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王の剣士3 「剣士」
【第三章】


 一気に吹き出した苛立ちは既に鳴りを潜めていたものの、完全に消えた訳ではなかった。
 情けない態度だと自分でも判ってはいた。本来なら、あの場で飲み込んでおくべき事だったのかもしれない。
 けれど、どうしても出来なかった。
(何でなんだ)
 誰も彼も、知っていながら隠す。そうしながら、意味ありげな視線を向けてくる。一体何を自分に望んでいるのか、それが判らなくてもどかしい。
 ふと、レオアリスは瞳を上げた。
 バインドが自分に告げた事は、おそらく偽りではないだろう。
 なら、自分がここにいる事は、果たして望まれているのだろうか。
 自分は?
 水気を失い始めた草を踏む微かな音を捉え、レオアリスは振り返った。レオアリスが寄りかかっている演習場の壁伝いに、歩いてくるアスタロトの姿が見えた。
 ゆっくり歩み寄りながら、アスタロトは鮮やかな紅の瞳でレオアリスの顔を見つめる。レオアリスの顔に昇ったいつもは見せる事のない戸惑った表情に、小さく笑った。
「情けない顔だな」
 アスタロトの指摘に、レオアリスが自嘲するように口元に笑みを浮かべる。その笑みをアスタロトはただ黙って眺めた。
 告げるつもりでここに来たのに、いざ本人を前にすると言葉が出てこない。
 喉も胸も、いまだに重い。先ほどの声は少し掠れたが、気付かれなくて良かったと思った。
(いつも通りに笑え)
 アスタロトはレオアリスに真っ直ぐ視線を向ける。
 レオアリスの過去がどうだろうと、何も関係ない。アスタロトはレオアリスに会ってから、結構楽しい。おもねる事も、距離を置く事もなく、身分もない。
 『アスタロト』を継承した時から、そんな相手はもう望めないと思っていた。だから余計、嬉しかったのだ。
 レオアリスは、自分がアスタロトだと知った後も何も変らなかった。当たり前の事だ。自分も変らない。
 二人は演習場に張り巡らされた壁に寄りかかるようにして座った。顔は中央の広場に向けたまま、アスタロトが懐かしむような響きで口を開く。
「……覚えてるか。初めて会ったときのこと」
「忘れる訳ないだろう。まだあれからそんなに経ってない」
 ひどく長い時が過ぎた気がするが、レオアリスが王都へ来てからまだ三年も経っていないのだ。
 初めて出会ったのは、西方の深い森の中だ。まだレオアリスが剣士として覚醒する前の事で、初めは術士として王都に上がるつもりでいた。王の御前試合には参加資格が必要で、レオアリスはその資格を得るための途上だった。
「最初、食おうと思ったんだよなー」
 レオアリスは前を向いたまま眉根を寄せ、何の話なのだろうかと一瞬考え込んだ。
「――誰を」
「お前」
「……はあ?!」
 慌ててアスタロトを振り返ると、アスタロトは何故かうっとり瞳を細めている。
「だって、森ん中をずっと歩き回ってて、すっごい腹減ってたんだもん」
(――こいつ、マジっぽい……)
「……うぁ〜……」
 とんでもない事をさらりと口にされ、レオアリスは頭を抱えて胡坐を組んだ膝の上に屈み込んだ。
「信じらんねぇ」
 レオアリスとしては、村を出て、ほぼ初めて巡り合った相手が目を疑うほど可愛い少女で、少しばかり、正直に言えば当時はかなりどぎまぎとしていたのだ。それがよもや、食われかかっていたとは。
(丸呑み? やっぱ丸呑みか?)
「食わなくて良かった」
 レオアリスの苦悩は知らず、呆れて上げられた顔を見つめ、アスタロトはに、と悪戯っぽく笑った。ほっそりとした腕で両膝を抱え込んだまま首を傾げ、からかうようにレオアリスの顔を覗き込む。
「面白かった。へっぼい術でさー、御前試合に出ようなんて、いい根性だと思って」
「……うるせぇな」
「自分が剣士だって事も知らなくてさ」
 アスタロトは膝の上に顎を載せ、目の前の広い演習場に視線を戻した。
「お前が、王都に来て良かった」
 レオアリスは浮かべていた呆れと抗議の入り混じった表情を消し、漆黒の瞳でアスタロトの横顔を眺める。二人の他に誰の姿も無い演習場内は静かで、遠くの街のざわめきがここまで微かに届いていた。
 アスタロトの言葉が、黄昏時の冷えた風に力強く刻まれる。
「何があっても、私はお前の友人だからな。忘れんなよ」
 真っ直ぐに自分に向けられた深紅の瞳。その瞳を見返す。
「――話せよ。聞いたんだろう」
「聞いた」
『全てを話すか、それとも伏すか。二つに一つだ。だが、全てを知れば、レオアリスはここを離れるかもしれんな』
 ベールの言葉がちらりと頭に浮かぶ。
 それでも目の前のレオアリスの瞳には、過去を受け止めようとする色がある。
「なら、頼む。知りたいんだ」
(大丈夫)
 アスタロトはもう一度その顔を見つめ、息を吸い込むように唇を開いた。
「――十七年前、北方で反乱があった」
 アスタロトは言葉を紡ぐ。それはまるで刃物のように、喉を切り裂く感じがした。
「反乱を起こしたのは、レオアリス、お前の一族だ」
 束の間の沈黙の後、レオアリスの瞳が大きく見開らかれる。
 色を失ったその瞳に、アスタロトの裡に一瞬強い後悔が生まれた。
 だが、伝えると決めたのだ。既に口火は切った。今さら消し去ることなどできはしない。
 迷いを振り切るように、アスタロトは声の響きを強めた。
「詳しい経緯は知らない。ただ切っ掛けは、剣士の一人が辺境軍の小隊を切り捨てた事だって話だ。――多分、お前の育った村の者が詳しいだろう」
 『反乱』――。
 その言葉は、初めまるで意味のある言葉として頭に入ってはこなかった。
 自分の、一族が、
 誰に対して……?
 軍に。

