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王の剣士1 「豊穣の丘」




 再び眼を開けた。
 風に騒めく樹々の音に紛れるように、レオアリスが寝転がっている緩やかな斜面の右手から、小さな幾つもの足音が近づいてくる。小さな声も。
 今いる狭い草地を囲む、木立のすぐ向うで足音は止まった。
 樹の陰から自分を恐る恐る覗き込む幾つかの頭を視界の隅に捉え、レオアリスは敢えて眼を閉じ、眠っている振りをしてみせる。敵意は感じられず、覗いている姿が皆まだ子供だったからだ。ひそひそと、だが賑やかしく幼い声が耳に届く。
「誰か行きなよ」
「誰って、誰が?」
「寝てるじゃん、見に行くだけなら恐くないよ」
「ちょっと寄って、ぱっと戻っておいでよ」
「だから誰が?」
「でもあれ、落っこちたひとかなぁ」
「うーん」
 しきりに囁き交しながら、一向に近寄ってくる気配はない。次第にレオアリスは、寝ている振りをするのが面倒臭くなってきた。何人いるのだろう。子供ばかり十人近いか。
「おばばが言ってたもん。ここにいるって」
「おばばがちゃんと落としたって言ってたし」
 その言葉に、レオアリスは堪らず飛び起きた。
「てめぇらかっ!」
 草地を蹴り、木々の間に降り立つと、手近な子供の襟首をひっ捕まえる。
「きゃああっ」
 隠れていた子供達が、一斉に辺りに散った。
「何考えてんだコラ! 普通あの高さから落ちたら死ぬぞ!」
「きゃああ!」
「きゃああ!」
 残りの子供達は二、三本離れた木の陰に身を寄せ合い、恐々とレオアリスと襟首を掴まれた少年を覗き込んでいる。少し大人気ないと思い直し、レオアリスは掴んだ手を緩めた。少年がぱっと身を翻し、仲間達の中に駆け込む。
 一、二、三……と人数を数えてみれば、四、五歳位から十一、二歳位まで、男女合わせて九人もいる。
「お前等……」
 口を開いた途端、彼等はびくりともう一本分、樹々の間を後退った。レオアリスは害意のない証拠に、両手を開き、何も武器などを持っていない事を示す。
 実際、黒の上下に包まれた細身の身体には、丈の長いその上衣の下にも、短剣一本身に付けてはいない。
「怒ってねぇからさ。何の用だか……」
「何だぁ、子供じゃん!」
「大人じゃないじゃん!」
「あんなんじゃダメだよ、おばばのばか」
「……ああ?」
 子供達のいかにも失望した声に、ぴくりとレオアリスの眉が上がる。
「ちょっと待て誰がガキだって? 俺はもう十六だ。大体言っとくけど、お前等よりずっと年上だぜ」
 しかし子供達は聞く様子もなく、興味を失ったようにレオアリスに背を向けて、来た道を戻りはじめた。何故か、用がある訳ではないレオアリスが、慌てて彼等を呼び止める。
 方法は判らないが、どうやらレオアリスを狙って「落とした」ようなのだ、正直これで放っておかれては身も蓋もない。
「あー、ちょっと……待てって。ほら、何か訳があって俺を、えーっと、落としたんだろ?」
 彼等の前に回りこんで身を屈め、子供達の目線に合わせて顔を覗き込む。だが返ってきたのは無情な返事だ。
「兄ちゃんじゃ役に立たなさそうだもん!」
「はぁ?」
 いきなりきっぱり断じられたが、さすがにここ最近、役に立たないなどと言われた記憶はない。
「あいつらをやっつけるのに、兄ちゃんじゃ無理だもん」
「武器も持ってないなんて、がっかりだよね」
「ねー」
「おばばは間違えたんだ」
「すっごい強いひとだって言ってたのにね」
「ねー」
 口々に顔を見合わせて頷き交す子供達を眺めながら、レオアリスは考え込むように口元に手を当てた。どうやらこの子供達は、何らかの手助けを必要としているようだ。今まで寝転がっていた草地にちらりと視線を向ける。
 迎えはあとどれくらいで来るだろう。王都からここまでハヤテの翼でも通常一刻はかかる事を考えれば、少し状況を聞いてみる位の時間はありそうだった
 軽く頷くと、レオアリスはに、と笑ってみせた。
「お前等のおばばは正しい。俺は結構役に立つぜ? まあ、どうするかは話を聞いてからだけど、取り敢えずそのおばばとやらの所に連れてけよ」
 子供達はレオアリスの言葉に再び顔を見合わせ、遠慮の無い疑り深そうな視線を向けると、口々に声を揃えた。
「嘘だぁ」
(――こんの……、くそガキ共……!)
