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王の剣士3 「剣士」
【第三章】


 アス・ウィアンの外壁を囲むように、周囲の草原に北方軍第二軍中隊千騎が展開していた。重装歩兵を中心とした屈強な兵士達は、アス・ウィアンの街から棚引く幾筋もの煙を視界に捉えながら、進攻の号令を今や遅しと待っている。
 街の内部の様子は城壁に阻まれ、この場所からは見て取る事は出来ない。だが、先日のエザムと同じような状況であろう事は、立ち昇る煙から想像できた。兵達の間には、戦いに逸る気持ちとバインドに対する怒りが満ちていた。
 陣の中央に張られた本陣では、先程から指揮官カシムや参謀官、少将等が集い軍議を行っているが、まだ動く気配はない。
 一人の兵が逸る気持ちを表すように、腰に帯びた剣の鞘を叩き、鎧に打ち付ける。規則的に叩かれるそれが、やがて輪のように広がり、アス・ウィアンの敵を脅かさんとするように、雷鳴のごとく響き始めた。


「――馬鹿な!公は何を考えておられる!」
 本陣の幕中で、中将カシムは憤りのあまり、手にしていた剣を足元に叩き付けた。たった今、伝令がアスタロトの指示を運んできたのだ。
 『レオアリスが着くまで、陣を展開させ、そこで待て』
「手を出すな、と……」
 腕の血管が浮き上がるほど両手を握り込む。周囲からは兵士達の剣を打ち付ける音が、幕内の会話を掻き消すように響いてくる。
 バインドが目前に居るのは分かっている。アス・ウィアンの警備兵を殺害し、その後は街に入ったまま動いていない。
「あのガキに、譲れと……!?」
 足でそこに置かれていた衝立を蹴り上げる。衝立は激しく音を立てて倒れ、側近達はびくりと身を縮ませた。
 もともとカシムは気性の荒い将だ。先日バインドによって焼かれたエザムはカシムの管轄でもあり、名誉挽回を期して功を焦る気持ちも強い。
(バインドをこの手で討てば、名を上げられる。それを、ただ待てだと?)
 剣士がどれ程のものだというのだ。自分とて剣にそれなりの自負がある。更に千もの重装歩兵を擁して、何の不足があると言うのか。
「ここは、公の仰るとおり、様子を見るしか」
 恐る恐る、北方二軍の二等参謀官ノーマンはカシムの顔を見上げた。その弱腰と映る態度をカシムは憎々しげに睨む。剣士と聞いて以来、この男はやけに慎重策ばかり説き、それもカシムの苛立ちに拍車を掛けていた。
(老いぼれめ)
 だが、命令に反するか?
 規則正しく、雷鳴は轟いている。
(……いや、倒せばいい事だ。命令に背いたも何も関係ない。あの方は、所詮あまり多くを気にされぬ)
 カシムは、荒く息を吐くと、ノーマンに眼を向けた。
「包囲を狭め、三方の門より討って入る」
「し、しかし……」
 怒りに満ちた眼で、カシムはノーマンを睨み付けた。
「しかしだと?! では貴様は、ここで間抜け面を晒して笑い者になるか! 北方二軍はたった一人の敵を囲むだけで、手も足も出なかったと?!」
「そ……」
「さっさと行って全軍に伝えよ!」
「は――はっ」
 慌てて伝令を呼ばわりながら駆け出していく後姿に舌打ちをし、カシムは剣を取り上げた。


 すぐに、全軍が移動を始める。外壁の三方の門に向かって、三隊に分かれて重い足音を立てながら進行していく。アス・ウィアンはすぐ背後に深い森が迫り、門を持つのは北、東、南の三方だけだ。
 門を守る警備兵は、全てバインドによって切り裂かれ、辺りに転がっていた。その様を横目で眺めながら門を抜け、兵士達の列がひしめきながらアス・ウィアンに入る。
 折り重なった死体。それは何か、どこかが異様で、兵達の間に正体の知れない不安が過ぎった。
 街並みはまるで大きな鉈でも振るったかのように壁は切り崩され、焼け落ちて煙を上げている。狭い石畳のそこかしこに住民達の死体が転がっている。街の中には進軍する兵列の他に、動く影は見あたらなかった。
 アス・ウィアンはそれほど大きい街ではない。だがそれでも、その光景には兵達の怒りを急速に冷ますような、心胆を寒からしめるものがあった。
「……本当に、これを一人でやったってのか……?」
 歩兵の一人が厚い頬当ての奥で呟いた言葉は、等しく兵達の心の中に浮かんだ疑問でもある。