 ――いや。

 それは雷光のようにレオアリスの脳裏に閃いた。


 王に。


「――は」
 笑おうとしたのに、声は出ない。喉が引きつるように震えただけだ。
 強い眩暈を覚えて、レオアリスは乾いた草の上に片手を付き、上体を支えた。開いた片手が無意識に胸元の青い石の飾りを握り込む。
 漸く、判った。誰もが口を閉ざし、触れないように秘していた訳。
 バインドのあの言葉。
 眩暈がする。
 まず浮かんだのは、当然の疑問だ。
(――何で、俺はここにいるんだ?)
 王の敵を排撃すべき近衛師団に、何故。
 アスタロトは口を閉ざし、俯いたレオアリスの顔を覗き込む。
「……大丈夫か?」
「――ああ」
 足元が、柔らかい綿にでもなったように頼りなく感じられる。地面がそこにある事を確認するかのように、レオアリスの指が枯れかけた草を握り込んだ。草は容易く千切れ、吹き抜ける風に舞う。
 だが、最初の衝撃が過ぎれば――、その二文字はやけに空虚に感じられた。
 実感などない。
 そんな立場の自分が今ここに居る事を疑問に思いはしても、反乱を起こした自分の一族に対する、同調も反発もない。
 それは彼等が顔も知らない、遠い存在だからなのかもしれなかった。
「……まだ先は長い。続けるぞ」
 レオアリスが黙ったまま頷くのを視界の端に収めながら、アスタロトはベールから聞いた話を感情を交えない声で淡々と反復していく。そうしないと、何も言えなくなる気がする。
「――戦いは長引いた。配備されていた北方軍には、鎮圧する力はなかった。まぁ、相手が剣士の一族じゃ仕方ない。けど、圧倒的優位に立ちながら、不思議と反乱は辺境から広がる事は無かった。だから、反乱の理由は不明確なんだ」
 片膝を抱え込み、その上に顎を載せるようにして演習場の広場に顔を向けたまま、レオアリスは黙ってアスタロトの言葉を聞いている。
「暫らく戦局が動かないのを見ると王は師団を送った。バインドがいたからだ。バインドは当時、並ぶ者のない剣士だったらしい。……最初は、バインドが上手く反乱を抑えかけたかに見えた。――でも」
 同じ剣士との戦い。
 剣を交え、相手を切り裂く内に、バインドは狂っていった。
「……狂った?」
 レオアリスの瞳が形容しがたい色を浮かべ、アスタロトに向けられる。
 身の裡で、剣が微かに脈打つ。
「そうとしか言い様が無かったみたいだ。敵も味方も、構わず斬りはじめたんだから」
「――」
 当時の戦場からの急使、事後の調査、それらから次第に形を帯びた戦場の様子は、誰をも絶句させるに足るものだった。
 バインドは徹底的に切り刻んだ。
 手当たり次第、敵味方関係なく。
 少しでも、目の前に動くものは全て。
 北方軍、師団ともに、死者の半数以上は、敵ではなく味方であるバインドによって命を断たれたのだ。
 バインドはあらゆるものを切り裂きながら、やがて剣士の里に辿り着いた。その頃には、既に反乱軍と鎮圧軍という図式は崩れ去り、バインドを抑える事こそが、戦いの目的に刷り変わっていた。
 それが
「唐突に――」
 バインドが消えた。
 そして、
「そこに、お前がいたんだ、レオアリス。赤子だったお前は、バインドが消え、お前の一族が滅びた後の村に、ただ一人残されていた」
 炎の中に泣き声を上げていた赤子。
 遠からず焼かれて命を落としていたであろうその赤子を、炎の中から救い上げたのは、王自身だった。
 王が何故そうしたのかは判らない。反乱を起こした一族が既に滅びた今、もはや咎を負う必要もないと、そう考えたのか。
 赤子は、剣士の里のすぐ近くにあった村に預けられた。


 口を閉ざしたアスタロトの横で、レオアリスは黙ったまま、自分の手の上に視線を落とした。交わす言葉もなくただ座っている二人の足元では、枯れかけた芝が、落ちかかった長い陽に細かな陰影を作っている。
 やがて深い溜息をついて、アスタロトは静かに立ち上がった。まだ座り込んだままのレオアリスに視線を落とす。
「――私は行くよ」
 見上げたレオアリスの上には、アスタロトが恐れていたような感情の色は見つけられ無い。だがもっと感情を露にされた方が、不安を感じずに済んだかもしれないと、そう思った。
「……私が言ったこと、忘れんなよ」
 アスタロトの表情に、レオアリスが苦笑を浮かべる。
「なんて顔してんだ」
 不安が、おそらく顔に出ていたのだろう。
「ふん。お前のせいじゃないか」
 むっとして顎を逸らしながらも、いつもと変わりの無いレオアリスの口調に、漸くアスタロトの胸の裡が少し軽くなった。レオアリスが肩を竦める。
「悪かったな。……少し、混乱してるだけだ」
 アスタロトはその顔を暫らく眺めていたが、一つ溜息をつくと、腕を伸ばしてレオアリスの頭をばしっと叩いた。
「さっさと帰れよ。お前の隊、お前の事心配する奴らばっかじゃん。ガキじゃないんだから、あんまり心配させんな」





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