 レオアリスは思わず両手を握り込み、それからやり場のないまま力なく肩を落とした。



 しょうがないから付いてくれば? などと言われては、さすがにそこまでの義理はないのだが、レオアリスは子供達の後について歩きだした。
 どうしても気になったからだ。
 例えばハヤテの行く先に何らかの術が施されていた場合、その気配に気付かない程ハヤテは鈍感ではない。レオアリスにすれば尚更だ。術はある程度噛った。いくら気を抜いていたとはいえ、自分を叩き落とすような荒っぽい力が働けば、気付かない事は無いだろう。
 それとこの相手は、どうやらレオアリスに用があるらしい。
 そのくせ、とレオアリスは上空をちらりと見上げた。
 あんな所から叩き落として、死んだらどうするつもりだったというのか。用があるのにそれは粗過ぎる。
 だから多分、死なないと想定していたのだ。この子供達の会話からも推測できるように、相手――レオアリスが大体どんな存在か、予想が付いていたのではないか。
 面白いから会ってみよう、と、そう思った。
 穏やかな線を描く斜面を子供達の後についてしばらく下り、再び昇りに差し掛かったくらいで、前方の丘の上に一本の高い木が見えてきた。子供達の足が駆け出しそうに速くなる。一番後ろにいた年長の少年が振り返ってレオアリスを見上げた。
「兄ちゃん、おばばに会って満足したら帰るんだぞ」
(ムカつく……)
 いや、こんな所で子供相手にムキになってはいけない。何と言っても自分の方がずっと年上なのだと、レオアリスはひきつった笑いを抑え、そっと深呼吸した。ふと、自分を見上げている少年の表情に目を留める。
(ん?)
「危ないんだから」
 生意気な口調だが、実はその奥に心配そうな響きが隠れている事に、レオアリスは気が付いた。
「――何だ、心配してるのか?」
 からかうようにそう言うと、気の強そうな頬をちょっと赤くして、少年はそっぽを向いた。
「べっつにーっ!兄ちゃんが死んでも知らないけど、死体片付けんのが嫌なだけだい」
 レオアリスは黙って少年の顔を眺めた。死ぬとか死体とか、この子供達が口にするには物騒過ぎる言葉だ。
 周りを見渡せば、子供達は一様に不安そうな顔をレオアリスに向けている。レオアリスは殊更に笑ってみせた。
「心配すんな。ほら、普通、あの樹よりも高いところから落ちたら死ぬだろ?」
 レオアリスが指差した樹は、丘の上に生える、五層の塔程もあるものだ。周囲の樹々から一際高く抜け出し、太い幹から大きく傘のように枝葉を広げている。
 子供達はその高さを想像したのか、怖そうに首を竦めてうんうんと頷いた。
「でも俺、落ちたけど生きてるし、だから」
 レオアリスとしては安心させようとして言ったのだが、小さい子供達の数人は、途端に顔を歪め声を上げて泣き出した。
「うあ」
 突然の事にどうしていいか判らず、レオアリスが狼狽えていたその時、どこからかしわがれた声がかかった。
「――おやおや、何を泣いているのだえ」
 子供達が喜色を満面に浮かべ、声のした方に走りだす。彼等が駆けていく方、丘の上に、密集した樹々が折り重なるように枝葉を開き、壁を作っていた。樹々の中ほどに、先程レオアリスが指差した樹が、ひときわ高く天へと伸びている。
 子供達を追いかけて歩み寄るレオアリスの前で、壁のように密集していた茂みが、ゆっくりと真ん中から割れ始めた。そこから、どれほど歳経ているかも判らない程の老婆が、丸めた背中を支えるように、細くすべらかな木を杖にして歩み出た。
 足が悪いのか、右足を重そうに引きずりながら近寄ると、子供達の前で立ち止まり、幼い子供達が自分に抱きつくように纏わり付くのを、老婆は穏やかな笑みを浮かべて見回した。
「客人を前に、泣いては笑われるよ」
「おばばが悪いんだー!」
「お兄ちゃんあんな所から落ちたって」
「痛いよぉー!」
 余計心配させたのかと、レオアリスは反省交じりに右手で短い黒髪をくしゃくしゃと交ぜた。大抵の事が自分にとって問題にならない分、他者がどう感じるか、いまいち理解できていないようだ。
 老婆は空気を擦るような笑い声を上げ、両手で子供達の頭を撫でながら、皺に埋もれた眼をレオアリスに向けた。落ち窪んだ瞳に浮かぶ色は、黒にも青にも変わる。始めて見る、そしてまたどこかで見たようなそんな色だと、頭の片隅で思った。老婆の口元が柔らかい皺を刻む。
