青白い閃光が北東の夜空を切り裂き、消えた。 「何事だ!?」 雷光のように走って眼の奥に残像を残したそれは、既に影も形もない。 宿営地を見回っていた西方軍第三大隊右軍少将は、近くにいた兵士を振り返った。 「中将に報告せよ! 騎馬の準備は可能か?」 「はっ、いつでも動けるよう整えてあります!」 「では、一個小隊を用意させておけ」 慌ただしく駆け出した兵を見送った後、少将は自らも出る準備を整えるために、天幕へと足を向けた。 「火ぃ焚く必要あるかー?」 クライフが松明を手にしたまま、夜空を眺める。 「剣光が走った。必要無いでしょうね。退けますか?」 「了解よん」 ちょうどレオアリスが西の見張り台に向かって歩いてくるのに気付き、二人は左腕を胸に当てる。問い掛ける視線に、レオアリスは笑って首を振った。既にその手に剣は無い。 「残念ながらか幸いにか判らないが、剣士じゃなかったな」 「幸いですよ」 「――確かに」 苦笑して頷くと、改めて辺りを見渡す。疎らな草地の上には、野盗達が点々と倒れていた。 「これどうします? 縛って一箇所に置いときますか。あ、ちなみにやったの、全部俺っス。ロットバルトは見てただけで何もしてません」 「酒蔵に近づかない限りは、私の仕事ではありませんので」 澄まして当然のように返すロットバルトの言葉に、クライフはやり場の無い怒りを地面にぶつけた。レオアリスがそれを眺めて、苦笑交じりに吹き出す。そのまま口元に右手を当てた。 「まあ朝まで目は覚まさないだろうが、取り敢えず縛っとけ。それより早いとこ戻って、あいつ等に伝えてやらなきゃ……」 子供達の心配そうな顔を思い出し顔を上げた瞬間、駆けて来る幾つもの小さい姿が視界に飛び込んできて、レオアリスはぽかんと口を開けた。 「――はぁ!?」 思わず声が裏返る。いつの間にここまで来たのか、子供達は嬉しそうにきゃいきゃいとレオアリス達の周りを取り囲んだ。 「ありがとー!」 「お兄ちゃんたち、すごいよねー」 「ありがとー」 「……いや、お前等、どこから来たんだ? じゃねぇ、何でここに……、ああ? それも違うか?」 レオアリスは混乱したまま、足元に纏わり付く子供達を眺めた。 三人が飛竜で老婆の元を立つ時まで、彼等は確かにそこにいたのだ。それから制圧完了まで、半刻と経っていない。子供の足で歩いて来れる距離ではない筈だ。 「だって僕らずっとここにいるんだもん」 「ねー」 得意そうに顔を見合わせて、ころころと笑う。 「ねーって、ほんっと訳わからねぇ……」 「上将」 ロットバルトの声に、レオアリスはその指差した方に視線を向けた。 酒蔵を覆っていた蔦が、微かな音を立てながら、ゆっくりとほどけていく。呆然と見守る中、蔦はやがて完全にほどけ、最後は地面の下に潜り込むように姿を消した。 「――」 「疲れたねー」 「頑張ったもんねー」 「もう寝よう」 「寝よー」 振り返ったレオアリス達の前で、子供達の姿が次々と薄れ、消えていく。一番年長の少年が、にっこりと笑った。 「兄ちゃん達、皆を助けてくれて、ありがとな」 返す言葉を思いつかない内に、その姿も溶けるように消えた。 「……えーっと……」 呆然としたままのレオアリスとクライフを余所に、ロットバルトは酒蔵に歩み寄ると、扉を開いた。幾つかの悲鳴が上がり、漸く我に返って、レオアリスも扉に近寄る。 覗き込むと、中にいた村人達が、疲れ切った顔を恐る恐る上げた。 「怪我をしている方はいますか?」 ロットバルトの向けた穏やかな声と、三人の身を包む黒い軍服に、野盗では無いことに気付いたのだろう、村人達の顔に安堵の色が広がった。 扉の奥に男ばかり十人ほど固まっていた。そして声を聞きつけたのか、地下への階段から女性達と子供達、それから年寄り達が顔を覗かせる。 母親らしき女性が、腕の中の我が子を抱きしめ、溜息にも似た声を上げる。壮年の男がその肩を抱きながら、顔を上げた。 「怪我人はいない。皆無事に逃げ込めたから――。あいつ等が、何で入ってこなかったのか、判らんが」 それでは村人達は、ここを蔦が覆っていた事に、まるで気付いていなかったらしい。 「あなた方は? 西方軍の?」 「いや……ただ、この村の子供達に頼まれて……」 レオアリスの言葉に、村人達は不思議そうに顔を見合わせた。 「子供?」 「小さいのが、九人ぐらい」 呟くように答えたが、村の男が口を開く前に、その答えは既に判っていた。 何せ、自分達の目の前で、溶けるように姿を消したのだ。 「この村の子供達は、ここにいる子等で全部です」 飛竜から降り立つと、老婆はすでにそこで待っていて、レオアリス達の姿を眺め、深い皺に笑みを刻んだ。曲った腰を更に折るようにして、頭を下げる。 「子供等が、喜んでおったよ」 「あいつらは、何だったんだ?」 「あの子達は、あの村の葡萄の若木での。いつも丁寧に心を傾けて世話をしてくれる村人達を、大層好いておる」 「……葡萄……?」 眉を顰めて老婆の顔を見返したものの、子供達のころころと似通った姿を思い出し、レオアリスは思わず吹き出した。 房に連なった葡萄の粒が子供の形を取ったら、確かにあんな感じになるかもしれない。 