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王の剣士3 「剣士」
【第三章】


 アスタロトと別れても暫くの間、レオアリスは演習場に張り巡らされた壁に背中を預けたまま、次第に暮れて行く空を眺めていた。
 探していた過去は、自分の想像以上のものを秘めていた。だが、それをどう受け止めるべきなのか、全く見えてこない。
 指先が胸元にかけた青い石の飾りを弄ぶ。
『お前自身の為じゃ』
 スランザールの言葉が、脳裏を過り、ふと瞳を上げる。
 レオアリスがここで今までやってこれた理由、それは一重に彼等の態度の故ではなかったか。
 敵愾心や自分を疎む気持ちの見える者もいたが、グランスレイやアヴァロン、スランザール、そして、王。
 過去を知っているはずの彼等の中に、自分に対する負の感情を感じた事はなかったように思う。
 王は何を思って、自分をその懐に受け入れたのだろうか。
 自分に何を望んでいるのだろう。
 レオアリスがその剣を向けるとは考えていないのか。
(……剣を、向ける?)
 何故だろう。いくら自分の心の中をさらってみても、その考えはまるで見つからない。もっと時を置き、その事実を自分の中で現実として捉えたならその思いが生まれるのかもしれなかったが、今はそうは思えなかった。
 赤い落日が長い影を差す。斜陽に染められた演習場は、まるで炎の中にあるように感じられた。
 この色は好きではない。眩暈がする。
 ぐらりと深淵に踏み込みかけた意識が、それを切り裂いた焔に引き戻される。
 その焔を知っている。
(――バインド)
 師団第二大隊と北方辺境軍、そして、自分の一族を滅ぼした男だ。
 周囲を焼く赤い炎。
 自分はそれを見ていたのだろうか。
 レオアリスの中の剣が、どくんと鼓動を刻む。
 バインドを斬る。それが今レオアリスのすべき事だろう。
 だが、何の為に?
 王城に侵入した者としてか。エザムとアス・ウィアンを焼いた者としてか。
 それとも、自分の一族を滅ぼした者としてか――。
 どれも、今のこの曖昧な迷いを打ち消す程の相応しい理由には思えなかった。
 レオアリスは立ち上がると服に付いた草を払い、演習場の門へと歩き出した。そうしたものの、その足をどこへ向けるべきか決めかねている。
 このまま近衛師団に戻って、それでどうすればいい?
 いつも通り、何も無かったように振る舞えるとは思えない。
「――」
 厩舎にはハヤテが待っている。ハヤテの翼なら、一晩も飛ばせば故郷の村に着けるだろう。
(爺ちゃん達、元気でやってんのかな……)
 口の中で呟くと、堪らなく祖父の顔が見たくなった。それはただひたすら、その想いだけだ。
 全て放り出してあの家に帰ったら、祖父は何と言うだろう。怒るだろうか。
(だって、何でもないじゃないか)
 ここで。
 この場での、自分の立場は、何だと言うのだろう?
