第1章 南九州へ

社会人2年目のゴールデンウィーク。南九州へでかけることにした。  目的は清流で知られる川辺川と日本3大急流のひとつでもある球磨川の川下り。そして、鹿児島の錦江湾を鯛をつりながら旅をして無人島をめぐる海賊ごっこ。
 そう、これから、ハックルベリー・フィンとロビンソークルーソーになっちゃおうというのである。 へへへ。いいでしょう。


1993/4/28(雨) 南九州へ

社会人2年目のゴールデンウィーク。南九州へでかけることにした。
 目的はふたつ。ひとつは清流で知られる川辺川と日本3大急流のひとつでもある球磨川の川下り。そして、ふたつめは鹿児島の錦江湾を鯛をつりながら旅をして無人島をめぐる海賊ごっこ。
 そう、これから、ハックルベリー・フィンとロビンソークルーソーになっちゃおうというのである。
へへへ。いいでしょう。

 予算と行程、地理的な関係から鹿児島空港への往復切符を利用することにした。
 鹿児島空港から、列車で北上、熊本県の川辺・球磨川下りへ、その後、再び鹿児島へ南下して、海に出て、桜島をくるりと回る、そんな大雑把な計画を立て、横須賀を後にした。

 羽田19時発、鹿児島行の全日空のジャンボジエットに乗り込んだ時、外は雷雨。
 大揺れの嵐の中、我が機長は鹿児島にみごとにラデイングダウンを決めた。

ベルトコンベアにのせられて出てきたフネとバックを受け取る。まわりで荷物をとろうと待ち構えていたひとびとは、フネの入った大きなザックを見て驚いていた。
 えっちらおっちらと荷物を引きずって到着ロビーを出た俺に、目をとめた掃除のおじいさんがたまがっている。でも次の瞬間、こぼれんばかりの笑みをみせて
『すごいのう。これ、しょってきたんか?』
 笑いながらうなずく。

 受付のかわいい女の子に
『近くのJRの駅に行くにはどうしたらええんですか?』
 と聞くと、
『えーと、あー、もうちょっとで最終のバスがでます!』
『ひょえー、ほんまですか。それはどこから・・・』
『そこでたとこ、すぐです。』
『どーも、ありがとう』
 さっきのそうじのおじいさんが俺のバックを一つもって、
『こっちじゃ!』
 と走り出した。
 受付のおねえちゃんたちもカウンターから飛び出してきて、先導してくれる。
『これこれ!』
『もうすぐ、出発するって』
 と俺をとりまく集団が指さすバスに乗り込んだ。

 その瞬間ドアがしまりバスが動きだした。
 おじいさんとおねえちゃん達に窓から頭をさげる。
 ふうーシートにたおれこんだ。息があがっている。
 とバスはいきなり高速道路に乗ってしまった!

行き先は西鹿児島だというアナウンス。あっちゃー!いかん!それは逆方向だ!
 今回の旅はまず熊本の川辺川、球磨川をカヌーで下って、それから鹿児島湾で海賊ごっこ、という予定なのだ。だからとりあえず近くのJRの隼人駅から北を目指そうとしていた矢先、南につれていかれてしまっているというわけだ。

 一時間走って西鹿児島に到着。
 そこは・・・夏だった。
 外に出たとたん汗がふきだした。Tシャツ一枚になるが、まだ暑い。たまらんなあ。
 熊本方面行きの最終列車に乗る。 鹿児島湾の北に位置する隼人どまりだ。
 列車の中で陽気な酔っぱらい集団といっしょになった。談笑。
 その人たちが降りていったあと、僕の手には缶コーヒー、たばこが残されていた。
 うーん。おもしろいところだぞ。鹿児島(ここ)は。
 隼人駅のベンチで眠りについた。ここから鹿児島空港へはタクシーでちょいである。
 とほほ。おやすみ。

