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王の剣士3 「剣士」
【第四章】


 飛竜の背に立ち、レオアリスは眼下を見渡した。
 深い森の中に、ぽっかりと白く開けたその場所。たった一度、訪れただけの、心の奥深くに宿る場所。
 レオアリスにとっての、全ての始まりの土地だ。
 その廃墟の中心に、既に見知った剣の気配がある。
 追憶よりも、思慕よりも、その事が今のレオアリスの中を大きく占めていた。
 吹き付ける雪に黒い髪を巻き上げながら、その一点だけを睨む。
「ロットバルト、お前は村で待て」
 バインドを倒すには、全力を以て当たらなければ難しいだろう。周囲への影響は考慮しきれない。
「……いえ。見届けるのも私の役割です。私に関してはお気遣いなく。まあ私も命は惜しい、安全圏は見極めますよ」
 ロットバルトらしい言い草に、レオアリスは視線だけを背後に向け苦笑を洩らした。結果がどうあれ、王都への報告は必要だろう。
「損な役回りだな」
「お陰さまで」
 皮肉めいた口調を返すと、レオアリスはもう一度笑った。左腕を胸に充て、ロットバルトが深く頭を下げる。
「――ご武運を」
 一度だけ頷き、レオアリスは飛竜の背を蹴った。
 鳩尾に当てた右手が、ずぶりと手首まで埋まる。青白い光が零れ、地上に落ちていく雪に反射し拡散しながら大気を染めていく。
 剣を抜き放つと同時に、雪を巻き地上へと降り立った。
 廃墟に腰掛けていた男が風に揺れる柳のように立ち上がる。
 青白く光を纏うレオアリスの剣に呼応するように、バインドの左腕が赤く光を宿す。
 艶の失せた黒い前髪の奥で、バインドの瞳が愉悦の色を浮かべた。
「随分と待たせるじゃないか、近衛師団大将。王に敵するものを迅速に排除する。それが近衛師団の本分だろう」
 レオアリスは無言のまま、バインドに向って歩を進める。バインドはまるで、レオアリスが自分の元へ来るのを待ち構えるように動こうとはしない。二人の間には雪が薄い幕を掛けている。一歩進むごとに、白い幕は薄くなり、互いの輪郭を浮き上がらせていく。
「師団は居心地がいいか? そうだろうなぁ。……思う存分、切り刻める」
「……俺は、お前とは違う」
「違う? クク、違わないさ。剣士の本分は戦う事だ。それ以外はどうだっていい。敵を切り刻む事こそが、剣士の存在意義だ。俺は時に、この意識すら鬱陶しいよ」
 低く這うように、冥い嗤い声が響く。光を吸い込んで閉ざした闇色の瞳が、レオアリスをひたと捉える。
「お前は剣士だ。それは変えられない」
「お前に言われるまでもない」
 剣の間合い、その少し手前で、レオアリスは足を止めた。
 バインドが肩を竦める。
「つれないな。俺は常に、お前の事を考えていたのになぁ」
 射るような視線を感じながら、バインドは腕の欠けた右肩を撫ぜた。
「十七年前のあの時から、片時も忘れた事など無かったよ」
 そこに宿り続ける痛み。戦いへの、それは悦びだ。
 じわり、とバインドの左腕が紅く光を増した。
 肘から先の骨が盛り上がり、軋む音を立てながら、次第に炎を纏う長剣へと姿を変えていく。バインドへと降り掛かる雪が、その身体に届く前に溶けて消える。
「夢にまで見た。腕が疼く度に、どう切り刻んでやろうかと、そればかりを考えていた。――お前が師団にいると知った時の、俺の喜びが分かるか?」
 レオアリスは無言のまま、バインドに視線を据えた。バインドの口元の笑みが、更に深く吊り上がる。
「これでこの痛みを満足させてやれる。しかも、師団? 最高の舞台じゃないか、なぁ?」
 剣を伝って零れた焔が、雪の上に滴った。
 バインドとレオアリス、互いの剣が同時に振り抜かれる。
 雪を蹴立てて走った剣風が中央でぶつかり、弾ける。轟音と共に衝撃が大地を穿ち捲り上げた。
