八
ふいに、辺りが静寂に包まれた。
真っ白い雪の中に誰かが立っている。
『――悪かったなぁ。俺はお前に、何一つしてやれなかった』
初めて聞く声。少し低い、どこか陽気な響きだ。
『でも、楽しみにしてたんだぜ?』
その姿は雪に乱反射する陽光に阻まれ、はっきりと見る事はできない。
自分にやはり似ているだろうか。
(――幻だから、分からない)
現実では在り得ないのだから。
それでも、胸には締め付けられるような、哀しみと喜びが満ちている。
『名前もやれなかったな。……でも、お前は王から名を貰ったろ』
軽やかに笑う。
『レオアリスか。いい名じゃないか』
男の手が、剣を握ったままのレオアリスの右手に置かれた。
温もりが置かれた手から静かに伝わる。
鮮やかな漆黒の瞳。
『――剣に呑まれるな』
ゆっくりと、穏やかに、だが明確に告げる。
『それは、お前自身だ』
レオアリスが言葉を発する前に、その姿は雪に溶けるように消えた。
剣が、カイルの背に届く寸前で止まる。
覗き込んだレオアリスの瞳に、明確な意志の光が戻った。
未だ力を緩めない剣を、握った腕が少しずつ押し戻す。
「レオアリス……」
確認するように呼び掛けたカイルに、レオアリスは瞳だけを向けた。
「……離れてろ」
食い縛った歯から押し出される言葉に、言われるままカイルは数歩後ずさった。
レオアリスの腕が再び上がった。
頭上に掲げられた剣が発する青白い光が、白い世界を染め上げていく。
剣が支配を求めて力を増していく。
無尽蔵にも思えるその力が、自分の中を突風のように激しく吹き上がり、抑え込もうとするほど、全身を切り裂こうとして身の裡で渦を巻く。
身体がばらばらに砕けそうな激痛に、途切れそうになる意識を繋ぎ止める。
だがもう、分かっている。その力も意志も自分の範疇にしかあり得ない。
抑え得るのは、ただ意志と、誇りだ。
自分を常に支える、彼等への。
雪に閉ざされた世界を暖める、しわがれた声。
陽気な声と、置かれた手。
炎の中から見上げた金色の瞳――。
剣から叩きつけられる風が、レオアリスを中心に雪を吹き上げていく。
(――まずい)
ロットバルトは座り込んだままのカイルの身体を抱えると、雪を蹴り後方に跳んだ。
レオアリスの足元で湿った地面が覗き亀裂を生じたかと見えた瞬間、巨大な破片となって竜巻のように空に巻き上がった。
一瞬上空で停止し、竜巻のその中心目がけて急激に落下する。
レオアリスが剣を大地に叩きつけるように突き立てた。
轟音と共に、爆風と光が膨れ上がり、落ちかかった破片を粉々に砕く。
ロットバルトはカイルの身体を抱え込み、地面に伏せた。
光は唐突に消え、辺りに痛い程の静寂が戻る。
身体の上に降り注いだ土砂を払い除け、ロットバルトはふらつく頭を抑えながら立ち上がった。
服の裾を引かれ、踏み出しかけた足を止める。蒼い瞳が呆れとも驚きとも付かないまま見開かれた。
「……凄まじいな……」
ほんの半歩先から、大地は視界の端まで陥没し、すり鉢状の巨大な窪みを作り上げていた。
カイルを助け起こしながら溜息をつく。
「つくづく、良く破壊する方だ」
レオアリスは静かに息を吐き出した。
先程まで渦巻いていた身を引き裂く程の力は、既にレオアリスの裡に収まっている。
地面に突き立てた剣が一つ身震いをし、二本の剣に分かれ、そしてレオアリスの中に溶けた。
晴れ上がった空に顔を上げる。
微かな金属音に、首許に指を当てると、冷えた小さな石が指先に触れた。
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