4/29(雨のち曇り) 川辺川へ
 隼人駅から始発列車に乗って出発。一路、球磨川中流部の城下町、人吉を目指す。
 列車は九州山地を縫って走った。 緑のトンネルの中をゆっくり登っていく。
 昨日の雨で木々は濡れ、幻想的な世界にまよいこんだようだ。
 遠くにもやがかかった霧島連峰が見える。
 吉松で人吉行きの列車に乗換え。乗換え待ちに3時間もっかかった。
 単線で人口の少ない山間部を走る肥薩線は列車本数が少ない(1日5本!)。
 吉松駅の待合室に囲炉裏をかこんだ畳直があったので横になる。
 昨日の疲れと睡眠不足のためすぐに眠りに落ちた。
 ふと目覚めると人吉行きの列車がホームに入っていた。荷物といっしょに乗り込んだ。
 途中、二度ほど列車が後退。きつい傾斜を登る時に用いられるスイッチバックだ。
 鹿児島、宮崎(ほんのちょっとだけ)の県境を越え列車は北上。熊本県に入る。
 列車は山間部をぬけて人吉盆地にでる。球磨川を渡った。
 昨夜の雨で増水しているのか、茶色の濁流で、両岸の川原はみごとに水没。

昼前に人吉に到着した。
人吉の町中で球磨川に2つの支流が合流する水の町だ。
 荷物をバス停においてブラブラと探索にでた。
 駅から真っ直ぐ歩いて球磨川へでる。人吉橋から一本上流の大橋は中洲の大きな島(中島)をまたいで延びている。中洲に2、3テントが見え、絶好のキャンプ場となっている。橋の中ほどから下りることができる。車でも河原へ下る事が可能だ。

 上の方から、人を満載した川舟が三隻流れてきた。
 有名な球磨川下りである。日本の中の激流下りにおいて、その迫力、距離は他の追随を許さない。小さい舟に人がわんさとのっていて弁当なんぞを食べたりしている。ちぇ!イイナー。 川を越えて人吉城跡へ。アヒルが草原で寝ていたり、翡翠(カワセミ)が飛び回ったりと、素敵な場所だ。雨上がりで誰一人みかけない。一人で瑞々しい新緑の森を楽しむ。幻想的な木立の中でやわらかい一時を過ごした。
 本日は人吉で滞在する予定だったが、天候が回復しそうなので、急遽変更して、川辺川に向かおう。早く出発したくて身体がムズムズしてきた。

バス停で川辺川方面の発車時刻を確認するとあと1時間以上もある。
 ひと風呂あびることにした。人吉は温泉の町だ。町のいたるところに温泉公衆浴場があって料金は一律300円。駅前の銭湯に入浴。

 食料を調達してバス停に戻ると五木方面行のバスに乗り込んだ。
 途中で元気のいいガキ共がのりこんできた。バスに飛び乗った瞬間、車内を駆け回り、蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。

 落ち着いたガキたちははやくもオレに目をとめ、好奇心いりまじった視線を飛ばしてくる。オレはニヤリと笑ってこのガキどもにチョコボールを貰ったりしながら遊びはじめた。まだまだ、カヌーでの川下りは珍しいらしく、でっかいザックにフネがちゃんと入っていて、その組み立てたフネで川辺川を下っていくのだというとたまがるたまがる。
 上田代のバス停でおりる時には、ガキたち10数人がバスの後ろに集まって手を振ってくれて、まるで映画のワンシーンになってしまった。大照れ。

 橋を渡って右岸でフネを組み立てる。今回使用する船はクリーンテックスジャパン製のファルトボート『バジャンカ』。
 船名は我が青春のアルカディア号。コバルトブルーの船体布にウッドの骨組み。
 全長4メートル。全幅65センチ。重量17.5kg。
 遠方の川下りに使っている。
 