 極力崩れた家々を、倒れている人々を見ないように前を向き、兵列は重い足音を石畳に打ち鳴らしながら進んだ。視線の先には先頭に騎馬を立てて進む、中将カシムの姿が映る。
 その堂々たる姿は兵達の心を鼓舞し、不安を打ち消すのに十分なものだ。きつく傲慢なところがありはするものの、殊戦場においては、カシムは十二分にその将たる所以を示している。
 カシムは兵列の先頭に立ち、苛立ちを隠さない瞳で街の中央に聳える塔を睨んだ。その塔の上屋に、隠そうともしない気配があった。


 バインドは街の中央に聳える塔の屋根に座り、軍が街中を三方から進んでくる様を面白そうに眺めた。
「動くか。愚かな奴等だ。損害を増やすだけだと、判断できる将もいないのか?」
 足下の街からは、炎の起こす煙と肉の焼ける臭気が立ち昇ってくる。
 低く笑った。
 既に正規軍はバインドの足元の広場を埋め尽くそうとしている。
 くつくつと、喉の奥に湧き上がるそれは、次第に狂気を孕んだ哄笑に変わる。
「何がおかしい」
 背後の気配に振り返る事もなく、バインドは笑い続ける。カシムはバインドが振り向かない事に痺れを切らして、剣を抜き放った。
「貴様がバインドか。俺は正規北方軍二軍中将――」
「誰でもいい」
「何だと?!」
「切り刻めるなら、構わんよ。兵は何騎だ? 五百か、千か――。多い方がいいなぁ」
「ふざけ……」
 紅い熱が、幾筋も走った。
 振り上げようとしたカシムの剣と、二人の間に伸びる煉瓦作りの塔の屋根が、音を立てて砕ける。バインドは一切振り返らないまま、再び笑い出した。
 時を止めたように立ち尽くしたカシムの身体に幾つもの亀裂が生じ、ずるり、と崩れた。
 次の瞬間赤い炎に包まれ、燃え上がる。
「――クックク……ハ! ハハハハハ! ああ、つまらねぇ……」
 喉を反らせて呟き――、バインドの瞳が地上に落ちる。
「手応えの無い分、思う存分切り刻ませてくれよ」
 地上に落下したカシムの破片を追って、バインドの足が屋根を蹴る。上空から炎に包まれた身体の部品がばらばらと降りかかり、言葉を失った兵士達の真ん中に降り立った。
 広場を取り囲んだ兵士達は、何が起こっているのか全く理解出来ないまま、ゆっくりと立ち上がる男と、燃える身体の破片を見つめる。
 バインドが歪んだ笑みを頬に刻んだ。
 兵達に剣を構える暇も与えず、左足を軸に円を描き、バインドの剣が一閃する。
 バインドの周囲の兵士達が、雪崩れるように外に向かって倒れた。切断された面から噴き出すはずの血はなく、肉の焼ける音と臭いが辺りに漂った。
「……ひっ」
 たった一刀が切り裂いた結果を目の当たりにして、兵士達が一気に浮き足立つ。
 バインドは崩れた兵列に向かって地を蹴った。
 もはや戦場とは呼べない。それは一方的な殺戮だった。
 焔を纏った剣が翻る度に、腕が、脚が、首が、撥ね上がる。傷口から血が流れないが故に、それはどこか、ひどく作り物めいて見えた。
 二つに割られた胴が燃え落ちる。身体を守る分厚い鎧など無いかのごとく、まるで人形の手足を落としてでもいるかのように、バインドは無造作に剣を振るう。瞬く間に、その場に切断された身体の山が築かれていく。
 バインドが足を進めるごとに、血を流す事のない死体が列をなす。
 一つの鎧も身に纏わないにも関わらず、バインドは平原を行くがごとくにただ歩みを進める。
 無防備とも思えるその背に、数人の兵が恐怖に震える腕を鼓舞し、一斉に剣を突き立てた。
 一瞬、バインドの動きが止まる。逃げ惑っていた兵達が、息を飲んで佇んだ。
「やった……」
 バインドがゆるやかに振り向くと同時に、突き立てた数本の剣が根元から砕けた。
 喜びに見開かれた兵士の眼が、一瞬の内に驚愕に取って代わった。
 低い忍び笑いが耳を打ち、歓声を上げようとしていた兵士達の口から、恐怖に追われるように悲鳴が上がる。
 先程よりも散り散りに、統率すらなく、兵士達は走り出した。
 それを悠然と追い、既に戦う意志を失った兵達を、バインドは動きを止める事なく刻み続ける。
 顔に浮かんだ、狂気のような笑み――。その瞳が、ふと見開かれた。
 喜色がそこに踊る。
 兵の一人を切り裂く寸前で、剣が動きを止めた。
「来たか――」
 笑みが、深まる。
 上空で、何かが陽光を銀の矢のように弾いた。