 それを合図に、二人の足が雪面を蹴る。
 雷光と紅煉、対照的な二つの閃光が尾を引いてぶつかる。
 鍔元を打ち合わせ、刃の向うの瞳を覗き込んだ。


 ロットバルトは廃墟を望む張り出した山肌の上に飛竜を降ろした。
 十分に距離を取ったその場所にまで、二人の剣士が放つ圧迫されるような波動が伝わる。
 こうした離れた場所からでなければ、剣筋を眼で追い切る事すら難しい。
 どちらに分があるのか、眼下に広がる戦場は、全くの互角だ。
(まだ双方とも力を抑えている状態だろう。ただ)
 バインドの剣に些かの躊躇いもないのに比べ、レオアリスの剣はどこか迷うように見える。経緯を知っているが故の杞憂に過ぎないかもしれないが、おそらくそれこそがこの戦いの最大の懸念だ。
『俺は、狂うと思うか?』
 レオアリスがそれを消化出来たのかは、今朝の彼の様子からは判断が付きかねた。
 ハヤテが不安そうに喉を鳴らす。それを宥める為に片手を飛竜の首に置き、ロットバルトは戦場へ視線を向けた。


 閃光が奔る。
 剣を弾き、流し、斬り上げる。胸元で止められた刃を反して薙ぐ。
 互いの刃が上段かと思えば下段へ、流星のように尾を引く。剣が翻る都度、周囲の木立が切り裂かれて倒れ、大地が削られた。黒森が苦痛を受けて騒めく。
 剣を撃ち合わせ、一瞬互いの視線が交叉する。同時に弾き上げて跳び退さると、後ろ足で地面を蹴った。
 鋭い音が響き、互いの足元で剣が交叉して止まる。
 二人の間の地面が衝撃を受けて陥没した。
 身体を入れ替え、再び距離を取る。
 残響が、一瞬の内に静寂を取り戻した廃墟の中に谺して消えた。
 ゆらりと上体を起こしたバインドの口元に冥い笑みが湧き上がる。肩が僅かに震え、それは次第に大きくなり、高い哄笑に変わった。
「はははっ! ――いいなぁ、これだよ。俺は長い間、ずっとこれを待っていた。この俺と、再び剣を合わせられる相手を……!」
 ゆっくりと、左腕の剣を目の前に掲げる。剣を縁取る赤い焔が、喜びに震えるようにざわざわと揺らぐ。
「お前も、そうだろう……」
「……言ったはずだ。俺は、お前とは違う」
 不快さを隠そうともせず、レオアリスはそう吐き捨てた。だが、剣を合わせている間、ずっと身の内に沸き上がってくるもの。
 愉悦。
 闘いへの――。
 二つの思いがある。
 警鐘を打ち鳴らすものと、貪欲にその愉悦を欲するもの。
「考えるな」
 バインドが動く。
 先程よりも疾い剣戟を剣の平で流すように手の内を反し、レオアリスはそのまま弧を描いて斬り下ろした。切っ先がバインドの脇腹を掠めた。
 初めて、赤い血が散る。
 バインドは後方へ跳び、雪の上に片膝を付いた。僅かに掠めただけの刃の凍るような痛みに、瞳を細める。捉えられれば確実に、二つに切り裂かれるだろう。
 だがまだバインドの望む存在には足りない。生と死を垣間見る、その戦いこそがバインドの望むものだ。
 それだけが、自らの存在を満たす。
 それ以外は必要ない。
 右腕が存在を訴えるように軋んだ。
「――まだ、足りないな。その程度じゃあ期待外れだ。……お前の目を覚まさせるには、何が必要だ? 怒りか」
 身を起こし、バインドは脇腹から流れ出る血に目を細め、にぃっと笑った。瞬く間に血が止まり、傷口が塞がっていく。
「お前のその剣、その青白い光。覚えてるよ。……昔話をしようか……?」
「必要ない」
 振り抜かれたレオアリスの剣を、赤い刃が受け止める。バインドは剣を反すと、レオアリスの剣を巻くようにして足元の地面に押さえ込んだ。
 レオアリスに退く間を与えず、剣を跨ぐように踏み出し体重を乗せる。
「っ」
 バインドがぐいと顔を寄せた。見開かれた瞳の中に、狂気と愉悦が仄見える。