「随分手荒にお呼びして、ご迷惑でしたろう」
「ああ、いや……」
 何と返すべきか言葉を探している内に、年長の少年が老婆に近寄ると、その顔を見上げた。
「おばば、この兄ちゃんじゃ無理だよ。間違ったんだろ?」
「間違ってなどおらぬよ」
「だって、武器もなんも持ってないぞ! すぐ殺されちゃう」
「大丈夫じゃよ。……彼はちゃあんと剣を持っておるで」
 レオアリスの肩がぴくりと反応する。すっと細められた漆黒の瞳を眺め、老婆は小さく笑った。
「どうぞ中に……。どうか、この子らの助けになっていただきたい」
 そう言うと、子供達を手招き、口を開けた茂みの中へと歩いていく。
 一瞬だけ迷い、レオアリスは茂みの奥に足を踏み入れた。



 外からは単なる茂みにしか見えないものだったが、内部は驚く程広がりがあった。それは住居として造られているようで、壁や天井には青々とした葉が生い茂り、老婆が歩くたびにさわさわと揺れる。ところどころ葉の層が薄くなっている箇所からは、陽の光が注いで室内を柔らかい光で満たしていた。
 卓も椅子も棚も、床や壁から生え出すようにしつらえられ、何もかも葉と枝で造られている。部屋の中央には、先程の大樹のものだろう、大人二人が腕を伸ばしても抱えきれない程の樹の幹が、床から蔦の這う天井に抜けるように生えていた。節くれだった表皮から、かなり年経た樹なのだと判る。
「すごいな」
 どんなふうに創られたのだろう。レオアリスは幼い頃祖父達のもとで少しばかり術を学んでいたが、植物をこうして利用する術を目の当たりにするのは初めてだった。レオアリスが感心して室内を見渡していると、子供達が得意そうな顔で彼を見上げる。
「すごいだろ」
「おばばが造ったんだ」
「おばばが杖で触るとできるの」
 そう言いながら何が気に入ったのか、レオアリスの足元にまとわり付いてくる。歩きにくい事この上ないが、いつも年上にばかり囲まれているレオアリスとしては新鮮で、早くも「こいつらも結構かわいいかもな」などと考えていた。
「痛かった?」
「ごめんね」
「おばばを怒らないでね」
 一生懸命に見上げてくる子供達の顔に、レオアリスは堪え切れず吹き出した。さっきまでは役立たずとか言っていたくせに、この変わりようはどうだろう。一番小生意気そうな少年でさえ、既に態度が違う。
 レオアリスが老婆の目的の相手だと分かったからのようだ。相当「おばば」を信頼している、というか、とにかく好きなのだろう。
「大して痛くなかったし、怒ってないって」
 この子等と「おばば」はどういう関わりなのだろうと、前を歩く老婆に視線を向けた。祖母と孫、というようにも見えない。子供達も似通ってはいるが、どうやら兄弟という訳では無さそうだ。
 正体の見えない相手ではあるが、そこに対しての不安は無い。相手がどんな者だろうと、切り裂く自信がレオアリスにはある。
(そういう相手でも無さそうだけどな)
 彼の参謀官であるロットバルトなどがそれを聞いたら、相手の情報もろくに得ずに断じる事に呆れ、かつ耳の痛い苦言を呈するだろうが、レオアリスはどちらかというと理論より直感を重んじる方だ。
 それに――。自分の中にふわりと温かいものが広がるのを感じて、レオアリスは瞳を細めた。
 幼い頃、自分もこうして祖父達に纏わりついていた。
 取り敢えず、この老婆や子供達に害意や悪意は感じられない。
 自分の事をどこまで知っているのか、それは気に掛かるところだが――。
 とくんと一つ、体内で別の鼓動が鳴る。
「お呼びしたのは傷つける為ではない。ここで剣を抜かないでおくれ」
 ふいに老婆が口を開き、レオアリスは立ち止まったままその顔を見下ろして、笑った。自分が何者なのか、それはこの老婆には見えているらしい。その自分に用があると言う。
「そうは思ってない。けど、疑問はいくつかあるな」
「何から解決しようかの」
 それに答えるように笑みを浮かべ、老婆は右手を延べてレオアリスに葉の茂った椅子を示した。素直に腰掛けて、それが予想に反して柔らかい絹のように身体を受け止めるのに驚きを覚えながら、卓を挟んだ老婆に視線を向けた。
「……まず、どうやって落としたのか。あんなふうに落っことされたのは初めてだぜ」
 レオアリスの閉口した口調に、老婆は空気を擦るような笑い声を立て、けれどもゆっくりと頭を下げた。周りに子供達が集まって座る。
