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王の剣士 六【紺碧の守護者】

終章 「変転」


 訪問おとないを告げようとして右手を持ち上げた時、室内から賑やかな声が上がった。先客がいるようで、ザインは起きているのだとそれで判る。改めて軽く叩いて扉を開くと中から声が飛んだ。
「大将殿!」
 大きな声で呼んだのは、レオアリスに法術士の紹介を依頼したブレンダンだ。そのブレンダンとファルカン、そして部屋の左側に置かれた寝台の傍に、ザインが肩から上着を羽織った状態で高い背凭れの付いた椅子に座っていた。
 寝ていなくていいのかとも思ったが、もう一台の寝台は使った形跡も無い。
「どうですか?」
 部屋に入ってザインと、彼の傍らの寝台へ視線を向ける。レオアリスの後から部屋に入ったロットバルトが壁際に立ち、ザインは視線を上げてそれを見て取ると、先ほどのメネゼスとの会談の席で大っぴらには口にできなかった事を、改めてどう言うべきかと一瞬思案する顔をした。
「良く寝ている」
 レオアリスの問いかけに返し、ザインは椅子から立ち上がってレオアリスが近くに来るのを待ち、改めてレオアリスの面を見つめると深々と頭を下げた。
「お前がユージュの覚醒を助けてくれたんだろう。有難う。心から礼を言う」
「いえ――覚醒の補助が何かも判らない状態で、今考えれば無茶をしたと思います」
 レオアリスにしてみれば、無謀だったと改めて思う。何とか事なきを得たのはこれまでの自分自身の経験と、周りの補助と、それから剣士としての本能というものも、役に立ったのかもしれない。ザインはそういうものを理解しているのか、気にしたふうもない。
「だが剣は落ち着いているし、ユージュも無事だ。本当に何度礼を言っても足りない。親でありながら俺は何もしてやれなかったからな」
 レオアリスは首を振った。
「そんな事はない、貴方は――ユージュを助ける為に、命も投げ出したじゃないか」
「――」
 ザインは無言で笑ったが、思うところは当然あるのだろう。
 ただ言葉や表情には自らへの不甲斐なさが滲んでいるものの、そこにはユージュが無事だった事への心からの安堵もまた垣間見れて、レオアリスは改めて、ザインが生きてここにいる事に安堵を覚えた。まだ眠っているユージュの上に視線を落とす。
 ユージュはいつでも、安心して目を覚ましていいのだ。
「色々話があるだろう、俺達は外すよ」
 ファルカンがそう言ってザインの椅子の背を叩き、窓の外を示した。「ザイン、後で少しでいいから通りに顔を見せてやってくれ。そうしないといつまでも終わらん」
「ああ」
 ブレンダンも同じように椅子の背を叩き、挨拶代わりと言うように、つるりとした頭に乗せていた小さな帽子の位置を整えた。
「ザインが顔を見せたらもっと盛り上がって朝まで終わらないだろう。しかしこうなると判ってたらなぁ。王都でせっかくいい酒を仕入れたのに、まだ持ってきてない。今日一日で樽全部飲み尽くしただろうに、惜しい事をした」
 ひとしきり嘆いてからレオアリスと向かい合い、ブレンダンは丁寧にお辞儀をした。
「大将殿、私からも改めてお礼を申し上げます。口を聞いてくださったのにこんな事になって、大将殿にご迷惑がかからなかったですかね」
「大丈夫です」
「我々は本当に、ファルシオン殿下とあなた方近衛師団に感謝していますよ」
 ブレンダンは両手でレオアリスの手を取って軽く振り、にこにこと相好そうこうを崩した。ファルカンもレオアリスへ一礼する。
「できればお礼の場を一席設けたいところです」
「お気持ちは有難いんですが、まだ報告も残っているので、帰都の用意が出来次第戻るつもりでいます」
「いつ発たれるご予定ですか」
「今夜か、遅くとも明日の早朝には」
 アルジマールの法術の準備が整えば、もう発てる。戻ってからやるべき事は山積していた。戻れば間を置かず、王への謁見があるだろう。今の内に改めて整理して、謁見後に提出する報告書類の叩き台を作っておく必要があるな、とそう思った。
「そうですか――いや、仕方ありません、それならぜひ、またいらして頂いて、その時にお礼をさせて頂きたい」
「ぜひ」
「ただ今晩の晩餐はもう用意させています。それにはどうぞお付き合いください。隊士の皆さんも空腹でしょう」
「有難うございます、お言葉に甘えさせていただきます」