 反逆者か、王国の兵か。
 周囲は、どちらである事を求めているのだろう。
 厩舎の木戸を押し開けると、銀翼の飛竜が待ちかねたように長い首をもたげた。レオアリスへ首を伸ばして背に乗れと促す。首筋に手を置くと銀の鱗はひやりと心地よい手触りを伝える。
「――お前、北に行くか? それともどこか行きたい所はあるか?」
 ハヤテは丸く青い瞳を不思議そうに瞬かせ、再び帰ろうと云うように首に置かれたレオアリスの手を押した。
 この飛竜は、大将に任じられた時、王から賜った。疲れを知らない疾い翼が気に入っている。北の辺境にも半日程で辿り着く。
 だが、王から賜ったものだ。
 レオアリスは首を傾げるハヤテを見つめた。
「……悪いな。今日はここで休め」
 レオアリスは一度その首を軽く叩き、置いていた手を下ろした。
 ハヤテが呼び止めるかのように高い声を上げるのを、背中で断ち切るようにして厩舎の扉を出る。
 演習場は王都の周辺部にあり、正面の道は王城に向かい、左右へ延びる道は王都の外周を巡りながら各方面の街道と繋がっている。ここから北方に行くには、北の街道は正反対の位置にあった。外周をぐるりと回るよりも正面の道を城下に向った方が近道になるが、当然のごとくそれには王城の傍を通る事になる。
 行く先を未だ決めかねたまま、レオアリスはいつもの習慣で正面の道を歩き出した。
 左右を木立に囲まれた石畳の道を辿ると、すぐに巨大な門が聳える。門は常に万人に開かれており、それを過ぎると城下の街に入る。門の向こう、夕闇が迫る街には、至る所に明かりが灯り、旅人に長い道行きの終わりを知らせていた。
 門を潜った瞬間、それまでの牧歌的な風景は一変し、雑多とした色彩が互いに争うような、賑やかな街並が広がった。そこかしこに燭蝋の灯りが溢れ、昼とは違った喧騒に満ちている。
 王都は各地から様々な種が集まる坩堝であり、特にこの辺り、下層と呼ばれる地区は雑多な感が強い。酒、賭博、喧嘩、流血沙汰も珍しいものではない。陽が落ちると袖を引く街娼達の姿が街角に立ち、半ば公然とそこにある遊廓。地下では禁制品が売買され、表に出ることのないの商業網が確立されている。
 以前行ったミストラ山脈の街の闇など、ここは比較にならない。
 世界の中心に開く巨大な花が、その広げた花弁の一枚一枚に抱え込む複雑な影。
 自分も、その影の中の一つにいるのだろうか。
 レオアリスは王城の外門へと続いている広い道を選んで歩く。陽が落ちてきたこの時分の方が、この辺りは賑やかだ。通り沿いに犇めき合う屋台、立ち並ぶ店は建物の二階や地下にまで軒を競っている。
 ただ慣れない者が一人で歩くには少し危険を伴う場所でもある。道端や屋台の奥に屯しているのは、一癖もありそうな顔ばかりだ。左右には細い路地が幾筋も伸びていて、その奥は迷路のように複雑に入り組んでいる。
 吹き抜ける風に肌寒さを覚え、レオアリスは今更ながらに上衣を着てこなかった事に気が付いた。陽が落ちた後では、薄い半袖の服一枚だけでは不十分だ。
 周囲の建物の窓に灯る明かりが、温度を持って感じられる。
(……そう云えば、クライフはこの辺に住んでたな)
 込み合った街並みに目を向けて歩いている内、ふとクライフが王城から遠い下町に好んで住んでいる事を思い出した。中将ともなれば王城内の士官区に官舎が支給されるのだが、この辺りは種々様々な住人達がいて面白いのだと言っていた。
 あの後どうなっただろう。彼等の戸惑った顔が脳裏に浮かぶ。引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、何も言わずに出てきてしまった。
 彼等が、事実を知ったら、どう思うのだろう。
 レオアリスはピタリと足を止めた。それでいて、止まった足に不思議そうに瞳を落としている。
(……行こう)
 促すように思ってみても、止まった足は動く気配を見せない。
 第一、どこに行くと言うのだろう。
 地面に貼りついたように動かない足は、問いかけてくるようだ。
 どこに?