「もっと丁寧にお呼びするつもりじゃったのだが、思いの外お前さんの飛竜が反応しての。悪い事をした」
「ごめんねー」
「ごめんねー」
「分かった分かった」
 口々に声を上げる子供達を宥める為に片手を振りながら、レオアリスはなるほどと頷いた。
 老婆の術に反応し、それを避けようとしてハヤテが急旋回したのだ。暢気に伸びなどしていたから、うっかり振り落とされたという訳だ。
 迂闊だな、と溜息を落とす。法術については祖父達に付いて十年も勉強してきているのに、気付けなかったのは少々悔しかった。
 立場に慢って術の勉強を怠るからだと、祖父の声が聞こえる気がする。
「飛竜も暫らくはお前さんを探しておったが、見つからぬよう目隠しをさせてもらった」
 老婆の物言いたげな深い色の瞳は、レオアリスの反応を見定めようとするかのようだ。
「わしはこの通り足が悪くての。それでこの子等に迎えに行かせたという訳じゃ」
 今はおとなしく座っている子供達の最初の様子を思い出し、レオアリスは苦笑した。
「何て言って寄越したんだ? まったく信用されて無かったぜ」
「この子等を助けてくれる、強いお人じゃとな」
 レオアリスは小さく口元に笑みを刷く。
「――貴方は判ってるんだな。……俺の、立場もか?」
 老婆は頷いて立ち上がった。レオアリスと正面に向かい合い、静かに頭を下げる。
「子供等の窮状を救ってはくれぬか。――近衛師団の大将どの」



「何っでお前まで来るかなー」
 クライフは傍らを飛空する黒燐の飛竜を、不満そうに眺めた。正確にはその背に騎乗しているロットバルトを、だったが、目が合った飛竜の赤い瞳に「何か文句があるのか?」と問われた気がして、慌てて両手を振る。
「や、お前じゃなくって、上のヤツだよ」
「何を言ってるんだか……」
 ロットバルトは自分に顔を向けた飛竜の首を軽く叩き、それから飛竜に言い訳をしているクライフに冷めた視線を向けた。クライフは一瞬ぐっと詰まったが、直ぐに気を取り直して睨み返す。そうしても険悪な雰囲気が生まれないのは、クライフの陰の無い性格ゆえだ。
「俺一人で十分だろ。副将も信用ねぇよなぁ」
 自分が迎えに行くと申し出たのに、グランスレイは、ロットバルトも共に行くように命じたのだ。一人だったら空の散歩は楽しいし、レオアリスはクライフと似て固い事は言わないし、ヤンサールはいい所だ。
(……楽しかったのに)
 ロットバルトがクライフの内心を見越したように、口元だけで笑う。
「貴方と上将だから問題なんでしょう。第一私も、貴方一人に付いていく程暇ではない」
「ムッカツク……」
「ヤンサールは葡萄酒の産地ですからね。貴方がハメを外すのではないかと、副将はお考えなんですよ」
「……説明すんな!」
 もの柔らかに性格が悪いから余計に質が悪ィ、とクライフはロットバルトに聞こえないよう、脇を向いてぶつぶつ呟いた。が、ちょっとくらい、ヤンサールの葡萄酒をひっかけて来ようと目論んでいたのは事実なので、反論のしようもない。クライフは仕方なく溜息をついた。明るい茶色の瞳が天を仰ぐ。
「あ〜あ」
「何です」
「何でもねぇですよ」
「それは結構。無駄話をしているより、先を急ぎましょう。さすがに銀翼の速度に振り切られそうだ」
 ハヤテは黒燐との速度の違いなどお構いなしに駆けていく。銀翼は軍の大将級が騎乗する飛竜であり、師団兵の乗騎である黒燐の飛竜とは、空を駆ける速度がまるで違った。時折焦れて急かすように旋回をしてみせるものの、彼等の速度に合わせるつもりはないようだった。ロットバルトはクライフの返事を待たずに、手綱を繰った。
「チッ。もっと目上を敬えってんだ」
 ほんの三、四歳の差ではあるが、それでもクライフの方が年上には違いない。もっともレオアリスの方がロットバルトよりも更に四歳は年は若い。年齢が上だ下だと、その辺の議論はあまりする意味はなかった。それにクライフも本気で腹を立てている訳ではない。大体怒ってもすぐ忘れる、良く言えば小さい事には拘らない性格だ。
「酒は、上将にお願いしよう」
 レオアリスがいいと言えばさすがにロットバルトも黙るしかないだろうと、そう呟いてクライフも飛竜の速度を早めた。
 レオアリスが「落っこちて」からそろそろ二刻は経つ。
 顔を上げれば、前方に青々と広がる丘陵地帯が、急速に近づいてくるのが見えた。



