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王の剣士1 「豊穣の丘」




 日中とは打って変わって、冷えた風が体温を奪いながら、連なる丘陵の上を駆け抜けていく。
 西側の見張り台の上で、男はぶるっと身体を震わせた。見張り台と言っても名ばかりで、屋根もなく丸太を組んだちょっと高い台程度のものだ。
 もともとこの村も普段見張り台を使う意識など無かったのだろう、男達が村を襲った時も、誰も見張りになど立っていなかった。第一日が暮れてしまった後は、辺りは見張りなど意味も無いほどの闇の中で、脇に置かれた篝火も、ほんの僅か辺りを照らし出す事しか出来ない。
 全く、ここはろくなモンじゃない。
 一人ごちて丸太の柵に寄りかかりしゃがみ込む。西方軍の包囲を逃れて漸く逃げ込んだはいいものの、村人が逃げ出した後の家の中には、僅かな食料と酒しか残っていなかった。ヤンサールの葡萄酒でたっぷりと財を蓄えていると期待していたが、古びた家の中にはどれも大した値打ち物もない。それらは全部、あの蔦が巻きついた酒蔵の中にあるのだろう。
「ありゃ、何なんだ」
 男は見張り台のすぐ横にある酒蔵に視線を投げた。村人達が逃げ込んだ直後、男達の目の前であの蔦は建物ごと何重にも扉を巻き込んだのだ。剣だろうが斧だろうが、蔦は全く切れる気配がなかった。
「くそっ、面白くもねぇ。いっそ火でも放っちまえばいいんだ」
 女なら犯すし、男は殺す。確かガキ共も何人かいた。逃げ惑う子供を追いかけて斬るのは、いい退屈凌ぎになる。こんなしけた村、それぐらいのお楽しみがあってもいい筈だ。
 だがそれらが全くない上に、いつ西方軍が来るか気が気ではない。正直、男はさっさとここから移りたかった。
 三日前の包囲から運よく逃げられたのはあの男のお陰だが、それでまるで首領のようにふんぞり返っているのも気に食わない。
「あの野郎、何が剣士だ……」
「その剣士について、教えてもらいましょうか」
 ふいにかけられた声に、男は咄嗟に腰を浮かした。声のした方を確認する間もなく、空気を切る音と共に、正面に黒い影が降り立つ。反射的に剣の柄に掛けた手が、動きを止めた。
 喉元に冷えた刃が当たっている。
 白刃は影の手元から伸びていた。抜き放った剣を男の喉元に当てたまま、影――ロットバルトは身を起した。口を開き、大声を上げかけた男を、冷えた声が制する。
「騒いでも構わないが、その前に首を落とす」
 首筋に僅かに食い込む冷たい感覚に、男は頷く事も出来ずに、ただ両手を挙げた。
「……さて、ではここに何人いるのか、明確に答えてもらいましょう」
「ふざけ……」
 喉に当てられた切っ先が質感を増し、男は言葉を唾と共に飲み込んだ。金の髪の奥で、蒼い瞳が細められる。
「ぜ、全部で……十五だ」
「位置は」
「見張りに五人立ってて……、他は、中央の一番でけぇ家に、皆いる」
「なるほど。――剣士も、その中に?」
 剣士と聞いて、男は漸く我に返った。引き攣った笑いをその顔に浮かべる。
「そうだ、剣士だ。……テメェが何者か知らねぇが、剣士相手に何が出来る?」
「同感ですね」
 薄く笑うとロットバルトは手の中で剣を反し、峰で男の首筋を打った。声も無くその場に崩れ落ちる身体に一度視線を落としてから、上空を振り仰ぐ。
「一箇所に固まっているのは、少々面倒ですね」
 夜の中に浮かんだ飛竜の上から、クライフが顔を覗かせた。
「お前ひとりで十分そうじゃね?」
「私の役割はここの確保です。乱戦は貴方の得意分野でしょう。予定通り、貴方は東の見張り台まで、剣士の誘導を」
「判ってるって」
 鞘走りを利用して抜き打たれるロットバルトの剣は、一瞬にして相手を制する。こういう時に、特に有効だ。そしてクライフはこの次の段階を得意としている。
「んじゃま、俺は適当に暴れてきますか」
 飛竜の背からひょいと飛び降り、見張り台のすぐ脇の地面に降り立つ。手にした長槍を一度軽く振ると、肩に担ぎ上げた。


