウキビ畑で一冬バイトして旅にでたという人物に興味を持って話を聞きたくなった。カヌーを引き上げ、もう一人が戻ってくるまで、待つことにしよう。

浅瀬で、走るものがある。シャコエビだ。ヤスで突いて3匹捕まえる。まあ、彼のおかずにでもなれば幸いだ。

テントを設営し、落ち着いたところで、もう一人が漁から帰ってきた。
手には、オコゼに似た魚が2匹。
サルに良く似た風貌に、思わず笑ってしまう。

「えー、この海んなかやってきたんですか!うわー、めちゃすご。
よーし、こんなんじゃ足りんな。もっかいいってこ」

と再び漁に出撃していった。頼もしい奴だ。

すっかり楽しくなって本日は此処を、幕営地点とする。
テントを張り終え、満ちてきた潮を利用して、沖からフネを回収していると、

喚声と共に、さっきの男が帰ってきた。手には、黒鯛が踊っている。

鯛を手に大喜びの海人

水中銃でしとめたのだ。

ゴミ袋男と半漁人のへんてこコンビに、あほばか旅ハパドラーが加わってボルテージが上がる上がる。本日のご馳走が約束されたのだ。オイラもとっておきの泡盛、八重仙を一瓶提供。宴会の幕開けだ。

このへんてこコンビは、つい最近まで、サトウキビ刈りのアルバイトをしたそうな。その仕事が終了したので、思い出作りに西表島一周の航海に出発したという。南風見田に捨ててあった、公園ボートを黙って拝借したんだと。

ゴミ袋青年の方は、古海徹也といい、東京生まれの東京育ち。自然豊かな西表島に驚きと興奮の連続だと言って、牛乳瓶のようなメガネの向こうで瞳がキラキラしている。顔が中華料理で有名な周富徳に似ているので、「シュウ」と呼ぶことにする。

半漁人の魚突き名人は、新居俊輔という名で、愛媛産の若者だ。「海人(うみんちゅ)」と沖縄の漁師の名からとって渾名をつける。とにかく海が大好きな野生児だ。

若さと、好奇心の塊のような二人と一緒に過すと、こちらまでボルテージが上がってしまう。黒鯛の刺し身と、あら汁が美味い。八重仙も旨い。
思いがけず楽しい一夜になった。