 近衛師団、大将。
 子供達はそれがどんなものなのか、さっぱり見当も付かないようで、老婆の下げた顔と表情を引き締めたレオアリスとを、交互に見つめている。
 レオアリスは暫く考え込むように黙っていたが、ややあって口を開いた。
「――取り敢えず話を聞かせてくれ。でも、どうするかは聞くまで判らない。貴方も判っている通り、俺も立場上、そうやりたい放題は出来ないからさ」
 老婆が呼んだ通り、レオアリスは近衛師団第一大隊を預かる立場にある。近衛師団は王を守護する為の部隊で、王の勅旨の下に動く。
 従って、問題が大きければ大きい程、個人の意志のみで勝手な行動を取る事は出来ないと、レオアリスの言っているのはそういう事だ。
 老婆はそれを心得ているのか、小さく頷いて事の次第を話し始めた。
「この子等は、お判りの通りわしの孫ではなく、この近隣の村に住んでおる。ここらの村は、たいてい葡萄を栽培しておっての。葡萄酒や砂糖煮などを作って暮しておるな」
「ああ、そう言えば……」
 酒の弱いレオアリスはあまり興味がなく、言われて漸く思い出した位だが、ヤンサールは葡萄酒の産地で有名だ。ヤンサール種という葡萄酒に適した上質な葡萄が採れるが、収穫量は多くはなく、その分値も張り、王都でも扱う商人は少ない。クライフがたまに手に入れてきては大喜びしていたのを思い出す。
 目をやれば、子供達は膝を抱えて座ったまま、とろとろと微睡み始めている。老婆は年経た顔にいっとき柔らかな皺を刻んだが、すぐに厳しい色を取り戻した瞳をレオアリスに向けた。
「……三日ばかり前、この子等の村が襲われた。この子等の言葉はたどたどしくて明確な事は判らぬが、どうやら西方軍に追われてこの丘陵に逃げ込んだ、野盗の一団らしいの」
 西方軍はその名の通り、正規軍の中で西方域を管轄する軍だ。街道を荒らす野盗の討伐も、その任務の一つにある。
 この辺りを管轄する西方軍第三大隊が、ここ最近被害が多発していた野盗討伐に動いたのは、数日前の事だった。野盗達の大方は兵によって斬られ、或いは捕縛されたが、その内の十数名は包囲を逃れて落ちた。
 夜陰に紛れて軍の追っ手を振り切った野盗達は、丘陵にある小さな村を見つけ、そこを襲った。
 村は周囲を谷に囲まれた小高い位置にあり、村へ通じる道は一つしかない。野盗達はそこに身を潜め、軍の追撃をやり過ごす事に決めた――。
 レオアリスは老婆の話を聞きながら、村で起きたであろう事に、眉を顰めた。
 子供達は、運良く逃れてくる事が出来たのだろう。
 だが、村人達は――。
「だいじょうぶ。皆お酒の部屋にいるから」
 幼い声に顔を向けると、子供達はいつの間にか目をしっかりと開いていて、レオアリスの顔を見つめている。
「無事なのか? お前等の両親とか、他の村人達も?」
「僕たち、頑張ったもんね」
「ねー」
「部屋は地面の下なの」
「扉は、ぐるぐる巻いてきたの」
「まだ切れてないよ」
「?」
 何の事を言っているのか、さっぱり判らない。ただ、村人達は、おそらく……無事のようだ。何故かは判らないが、子供達の言葉には、妙に信じさせる何かがあった。
 レオアリスはその事に一旦の安堵を覚えながら、老婆に視線を戻した。
「軍は? ここらは正規西方の第三大隊の管轄だろう。野盗を叩いたなら三隊が最後まで追うと思うけどな。知らせたのか?」
 レオアリスの問いに老婆は首を振った。
「村からの道を閉ざされていて、知らせようもない。この子等もわしも、街道までは行かれぬ」
 足の悪い老人と幼い子供達では、確かにそれも仕方がない。
「それに、どうしても、お前さんの助けが必要なのだよ」
 何故自分なのかと問おうとして、次に老婆の告げた言葉に、レオアリスの表情が厳しさを増した。
「――剣士が、おるようでの」
 瞳にどこか信じ難い色を浮かべ、レオアリスは老婆の顔を見返す。
 剣士とは、自らの体の一部、主に腕などを剣に変化させ戦う種族の事だ。剣士たるその由縁の剣は、通常左右いずれかの腕に宿り、剣士一人で百の兵を抑えると言われるほど、高い戦闘能力を持つ。
 種としてそれほど数が多くなく、また剣を身に宿すという特性と戦場における風聞のみが聞こえてくる事から、一般的に剣士は殺戮者として恐れられる事が多い。
 『殺戮者』 『切り裂く者』 『戦う為だけに存在する種』
 その剣士が、野盗の中に?