「まぁ聞けよ。お前にも懐かしい話だ――。俺が初めて戦った剣士。この地で反乱を起こした剣士の一族の一人だ。そいつが一番強かった。美しい長剣を持っていてなぁ。青白い光を纏う……お前のこの剣のように」
 レオアリスの瞳を捉えたまま、口元が歪んだ笑みを浮かべる。
「そいつとの戦いが、俺の中の欲望を呼び起こした」
「……黙れ」
「剣士の本能――切り刻む悦びだ」
「黙れ!」
 レオアリスは弾かれるように叫んだ。バインドが嗤う。
「お前の、父親だよ! 似ていたぞ、お前に、よぉく!」
 レオアリスの瞳に怒りが灯る。
 抑えられていた剣が足元から跳ね上がった。
 バインドの腕が高々と上がる。
 振り下ろされた剣に、バインドの身体が真っ二つに割られたかに見えた。
 衝撃を受けて、大地に深い亀裂が走る。巻き上がった雪と土砂の中に踏み込んだレオアリスの背後で、嘲笑が響いた。
「お前の父親を殺すのは楽しかったよ。感謝してるんだ…………おかげで俺は、剣士とは何者かを知ったんだからなぁ!」
 目の前が怒りで霞む。剣が大きく脈打ち、引きずられるように振り抜いた。バインドの背後の木々が薙ぎ倒され、積もった雪の上に崩れる。
 二の太刀、三の太刀を軽くいなし、バインドはレオアリスの懐に踏み込んだ。
「!」
 バインドの剣が紅く輝く。右下から剣が振り抜かれる。刃より熱の塊を叩きつけられるような感覚だ。
 辛うじて防いだ剣もバインドの剣の勢いを殺しきれず、レオアリスは後方へと弾かれた。
 木の幹に肩と頭を打ち付け、一瞬意識が遠退く。
 薄れかけた視界に紅い光が過る。
「っ」
 反射的に木の幹を押すように離れた場所を、焔が砕いた。
 バインドが間合いを詰め、迎え打つレオアリスの剣を弾く。そのまま手を緩めず、鋭い切っ先がレオアリスの身体を掠めた。
「くく、どうした? 剣が鈍いな」
 躱しているにも関わらず、焔の熱が皮膚を焦がすのが判る。それだけで体力が消耗していく。
 バインドが一歩踏み込むごとに、レオアリスは後退する。
 逸らしたレオアリスの首を剣が掠め、切れた服の襟元から蒼い石の付いた鎖が覗いた。
「へぇ」
 バインドが面白そうに瞳を見開く。
 退こうとした肩が木の幹にぶつかって漸く、自分がいつの間にか木を背後にしているのに気付き、レオアリスは舌打ちした。だが崩された感覚を取り戻そうとしても、沸き上がってくる怒りが邪魔をする。
 バインドがずい、と踏み込み、剣を突き出した。左に抜けようとして、木の幹に突き立った剣に絡まった鎖に引かれ、がくんと身体が止まる。
 レオアリスは木の幹を背に振り返り、バインドと正面から向かい合った。
 バインドの瞳が細められる。
「……なつかしいな、この飾り。お前の一族の紋章じゃないか?」
 じり、と剣の当たっている鎖と首の皮膚が焦げる。
 キン、と小さい音がして鎖が千切れた。
 石が剣先に弾き上げられ、反射的に追った手を、バインドの赤い刃が切り付ける。
 咄嗟に躱したものの、右の二の腕が深く裂け鮮血が噴出し、足元の雪を紅く染めた。
 腕を抑えながら、離れた雪の吹き溜まりに落ちた鎖を、レオアリスの視線が追う。その様子をバインドが面白そうに眺めた。
「気になるか? そうだろうなぁ。あれはお前の父親のものだ。よく残っていたもんだ。――青い石のものはその長だけが持つ。今のお前に相応しいじゃないか」
 バインドの哄笑が廃墟の中に響いた。
「たった一人だもんなぁ?!」
 雪を吹き上げて剣風が走る。だが切り裂いたのは、バインドの残像のみだ。バインドの姿は視界から消えている。
 移動する気配を追いながら、レオアリスは大きく息を吐いて呼吸を整える事に集中する。
『殺せ』
 じわり、と心の中に浮かび上がってくる、殺意。そしてその喜び。それらが自分を支配しようと沸き上がる。
(――邪魔を、するな!)
