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第一話 憧れの長良川へ

僕を男にしてくれたこの素晴らしい川を僕の大切な仲間たちに見て、触れて、味わってもらうため・・・・ オレは仲間たちと長良川へと旅立った。

第一話「憧れの長良川へ」

長良川は全長165キロ。アユがはね、サツキマスがのぼり、川人が集う。
 日本の川が失った『自然』がここには残っている。日本の川の原型がここにある。
 この川を知らずして日本の川は語れないだろう。
 人と川との理想的な関係がまだ存在している。

相生付近の長良川

日本中の河川が、貪欲な土建屋、強欲な政治家たちの手によって、あの手この手で踏みにじられていく現代において、日本のど真ん中に位置しながら本流にダムが造られていない自然の川なのだ。これだけ大小様々な川を有する日本において、もはや釧路川と長良川のたったふたつしかない。

川の厳しさ、楽しさを僕に教えてくれたのがこの長良川だ。(この川について語る時、オレから僕に一人称が変わってしまうな)だが、この日本で最後の夢のような川が死んでいこうとしている。
 有名な長良川河口堰がその原因だ。 このことに関しては、カヌーイストの野田知佑氏、アウトドアライターの天野礼子氏、ジャーナリストの本多勝一氏らの著書をはじめ、各種報道紙上に詳しいのでふれないが(本当はふれたくないのだ、はらだたしくてやるせなくなる)、1995年の春、工事は完了する予定で、すでにその影響が随所に現れはじめている。また、上流部での開発もそれに拍車をかける形でこの、残された川をよってたかって傷めつけている。 今回の川遊びはその失われつつある長良川との最後のふれあいとなる可能性が高い。

僕は長良川へ行くと考えただけでコーフンする。ムショーにアツクなる。 実際に行くときまった前夜はドキドキして眠れなくなってしまう。 だから行くときはかならず徹夜で向かうことになる(笑)。 子供みたいで恥ずかしいはなしだが、大好きで大好きでたまらない人に会いにいくのに似ているんだ。そんな美しく、気高く、清らかで、逞しい乙女のような長良川が汚され、踏みにじられていくのは許せない。ガマンできないよ! そんなのほったらかしにしていて、指を加えてみていてお前はそれでも男かよ、キンタマついてんのかよっ!と自分が惨めになるから極力考えないようにしている。本当になさけない話だ!!

反対の署名をすることや周りの人にそのバカさかげんを説明することなどではとても追いつかない。反対運動の旗手、天野礼子さんに手をあわすだけでは恥ずかしいかぎりだ。  でも・・・・それでも、長良川なのだ!

別れを告げるため、失われていく姿をみとどけるため、そして僕を男にしてくれたこの素晴らしい川を僕の大切な仲間たちに見て、触れて、味わってもらうため・・・・ オレは仲間たちと長良川へと旅立った。 だから気を取り直して楽しいことしか考えないことにしよう。 ほんとうはズルイけど・・・

1993 SUMMER 8/14(雨)
 13日の深夜、正確には14日の午前2時、横須賀の
オレの部屋に、ハリゲーナゲーたてちゃんBOYが集まった。ひさびさの再会を喜びあう。テンションがあがったまま車2台に分乗して一路、長良川の上流部に位置する郡上八幡をめざす。
 空はあいにく荒れ模様で郡上八幡にたどりついた時はどしゃぶりになった。 郡上八幡は独特の面白さをもった町だ。 川と魚と踊りを中心に時が流れている不思議な場所だ。 僕がはじめてこの町にやって来たとき、町中を流れる吉田川に、数え切れないぐらいの魚がいるのに、ぶったまげていると、とおりかかった親父が

『あんなん雑魚よ、雑魚。アユでないとあかん、アユはあんなにオランぞ!』

と自慢げにいったのをよく覚えている。
 ふんふん関心して話をきいていると、その少ないアユをいかに自分が釣るのがうまいか自慢話になったのには笑ってしまった。 ここは町中の人が川を眺めて暮らしている。一日に何度か川に足をはこび、川の水量や魚について何時間も談笑していく。

だからして、河原にはった僕のテントはトーゼンみんなの目に止まり、たちまち町中の人々の知るトコロとなるという図式が成立してしまうのだ。かっこうの話題のタネだったらしく買い出しにいくと、必ず「キャンプしている人ね」と、おまけ(生きているマゴイなんかもあった!)をもらった。

川を見下ろせる場所に病院があり、車椅子の患者さんが川をよく眺めにくる。 川に面した宿屋や旅館が無数にあり、部屋から川が眺められるつくりになっている。 すべての中心に川がある。本当にて素晴らしい町なんだろう。 八幡は水がきれいだから美人が多い?ともっぱらいわれているのも、書いておくとこれを読んでいるヤツがクヤシガルので付記しておこう。

大阪からのもやん、滋賀からシュウサクがやってきた。めでたく七人の侍となる。

雨足は相変わらず激しい。とりあえず、吉田川にかかる新橋下のほとりにテントを設置した。普段なら、澄んだ水が緩やかに流れ、魚たちの群れ集う吉田川も、このところの豪雨で増水し、一面真っ白なホワイトウオーターと化していた。逆まく波しぶきをあげ、豪快に岩をえぐる。龍のアザトのように天空にむかって波が吹き上げていた。 玉砂利の河原はすべて水没。テントサイトは橋げたそばの草っ原である。