(知らない。でも、ここで立ち止まったって仕方ないじゃないか)
 もう一度歩き出そうとした時、不意に肩に何かが勢い良くぶつかり、レオアリスは体制を崩して石畳に片手を付いた。荒れた怒鳴り声といくつもの軽い塊が降りかかる。
「道の真ん中でボケッとしてんじゃねえぞ!」
 片手を付いたまま振り返りかけた肩を、再び靴底が蹴り付ける。石畳に打ち付けそうになった肩を押し留め、身体を起こした。
「なん……」
 訳の判らないまま、レオアリスは漸く振り返り、自分の前に立ちはだかっている男を見上げた。
「てめえのせいで大事な商品を落としちまったじゃねぇか。どうしてくれんだ」
 見回すと、石畳の上に藤で編んだ籠が散らばっている。どうやらぼうっと道の真ん中に立っていて、ぶつかったらしい。
 レオアリスは足元の籠を手に取ってひっくり返してみたが、どこも壊れた様子もない。
「……拾うのは手伝うよ」
 差し出しかけた籠を、男は乱暴に払った。
「バカか、てめえは。弁償しろって言ってんだよ!」
 気の弱い者であれば竦み上がりそうな声音だったが、レオアリスは石畳に座ったまま、ただ空になった手を振った。
「壊れてないだろう」
 レオアリスの様子に男は僅かに面食らったように顎を引いたものの、すぐ殊更に口元を歪めて見せた。こんな場所でぼうっとしているのは、いい鴨以外の何者でもない。
「おいおいおい、正気で言ってんじゃねぇだろうなぁ?」
 男はレオアリスの胸ぐらを掴み、引きずり上げると、威嚇するように顔を寄せた。
 レオアリスは眉をしかめ、視線だけで周囲を見回したが、通りにいる者達は見て見ぬ振りで足を早めるか、面白い見ものでも眺めるように笑いを浮かべているだけだ。要は難癖を付けるたかりのようなものかと、レオアリスは溜息を吐いた。
(めんどくせぇ……)
「汚れちまっただろうが。これじゃ商品になんねぇだろ、なあ。てめェがボケッと突っ立ってやがるからよぉ」
「避けりゃいいじゃないか」
「てめえ、誰に向かって口利いてんだ?! 俺は」
 レオアリスは溜息を吐き、胸元を掴んだ腕を手の甲で跳ね上げると、素早く掴んで背中に捻上げた。関節が反対方向に捻られて軋み、男は途端に悲鳴を上げた。
「いい加減にしろよ。不当な商売は……」
 そう言い掛けて、レオアリスはふと口をつぐんだ。
(何やってんだ、俺)
 こんな場所で乱闘でもするつもりなのか。それとも、近衛師団の権限で取り押さえるか。
 そうするのは簡単だが、全身に貼りつくような億劫さを感じた。
 そもそも、今の自分にどこまでその資格があるのか。
「おい、若いの。いい加減手を放しな。ここで調子に乗って、後でどうなるか判ってんだろうな?」
 横合いから声がかかり視線を向けると、今までただ道端で眺めていた男達の一人が立ち上がっていた。周囲に屯していた男達の目付きも変わっている。
「……こいつが難癖を付けて来たんだろう」
「調子に乗るなって……」
「待て、そいつは近衛師団だ」
 別の一人が詰め寄ろうとした男を制し、レオアリスを指差す。
「近衛師団!?」
 驚いたように周りの男達も改めてレオアリスを眺めた。確かに、軍服の上衣が無いために判りにくいが、両脚の脇に入った独特の銀線を認め、男達は躊躇うように顔を見合せる。
 それは全く違う躊躇いの表情だったが、レオアリスは無性に苛立ちを覚えた。
「……師団だったら、どうだって言うんだ」
 苛々と男達を睨み付ける。こんな時に騒ぎを起こせば、ただ問題があったというだけでは済まないかもしれない。ちらりと過ったその考えに、更に苛立ちが増した。どうでもいいとさえ思う。過去だの、近衛師団の立場だの、自分にあるのはそんなものばかりだ。
 様子ばかり伺っていないで、決めてくれればいい。
「中途半端じゃ、気分が悪いだろ」
 だが男達は既に関わる気が失せたようだ。気勢を削がれた顔で、道の端に座りなおす。
「意気がるんじゃねぇぜ、若いの。そいつを着てるから無事で帰れるんだ」
 勝手に自分の立場を判断されているのが、気持ち悪い。