 そこから叩きつけるような風と共に、青白い光が尾を引いて地上に急降下する。
 バインドの、真上――。
 撥ね上がった炎の剣が、閃光となって撃ち込まれた青白い剣を受け止めた。
 剣と剣とが撃ち合った瞬間、爆発したかのように突風が吹き上がった。
 周囲に残った兵士達が、爆風に押されて石畳の上に倒れ込む。
 顔を上げ、突風の中心に視線を向けた兵士達の顔に、漸く安堵と希望の光が灯った。
「……ああ――」
 呻くような歓声が、残った兵士達の間に々と広がっていく。バインドは合せた剣の向こうにレオアリスの姿を捉え、口元の笑みを広げた。
「……待っていたぞ。あんまり遅くて、食い尽くすところだった」
 剣を合せたまま、レオアリスは周囲に視線を走らせた。転がった兵士達の身体と、恐怖と憔悴の貼りついた顔。肉の焼ける、吐き気を催すような臭気。
 怒りが、黒い瞳に灯る。
「――貴……様ァ」
「クク、楽しい光景だろう?」
 弾くようにバインドを睨み、レオアリスは剣に乗せた力を緩めた。
 押さえを失ったバインドの剣が撥ね上がるのに合せて、青白い切っ先が紅い刀身の上を滑る。踏み込み、手の中で剣を反し、空いた左脇腹を斬り上げる。
 僅かに切っ先に掠めた感触だけを残し、バインドが後退する。それを追って間合いを詰め、左から剣を薙ぐ。迎え撃ったバインドの剣が大きく弾かれた。
 瞬間叩き込まれた剣を躱し、バインドは地面を蹴って距離を取った。それまでバインドが立っていた地面が、レオアリスの剣の余波を受けて大きく陥没する。
 バインドはそれを眺め、ゆらりと立ち上がった。
 恐れて離れたのではない。その瞳にあるのは、紛れもない喜びだ。
「……ずいぶん長い間、この時を待ってたんだ。この右腕を失ってから、十七年――。楽しみで、仕方なかった」
 バインドの身から叩きつける剣気が、ビリビリと大気を振動させる。自分の頬を叩く風に黒い髪を巻き上げながら、レオアリスは一歩、バインドへと踏み出した。
 右手に無造作に提げた剣の青白い光が、じわりと大きくなる。
 相手から一瞬たりとも視線を動かさず、互いの間合いを計る。二人の纏った剣気がぶつかり合い、渦を巻いて周囲の石くれを砕いていく。あまりの鬼気に、周囲を囲む兵士達が後退った。
 呼吸すら苦しいほどの静寂が落ちる。
 バインドの剣が僅かに動いた瞬間、ふ、とその瞳がレオアリスの後方に向けられた。
 遥か彼方から、強烈な圧力の塊が近づいてくる。炎の気配だ。
「ち、アスタロトか――。さすがに二人相手はきついなぁ」
 十七年も待ったのだ。誰にも邪魔をされず、ゆっくりと戦える方がいい。
「残念だが、仕切り直しだ」
「ふざけるな!」
「謎掛けは解いたのか?」
  嘲るように問いかけたバインドの言葉に、レオアリスは息を詰めた。バインドが口元を歪める。
「その様子じゃまだだなぁ。クク、念入りに隠して、随分と大仰な事だ」
「……戯言ばかり」
 苛立ったレオアリスの言葉を皆まで聞かず、バインドは挨拶代わりだとでもいうように、レオアリスの左後方に居た兵士達めがけて、剣を討ちこんだ。
「!」
 咄嗟に伸ばされたレオアリスの剣が、辛うじてその刃を弾く。剣の勢いを殺しきれず、レオアリスは弾き飛ばされるように後方の兵士達の間に倒れ込んだ。
「そうだなぁ……一番相応しい思い出の地で、再び会おうか」
「っ」
 頭を振って立ち上がった時には、そこにバインドの姿は無かった。
「――」
 苦い溜息を吐き、バインドの気配が完全にその場から去ったのを確認して、レオアリスは上空を振り仰いだ。
 全てが解決すると、そう思ってここに来たものの、結局何も変わっていない。
(何も問い質す暇も無かった……)
 そんな余裕など見当たらなかったと言った方が正しいだろう。数合剣を合わせただけで、まだレオアリスにはバインドの力を計りきれていない。
 レオアリスは自分の剣に視線を落とした。
(これだけじゃ無理か)
 空いている左手を、鳩尾に当てる。もう一つの鼓動が、微かに感じられる。
「――」
 瞳を閉じ、抑えるように息を吐いた。右手の剣が掻き消える。
 さっと陽が翳り、飛竜の翼の羽ばたきが大きく風を散らした。視線を上げると、艶やかに磨き上げられた濃紺の鱗をした飛竜が、レオアリス達の上空に浮かんでいた。