パジャンカは学生時代の超貧乏な時に購入したフネで、一番の古株だ。そのぶん想い入れが強い。当時は寝ても覚めてもカヌーのことばかり考えていた頃で、カタログを眺めてはいっこうに増加しない貯金通帳の残高を見ては、ため息をつくという日々を送っていた。
 ある日、あまりにもしげく通ってためにすっかり顔を覚えられた行きつけのアウトドアショップの店長さんから、
『新しいフネ入ったよう〜、展示用のやつ、組み立ててみる?』

 と神様の声がかかった。
素直に組み立てさせてもらったのが、パジャンカ(アルカディア号)だった。 そのカッコよさに感動し、その場で購入(もちろん24回払い)し、完成させたまま店長さんとで200メートル離れた僕の部屋に運び入れてしまったという経歴を持つ。

 部屋を占拠したパジャンカのコクピットに座って、世界の海や川を行く雄姿を心に描いて興奮したものだった。コックピットで過ごした時間が、就寝兼ゴロ寝用の万年ブトンの次に長かったのはいうまでもない。
 コーヒーをカップで飲んでニンマリしたり、はてはパドルを取り出して、ロールの
真似事したり.....
 あの、ニヘラニヘラ笑いと恍惚となった姿を誰にも見られないで本当に良かった。
 その後、那珂川、大洗海岸、長良川、十勝川、釧路川、四万十川、三浦半島と僕と行動を共にしてきた相棒だ。フェチズムと笑わば笑え。たかが道具じゃないか、はいはい、そのとおりでおます。だが、このアルカディア号は僕にとってのトチローなのだ。かけがえのない友だ。この傷はあの瀬でやられたな、などと声をかけなが組み上げる。(やっぱちょっとキモチ悪いな)

川辺川は球磨川水系最大の支流で、平家の落人で知られる五家荘の国見岳が水源で、五木の子守歌で有名な五木村、相良村と南流して人吉市との境に近い相良村柳瀬で球磨川と合流する。

足下の川辺川は降り続いた雨のために増水し、土色の水が轟々と流れていた。
 山深い谷間のこの場所はもう太陽が、山の影に入ってしまい急に暗くなりはじめた。
 さあてどうしたものだろう。出発か?野営か?
 行く手にも大きな瀬が待ち受けまるで洗濯機のように渦を巻いている。
 いけるんじゃないか?冒険心が沸き上がってくる。こうなるともう止まらない。

出発することにした。

 右に曲がりながら落ち込む瀬、ホールにはまってしまう。
ファルトで飛び込みをしたかのようだ。揉まれながらパドリング。四方、上から波が落ちてきた。

やっとのことで、ホールから吐き出されると、スプレースカートが打ち抜かれてコックピットはお風呂状態になっていた。 シーソックのおかげで助かったものの荷物満載でこれではなあ。

 水だしのため、北相良中学校裏の河原にヨタヨタと着岸。
 谷なので、もうすでに薄暗い。このグレードでの川下りはこの暗さでは危険が大きい。
 今日はここで野営。本日の漕行500メートル。それでも川辺川に揉まれた体と心 はウキウキだった。明日がまちどおしいぜ。おやすみ川辺川よ。