「どうすべきか思案しておった時、ちょうどお前さんが飛ぶのが見えたのだよ」
「――なるほど、渡りに船って訳か」
 それで、術を用してまで、この老婆は自分を呼んだのだ。
 レオアリスはその時、まるで何かを期待するような、どこか楽しそうな笑みを浮かべ、老婆の顔を眺めた。老婆が頷いて口を開きかけたとき、ふとレオアリスの漆黒の瞳が蔦の這う天井に向けられる。意識の外を回るような気配と、鳥の声が微かに耳に響く。レオアリスは片手を上げて会話を遮ると椅子から立ち上がった。
「……悪い、一旦出してくれ。カイが戻った」



 枝葉の擦れる乾いた音と共にゆっくりと茂みが口を開き、流れ込んできた外気が肌を撫でる。太陽は中天より西側の空に移り始め、正午を一刻ほど過ぎた頃の独特の熱を帯びた陽射しが、緑に包まれた風景を鮮やかに照らし出している。その中に、風を切って銀燐の飛竜が降り立った。
「ハヤテ。悪かったな」
 レオアリスの姿を認め、ハヤテは嬉しそうに一声鳴いた。続けて降り立った二騎の飛竜を見て、レオアリスは驚いた顔を上げた。
「お前達二人が来るとは思わなかったな」
 クライフとロットバルトはレオアリスの前に立つと、左腕を胸に当て、一礼した。
「ご無事で何より」
 ロットバルトはいつもと変わらないレオアリスの様子を見て取り、蒼い瞳に安堵の色を刷いた。クライフもにやりと笑みを浮かべる。
「ハヤテがカラで帰るモンだから、肝冷やしましたよ。一体何やって落っこちたんです?」
「はは」
 身体を起し姿勢を整えると、二人はレオアリスを促すようにハヤテの方へ身体を開いた。
「いや、ちょっと待ってくれ。――用が出来た」
 そう言いながらレオアリスは背後を振り返った。レオアリスの後ろから歩み出た老婆と子供達の姿に、ロットバルトが微かに眉を上げる。
「その方は?」
「えーっと、……ばあちゃん名前なんだっけ? そういや聞いてねぇな」
 呆れた表情を浮かべたロットバルトに向かって、レオアリスはあっさり笑って手を振ってみせる。
「ま、ほら、あんま重要じゃないだろ? それより、案件としては一刻を争う」
 レオアリスの声に含まれた真剣な響きに、ロットバルトとクライフが顔を見合わせた。
「――どういう事か、ご説明いただけますか」



 事情を手早く話し終えたレオアリスに、ロットバルトは冷静な瞳を向ける。
「貴方が関わるべきとは思えませんね。第三隊の管轄に断り無く手を出せば、後々いらぬ謗りを受けるのは貴方だ。三隊に通告し、速やかに討たせるのが正当な手段でしょう」
「判ってる。けど、相手に剣士がいるなら――やっぱり俺がやるべきだろう」
 漆黒の瞳は問い掛けながらも、既に自らのすべき事を決めてしまっているのが判る。懸念を拭いきれないロットバルトとしては、半ば諦め交じりながらも更に問いかけた。
「……その情報は確かですか」
「判らない。なんせガキどもの言う事だしなぁ」
 あまりにあっさりとレオアリスが答えたので、ロットバルトもクライフも、拍子抜けしたように肩を落とす。
 しかし、事実剣士がいるのならば、迂闊に剣を交えれば甚大な損害を被るのは目に見えている。それどころか剣を交える事すらまともに出来はしない、それが剣士だ。
 剣士が野盗の中にいるという情報を三隊は持っているだろうか。
「――貴方は、どうお考えです」
 ロットバルトの問いにも、レオアリスただ肩を竦めただけだ。
「さぁな。ただ、剣士がいなくても、助けは早い方がいい。そうだろう?」
「それを仰られると、反論は有りませんね」
 ロットバルトがクライフに顔を向けると、クライフがにんまり笑ってみせる。
「俺は全く問題ないね」
 クライフは少しぐらい問題があった方が、却って生き生きする性格の持ち主だ。その楽しそうな口調にロットバルトは軽く息を吐いた。
「西方三隊ですか……。あそこの大将は形式主義で、自己の権限を侵害される事を疎む傾向が強い。……まあだから、無難な三隊にいるようですが」
 正規軍は王都に駐留する第一大隊、王都の周辺部を管轄する第二大隊、そして辺境部の第七大隊まで七大隊に組織されている。王都と辺境部は重要性も高く、必然的に大隊を指揮統括する者も、高い武力、知力だけではなく、事態に臨機応変に対応できる柔軟性も求められる。
 ロットバルトの呟きにも、レオアリスは悪びれもせず笑みを浮かべた。
「悪いな。三隊にバレた時の言い訳はお前が考えてくれると、実は思ってる」
「……全く……」