「そりゃまた、頑張ったもんだ」 蔦を這わせて家を覆い、子供の姿を取って助けを呼びに行く。中々どうして、下手な剣士などより、ずっと役に立つではないか? 「子供等から、お礼が届いておるよ。ほら」 老婆が指差した先の草の上に、幾つかの葡萄の房と、口を皮で覆った甕が一つ、置かれていた。 クライフが甕の蓋を持ち上げて覗き込み、嬉しそうな声を上げる。 「うおー、こりゃ、ヤンサールの葡萄酒じゃねぇか。すっげぇ上物っすよ」 少し生意気そうなところのある彼等の姿をもう一度思い返して、レオアリスは口元を緩めた。酒は残念ながら飲めないが、葡萄の房を付けるあたり、気が利くのか小生意気なのか。 「……有難くいただいとこう。――貴方は」 眼を向けた時、既にそこに老婆の姿は無かった。 さわりと柔らかく枝葉が擦れる音に眼を上げると、年経た古い大樹が、白み始めた空を背負い、風にゆっくりと身を揺らしていた。 朝の太陽は既に東の空の半ばまで昇り、王都に鮮やかな光と長い影を投げている。太陽は王城の高い尖塔に半分ほど掛かり、光の冠を作り上げていた。 「眩し……」 ちょうど東に向かって飛竜を飛ばしている為、日差しは一直線に眼の中に飛び込んでくる。 目をしばたたかせながら、そう言えば一睡もしていなかったと、今更ながらに思い返す。朝の執務時間までにはまだ二刻ほど余裕がある。屋敷に戻るには時間が勿体ない、取り敢えず執務室で寝ようと、そう思った。 「ま、でも結構爽やかなもんだな」 「そうっすねー」 朝の大気はひんやりと澄み、心地良い。クライフも頷いたが、ロットバルトは意味ありげに笑っただけだ。 「?」 何かあるのかと問い返す間もなく、王都の街並みが通り過ぎ、王城の第一層、近衛師団第一大隊の士官棟が見えてくる。 なんとなくほっとしながら、レオアリスは中庭に向かってハヤテを降下させ、その背を降りて――思わずぎょっと身を引いた。 士官棟の内側をめぐる回廊の前の、その中庭の。 中央に置かれた噴水の前に、グランスレイが腕を組み、どん、と立っている。 「うわぁ……」 おじ気付いたレオアリスを余所に、ロットバルトはくすりと笑った。 「これはこれは、まるで朝帰りの娘を一睡もしないで待つ、父親のようですねぇ」 「何だ、その現実感溢れる例えは……! お前いつもそんな事やってんのか? ……じゃなくって、まあいいやそれは、頼む、ちょっと口添えしてくれ」 「私は、相手の家庭内には関わらない主義ですので」 「はぁ!?」 さらりと笑うロットバルトの横顔を、レオアリスは思わずまじまじと見つめた。 (――最低じゃないか?それは) いや、違う、今はそんな話ではない。 そんな事を考えている間にも、ロットバルトはさっさとグランスレイの前まで行くと「任務完了致しました」などと平然と言ってのけ、そのまま執務室に姿を消した。 (ずりぃ……) グランスレイの青筋の立っていそうな顔は、その間もじっとレオアリスに向けられている。 「――クライフ」 レオアリスの縋るような声に、クライフは非常に残念そうながらも、手にしていた甕を持ち上げた。 「分かりました!涙を飲んで、こいつを副将に献上しましょう!」 「いやっ、そうじゃなく……」 グランスレイの青筋がピシリと音を立てた。 「――このっ、大馬鹿者がーーーっ!!!」 大音声が中庭に響き渡り、窓硝子がビリビリと震える。 「うああっ」 二人は思わず後退り、首を縮めた。 「クライフ!貴様は戻って午前中までに始末書を提出しろ!」 「ひぇ」 「ちょっと待て、今回の件は……」 言いかけて、グランスレイの厳しい眼にじろりと睨まれ、レオアリスは語尾をもごもごと口の中に閉まった。 「――上将。ここに立ちなさい」 「は……」 おずおずとグランスレイの前に立ったレオアリスを、薄い緑の瞳が見据える。 「貴方は一体、ご自分のお立場と言うものが解っておられるのか!」 「――ハイ」 「声が小さい!」 「重々、承知してます!」 「暫くは、飛竜での外出は控えていただく。無論、異存はありませんな」 「ハイ……」 レオアリスは殊勝に頭を垂れているが、どうせ十日も保たないだろうと、グランスレイは小さく溜息をついた。 何と言っても周りが甘い。部下に慕われるのは隊内を統括する上で不可欠だが、規律を重んじ自ら実践する事も、上に立つ者としての欠かざるべき心構えだ。 そこをこの若い大将には、しっかりと自覚してもらう必要がある。 「悪かった。今後気を付ける」 「……ご理解頂ければよろしい。どうぞ」 執務室を手で示すと、レオアリスは安堵の息を吐き、扉に向かって歩き出した。 「上将」 後から声をかけるとレオアリスが慌てて振り返る。その様子にグランスレイは僅かに苦笑を洩らした。 「今回貴方が選択された事に、特に異論はありません」 レオアリスが傍目にも分かるほど、ほっと肩を下ろす。 「……甘い」 クライフは甕を抱えたままにやりと、ロットバルトは執務室の窓に寄りかかったまま、同時に呟いた。
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