 レオアリスは素直に頷いた。ファルシオンは昼に少しつまんだだけでお腹を空かせているだろうし、レオアリス自身や隊士達もすっかり空腹だった。さすがに酒は飲ませてやれないが、レガージュの食事は隊士達にいいねぎらいになる。
 ブレンダンは嬉しそうに手を打った。
「有難い。先日殿下の祝賀にお届けしたよりも、ずっと新鮮な果物やら魚やら、殿下にお召し上がりいただけます。レガージュの品はどれも美味いですがやはり仕入れたては違いますからな。きっとお喜びいただけますよ」
 レガージュが扱う交易品への自負が籠もった商人らしい言葉で、晩餐一つも単なる感謝の場ではなく、ファルシオンへレガージュの品の良さを知ってもらう絶好の機会だと捉えているところが、このレガージュという街の性質を端的に現わしていた。おそらく今回の混乱も、交易を続ける上でそれほどの障害と感じていないだろう。
 ファルカンは扉の横にいるロットバルトと目礼を交わし、先に廊下に出た。ブレンダンも後に続きかけたがまた足を止め、ザインを振り返った。レオアリスを手で示す。
「そういやザイン、土産の絵姿、やっぱり似てただろう」
「ああ。有難う」
「絵姿?」
 レオアリスが首を傾げる。ブレンダンはまた得意そうな笑みを満面に広げた。
「さっそく仕入れるつもりだ。殿下のと大将殿のと――かなり売れるぞ」
 そう言ってレオアリスと、それからロットバルトを見た。
「そうそう、あんたのはどこも売り切れで無かったんだ。仕入れるそばから売り切れるって言って何だよと思ったが、本物見ると納得するなぁ。こりゃレガージュの娘っこだけじゃなく、マリやローデンでも喜ばれそうだ。版型買ってうちで刷るかな」
「ブレンダン」 今にも懐から算盤を出してきて弾き出しそうな勢いで、ザインが苦笑しながら嗜(たしな)める。
「いや、こいつは失礼――ついつい商売根性で」
「レガージュの商人にそう言われるのは相当な誉め言葉ですね。ぜひ収益に繋げて頂きたい。レガージュが潤えば国も潤います」
 ロットバルトが笑ってそう返すと、ブレンダンは「王都もしっかりしてるな」と言い、「任せてください」と笑った。
 ファルカンとブレンダンが部屋を出ると、室内は少しの間静かになった。ユージュの微かな、規則正しい寝息が聞こえる。
 レオアリスはザインと寝台の傍に立った。見下ろしたユージュの寝顔が穏やかで、ほっとする。
「――ユージュは貴方に似た剣士になるかな。あの豪剣。防御くらいはしないと駄目だと思うけど、まあ俺は貴方の普段の剣を知らないからそれだけじゃ言えないか」
 ちくりと刺した言葉にザインが苦笑する。
「普段は俺も防御するさ。――しかし情けないところを見せた。不快な思いもさせただろう」
 レオアリスは首を振り、それからふと、窓の外の藍色を映したような複雑な色を瞳に浮かべ、呟いた。
「堕ちる事も選べるんだな、俺達は――。自分の意思で」
「レオアリス」
 諫める響きが含まれたのに気付いて、レオアリスは笑った。
「そうしたい訳じゃない。どっちかと言えば――そうだな、教訓になったって事です。今回意識がすっ飛んだ分、かなり眼が覚めました」
 ザインの眼から懸念が消える前に、レオアリスは意識してかどうか、冗談混じりにそう言った。
「貴方が俺を止めてくれたお陰で助かりました。あのまま意識が飛んでたらと思うとぞっとする」
 ザインはレオアリスの向こうにいる彼の部下に眼を向けた。剣の制御を失った事を聞かせてもいいのか、気になったからだ。レオアリスの――剣士の剣については王都では、複雑な状況や感情があるだろう。
 ロットバルトは変わらず扉の脇に立ちレオアリスへ瞳を向けていたが、ザインの視線に気付くと束の間それを合わせた。
 そこには確かに懸念があるものの、ザインが心配したものとは違うようだった。懸念を持っているにしろ、少なくとも直属の部下である彼等の中では心配は無用だと、そう思える。だからこそレオアリスが今、近衛師団の大将という位置にいるのだろう。
「――俺もお前に止められた。まあお互い様だな」
 あのままだったらどうなっていたかと、その思いはザインも全く変わらない。むしろより現実的な危機感があった。手を伸ばしてユージュの頭を撫ぜ、存在を確かめる。
「お前の言葉は効いたよ」
 ザインの中に響いたのはそれがレオアリスの心の、ずっと深い所から出た本音だからだろうと思ったが、ザインはそれを胸の内だけに留めた。