 気配は、上だ。
 鋭い金属音とともに、頭上に振り上げた剣が、打ち下ろされたバインドの剣を弾く。
 踏みしめた足元が雪に取られ、体勢を崩したレオアリスの上に、新たな剣戟が振り下ろされる。逸らした左肩に焼け付く痛みが走った。
 予期した追撃はない。体勢を直したレオアリスの周囲で、バインドが嗤う。
「……余計な事を考えていると死ぬぞ。剣も満足に振るえないまま死なれちゃ、この俺が十七年待った甲斐が無い。……まだ後押しが必要か?」
 振り返り様、叩きつけるように振り抜かれた剣が、バインドの頬を浅く切り裂く。赤い血が飛び散り、花弁のように雪の上に散った。
 バインドは身動ぎもせず、レオアリスの剣先をちらりと眺めた。腕が血を拭いとると、既にそこに傷は無い。
「しっかり狙えよ。……なあ、お前の父親は強かったぜ。この俺よりも……」
 喉の奥で嗤いを転がす。
 バインドの剣がレオアリスの右腕と胸を掠める。熱を受け、レオアリスの瞳が軋んだ。
「それで何故俺が今生きているか、教えてやろうか」
 打ち込んだ剣はバインドの左手に弾き返される。バインドは大きく踏み込み、間合いを詰めた。
「……一瞬だけ、奴は何かに気を取られた。そこに力を向けた。気に食わないよなぁ。俺との戦い以上の、何があるっていうんだ?……俺は、その何かを探した」
 その言葉を聞くなと、心の奥で警鐘が打ち鳴らされる。
 だが聞くまいとしても、塞ぐ術などなく言葉は自然と耳に入り込む。
 レオアリスの剣が正確さを欠くのと反比例するかのように、赤い剣が、浅く、だが確実に、レオアリスの身体に熱を刻み付けていく。
「そして、剣士の里で……ここで、それを見つけた」
 聞くな。
 脳裏に青い光が過ぎる。
 自分を押し留めるように、暖かく包んだ光。
 バインドの声が低く、愉悦を宿して蛇のように這う。
「赤子だった――」
 青い。
 聞くな。
「――お前だよ」
 びくりと震え、レオアリスの剣が動きを止めた。
 俯いたその右肩を、バインドの剣が貫く。更に剣を深く押し込むと、腱が千切れ、骨を削る音がバインドの耳にも届いた。
 噴き出すはずの血が、剣の纏う炎の熱で赤く蒸発する。剣を握った右腕が、力を失ってだらりと下がった。
 俯いたレオアリスの表情は見えない。
 バインドが剣を引き抜くと、つられるようにレオアリスの膝が雪の上に落ちた。
 右肩を覆う激痛にも苦鳴すら上げず、俯いたまま動かない姿を見下ろし、バインドは苛立つようにその瞳を細めた。
「早くしろ。それとも、終わりか?」
 紅い剣が、レオアリスの頭上に持ち上がる。それでもレオアリスは身動ぎすらしない。
 その内面を現わすかのように、手にした剣からは光が失せている。
 バインドは鋭く舌打ちをし、振り上げた剣に力を篭めた。
「つまらねぇ……。死ね」
 翼の羽ばたきが凍る大気を打った。
 銀の鱗が光を弾き急降下する。顔に掴み掛かった鋭い鉤爪を躱し、バインドの剣が飛竜へと動く。剣が飛竜を捉える寸前で、鍔を弾く音と共に白い閃光が走った。
 首許に伸びた白光を後方に飛んで避け、バインドは笑みを浮かべたままの顔を向けた。首に浮かび上がった赤い筋をなぜる。
 鞘走らせた剣を納め、ロットバルトは再び柄に手をかけた。
「……面白い太刀筋だなぁ。惜しかったか?」
「全く。限界ですよ」
 向かい合うと、じわりと圧迫感が身体を包む。レオアリスの剣と対する時とは違う、狂気を孕んだ剣気に、ロットバルトは無意識に退こうとする足を押し止めた。