鮎、アマゴと戯れる水あそびを期待してきたオレたちは、激しい雨と冷たい水に震えあがってしまった。泳ぐ気にもなれなず、すっかりでばなをくじかれたかっこうになる。隊長のオレ、炊事班長のハリゲー、潜水班長ののもやんのラッキーマントリオと晴れ男のBOYの力をもってしてもこの夏の異常気象には太刀打ちできないようだ。

ろくに寝ないで高速道路をぶっ飛ばしてきた疲れと、そぼふる冷たい雨にやられたオレらは、BOYをのぞいて、早くもオヤジ化しはじめた。横になってビールをあおったり、ヒルネにふっけったりとどうにも元気がない。うとうとまどろんでいると夕方になってしまった。

八幡城に散歩にでかけたハリゲーナゲーの姿がみえない。

ビールのナゲーハリゲー

残ったものたちで、またまたボーっとしているとお祭りの気配が伝わってきた。 頭上の橋をカランコロンと下駄の音が行き交う。
 
オレたちが楽しみにしていた郡上躍りが始まろうとしているのだ。 お盆の間は朝まで躍りつづける徹夜躍りとなる。 老弱男女を問わず、一年のうちのメインエベント、人生の喜びはまさにここぞとばかりに、街中がおどり狂う。

最初にこの郡上八幡を訪れたのは3年前の夏の同じ時期だ。
 そのときの光景は今もまぶたに焼きついている。

川で遊びつかれ、泳ぎ疲れたあとのビールのうまさにほんわり酔っぱらっていると、 どこからともなくお囃子が聞こえてきて街は踊り一色に染まっていった。 そこでオレは不思議な夢のような光景を見た。 うなじの眩しい浴衣すがたの少女が、お母さんと並んで踊っている・・・ 徹夜で朝まで・・・そんな幻想的な光景が古い町並みとあいまってもう物語のなかに迷い込んだみたいだった。

屋台の匂いにつられて、腹減りまくりのオレたちはたまらず上界に這いだした。

小雨の中を艶やかな浴衣に身をつつんだ若い娘たちが、カランコロンと下駄をならして歩いていく。そりゃあもうそりゃそりゃなのだ!(なんじゃあ、そりゃ!)

BOYの目が獲物をねらうコヨーテのようにキラリと光る。それにくらべ、三十路に近づいたオレのもやんたてちゃんシュウサクのそろそろ、オジサン一歩手前軍団は、美しい娘さん達を眺めるだけで幸せな気分になって、鼻の下が伸びている。こんなところにもオヤジ化現象があらわれてるぞ!

古い街並みと流れる瀬音があいまって、キブンはもうキヨクタダシイ日本の祭り、しっとり雨の慕情編みたいな様相を呈してきた。次から次へと湧いてくる浴衣姿の若い娘たち(コレばっかし)の若草のような色香にひかれつつも、ぎゅるぎゅるハラヘリには勝てず、先ずは腹ごしらえ。ビール、ビール、ビールだあ〜!!!

花よりダンゴだ!ここらへんは我がオラオラ隊の切ないくらい清く正しい。 すばやく飲み屋でビール、焼きそば、お好み焼きで腹を満たした。はやくもほろ酔い気分のオレたちはおそろいの郡上八幡Tシャツなんかを買っちゃったりして、宗祇水(そうぎすい:日本銘水百選のひとつ、連歌の達人である飯尾宗祇が愛用したことからこの名がついた。『三年ごし 心をつくす思い川 春たつさわにわきいずるかな』と歌って別れをおしんだといわれている)でのどを潤し、お囃子の聞こえる方へ歩を進めた。

のもやん・たてちゃん・オレBOY

さっそく郡上踊りの輪の中に、オレBOYシュウサクたてちゃんのもやんが突入。みんなで踊る。郡上の踊りは独特のリズムの囃子にのって、ゆったりと舞うものから、下駄をカツンと蹴り込んだり、飛び跳ねたりする元気のよい躍動的なものまで10種類近くある。踊りが変わる度に、早くマスターしようと夢中になるので、ついつい踊りの世界に没頭してしまう。ふと我に帰って我が仲間たちを見ると、各自、自分の世界にひたっているのがとても可愛い。

シュウサクたてちゃんは郡上踊りは初めての体験。周囲を見ながら合わせている。 BOYはイタズラコゾウのような眼をあちこちに走らせている。 おそらく、綺麗な娘を探しているのだろう。 のもやんはあいかわらずドラエモンのような踊りを踊っている。 しばらく踊っていると囃子が春駒という踊りにかわった。
『はあ〜、はるこんま!はるこんま!』

軽妙で独特のリズムをもつこの踊りは人気が高い。それまで、軒先にはいって雨宿りをしていた人々がまってましたとばかりに踊りの輪に加わった。たちまち踊りの輪は2重、3重となる。 それまでゆっくりとしたテンポの踊りを

『いやあ、こんなんタルクってやっとれませんわ』

と冷たい目で眺めておったのニイちゃん達がここぞとばかり大挙してやってきたものだから、そりゃあもうギュウギュウになるわけなのだ。するってえと前や後ろや隣に位置していたオネエチャンたちとのキョリがぐぐっと接近して、手と手、や手とおしり、おしりとおしりが触れ合ってしまって、これがほんとうのお尻合いになるじゃなくて、しあわせなキブンになってしまうというわけだな。うん。
 
オレのとなりで踊っていたBOYがいきなりキューゲキにえびぞりはじめた!
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