 レオアリスは東の見張り台の上に立ち、村の中央に寄り集まるように建っている家屋の影を眺めた。南、東の見張り台、そして今ロットバルトが向かった西。ここまでは特に問題はない。クライフもすぐに動くだろう。
 鳩尾に右手を当てる。静かに、そこから鼓動が響くのが、当てた右手に感じられる。
(――剣士か)
 レオアリスは小さく笑みを刷いた。


「一体いつまでここにいりゃいいんだ?! こんな村、もう捨てて出ようぜ」
 床に転がった酒瓶を蹴り上げると、壁に当たって砕け、僅かに残った雫が床を汚した。その場にいる男達は、ある者は同調し、ある者は面倒臭そうな顔つきで、瓶を蹴り上げた若い男を眺める。
 期待した収穫は何も無い。三日もこの場所にいる事に、確実に苛立ちが募っている。
「よぉ、あんた見込み違いなんじゃねぇのか?ここなら西方軍をやり過ごせるような事言ったけどよ、ちっとも来る気配はねぇし、第一何の面白みもねぇ」
 部屋の奥に座っていた、三十代半ば程の痩せぎすの男が顔を上げる。その右腕を覆うように布が掛けられていた。黙ったままの相手に、男は更に声を荒げて詰め寄った。
「大体下手すりゃこんなとこ、逆に袋の鼠だ。西方軍が来ない三日間の内に、もっと逃げときゃ良かったんじゃねぇのかよ」
「そうだ、丘陵を抜けて北に出りゃ、また街もある。こんなしけたとこじゃなくて、もっとましな獲物が手に入っただろうぜ」
「女もなぁ。剣士様は戦い以外興味ねぇかもしれないけどよ、俺たちぁ犯れねぇと涸れちまう」
「違ぇねえ!」
 どっと笑い声が上がる中、男は向けられる視線を睨み返しながら、僅かに腕を覆っている布をずらした。男達が怯えたようにさっと口を噤む。
「俺にそんな口を聞かない方がいいぜ。最初に道を切り開いてやった時の、テメェの態度を思い出すんだな」
「何だとォ?」
 苛立って剣の柄に手を掛けた若い男を、剣士は下から嘲るように眺めた。
「はっ、どうすんだ? 剣士相手によ」
「――」
 若い男は憎々しげに剣士を睨み、しかし何も言えずに背中を向けた。確かに、あの時の窮地を救ったのはこの男だ。剣が容赦なく兵を切り裂く様を、実際目にしている。
 逆らうのは、怖かった。
 その後姿を眺めて剣士は喉の奥で笑い、手にした酒瓶を呷った。
 ふいに、扉が遠慮ない音で叩かれる。男達は一斉に扉へと視線を向けた。
「誰だ」
 見張りの誰かが勝手に戻ったのかと、舌打ちして一人が扉に近づきかけた時だ。
「お届けモンでーす」
 場違いな明るい声に、部屋にいた男達が顔を見合わせ、次いで一斉に立ち上がる。
「……てめぇ、誰だ!?」
「開けてくれないなら開けちゃうよー」
 途端に、鍵の掛かったままの扉が、枠ごと内側に弾け飛んだ。細い丸太を組んだ扉が正面にいた男を薙ぎ倒し、そのまますぐ後ろの二人を巻き込んで派手な音を立てて倒れる。
「ありゃ、強く蹴り過ぎたか? 後で直すのめんどくせぇなぁ」
 クライフは小さく溜息をつきながら室内に踏み込むと、すばやく内部に視線を走らせた。
「一人足りねぇ……って、扉の下か。じゃ、情報どおりだな。お前らのお仲間素直だねぇ」
 まるで場違いなその態度に暫く呆気に取られていた男達は、我に返ってクライフの正面に詰め寄ると、手にした抜き身の剣を向けた。
「何だぁ、貴様は!」
「西方軍か!?」
「違うけど、秘密にしとけってよ」
 にや、と笑うと、手にした長槍を横薙ぎに一閃する。手前にいた三人が壁に跳ね飛ばされ、一人は窓を破って外に飛び出し、残りの二人は床の上に重なるように崩れ落ちた。
「長物相手に、固まらない方がいいぜ?」
 一瞬にして仲間の人数が半数に減ったのを見て、じり、と男達が後退る。クライフは戸口の前から動かず、室内を見回した。
「さて、どいつが剣士だ?」
 それまで一番奥に悠然と座っていた男が立ち上がる。男は腕を覆っていた布を床に落とした。
 剥き出しの刃が、男の右腕から生えている。
 クライフは明るい茶色の瞳を細めた。
「……テメェ、知っててやってんのか? ずいぶん舐めてくれるじゃねぇか」