 そうもさらりと言ってのけられては、否の言いようもない。尤も自分の役割はそこにこそあると、ロットバルト自身そう自覚していた。保守的な結果を諦め、ロットバルトは瞳を上げた。
「仕方ありませんね。貴方の意志が既に決まっているのなら、これ以上時間を無駄にする事もない。行動に移しましょうか。……まずは、情報が必要です」
 どうやって、とも聞かずに、レオアリスは再びカイを呼んだ。ロットバルトが言葉を続ける。
「村の状況と家屋等の配置、地形、それから三隊の現在地の把握を」
 レオアリスが眼を向けると、カイは一声鳴いて姿を消した。
 それまで口を閉ざしていた老婆が、三人の前で静かに頭を下げる。
「感謝いたします」
 老婆の言葉に漸く状況が飲み込めたのだろう、子供達が顔を輝かせ、きゃいきゃいと声を上げて彼等の周囲を嬉しそうに飛び跳ね出した。クライフは子供達に向き直り、腰に手を当てた。
「よっしゃ、俺にまかしとけ! 父ちゃんと母ちゃんはちゃーんと助けてやるぜ!」
「ホント?」
「だから、助けたら葡萄酒をくれるように、一言頼んでくれよな」
「うん!」
「……情けない……」
 クライフはカイの戻りを待つ間に子供達の相手をすることにしたのか、纏わりついてくる子供を持ち上げては、次々放り出している。一見乱暴な扱いなのだが、子供達はすっかりそれが気に入ったようだった。
 途端にのどかさを取り戻したその光景を眺めながら、レオアリスは呆れた笑みを漏らした。
「喜ぶのはまだ早いんだけどな……。俺も剣士を相手にするのは初めてだし、どうなるか」
「その割には、期待もされているようですね」
 ロットバルトの指摘に、レオアリスは確かな笑みを、その頬に浮かべた。それから、ふと遠くを見透かすように瞳を細める。
「悪ぃ、ちょっと身体頼む」
 漆黒の瞳から光が薄れ、瞼が閉ざされる。僅かに傾いだ身体を、ロットバルトの延ばした腕が支えた。頭半分程低い位置にあるその顔に視線を落とす。
 全ての意識を飛ばした訳ではなく、一部を伝令使であるカイの視点に繋いでいる。そうする事によって、レオアリスは遠隔地の出来事であっても、詳細な情報を得る事ができた。
「……ロットバルト!ちっとこいつらどうにかしてくれ、体力もたねぇ……」
 子供達を鈴なりにぶら下げて、クライフが閉口した顔で重そうに足を引きずってくる。
「子供の相手はおまかせしますよ。精神年齢が近いから、楽しいでしょう」
「てめぇなぁ……」
 立ったまま頭を軽くロットバルトの肩に預け、眼を伏せているレオアリスの姿に気付き、クライフは口元を押さえた。
「お兄ちゃんどうしたの?」
「寝てるのー?」
「お前等の村を見に行ってんだ。静かにしてようぜ。ほら、座ってろ」
「ホント?」
「はーい」
「おとうさんたち、元気かなぁ」
 クライフはすっかり子供達を懐かせたようで、子供達はすぐ大人しくなってレオアリスとロットバルトを囲むように座り、期待の満ちた眼でじっと見上げた。
「父さん? あなた方のご両親ですか?」
 ロットバルトはレオアリスの体を支えたまま膝を落とし、子供達を見回した。
「うん」
「心配でしょう。今どのような状況にいるか、判りますか」
「みんないっしょだよ」
「大丈夫。まだもつよ」
「保つ?」
「僕たち、すごい頑張ってるもん」
「ねー」
「がんばるよ」
 子供達はにこにこと、お互いの顔を見ては頷いている。先ほどレオアリスが聞いた時と同様、さっぱり要領を得ず、ロットバルトとクライフは顔を見合わせ、取り敢えずはレオアリスの確認を待つ事にした。



 レオアリスはカイの視界に繋いでいた自分の意識を、ゆっくりと引き戻した。閉じていた瞼を開くと、ほんの数瞬視界は霞んだが、すぐに明瞭な焦点を取り戻す。
 村の位置、配置、地形、必要な情報は揃った。
 手近な小枝を拾い上げ、足元の土の上に村の地形を描き出す。
 村はヤンサール丘陵の中心部からやや東寄りに位置し、三方を谷に囲まれている。北に面した残りの一方も幅は広くはなく、細長い道で丘陵と繋がっているといった印象だ。谷はそれ程深くはないが、基本的に道はその北面の一角だけだ。
 村はそこそこ広い土地の中に、十軒ばかりの民家が中央に寄り集まるようにして建っている。周辺部には葡萄酒を造る為の作業場らしき建物が数棟あった。
 レオアリスは書き出した図面に、幾つかの丸をつけて行く。
「門に二人。ここは中から打ち付けてあるな。東、西、南、それぞれの見張り台に一人ずつ。問題は民家の中だが……見張りに二人立てられないって事は、そう多くもないか、指揮命令系統がなってないかだろうな。それから――」