 近衛師団とは関係なくなるかもしれないんだと、そう言ってやったらどうなるだろう。
「師団兵さんよ、さっさとそいつを放して消えちまいな」
 レオアリスは何か言おうかと口を開きかけたが、結局何も言わずに唇を引き結んだ。
 苛立ちは、気持ち悪さに取って変わっている。どうでもいいから、早くこの場を離れたかった。
 捻り上げていた男の腕を放るように放し、踵を返す。
 暫くの間、周囲の視線はレオアリスに注がれていたが、やがて興味を失って逸らされた。
 早足で歩く内に、気持ちの悪さも影を潜めていく。一つ息を吐き、レオアリスは歩調を緩めた。
 大通りの少し先の右手に、中層区へ抜ける為の『門』が見えてくる。通りはまだ先へ続いているが、通りの流れに乗るように、『門』へ足を向けた。『門』には扉の変わりに、薄く光を放つ幕のようなものが張られている。通り抜ける瞬間に一瞬だけ浮遊感を感じたものの、すぐにそれは消えた。
 『門』抜けたそこは既に中層区との境で、水路が道を横切るように流れていた。いつ通っても、良く出来た仕組みだと思う。王都の術士達の技術には感心させられる事ばかりだ。先程の場所から歩けば、ここまで一刻以上はかかる。
 ただ、それだけの距離を一瞬にして移動した事によって、正面に聳える王城の影もまた、急速に濃さを増した。結局のところ、何の答えもないままに、次第に距離は近づいて来ている。レオアリスは一度だけ背後の『門』を振り返り、僅かに躊躇う素振りを見せたものの、再び歩き出した。
 水路に架かるゆるやかな半円を描く橋を渡る。その橋を越えると、街の様相が僅かに変わり、商人や職人達の多く住む地域に入る。この辺りには、商店や職人達の工房が区域内に数多く存在している。通り添いの店はまだ軒を開け活気に満ちていたが、先程の下層区とは水路一本隔てただけで、落ち着いた佇まいを見せていた。
 とりとめも無く、石畳の道を歩く。歩く事で考えが纏るかと思ったが、思考はあちこちに飛ぶばかりで一向に向かう道を見い出しそうには無かった。
 ふと眼を上げると、前方から数名の近衛師団兵が近づいてくるのが見え、レオアリスは咄嗟に横道に逸れた。路地の壁に背を預け、王城からの帰途なのだろう、彼らが通り過ぎるのを見送る。
 第一大隊の兵では無い事にほっと息を吐き、それから自分の行動に情けなさを覚えた。黒い生地の服は、あちこち砂埃に塗れていたが、払う気にもなれなかった。
(さっきっから何やってんだ、俺は)
 今も別に隠れる必要はない。自分の過去がどうであろうと、今立場が変わった訳でもないのだ。レオアリスは自嘲の息を吐き、路地の壁に寄り掛かったままその場に座り込んだ。
 細い路地には誰の姿もない。そのまま壁に頭を預けるように頭上の狭い空を見上げる。暮れていく空に、星が輝き始めている。
(何をするつもりなんだ)
 曖昧なのだ。全部。
 怒りがあれば、畏れがあれば、悲嘆や喪失、憎しみ、その一つでも自分の中に明確にあれば、足を向けるべき先もまた明確だっただろう。
 それら全てが曖昧な故に、どこに進むべきか、それが判らなかった。
(――何を、したいんだ)
 もう一度自分に問い掛けた時、緩く傾斜のついた路地の奥から微かな金属音が響いてくるのに気付き、レオアリスは視線を向けた。
 複数の金属音が何かを弾くように規則正しく流れている。レオアリスは咄嗟に入ったこの路地がどこに続いているのか、今更ながらに思い出した。
 立ち上がり、僅かに躊躇ってから、音の流れてくる方へと歩き出す。おそらく追い払われるだろうと思いながら、今はそれが無性に見てみたかった。
 金属音は次第に大きく、高くなっていく。
 緩やかに登る路地を抜けると、面前に小さな丘が開ける。丘の周囲にはまた王都の街並みが続いていて、家々の窓に灯る灯火が、光りだした天空の星々よりも明るく散りばめられていた。
 開けたその場には、煉瓦造りの黒ずんだ壁をした小屋が三棟立っていた。
