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王の剣士4 「かりそめの宴」
【第三章 「癒えぬ思い」】


 レオアリスは第一演習場を出て、街道辻に面した草地に一旦ハヤテを降ろした。
 昼も間近なこの時間、街道を行く人々の多くは足早に西の外門を目指している。空腹と寒さも手伝い、早く王都の暖かい店で食事にありつきたいと考えている者も少なくないだろう。
 王都を見上げて驚いた顔で口を開けている旅人を見ると、つい数年前の自分と重なって懐かしさと笑いが込み上げる。
 初めて王都を見た者は皆、余りに巨大な、華やかで喧騒に満ちた都に圧倒されるのだ。
 こうして王都を外から眺めると、この都は本当に広大なのだと改めて感じる。今立っている位置からは、視界は西の外門と王都を囲む高い城壁に遮られ、街の全容を見る事はできない。
 というよりは、上空からでない限り、王都がどれほどの規模を持つのか、それを知る事は不可能だ。
 レオアリスは王都を見上げる度、初めてこの都にやってきた時の感情を思い出す。
 憧れ、不安、畏れ、希望――そしてそれらを全て上回る感情。
 とうとう来たのだ。
 ここに――
 王が居るのだ、と。
 あれから三年経ち、目まぐるしく時は過ぎた。
 自分なりに、成長したとは、思う。だが。
『王の剣士』
 自分はまだ、そう呼ばれるのに相応しくはない。
 あと数年もすれば自分自身、納得いくようになっているのだろうか。
(それより、誰も呼ばなくなってたりしてな……)
 有り得る話だ。ワッツの言う事もあながち冗談ばかりではない。
(恐ぇ)
 何となく将来に不安を感じて立ち尽くしていたレオアリスを、ふと街道を通っていた男が指差した。
「あれ、もしかして」
 男の連れが辻の傍に立っている姿をまじまじと見つめ、ああ、と納得して頷く。
「だろ。銀翼だし、近衛師団の軍服であの年頃って」
「そうだよ多分、王の剣士だな、初めて見た」
 その会話を耳に留めて、近くを歩いていた家族連れが周りを見回した。
「王の剣士ですって、おばあちゃん」
 四十代位の女性が傍らの老婆の袖を引く。
「ああ、あれよあれ。ほらあの飛竜の――」
 女性はすぐにレオアリスの姿を見付けて、真っ直ぐに指し示す。余りに真っ直ぐ視線を向けられて、レオアリスはぎくりと身を固めた。
「寒い季節で旅にはどうかと思ったけど、来てよかったわねぇ。随分想像と違ったけど、まあホント凛々しいわー」
 この時のレオアリスは凛々しいというよりは引き攣っていたというのが正しい。老婆は曲った腰をよいしょと伸ばした。ここまで旅をしてくるのは大変だっただろう。
「わっぜ有り難か、ほんのこちよか冥土の土産にばなったと」
「冥土の土産っておばあちゃん、まだまだじゃないですか。でも一生に一度は見ないとねぇ。近衛師団見物の手間が省けたわ」
 傍らにいた女性の息子らしき男が首を振る。
「いや、やっぱり近衛師団は見たいよ。それに明日とかまた見れるかもしれないじゃないか」
(か――、観光名物化してる?)
 どうりで最近、士官棟のある第一層に一般人の姿が増えたと思った。
 それはともかく、老婆と女性、それから青年の三人連れは、呆気に取られているレオアリスを尚も熱心に見つめながら、外門へと歩み去った。後から握手をしておけば良かったと残念がるのかもしれない。
「へぇー、あれが王の剣士かぁ。王都を出る時に見られるなんて、今回はいい商売ができそうだなぁ」
「少なくとも野盗にゃ遇わないだろ!」
 商人風の男達が景気良く笑って通り過ぎる。
(いや、俺昔バッチリ野盗に襲撃されたし)と敢えて説明する話でもないが、何だか非常に申し訳ない。彼等が野盗に遇いませんように、と心の中で手を合わせ、レオアリスはこれ以上話題に上る前にと、ハヤテの手綱を引いて草地の右側に茂っていた林に退却した。アスタロトが来たらまた出ていけばいい。
 街道の視線から隠れ、レオアリスは今更ながら頭を抱えた。
「にしても困った……下手な事できねぇな……」
 王の剣士が街で買い食いしてました、とか、王の剣士が飛竜でぶらぶら飛び回ってました、とか、王の剣士がどこそこで昼寝してました、とか、――どうだろう。
「……」
