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王の剣士 番外 「バインド」


 歩くと背後で足音が鳴り、立ち止まれば止まる。
 今日は既に一刻近くもその追いかけっこが続いていた。
 バインドは苛々と振り返った。
「煩ぇっ! 一体何のつもりなんだてめェは。ちょろちょろちょろちょろ、いい加減どっかへ行っちまえ!」
 先程から何度同じ事を怒鳴ったか知れない。だが子供はバインドが振り向くと、恐がるどころか何故だか知らないが嬉しそうな顔をして、手にした食料を差し出すのだ。
 痩せて汚れた手に、大事そうに握り締めたそれを、何度となくバインドに差し出す。
「……はぁ……。いらねぇって言ってんだろ」
 いい加減怒鳴るのにすらうんざりして、溜息をつくとバインドはその場に座り込んだ。
 そうすると子供も近くにちょこんと座る。まだ距離はあるものの、その距離はずっと狭まっている。
 何が気に入られたのか、バインドにはさっぱり見当が付かなかった。気紛れにもやさしくした覚えなどない。
 無視して、その内飽きるのを待つしかないと、バインドは土の上に横になった。
 視界の片隅に、子供の姿を捉える。
 薄汚れ、痩せこけた子供。
 ふと、あの赤子が思い起こされる。
 あの時の赤子はどうなっただろう?
 自分があの赤子の一族を滅ぼした。
 剣から迸り出た炎に巻かれ、燃え落ちていく里が脳裏に浮かぶ。
 この子供と同じような道を辿っているか、殺されたか。
 ――殺された?
 ふざけるな。俺の腕を奪ったガキだ。
 赤子の身体から膨れ上がった、青白い光。
 右肩が鋭い痛みを訴え、バインドは肩を掴んだ。口元が笑みに歪む。
 もう一度剣を交え、俺が殺す相手だ。
 右腕が嗤った。

 剣を交える?剣などないだろう。

(――煩ぇ)

あの赤子は、成長すれば誰よりも強くなるだろう。あの男すら超えて

 だがお前にはもはや剣など無い。お前の事など歯牙にもかけないだろうよ

(煩ぇ)

 ……せ。

 殺せ。
 殺せ。

 あの時味わった快楽を、再び味わえ。
 切り裂き、焼き尽くせ。

 声が耳を聾さんばかりに響く。


 ――剣を。


「煩ェッ!」
 怒鳴って身体を振り起こす。
「ねェんだよ! 剣なんざぁ!」
 バインドの言葉に押されたように、声は唐突に静まり返った。
 しばらくの沈黙の後、耳元で嘲るように囁いた。


 何故、生きている


「――煩ぇ」
 じり、と肉が焼けつく熱を纏い、無いはずの右腕の骨が軋む。
 舌打ちをして、バインドは再び寝転がった。
 血が止まり、肉が閉じ、傷が癒えても――収まらない痛みが、事ある毎にバインドの思考を掻き回す。
 ――何故、生きている?
 言われるまでもない、今の自分に存在価値などない。
 切り裂く為にのみ存在する剣士が、剣を失って何の為に生きる。
 戦えない事は、死と同義だ。
 では自分は今、死んでいるのと同じだ。
「クク。正にその通り、存在すらしちゃいねェ」
 左腕に頭を載せてごろりと転がり、バインドは眼を閉じた。
 声が再び囁き始める。
「ついでに、眠りも無いときてやがる」
 軽く舌打ちをして、バインドはその声に耳を傾けた。



 目を覚ますと、陽は既に中天に昇っていた。
 昨日ここで眠りについたのは昼日中だった筈だ。すると丸一日近く寝ていたという事か。ただ、剣を失ってからは、長ければ数か月間眠り続ける事もあった。それはさほど驚く事でも無い。
 困るのは、そうして起きた時は、時に身体の自由さえ利き難いほど空腹な事だが――。
 足元に目をやると、案の定食料が置いてある。
 しかし見ればどうやら二日分だ。という事は、一日ではなく、二日間寝ていたという事になる。
 重い身体を引きずるようにして立ち上がる。
 視線を巡らせた先に子供の姿は見えなかったが、待つほども無く、すぐに小さな足音が聞こえた。
 兎のように茂みから飛び出し、そこに立っているバインドの姿を認め、つんのめって立ち止まった。
 不安げに見開かれていた瞳が、ぱっと安堵の色に染まる。バインドはそれを不可解な気分で眺めた。
(死んだとでも思ったか)
 ぱらぱらと、その手に抱えられていたものが落ち、土の上に鮮やかな色を散らした。
 赤や黄色、橙――色とりどりの花だ。久しぶりに見る鮮やかな色に視線を据えたまま、それが何を意味するのかに思い至って、バインドは呆れた呟きを洩らした。
「……てめぇ。俺を埋めるつもりだったのか」
 ということは、あと一日でも長く寝ていれば、気が付いた時は土の下だったという事にもなりかねない。
 目の前の子供の顔を眺めている内、抑え難い笑いが込み上げ、バインドは喉の奥でくつくつと笑いだした。ひとしきり笑うと、子供に視線を向ける。
「とんでもねぇガキだ。さんざ付き纏われて挙げ句に埋められるんじゃ、堪ったもんじゃねェ」
 そう言うと、まだ込み上げる笑いに顔を俯け、肩を揺らした。
 ふと、足に軽いものがぶつかり、バインドは視線を向けた。
 足にしがみついた子供に、一瞬言葉を失う。
「…………欝陶しい。どけ」
 子供を振り払い、バインドは後も見ずに歩きだした。
 子供はバインドと食料を見比べ、慌ててそれを抱え上げると、後を追って走りだす。
 小さな足音が追ってくるのを耳で聞きながら、バインドは肩を竦めた。
 まあいい。今日は久々に気分がいい。
 そういえば、久しぶりによく寝た気がしている。
 夢も、見なかったか――?





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