 低く嘲るような声と共に剣士が一歩足を踏み出すのを見て、クライフは一歩退った。その様子に、剣士が自分の優位を確信して笑う。
「おいおい、今更逃げようってのか?」
「当たり前だ。槍一本で剣士を相手にするのは、結構懲りてんだよ。すぐ折られちまうし」
「っ、舐めてンのか!」
 男は右腕を振り抜いた。床を蹴ったクライフの一瞬後を追う様に亀裂が走り、石造りの壁を砕く。その威力をちらりと視線を走らせて確認し、長槍の石突で地面を突くと、クライフは隣家の屋根に飛び上がった。戸口からクライフを追って野盗達と男が走り出る。
 剣士へ軽く手を振って見せてから、クライフは身を翻した。レオアリスの待つ、東の見張り台へ。
 バラバラと後を追ってくる残りの野盗達はレオアリスの邪魔にならないよう、後で相手にするとして、まずは剣士をレオアリスの元へ導いていく。。
 小さい村は、苦も無く相手を引き連れたまま、クライフを目的の場所へと通す。
 幾つかの家の角を曲がった先、村の東の端に張り出した見張り台の上に立つレオアリスの姿を認めると、クライフはチラリと背後に視線を向け、それから唐突に地面を蹴った。
「上将、後は頼んます!」
 槍を支えに空中で身体を捻って方向を変え、クライフは追ってきた野盗達と、剣士との降り立った。巧みに長槍を操り、野盗たちと剣士を分断して再び走り出す。
 レオアリスはそれに微かな笑みを浮かべて答えると、見張り台の前で足を止めた男と、向き合った。
 男は顔を上げて、レオアリスの姿を眺める。年若い、そして武器の一つも手にしていないその姿に、あからさまな嘲笑を浮かべた。
「何だ、てめぇは。まさかお前が俺とやろうってのか? 俺は剣士だぜ。剣一本持たずに、何しようってんだ?」
 レオアリスは暫く男に視線を注いでいたが、やがて残念そうにその目を閉じた。
「……お前と、同じはずなんだけどな」
「ああ?!」
 レオアリスの言葉に、男が不可解な表情を浮かべる。レオアリスは右手を鳩尾に当てた。
「何も感じないものなのか、それとも――、お前、剣士ってのは単なる騙りか?」
「な、何言って……」
 青ざめた男の言葉は最後まで発されずに、喉の奥に飲み込まれた。レオアリスの右手の辺り、鳩尾から、青白い光が静かに漏れ出している。
 右手が、ずぶりと手首の辺りまで鳩尾に埋まる。
 光は一際強くなり、レオアリスが右手を引き抜くと共に、細長く形取られていく。
 呆然と立ち尽くした男の前で、それはゆっくりと、姿を現した。
 青白く、光を纏う――
 美しい長剣。
 完全に姿を現したそれを、感触を確かめるように一度振ると、レオアリスは右手に提げて男へと一歩踏み出した。
 呻き声を漏らし、男が後退る。
 目の前に在る者が、何なのか――
「剣……士……」
 身体が恐怖に震えるのが判る。
 剣士の剣は通常、左右の腕のどちらかに宿る。だがそれ以外にただ一人、十三対目の肋骨に二対の剣を宿す者の名を、男でさえ知っていた。
 近衛師団第一大隊大将。
 二年前、王の午前試合を制した剣士――、レオアリス。
「――俺は、同じ剣士と剣を合わせた事が無い。だから、少し楽しみだったんだが」
 レオアリスから発される、皮膚を叩くような圧迫感。研ぎ澄まされた剣気。
 それは、男からは全く感じられなかった。
「術か何かで、後から付けたか」
 怒りと羞恥とが、男の眼の中で目まぐるしく入れ替わる。レオアリスの指摘どおり、右腕の剣は、術によって後から付けたものだ。
 剣士だと言って、ほんの少し岩でも砕いて見せれば、誰もが疑う事無く自分を恐れて従った。
 だが、紛い物とはいえ、それなりの力は備えている。正規軍の囲みすら切り裂いたのだ。
 男は唸り声を上げると、右腕を振り翳して地面を蹴った。
 レオアリスの右手が動く。
 青白い剣と撃ち合った瞬間、男の剣は音を立ててもろく砕けた。
「!」
 生じた剣風が、男の身体を弾く。
 悲鳴すら上げる間もなく、男の身体は幾つもに切り裂かれ――
 青白い光の中に溶けた。


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