 木の枝が指したのは、西の端にある建物だ。レオアリスはどこか困惑した表情を浮かべた。
「こいつが村人の逃げ込んでる貯蔵庫だ。窓が無いから中の様子が判らないんだが、確かにこいつらの言うとおり、蔦が全体を覆うみたいに巻いてる。切ろうとした跡があったが、諦めたみたいだな」
 蔦はまるで、中の村人達を守るように戸口を隠していた。今も切られた様子は無かった。レオアリスは、興味深々といった様子で地面に描かれた絵を眺めている子供達に瞳を向けた。
「お前等、何をやったんだ?」
「おとうさんやおかあさんたちを守ってるの」
「まだ切れてないでしょ?」
「頑張ったもんねー」
「……はぁ」
 ひとまず理解する努力を放棄して、レオアリスは二人の中将に視線を戻した。
「心配なのは、食料ですね。貯蔵庫ならば全く口にするものが無い訳ではないでしょうが、既に三日ともなれば疲労の蓄積も軽くない」
「いやー? 多分水の代わりに酒飲んでるだろうから、助け出したらぐでんぐでんかもしれないぜぇ?」
 ちょっと羨ましい、などと一人想像するクライフをまるっきり無視した上で、ロットバルトは貯蔵庫を指差した。
「まずはここの安全確保を。三方の見張りが一人ずつなら、綿密な策を講じる必要もない。一つずつ潰しましょう。門は放っておいても構いません。問題はこの中に――」
 残りの野盗達が何人いて、剣士が、どこにいるのか。
「民家じゃ、炙り出す訳にもいかねぇしなぁ。ま、一箇所で騒ぎを起しゃ、すぐ出てきますよ。幸い随分空き地がある。火を焚いても延焼はしないでしょう」
 クライフは自分の得意分野である「破城」に近い状況に、にやりと不敵な笑みをみせた。気を付ける必要があるのは、ロットバルトの言葉通り、村人の安全と村への被害を最小限にする事だけだ。
 レオアリスは頷くと図面に注いでいた視点を、南西の方角へとずらした。少し離れた所に一本の線を引き、西の街道を描き出す。
「ざっと見たところ、三隊の兵は街道添いに中隊が一個、陣を張ってる位だな」
 正規軍の中隊は一隊千名で構成される。当初の規模か左中右の一隊のみを残して他は引き上げたのかは判らないが、馬であれば、二刻かからず到達する距離だ。
「では、深夜に火の手が上がれば、明け方には到着するでしょうね。速やかに制圧し、夜が明ける前に撤収しましょう」
「よっしゃ、せっかくだ、派手に行こうぜ」
「何を聞いていたんです。我々の立場は、もちろん西方第三大隊にも、可能な限り野盗達にも知れない方がいい。それから」
 少し可笑しそうな色を口元に刷いて、ロットバルトはレオアリスを見つめた。
 「副将にご連絡を。心配していらっしゃるでしょうからね。まあ戻ってから小言を覚悟して戴く事になるでしょうが、それはまた後の話です」



「呆れて物も言えん。一体何の為にロットバルトまで行かせたと思っているのだ」
 カイの口からレオアリスの伝言が流れ終わると、グランスレイは体格のいい身体を揺らして盛大な溜息をついた。右軍中将ヴィルトールは執務室の壁に寄り掛かり腕を組んだまま、瞳だけを上げて、グランスレイの隣に立つ左軍中将フレイザーと目を合わせる。二人は可笑しそうな表情を堪え、グランスレイに視線を戻した。
 フレイザーが美しい翡翠の瞳を、からかうように閃かせる。
「今回は貴男の人選違いと、諦めて戴くしかありませんわ」
「クライフは何にでも首を突っ込む性格だし、ロットバルトはあれで上将に甘いからね。第一、上将ご自身、助けを求められて放っておける性格ではないでしょう」
 その事は常に傍らに立つグランスレイ自身が一番良く判っているだろう、と二人は言葉の端々に漂わせている。グランスレイは自分の息子というよりもまだ年の若い上官の顔を思い浮べ、もう一度大きな溜息をついた。
「……戻られたら、しっかり話をさせていただく」
 ふとグランスレイは窓の外に視線を注いだ。三日目の月が細い光を王都の夜に掲げている。
 野盗の中にいる剣士が、どれほどの相手か……。剣士が野盗に交じっているなど、聞いた事は無い。
 全くの騙りか、或いは名を秘しているのか。
 その事が、グランスレイの意識に警鐘を鳴らしていた。


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renewal:2007.04.30
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