 バインドは光の無い闇色の瞳を、膝を付いたままのレオアリスと、正面のロットバルトに交互に向ける。
「剣士同士の戦いに、不粋だとは思わないか?」
「べらべらと、埒もない事を捲し立てる貴様よりはマシだ」
 不愉快な響きを隠しもせず、ロットバルトはバインドを睨み据えた。
「クク……」
 バインドはチラリと上空に視線を飛ばした。飛竜が再びバインドに掴みかかろうと旋回する姿を捉え、嗤う。
「――余計な手出しをしなければいいものを。まあ、お前等の死もまとめて、レオアリスにくれてやるのもいいかもなぁ?」
 バインドが一歩踏み出す。それだけで強烈な圧迫感が叩きつける。
 更にもう一歩――だがロットバルトの間合いには足りない。ロットバルトを相手に、バインドに間合いなど関係ないだろう。バインドが剣を一振りすれば、それで終わりだ。
 ロットバルトは鞘を強く握り込み、バインドに視線を注いだまま距離を測った。
 あと数歩踏み込んでくれば剣が届く。それを待つだけで激しい消耗を覚えた。
 レオアリスは雪の上に膝を付いたまま、動く気配すらない。
 ロットバルトはバインドを退かせる方法を探して思考を巡らせる。
 バインドがもう一歩、歩を進めた。
 じり、と冷たい汗が額を伝う。
 バインドが再び踏み込む。
(チ)
 何の策も浮かばないまま、左手の指が剣の鍔を弾きかけた、その時。
 一瞬、大気が震えた。
 二人の視線が吸い寄せられるように一点に向けられる。
 レオアリスの身体を青白い光が覆うように包んでいる。
 レオアリスの剣が纏う、剣光。
 ふいに強烈な圧迫感が、レオアリスの身の裡から膨れ上がった。
 剣光が爆発するように急速に広がる。光に触れた瞬間、ロットバルトは弾かれ、後方に飛ばされた。
「っ」
 雪に片手を付き、霞む頭を振って顔を上げる。視界の先、先程までと変わらない位置に、レオアリスが立ち上がっているのが見えた。
 陽炎のように青白い剣光がその身体を取り巻いている。
 バインドもまた、弾き飛ばされたその場で、レオアリスの姿を捉えた。
 驚愕に見開かれた瞳が、次第に再び強い愉悦の色を滲ませる。
 レオアリスはその場に立ったまま動かない。だが、その足元から、ゆっくりと、放射状の亀裂が広がっていく。
 右手に剣を提げたまま、レオアリスの左手が持ち上がり、鳩尾の上に置かれた。
 ずぶりと沈み、光が溢れる。
 白い世界が、青く染められていく。
 再び、左手が引き抜かれる。
 ゆっくりと現れたのは、右手の剣を映したかのような、青白い光を纏う長剣だ。
 ロットバルトが息を呑む。
 レオアリスの剣は彼の十三対目の肋骨――即ち、二本。
 だがこれまでの戦いで、レオアリスが二本の剣を持つ所を、ロットバルトは見た事が無かった。
 強い不安が胸に灯る。
『俺は、狂うと思うか?』
 ミストラの時とは違う、だが確かに、レオアリスが纏う強烈なまでの鬼気は、普段見知ったものではない。
 レオアリスの負った傷が、瞬く間に癒えていく。
「……ク……ハハ、ハハハハハ!待っていた、待っていたぞ、これを!…………漸く、会えたなぁ!」
 感に耐えないというようにバインドが喉を震わせた。立ち上がり、レオアリスに向かって歩き出す。
「さぁ、思う存分戦おうじゃないか」
 バインドの剣が熱を増す。たちまちの内に周囲の雪が溶け、乾いていく。


 周囲には静寂が満ちていた。
 目の前に赤い一本の剣が浮かび上がっている。