 地面を覆う短い下草が小屋の周囲に行くほどに、小屋から後退するように黒い土を覗かせている。三つの小屋の一つから、止まる事を知らない金属音が流れていた。
 開け放たれた戸口に近づくにつれ、周囲の温度が上がっていくのが感じられる。レオアリスは戸口の前で足を止めた。
 覗き込むと、小屋の中には一層強い熱気が満ちていた。中央に鉄を溶かす炉が明々と燃え、その周囲では数名の鍛冶師達が黙々と、手にした鎚を赤く焼けて輝く鉄に振り下ろしている。
 打ち下ろす度に火花が散り、鉄が少しずつ形を変えていく。周囲を一瞬、強い輝きで照らし出す。それは生命の煌めきのように美しい、息の詰まる光景だ。鍛冶師達が一心不乱に剣に魂を注ぎ込んでいく。
 ふいに、戸口の傍で剣を打っていた鍛冶師の汗と熱で赤く染まった顔が上がり、入り口に立つレオアリスの姿を捉えた。老齢に近いその鍛冶師は、途端に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ口を開きかけたが、ふと口を閉ざし、じっとその姿に視線を注いだ後、手元に視線を戻した。
 剣を傍らの水桶に浸ける。たちまち激しい音を立て、水蒸気が立ち昇る。鍛冶師は黒く沈んだ色を取り戻した鋼を、燃え盛る炉に差し込んだ。
 普段ならレオアリスが入り口に近づくのを眼にしただけで、怒鳴りつけて門前払いを食らわせるはずのこの鍛冶師が、今は一言も発さない事は、逆に僅かな居心地の悪さすら感じさせた。
「……見てていいのか」
 鋼を打ち延べる複数の音が重なり、さほど広くは無い鍛冶場の中に響いている。鍛冶師はちらりとその視線を投げただけで、片時も手を休めず鎚を振り下ろし続ける。
「そこから近寄ンじゃねぇぞ」
 ぼそりと告げられた渋みを含んだ声に、レオアリスは心外そうに苦笑を漏らした。
「いくら何でも、近寄っただけで折れる訳ないだろう」
「信用なんねェ。一体何本俺の打った剣を折りやがったと思ってんだ」
 にこりともしない鍛冶師を前に、レオアリスは戸口に手をかけたまま視線をさまよわせた。他の鍛冶師達は視線すら寄越さない。炉と剣が放出する熱に汗塗れになりながら、黙々と鎚を振るい続ける姿に、これほどまでに精神を傾けて打ち上げる剣を次々と折られるのでは、確かに腹に据えかねるどころではないのだろうと、そう思った。
「悪いと思ってる」
「悪ィで済むか。ひとが魂込めた剣をよォ」
 相変わらず手を休める気配も無いが、乱暴な物言い程には、その声に嫌悪の響きはない。
「大体何の用だ? お前が使える剣はここにゃねぇぞ」
「ただ、見ていたいだけだ」
 レオアリスがそう言うと、鍛冶師は荒っぽい動作で肩を竦めた。
「けッ、物好きなガキだ。剣士がこんなモン見て、何が面白いんだか」
「面白い。――まるで、剣が、命を得ていくみたいだ」
 鋼から飛び散る火花、振り下ろされる鎚の音。一振り一振りに込められる魂。
 その音を聞き、一瞬に燃え上がり散っては消える火花の輝きを見ていると、余計な思いが全て流れ落ちていく気がする。波打っていた心が深い湖のように凪ぎ、その底に沈んでいる想いを覗き込めそうな気すらした。
「……ふん、好きにしろ」
 再び鎚を振り上げ、打ち下ろす。水に浸し、炉に戻す。
 次第に形創られて行く剣。意思を持たないそれは、使い手に何をもたらすのだろうか。
 鍛冶師は打ちかけの剣を目の前に持ち上げ、暫くためつすがめつ検分していたが、やがて小さく舌打ちして手にしていた鎚を振り上げると、一息に叩き折った。思わず息を呑むレオアリスに構わず、折れた鋼を再び炉に投げ入れる。
「おい、せっかく……」
「納得いかねぇ」
 そう吐き捨てて、鍛冶師は厳しい表情のままレオアリスを見上げた。
「見せてくれ」
 唐突に請われて、レオアリスは思わず辺りを見回した。
「何を」
「何をだぁ? 寝呆けてンじゃねぇぞ。決まってンだろうが、テメェの剣だよ」
 鍛冶場で剣士が剣を抜く事に僅かに躊躇いを覚え、鍛冶師の浅黒い顔を見つめる。だがその上にある真剣な表情に、レオアリスは鳩尾に右手を当てた。