 その背からアスタロトが飛び降りる。軽やかな動作で地上に降り立つと、上空の飛竜に向かって手を振った。
「ありがとう、アーシア」
 飛竜の青い瞳が頷くように細められる。
 アスタロトは辺りを見回しながら、普段は無い張り詰めた表情を浮かべてレオアリスの横に立った。
「これは予想以上だな。お前が間に合って良かった」
「……これじゃあ間に合ったとは言えない」
 低くそう返し、レオアリスはまだ呆然と蹲ったままの兵士達に歩み寄った。見覚えのある顔を見つけ、その前に膝を付く。老齢に近いその男は確か、北方二軍の参謀官だったはずだ。覗き込んだ目には怯えた色がある。
 正規二軍は勇猛で知られる。それが、これ程とは――。
「動けるか」
「は、はい」
「良かった。カシム、だったか?二軍の将は。どこにいる?」
 ふいにノーマンの眼の中の怯えが大きくなった。両腕が何かに縋ろうとするように、レオアリスの腕を掴む。アスタロトと顔を見交わし、レオアリスはノーマンへ視線を戻した。
「ちゅ、中将は……あ、あの男、あっという間だった――まるで、紙でも切るみたいに、あんな」
 レオアリスの腕に縋る手の指が、軍服の厚い生地を通して強く食い込む。その力から感じられる恐怖。
 だが、背後に広がる悪夢じみた光景を見れば、それは無理もない事といえた。
「……ひどい有様だ。全滅を免れただけでも、幸いと言うべきか」
 ノーマンの身体の震えが一層強くなり、レオアリスの腕に伝わる。レオアリスは戦場に向けていた視線を戻した。聞き取るのがやっとの声だった。
「あ、あの時、全滅したのに――北方辺境軍、近衛師団第二大隊…………手を出すべきじゃなかった」
 レオアリスの瞳が険しくなる。肩を掴み、虚ろに見開かれた瞳を覗き込んだ。
「どういう事だ」
「あの男が……師団の。味方の軍を、全部」
 突然、燻っていた柱が音を立てて崩れた。虚ろな瞳がさっと焦点を結び、呆然と座り込んでいたノーマンは跳ねるように立ち上がると、アスタロトに向かって敬礼した。
「ご、ご無礼を! ご報告いたします、我が隊は正午丁度を以ってアス・ウィアンの三方の門より入り、街の中央の塔で目標を包囲、しかし――」
「……私は、手を出すなと伝えたはずだったんだがな」
 アスタロトが声を落とす。
「も、申し訳ございません!」
「――まあいい。カシムが死んだ以上、責を問う奴もいない。それより」
 ふいに遠くが騒がしくなる。南の空に靡いた軍旗に、近衛師団が到着したのだと判った。
 ヴィルトールは飛竜の背から飛び降りると、先程のアスタロトと同様、周囲の光景に信じられないといった表情を浮かべ、レオアリス達の方へと歩み寄った。
 足を打ち鳴らすように姿勢を正すと、左腕を胸に当てる。後ろで纏めた長い灰銀色の髪が揺れた。
「御前に、上将。右軍全騎揃っております」
 もう一度、ヴィルトールは厳しく眉を寄せたまま周囲を見回した。
「が……どうやら援軍よりも救護班が必要のようですね」
「まずは生存者を探して手当てを。……死者は、どうする?」
 後の言葉はアスタロトに向けたものだ。
「多すぎるな……。後から一隊を寄越そう。生きてる奴から頼む」
 ヴィルトールは頷くと広場にいた近衛師団少将を呼び、手短に指示を出していく。
 レオアリスは目の前の将校に瞳を向けた。その上には先程までの取り乱した怯えの色よりも、軍の失態とアスタロトによる叱責を恐れる、ある意味正常な感情しか見出せない。
 レオアリスの視線に気付き、ノーマンは何かを恐れるように視線を逸らした。
(――同じか)
 グランスレイ、総将アヴァロン、それから軍議の間で感じたあの空気と。
 おそらくもう問い糺しても口を開くまい。
 近衛師団兵に肩を支えられながら退出するノーマンの後姿を、レオアリスは黙ったまま見送り、拳を握り締めた。
『全滅した――北方辺境軍、近衛師団第二大隊』
『味方の軍を……』

 アスタロトはその横顔を暫く見つめていたが、どこか怒ったような表情を浮かべ、視線を街に逸らす。
 肉の焦げる重い匂いが、吹き抜ける風に散らされる事を拒むように、いつまでも漂っていた。





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