「結局俺は、自分の事しか考えていなかったという事だ。あのままならユージュにも――フィオリにも顔向けができなくなるところだった」
「――でもそうはしなかった。それが全てだと思います」
 レオアリスはそう言ったが、恐らく――、ザインの中にあった主を失った事に対する怒りと悔恨が、それで消える訳ではないだろう。
 これからもずっと抱え続けて行くのだと、レオアリスは漠然と思った。
 ゆっくりと長い間、身のうちに熱を孕み続け燻る熾火おきびのように。
 簡単に納得できるものではない。剣士という種の、存在の根幹にあるものだ。
「――」
 ザインは膝の上に左腕を置いて上半身を預けたまま、暫く暗い窓の外に視線を置いていたが、やがて上体を起こし改めて身体をレオアリスへと向けた。
「さて、少し寄り道をしたが――、あの件を確認しに来たんだろう」
 レオアリスは一度、間を置いた。
「……そうです」
「俺は幾らでも証言に立つ」
「貴方が言う人物は」
 半歩先を行くザインを引き止めたがっているようなレオアリスの問いに対し、ザインはあっさりと答えを返した。
「西方公だ。ホースエントがそう呼んだ。名乗りはしなかったが――問題は無いだろう。顔を見れば判る」
「――」
 ザインはレオアリスとロットバルトを見た。驚きに息を飲む事もなく――沈黙自体、彼等自身が既にそう確信していたのだと告げている。
 雄弁な沈黙だ。
「四大公爵の一人だろう。近衛師団は動けるのか?」
 答えの分かり切った問いだったが、それが今後一番の焦点になってくる。それに対しては代わってロットバルトが口を開いた。
「非常に厳しいでしょう。単独で、確証もなく手が出せる存在ではありません」
「だろうな。だが敢えて言わせてもらおう」
 ザインはゆっくりと、区切るように告げた。
「放っておけば、必ず何らかの障害を生む」
 ザインが言葉を交わした、あの感覚。
「何を考えているのかは見えなかったが、決して国に利する事じゃない――それが俺の直感だ」
 ロットバルトとレオアリス、それぞれを見据える。
「もし俺が近衛師団の立場なら、すぐにでも拘束し、話を聞くところだ。それが難しいのだろうがな」
「――話は、聞くつもりです。恐らく西方公自身、それを予期している」
 レオアリスはそう息を吐き出した。
「俺が王都に同行してもいい」
 ザインの言葉は行動を急かすようだ。時間を置くべきではないと、そう言っているのだろう。
 それだけザインの確信は強いという事になる。
 ザインが証言すれば、王や内政官房は軽重こそあれ、真偽を見定めようとするはずだ。
 そうなった場合、ルシファーはどう対応するのだろう。
 そこまで考えてレオアリスは、重要な事を忘れていた事に気が付いた。
「――あなた方を、保護する必要があるな」
 ザインはルシファーにとって不利な証言ができる。
 通常ならともかく、剣を失い体力すら充分に戻っていないザインを、何の警護も付けずに放っておいていいとは思えなかった。
「必要無いさ」
 レオアリスのそれは状況から当然の懸念だったが、ザインは一切気にしていない口調でそう断じた。「彼女に、隠す気は無かったからな」
「しかし」
「殺すつもりならヴェパールと一緒に俺も殺せた――。まあ、それが完全な保障にはならないし、後から考え直すかも知れないが」
「そうです。もし状況が西方公に不利な方へ向かえば――」 言ってからレオアリスは口調を改めた。ルシファーに対して、まだそこまで強い疑念を持つ事が躊躇われたからだ。
「とにかく、万が一という事があります。体制を整えておくのに越した事はありません」
「――気を付けるよ。ユージュも覚醒したばっかりだ。俺が守ってやれる範囲も限られてるしな」
 ザインは失った右腕に視線を落とした。複雑な感情がそこにはある。
「だが、まあ護衛はいらない。俺も曲がりなりにも剣士だ」
 レオアリスはザインをじっと見てまだ言葉を捜していたが、仕方なく頷いた。
「――判りました、無理には言いません。ただ、しばらくの間は西方軍に警戒を強めてもらうよう要請します。部隊を増やす事はしませんが、必要であればウィンスター大将に伝えます」
「有難う。それはカリカオテ達と充分相談しよう」
 ザインは頷くと、ユージュの顔を眺めてから、一旦話を区切るように席を立った。
「少しユージュを見ててくれ。水を持ってくる」





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