 ずぶり、と手首まで呑まれ、洩れ出した青白い光が鍛冶場に満ちる。
 呼び合うように響いていた鎚の音が止まり、鍛冶師達が顔を上げた。
 右手をゆっくりと引き抜く。
 宵闇を切り裂く光と共に現れた長剣に、鍛冶師達の口から溜息にも似た声が漏れた。
 目の前の青白い光を纏う剣に視線を吸い寄せられたまま、鍛冶師は感嘆を隠そうともせず、半ば独り言のように呟いた。
「簡素な剣だ。何の気負いもてらいもねぇ。……それがこれほど、見る者を惹き付ける」
 引き寄せられるように手を伸ばして刀身に触れ、剣を受け取る。だがレオアリスの手を離れた瞬間、剣は輝きを消した。
「ちッ、つれねぇ奴だ。主以外に興味がねェか」
 一度名残惜しそうに掲げて見上げた後、レオアリスに戻すと、剣は再び美しい輝きを纏った。
「いい剣だ。俺達が目指してるのは、こんな剣なのかも知れねぇ」
 レオアリスの顔に目を止め、太い眉を上げる。
「何、妙な面してやがる」
「……いや、誉められるとは思わなかった。嫌われてると思ってたからな」
 意外そうな響きに、鍛冶師はしかめ面を浮かべてレオアリスから視線を逸らした。
「ふん。こんな剣、嫌える刀打ちぁいねぇよ」
 そう言って背中を伸ばすように立ち上ると、鍛冶師は汗と熱で贅肉の削げ落ちた身体をレオアリスに向けた。
「変な野郎だな、テメェは。怒鳴られんのが判ってんのにしょっちゅう来やがる。バインドはこんなとこ、見向きもしなかったぜ」
 あまりにもあっさりとその名が語られた事に、驚くレオアリスの横を抜け、戸口で立ち止まる。
「テメェ等、手ェ休めんな。……おい、風に当たんねぇか」
 レオアリスの返事を聞きもせずさっさと小屋の外に出ると、戸口のすぐ脇の壁に寄り掛かり、懐から煙管を取り出して火を灯した。黙ったままのレオアリスに構わず、吸い込んだ煙を吐き出す。白く細い煙が踊るように立ち昇り、鍛冶師の視線がその煙を追って動いた。
「……どうやら生きてやがるらしいじゃねぇか」
「――知ってるのか」
「知ってるも何も、俺ぁ奴が掛け値無しに嫌いだった。野郎の剣は独善の剣だ。他の誰の為のものでもなく、ましてや王の為ですらねェ」
 吹き抜ける風が、煙管から立ち昇る煙を吹き散らす。
「俺達ぁ、王の為に剣を打つ。毎日毎日汗水垂らして肌ぁ焼いて、そりゃ全部王の為だ。その先にある国の為だ。テメェの隊がしじゅう剣をぶっ壊してくれてもよォ、そんなら次ぁもっといい剣を打ってやる」
 少しも和らぐ事のない目元に、だがどこか暖かさを感じさせる色を浮かべ、鍛冶師はレオアリスを見た。
「お前を嫌いじゃねぇのは、それが結局同じ事だからよ。――お前の剣が、王の為にあるからだ」
 弾かれたようにレオアリスが瞳を見開くのを、可笑しくもなさそうに眺め、ひょい、と煙管を裏返すと火種を足元に落とした。火の消えた煙管を銜え直し、レオアリスに背を向ける。
「ま、その内テメェでも折れねぇ剣を打って見せらぁ」
 鍛冶師が小屋の中に消えると、すぐ新たな鎚の音が響き始めた。その確かな力強い音を聞きながら、レオアリスは戸口の横に立ち止まったまま、自分の鳩尾に視線を落とした。
(王の、為の――)
 鍛冶師の言葉は、温かい血が全身に行き渡るように、身体の隅々に染み込んで行く。
 身の裡の剣が、ゆっくりと鼓動を刻む。
 思わず込み上げた笑いを抑えるように、レオアリスは瞳を閉じた。
 ひどく単純で、だが一番大事な事を、忘れていた。
 ――何の為に、自分は王都に来たのだったか。
 状況に囚われ過ぎて、見失っていた。
 自分が今ここにいるのは、王に仕える為ではなかったか?
 明確な理由などない。
 それでも、育て親の反対に耳を傾ける事も無く、頼る当てもない王都に一人こうしてやってきたのは、その漠然とした、けれども強い想い故だ。
 過去や立場など、始めから無い。
 閉じていた瞳を上げる。
 そこに、強い光を宿した。





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