第2章 清流、川辺川

境田橋で、出会ったミズガキ達
水からあがってくるガキたちの得意げな顔がたまらない。
 やつらは、そこでたまがってアゴが胸につくほど口を開けた俺を見るハズだった。  そう。だった...である。
 現実には、なんとカヌーに乗って流れてきた男はニヤリと笑ったのであった。


相良村深水の境田橋をくぐると右岸に5、6人の子供達が見えた。
 小学校高学年ぐらいの年齢だ。
 全員、上半身ハダカで、海パン(いや、川だから、川パンか?)いっちょうだ。
 そのくりくり頭たちがそろってこちらを見ていた。
 手をふってやる。と、ふりかえした。
 うーん。なんかよいな。ちかよることにする。ガキ共はちょっとあわてた。
 接岸させて声をかける。
『よおー、こんちわ!』

『う、ん、こんにちわ、わー、ちわー』
 そろわない返事が帰ってくる。

『なにやっちょるんじゃあ〜、おんしらあ〜?』
 ありゃりゃ、口からでたのは変形土佐弁である。
 1月前に3週間かけて四万十川を旅した時にうつった癖がいきなりでた。

『泳いじょるとー』
 中の一人が答えた。変な奴がきたなと警戒している。
『つめたかないんかい?』
 と聞くとひとりがはにかみながら、
『冷たかー!でも泳いじょる〜』
 あまりにおもしろいガキ達なので、写真でも撮るか。
『撮ってええか?』
『あー、もう一人おるー!!』
 と下流の方を指差した。下流の河原ではらばいになって甲羅干していたのが、ムクリと起き上がった。筋肉モリモリの逞しい少年だ。
『よう!』
 と声をかけると、ペコリと頭をさげた。

『ええからだしちょるなー、おんしゃー、柔道かなんかやっちょるがか?』
『ん〜ん。陸上!』
 俺の隣に別のひとなつこい可愛いのが来たので、 あたまグリグリしながら、
『おまんも、こんくらいならないかんぜよ!』
 とやる。 聞くと、学校の帰りにみんなで泳ぎにきたとのこと。まだ4月だぜ。いやはや。 4月から10月まで、7ヵ月間は川で泳ぐという。1年の半分以上だ。 すげえなあ、南九州は。
 一団がアルカディア号を取り巻いてツンツンやりはじめた。
『すげえだろ?カヌーちゅうが、知っとるか?』
 と声をかけると、一人が頷いた。
『うん、知っとる〜』
『乗ってみるがか?』
『うん』
 答えたチハルという少年を乗せて上流に引いていき送り出す。

『ひっくりかえったらな、わーっといえ!そうりゃ、わしがフネを助ける。
 おまんは、適当に泳いで岸へあがれ』
 上手いものではやくも流れの中でフネを自在に操り、対岸に渡ったりしはじめる。
 それについて群がるように残りのものがを泳いでアルカディアを追いかけた。
 次から、次へ交代でカヌー遊び。疲れるとカヌーに掴まって一休みしている。
 身体が冷えると河原に上がって石の上に腹這いになって暖をとった。
 オレもマネして腹這いになる。うーん。あったかい。

 ビールを煽りはじめた俺の袂に2人ばかりやってきた。まだ上級生ほど泳ぎが達者でないのだろう。名は、可愛い感じの方がユウスケ、線が細くモジモジしいてる方がシュウサクと名のる。はにかみながらいろんな事を聞いてきた。
 そのとき、
『ヤルカ!』
 と泳ぎをやめ岩を抱いていて暖をとっていたキンニク隆々のタケシが声をあげた。

『ヤルヤルー!』
 猿のようなチハル、ひょろっとしたニシが呼応する。
 テケテケテーと土手を攀じ登り、道路をとってってーと渡って、川の上に掛かる境田橋に駆けあがった。川面からの高さは約12m。恐ろしく高い。
 上から川をのぞきんこんで、打合せをしている。
 なんだ、なんだ度胸だめしか?次の瞬間、