(――何をするんだっけ?……ああ、)
 バインドが頭上から剣を打ち下ろす。レオアリスの右手の剣がそれを受け止めた。
 感じるのは、悦びだ。
 解放と、――目の前の戦いへの。
 沸き起こる、歓喜。
(こいつを、斬ればいいのか)
 にぃ、と口元に笑みが刻まれた。
 受け止めたバインドの剣を、軽く、ほんの僅か、跳ね上げた。その動作に、逆に体勢を崩され、バインドがよろめく。
 レオアリスの左腕が動いた。
 閃光のように打ち込まれた剣をかろうじて受け止め、バインドが後方に吹き飛ばされる。
 防いだはずが、バインドの胸から腹にかけて深い傷が走った。吹き出した血に、驚きと、
 悦びがその顔を彩った。
 剣が赤々と焔を纏う。
 廃墟に、赤い光が渦を巻いた。剣から散った焔が廃墟を覆う雪に灯り、四方に走る。
「懐かしい光景だなぁ。まるであの時に戻ったみたいじゃないか」
 レオアリスの足元を焔の舌が舐める。蒸発していく雪の下から黒い土と、焼けて崩れた石が覗く。
「この墓場に相応しいのは、俺か、お前か」
 バインドの足が焔を蹴る。レオアリスの右後方へ、一刀に間合いを縮めると、剣を斬り上げた。焔が迸り、大気を焦がす。
 振り返りもせず、レオアリスは右手を動かした。
 バインドの剣はレオアリスの背後で、その剣に阻まれて止まった。
 剣に触れた瞬間、バインドは弾き飛ばされ、廃墟の中に叩きつけられた。
 刃を下に向けたまま、レオアリスが身体の前に二本の剣を掲げる。
 剣は引き合うように重なり、そのまま一振りの長剣に姿を変えると、強い光を発した。
 目の前に浮かび上がった剣の柄を、光の中に延ばされたレオアリスの右手が掴む。
 剣の纏う光が、主の手の中に収まり、一瞬輝きを増した後、静まった。
 例えようもない圧迫感が周囲を取り巻く。
 大気の振動が、離れた所にいるロットバルトにまで伝わる。
 無造作に剣を一閃させると、生じた剣風が周囲の木立を断ち、その奥の山肌を穿った。
 レオアリスがひどく酷薄な笑みを刷く。
「――それが、完全な姿か……」
 バインドは目の前の剣士を、ただ陶然と眺めた。


 剣が、届かない。
 剣を打ち合わせる、それすら適わず自分の剣が空を切るのを、バインドはどこか敬意すら抱いて眺めた。
 横薙の剣の回転をそのまま乗せ、左足を軸に踏み込む。袈裟掛けに振り抜かれた剣には、やはり何の手応えもなかった。
 バインドの顔を、今までとは違う笑みが彩る。右肩を覆い続けていた痛みは、既に無かった。
 戦いは、バインドにとって生命だ。
 死を感じることこそが生命だ。
 漸く、今再び、生を得た。
 青い光を視界の隅に捉え、バインドは咄嗟に上体を反らした。今まで首があった場所を、剣風が抜ける。
 戻した上体の、すぐ前に、レオアリスがいた。
 黒い凍るような瞳と、酷薄な笑み。
 何の予備動作もなく至近から打ち込まれた剣を、バインドの左腕が迎え撃つ。
 くぐもった、嫌な音が響いた。
「!」
 剣の衝撃を殺せず、バインドは地面に叩きつけられた。
 砕けた左腕を、驚愕に見開いた瞳が見つめる。
「はは」
 顔を上げた視線の先に、レオアリスの姿はない。気配を感じて動こうとした瞬間、足が左腕を押さえ付けた。
 青白い剣が首筋にひやりと当る。
 バインドとレオアリス、二人の視線が合わさる。

 笑った。





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