4月30日(晴れ)川辺川 田代〜柳瀬 13km

 5時に起床。早寝早起きが川旅単独行の基本だ。時間に追われる分きざみの現代生活に鈍ってしまった身体を太陽とともに寝起きする健全な身体に戻さねばならない。

 夜明け前というのは一日で最も神秘的な気分にさせられる時間だ。

 黎明の中、霧の立ち込める川面をながめながらコーヒーを飲む。頭の奥の奥まで、大気の気配が満ちてくる。

 土手を上がって中学校のグランドに出た。掲示板に
『萌えいづる自然の息吹と共に、希望と夢を胸にいだいて、早く中学生活に慣れよう  −北相良中学校− 』

 とある。新入生用の訓示らしい。

 『中学』の箇所を『川旅』に置き換えて大声で朗読。

 川辺川の水は昨日の濁りは見事に引いてダークブラウンからグリーンの川に変身。
 水位も1.5メートル低下。それでも水量はまだまだ豊富だ。
 暖かくなってからのんびりと出発した。
 すぐに連続した瀬が現れた。波が高く怒濤のように頭上から落ちてくる。突破すると、またまたスカートをぶち抜かれていた。2年間耐え抜いたスカートはよれよれで、ゴムもいくぶん緩んでいてこのレベルでも使いものにならない。ゴムをきつくして、再びスタート。左岸から取水されていた水が戻ってさらに水量が増加。
 波のパワーが力強い。天気もよい。暖かい。水もつべたい。
 Tシャツに海パンだもんな。水が綺麗だ。風も気持ちいい。

 最高だぜ、川辺川!

『うげあ!』

 1メートル程の落ち込み。白い波の中へ。バウが水中に潜り込む。

 浮上すると前方に大きな岩。かわす。また落ちる。また水中。白い世界。プファー。

瀬を抜けるとアルカディア号はかろうじて浮いていた。橋下に上陸して昼飯にする。
 紅茶を煎れ、パンにキュウリ、ハムをはさんで簡単なサンドイッチをつくる。
 腹を満たして再び出発。1kmほどいくと川が右へ回りこんだ。すると前方から
『どおおお〜ん』

 という地響きが聞こえてきた。川辺川最大の瀬、廻の瀬だ。
 うひ〜、いよいよかあ〜。しかし、地図によると手前に堰があるハズ,,,
『!!!!!!!』
 いきなり前方の川が無くなった。
 パドルが宙をかく。船底を擦る嫌な音。そのまま1m垂直に落ちて白い波の中へ。
バウが水中に潜り込む。堰堤を落ちてしまったのだ。増水のため水がオーバーフローしていたのと、廻の瀬の轟音に書き消されて堰の瀬音に気付かなかったのが原因だ。
 前方の中洲につけてる。轟音はさらに前方から聞こえてくる。

長い中洲を歩いて偵察にいった。おお、あるある大きな落ち込みだ。下流側から見ると、まるで小さな滝のようだ。2m程落ち込んでホワイトウオーターのストッパー波を巻き上げ、さらに1m落ちて大岩に流れが激突している。
 むーん。どうするかなあこりゃあー、まあかわして漕ぎ抜けるだけならなんとかなるかなあ。引っ掛かるとヤバイな。

 まあ、よかろう泳いでも大丈夫。せっかく九州まできてこの素敵な瀬をポーテージ(回避)するのはもったいない。いっちょ波にまれてやろう。
 引き返してスタート。3分流している中で最も水量のある真ん中を選ぶ。瀬の核心に至る箇所も傾斜が強く、瀬が連続してある。視点が低い上に瀬に揉まれたため、前方の視界が狭い。 核心部の目印にしていた右分流が滝となって合流してきた。
 よしここからだ。とにかく漕ごう。ジエットコースターのように落ちる。
『うひょひょひょひょ〜!オラオラオラオラ〜!!』

 白い波に突っ込んだ。瞬間なにも見えない。ストッパーを突き抜けると目前に大岩が!
そこに向かって落ちてゆく。夢中で漕いでギリギリで大岩をかわした。
『やったー、どんなもんでい!!!』
 自然、ガッツポーズがでてしまう。(これも見られたくない絵だなあ)
無事クリアー!やったぜ!

 接岸して、堰で傷めた船底を補修しながら
『ありがとう、アルカディア!ム〜ン、チュッ、チュッ!』
 と感謝のくちずけ。(実はインナーチューブに空気をおくっているのです)
『よせやい、くすぐったいよ〜』(とアルカディア)
 もう病気の世界。
 これより下流は穏やかな流れで、爽快な瀬が連続するのんびり川下りとなる。
晴れわたった空の下、緑の森と草原の中を川は軽快に流れた。
 とっておきのビールが上手い。付近の家々の鯉のぼりも元気よく泳いで、僕に笑いかけてくる。紫の花が風に揺れている。爽やかな初夏の風。順風満帆。