『キョエエエエエエ!』
 奇声を発してタケシの身体が宙に舞う。
 三秒後、川辺川に水柱が立った。
『うおおお、すげええ!!』
 俺の感嘆の声に取り巻きのチビスケ達のシュウサク、ユウスケが自分達の手柄のように、胸をはって小鼻を膨らますのが可笑しい。
『よし、写真を撮ってやろう』
『ええ〜!ホント〜?』
 シュウサクが続いて飛び込もうとしている欄干上のチハルとニシを押し止める。
『まっちー!こん人が、写真ば、撮ってくれると〜!』
 防水カメラを取りにアルカディア号にいくと、飛びこんだタケシが丁度川から上がってきたところだった。

『やるなあ』 と感心すると
『へへへ』 と照れ笑いのタケシ。
 こいつも小鼻がフクラんでいる。よいなあ。うれしくなる。
 カメラを構えて合図を送る。ファインダーの中のニシが舞い上がった。
『しぇええええ〜!』
 と叫んでシエー(知ってる?)のポーズ。 ドッポーン!
 つづいてくチハル。
『ウキ〜!!!』

 と叫びながらなーんちゃってのポーズ。動きまで猿だな、あやつ。ドップーン!

はじめてこれを目にした人は我が目を疑うことだろう。その写真が手元にあるが、どう見ても身投げに見える。これと同じ光景を目にしたことがある。
 そう岐阜県郡上八幡の吉田川に飛び込むミズガキたちだ。
 嬉しいことに川辺川にもミズガキが生息していたのだ。
 ミズガキ達にとって橋からのダイビングは通過儀礼の一つで、これをできる事で、仲間から一人前の男として認められるのだ。

 水からあがってくるガキたちの得意げな顔がたまらない。
 やつらは、そこでたまがってアゴが胸につくほど口を開けた俺を見るハズだった。
 驚き顔の大人の姿を見て、どうでいっと胸をさらにそらせるハズだった。

そう。だった...である。
 現実には、なんとカヌーに乗って流れてきた男はニヤリと笑ったのである。
『おもしろそうだな?どれ、ワシもいっちょうやってみるか!』
 ガキドモは騒然。傍らのユウスケ・シュウサクは俺を見上げて、
『大丈夫なの?』
 と標準語で聞いてきた。よほど驚いたのだろう。
 笑って頷く。心配顔のユウスケとシュウサクに
『おまんらもいくか?』
 と誘うとちょこっと困った顔をして、
『ワシらまだ、とべん〜』
『そうか、がんばってとべるようになれよ』
 頭をグリグリやって立ち上がった。
 それまで、探るような眼差しから尊敬のキラキラ瞳に変わるのを俺は見逃さない。
『とぶと?ほんま〜?』
 とユウスケ。頷いた。
『こわいよ』 頷いた。
『高いんだよ。上にいくと』
 飛びにいって尻込みした経験が何度かあるのだろう。
 笑って頷く。実は僕も経験している。郡上八幡吉田川。
 学校橋の欄干につかんで跳ぼうかやめようか30分も逡巡したことがあるのだ。
 おまえの気持ちは本当によくわかるよ。ユウスケ。
 オサルのチハルにつれられて橋の上に上がった。
 先に来て橋の上で、車をやりすごしていた、タケシとニシに声をかける。
『おう、ワシも飛ばしてもらうき』
『ホントスか?』 とタケシ。
『ああ、どこから跳ぶんな?』
『ココ、ココが深いとデス』
 なんかオレに対する接し方が変わったようだ。
 下を覗く。轟々と川辺川が流れている。
 が、遥か下である。ちいーと高いな。
『飛び込む時はどうすねばいいんじゃ?』
『うーん、コウ!』
 ニシがキヲツケの姿勢をとり、あごをクイッと引く。
『えーと、水に入るまではどんなカッコでもええと〜、ばってん、
 入る時はこうやって身体に手をつけてキヲツケせんといかんとです』
 ニシを見ながら大将各のタケシが飛び込みの注意を教えてくれる。
『ほうか』
『そうでえす。ほいで、グッとアゴを引いて、川を見るとです』
『ほうか、見るがか?』
『最後まで見んととです。怖がって上見るとあかんとです』
『ふ〜ん。なんであかんが?』
『よく、わからんけどそうするとです』

