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王の剣士3 「剣士」
【第三章】


 僅かに迷ったものの、レオアリスは再び演習場へ戻った。長い時間師団を開けてしまったが、先ずは置いてきてたものを連れ帰らなくてはいけない。
 背後では王都が光を型どって夜の闇にくっきりと浮かび、そこから届く僅かな薄明かりの中、秋の虫達の音色が競うように聞こえてくる。久しぶりに感じた穏やかな夜の気配だ。
 人影の無い演習場の門を潜り、すぐ右手にある厩舎の木戸を押し開ける。
 厩舎の中は灯りが抑えられ薄暗かったが、僅かな光源でも光を纏う銀翼の姿はすぐに見て取れた。飛竜の前に見覚えのある影があるのに気付き、レオアリスは思わず足を止めた。
 ロットバルトはレオアリスの姿を認めると、左腕を胸に当て深く頭を下げたまま、レオアリスが歩み寄るのを待った。ゆっくりと頭を上げ、レオアリスの上に視線を落とす。その頬に微かな苦笑が過ぎる。
「……また随分と埃塗れになられたものだ。一体何をされていたんです?」
 気が付けばまだ服のあちこちに、白く砂埃がついたままだ。
「いや、まぁ……」
 さすがに下層で揉め事になりかけたとはみっともなくて言えず、レオアリスは曖昧に口の中で呟いて、服の埃を払う。
 ここに誰かがいるとは思っていなかった為少し驚いたものの、それでも目の前にいるのがグランスレイでは無かった事に僅かに安堵を覚え、それから苦笑に似た溜息を洩らした。
 どんな顔をしてグランスレイと向き合えばいいのか、いまだに躊躇っている。しかし、いきなり顔を合わせずに済んだと安堵する反面、ある種の落胆も感じていた。
「……良くここが分かったな」
「簡単な事です、と言いたいところですが、ここまでしか貴方の情報が無かったもので。八方手分けして探させる訳にも行かないでしょう」
「……」
 確かに、それは余りに情けなさ過ぎる。レオアリスが飛竜の柵に歩み寄ると、ハヤテが嬉しそうに長い首をもたげて顔を摺り寄せる。レオアリスは艶やかな鱗に手を当て、詫びる代わりに数度叩いた。
「それで、ずっとここに?」
「師団に戻られるのに、貴方が彼を置いていく訳がない」
 近衛師団には戻らなかったかも知れない。そう言おうかとも思ったが、今更それは大した意味の無い仮定だと気付く。
「私もまあ、居ませんでしたとただ帰るのでは、面目が立ちませんからね。父に偉そうな事を言った手前もある、正直申し上げれば、ここに戻って戴けてほっとしましたよ」
「……侯爵に? 何を……」
 問いかけて、皮肉を込めて口元に笑みを浮かべたロットバルトの顔を眺め、口を閉ざす。ロットバルトはある意味で一番、事実を伏せていた側に近づけるところにいるのだ。軍内にばかり目を向けていてそこまで思い至らなかったが、ただ思いついたとしても、それをロットバルトに頼むという気にはならなかっただろう。そこはレオアリスの関われない、複雑な部分だ。
「……余計な事をさせたな」
「特には。まあたまには会話くらい必要ですよ」
 レオアリスはすぐ隣のロットバルトを見上げた。
「――聞いたんだろう」
「聞きました」
 余りにもあっさりと言ってのけられ、レオアリスは次に言うべき言葉を捜して口篭った。だが灯りを落とした厩舎内の薄闇の中でさえ、ロットバルトの顔にこれまでと違う色は認められない。柵に片手を置いて、開いている手でハヤテの頭を撫ぜる。ハヤテは何故主がいつまでも自分に乗らないのか、不思議そうに青い瞳を瞬かせている。
「――それで」
「それで、とは?」
 問い返されてレオアリスが再び口籠もると、ロットバルトは声に可笑しそうな色を滲ませた。
「今更私の意見など、必要の無い顔をされていますが?」
 確かにそれで自分の意思が変る訳ではないのは分かっていたが、敢えて口に出したのはその事を確認する為だ。
「率直な意見を聞きたい」
 ロットバルトは一度レオアリスの顔を見返し、口を開いた。
「では、私の個人的な見解を述べさせて戴きますが……。関係ありませんね」
「……はあ?」