 しかし真面目な話、考えてみればこの呼び名はつくづく恐ろしい。
 自身とは違う所で、全く意思と掛け離れて独り歩きする。
 はぁ、と息を吐いてハヤテに寄り掛かると、ハヤテは長い首を伸ばしてひやりと冷えた鼻面を頬の辺りに当てた。
「冷てぇ――何だ、励ましてくれんの?」
 そんなに困り果てた様子をしていただろうかと、レオアリスは苦笑を零した。ハヤテの首をぱしぱしと叩く。
「まぁ――、努力するよ。下手して首になってお前と一緒に居られなくなっても嫌だからな」
 そんな事を言いながら、そろそろアスタロトが来るだろうかと空を見上げた時だ。
 がさ、と茂みが鳴り、レオアリスは振り返った。樹の陰から誰かが出て来るのが見える。
 見覚えのある、意外な相手にレオアリスは瞳を見開いた。
「イリヤ――キーファー?!」
 樹に凭れかかるようにして顔を俯けている為良く見えないが、あの白に近い銀の髪は確かにイリヤだ。
 何でこんな所に、と問いかける前に、ふいにイリヤの身体がぐらりと傾ぎ、地面に倒れ込んだ。
「おいっ」
 驚いて駆け寄り、普通ではない状態に気付いて足を止める。
 この寒空の中、髪も服も、すぶ濡れに近い。草地に倒れて身体を二つに折るように曲げ、目に見ても震えが止まらない様子が伝わってくる。
「何だってこんな――」
 レオアリスは傍らに膝を付き、イリヤの肩を掴んで覗き込んだ。皮の手袋を通してさえ、冷えた感覚が指先に伝わってくる。
「おい、――キーファー! 何があったんだ」
 レオアリスの問いかけにイリヤは僅かに顔を上げたが、紫色になった唇は満足に言葉を綴りそうになかった。
「一体――」
 雨が降った訳でもないのに、この水を被ったような姿。
(まさか、西海か?)
 周辺に鋭く意識を配っても、何の気配も残り香もない。
 レオアリスはとにかく冷気を少しでも防ごうと、肩から長布を外してイリヤの身体を包んだ。
「まずは運ばなきゃな。師団なら医務班がいるか――」
 ハヤテを近くに呼ぼうと振り返った時、イリヤの手がレオアリスの軍服の袖を掴んだ。
 レオアリスを見上げる二つの瞳には、微かなかぎろいが浮かんでいる。
 その光はほんの僅かレオアリスの意識に触れたが、イリヤが起き上がろうとしたのを見て、意識に残らずに落ちた。
「俺……」
 イリヤは何か言おうとしていたが、身体が震えるせいで上手く言葉にならなかった。顔は真っ青で、少し身を起こしているのすら辛そうだ。
「無理をするな。事情は後だ、とりあえず運ぶ。師団でいいか?」
 唇を歪めて結び、イリヤが漸く首を振る。
「――家に」
 微かな声を何とか拾おうと、レオアリスは膝を寄せた。
「家? キーファー子爵邸か。けど医師は」
「いる……」
 医師がいるのなら勿論自宅の方がいい。とにかく早く身体を暖めなくては、下手をしたら肺炎になりかねない。
「判った。飛竜に乗せるけど、すぐ着くから、ちょっと我慢しろよ」
 安心したのか、イリヤは微かに笑ったようだった。
 レオアリスはイリヤをハヤテの背に横たわるように乗せる。見渡した空には、まだアスタロトの姿はない。
(仕方ない、後でカイに連絡させよう)
 ハヤテの背に飛び乗り、手綱を引く。ハヤテはすぐに、樹々の上へと駆け上がった。
『イリヤ・キーファーとは』
 ふと、ロットバルトの厳しい声が脳裏に浮かぶ。
「――」
 束の間迷い、だが落とした視線の先でイリヤが包まった布を掻き寄せるようにして震えている姿に、レオアアリスは振り払うようにして息を吐いた。
 ロットバルトの言葉を無視する訳ではない。こんな状況だ、放り出す訳にはいかないだろう。
(医師に任せたら、それだけで帰ればいい)
 キーファー子爵邸は王城の外周に位置する第三層と呼ばれる区域にある。確か西の区画だ。レオアリスはハヤテの首を王都に向けた。




 寒い、寒い寒い――
 骨まで冷えきって、痛いとさえ感じる。身体はとめどなく震え歯の根も合わないほどで、注意して保っていないと意識が薄れていきそうだ。
 けれど、こんな馬鹿な事をしただけの甲斐はあった。
 伏せた顔の下で、イリヤはそっと笑みを浮かべた。



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