 水に入る瞬間はアゴを引いて身体を固くしろというのだ。
 それで、みんなポーズの後、飛び込む瞬間にその姿勢をとっていたのか。
 たいしたもんだ。しっかりしている。
 この高さで、足から飛び込む場合、あごを引いていないと、ムチウチになったりする。(この夏、郡上などで飛びこんでやろうと計画中の諸氏は気をつけてね)
 大きく頷いて飛び込んだ。

 水に受け止められる。気持ちの良い感覚。気泡にかこまれながら、明るい水面に向かって浮上。橋の上にクリクリのボーズ頭が三つ心配そうに並んでいた。
 大きく手をふってから背泳ぎ。残りのメンメンも次々に落ちてきた。
 川の上で泳ぎながら笑いあう。
 ドロンコ遊びに切り換えたガキドモと別れて出発することにした。
 少年は少年の世界に。青年(ワシのことね)は青年の旅へと戻るときだ。
 岸辺で手を振るワンパクども。ひょうきんチハルが追いかけてくる。
 またまた映画のワンシーン。泣けるぜ。さあ、ゆこうアルカディア号。

再び川の旅人へ。川辺川の濁りがどんどん引いていく。浅瀬では川底の小石がはっきり見ることができる。 左岸から勢いよく滝が落ちてきた。フネを着け水浴び。
 澄み切った水。爽快な瀬。緩やかな淵。心踊る初夏の風。吸い込まれそうな青空。
 川の上の解放感が気持ちいい。五感が鋭敏になり、岩で甲羅干ししているカメや風にそよぐ草木、生きとし生けるもの全てが表情豊かに僕の中に入ってくる。
 会心の川旅だ。これだけ水量が豊富できれいな川は日本にはもはやいくつもないのではないだろうか。この川辺川を求めて九州各地からカヌーイストがやってくる。
 この川と戯れるパドラー達の笑顔は少年少女のそれだ。九州人の心優しい気質もるのだろうが、実に人懐っこく優しい。話をすると、この川の讃歌になる。九州でも屈指、嫌、唯一のゲレンデだという。この川について語る時、みんながみんな、最後は暗い顔になる。その未来を思い描いて暗澹たる気持ちになるのだ。

この川辺川が死んでゆこうとしている。悪名高き川辺川ダムの建設が原因だ。
 川辺ダム、その言葉が、清流川辺川を愛してやまない人々の上に重くのしかかる。
 川辺川の東、球磨郡の高原(たかんばる)台地の向こうに流れる球磨川本流が流れている。球磨川本流の上流には貯水量4000満トン級の一房ダムや幸野ダムがある。一房ダムができてからの、源流から、川辺川との合流点相良村までの球磨川本流の歴史はいかに川は滅びるかをわかりやすく検証した川の滅亡史だ。

 そのまま未来の川辺川がたどる姿なのだ。一房ダム下流から相良村で、川辺川に合流するまでの流れはとても清流などとよべたものではない。
 川辺川の流路延長は61km、流域面積は533km2 は合流前の球磨川本流の49km、485km2 をいずれも上回っている。つまり、水量の多い川辺川の水が実質の球磨川本流なのだ。そこにダムを造ればどうなるか?
 子供でも分かる。川辺川と球磨川は日本のどこにでもある普通の川へなってしまう。顔をつけておよぎたくないドブ川へと変貌するのだ。

 人吉の観光の二大柱の球磨川下りと日本一の大鮎は廃れてしまう。
 川が壊れててゆくメカニズム、また誰が川を壊すのかを知りたければ、福岡賢正氏の『国が川を壊す理由』(葦書房 定価1550円)をご一読されたい。
 答えが題名にあるけれど(笑)これを読んだ上でダムの有用性を説くヤカラがいれば、またその人間が行政を握ってるならば、日本は先進国でもなんでもない。
サルの国だ。それを許す僕等もサルだ。国がやることで悪いことは悪いよと言うこができないならば、人間としての個人としての誇りはどこにあるのだろう。
 カヌーが好きで、川旅が好きで、自由が好きで、人と出会うのが大好きで...そんな僕をにわか環境論者にさせてしまう原因は何なのだろう。
 知れば知るほど高まる怒りは何故なのか。
 握りしめた拳はどこにふりおろされるべきか。