「貴方の過去がどうであろうと、大して問題ではないと、そういう事です」
 あっけに取られて目の前の参謀官を見つめる。
「私は貴方の背景を見て、貴方に仕える事を選んだ訳ではありません」
「――随分、簡単に……」
 悩んだ自分が滑稽に思える。だが、結局はそういう事なのかもしれない。今思えば、アスタロトもまた同じ事を言っていた。
「貴方もそうでしょう」
「?」
「貴方が王に仕える事と、貴方の背景とは関係ないはずだ」
 レオアリスは驚いた瞳をロットバルトに向けた。そのまま暫く黙っていたが、やがて俯くと、小さく笑い始めた。すぐに肩を震わせ、声を立てて笑う。
「……相当俺は、自分を見失ってたらしいな」
 迷っている自分よりも先に、周囲の方が正しい答えを見つけている。多分、そういうものなのだ。落ち着いて振り返り、ゆっくりと自分と周囲を眺めれば、答えはどこかしら存在している。
 どう選ぶか、それだけの事だ。
「シスファン大将との面会について報告を上げようと思っていましたが、たった半日の間に随分状況が変わりましたね」
 ロットバルトの言葉にレオアリスは改めて頷いた。バインドがアス・ウィアンに現れた事も、アスタロトが語った過去も、たった半日の間に起こった事とは思えない程だ。
 だが、疲労を感じていたのはそれまでの事で、全ての事実が見えた今、逆にわだかまっていた疲労はきれいに流れ落ちている。
 道は選んだ。後はそれを進むだけだ。
 その前に一つだけ、きちんと筋道を付けておかなければならない事がある。
「……師団に戻る。それから」
 ロットバルトが軽く片手を上げ、レオアリスの言葉を遮る。視線を上げた先の顔が、面白そうな笑みを浮かべた。
「どうやら、あまりにお戻りが遅いので、心配になったようですね」
「?」
 ロットバルトの視線が厩舎の扉へ向けられる。それを認める前に聞き慣れた足音を捉え、レオアリスは扉を振り返った。
 足音は厩舎の入り口で躊躇うように一瞬止まり、それから扉を押し開けた。再び入り口のすぐ傍らで静かに立ち止まってから、グランスレイは厩舎の薄い光の中に踏み込むと、無言のまま頭を下げた。
 つい先程までどんな顔をして会えばいいのかと、躊躇いすら感じていた相手を前にして、レオアリスはほんの一瞬だけ気まずそうに視線を落とした。けれど、すぐにその視線を真っ直ぐにグランスレイへと向ける。
 長い事レオアリスはグランスレイに眼を向けたままだったが、やがて静かに口を開いた。グランスレイの耳に届いたそれは普段より固い響きだが、そこに恐れていた色はない。
「もう一度だけ聞く。バインドの事を、知っているな?」
 グランスレイは覗き込む漆黒の瞳を見返した。常に正面から向けられる瞳。この瞳から逸らさない事が、彼を信じる証といえた。そして、グランスレイが選んだ道でもある。
「知っています」
「俺が軍に……王都に来る前からか」
「そうです」
 レオアリスはグランスレイを見据えたまま、僅かに眉を歪めた。呆れた響きと共に肺から大きく溜息を吐き出す。
「まったく……」
 三年間、それを知りながら、ずっと自分を支えて来たのかと、感嘆とも苦笑ともつかない想いが湧く。
 一度眼を伏せ、それから再び視線を上げた。そこにあるのは、いつもと変わらない強い意志の光だ。
「王にお会いする。その手続きを取ってくれ」
「お会いになって、何を」
 だが聞かずとも、その眼の光から、答えは判っていた。
「決まってる。――王から直接、バインド討伐の許可を戴く」
 王を守護すべき近衛師団の将として、バインドを討つ。レオアリスが出した答えに、グランスレイはゆっくり頷いた。
「早速、王へ上申いたしましょう」
 グランスレイは一度姿勢を整えると、左腕を胸に当てる。深く上体を折った。
 ここには、それを伝える為に来たのだ。
「お戻りを――剣士レオアリス」





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renewal:2007.08.13
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