左にカーブすると遠くに柳瀬橋が見えた。信号機もあり、補給がききそうだ。
 既に消費してしまったビールに思いがとんで喉がなる。
 突然左岸からでいるラインに気づいた。鯉の吸い込み釣りだ。大きく迂回。
左岸に船首をまわすと心配そうなおじいさんの顔。
『すいません』と心の中で謝って頭をさげた。

 するとニッコリ笑って、顔の前で小さく手を振ってくれた。
 かまわない、かまわないと言ってくれているようだった。
 その笑顔に魅せられて、少し下った所でフネを岸につけてそっと近寄っていった。
 単独行の常で人恋しいのだ。笑顔を見るとついよっていってしまう癖がついた。

『こんにちは。鯉ですか?』

 と声をかけると照れたように笑って頷いてくれた。
 共通の話題があると話も弾む。しばし、おじいさんの武勇伝を拝聴する。
 上げきれずに川に胸まで入ってしとめた大鰻や大鯉の話を身振り手振りだ語ってくれた。しまいにはコレはワシの秘伝だが...吸い込みの極意を教しえてくれる。
 カライモに鯉エサをねりこんで固める方法や吸い込みバリの仕掛け方などなど。
 有用な知識を由緒正しい熊本弁で説明された僕には3分の1ぐらいしか理解できなかったけれど、大変おもしろかった。

 川辺川の礼讃のあと、ふと地元の人はダムについてどういう考えなのか聞きたくなって、話をふってしまった。それまでの、誇りにあふれたおじいさんの顔が、急に悲しいそうな表情に変わった。しまった!どうやら僕は触れてはならないものに触れてしまったようだ。後悔したが、すでにおそく...気まずい沈黙が流れた。
 川をみつめたままおじいさんはポツリ、ポツリ、語をついでいく。

『ダムはまだできちゃおらん。今、ダムに沈む旧道の代わりになる道路をつくって
 おるよ。あれができてからになるんじやろの。ダム本体の工事は。
 山の遥か上の方に立派な道路を造っとてな、あげなとこまで沈むんじゃろなあ...
 みんな子供の頃からこの川で育ったもんばっかりじゃ、ダムなんかでけてよかと
 おもっとるやつなんかおらん。ばってん、工事にいくと金が貰えるんじゃ。
 わしら、孫たちが帰ってきてねだられてもあげられるもんがないと、嫌々ながら
 かよっとるやつが多いな』

 それまで、川と釣りのことを目を輝かせて語ってくれたおじいさんが小さくなってしまったように感じた。凄く悲しい。ふと気付くとすっかり辺りは薄暗くなっていた。

『今日はボーズじゃ』

 照れ笑いを浮かべて太いミチイトを空き缶に巻き取っておじいさんは帰り仕度を始めた。自転車をおしながら、何度も僕を振り返りながら去っていく。
 歩いて柳瀬橋にでるとガソスタンドとスーパーがあった。食料を補給し野営。
 焚き火を起こしウイスキーをあおる。沈んだ気持ちが戻らない。
 久々にウイスキーの苦さが喉にこたえた。昼間出会ったミズガキ達の顔が浮かぶ。

 日本の川が健全だった頃、川は子供達の遊び場だった。

いまの日本の失われた川でこの川辺川のような光景を見られるとろがどれぐらい残されているのだろう。かれらの遊び場はどうなってしまうのだろう。

チハルが、
『轟々流れる川も好きやけど、水が少ない時がもっと好いとー、橋の上から川底まで見えっし、魚もいっぱい見えると〜』
 と言っていたのを思い出した。
普段の時はもっと澄んでいるという川辺川の実力。
 おとしより達の誇りや心の支えも川辺川とともに滅びようとしている。
『人にはお金にかえてはならないものがあるんだよ。かけがえのないものが..
 お孫さんにはお金じゃなくてこの川を残せばいいんだよ。お金は右から左に消えていくだけだよ。この素晴らしい川を孫や、曾孫、僕等の子孫に残せばいいんだよ...おじいさん.....』
 焚き火の上に雨粒が落ちて来た。炎が消えるまで雨に打たれ続けた。