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王の剣士 六【紺碧の守護者】

終章 「変転」


 しんと静まり返った王城の大階段を上がる。床や壁に使われた大理石が固い靴音を響かせながらまだ朝も早い城内の空気を冷やし、つい半刻前までいたレガージュの街の、あの肌に感じる熱を孕んだ空気との違いを鮮明に浮き立たせていた。
 張り詰めた感覚は王都に帰ってきたのだ、と改めて思わせられる。
 ファルシオンもそう感じているのだろう、レオアリスの前を歩いていたファルシオンは大階段の踊り場を曲がって一旦立ち止まり、初めて見る場所のように広い階段や天井を見回した。
 王城の四階から続く大階段を上った正面、左右に広がる長い廊下の中央に、謁見の間の扉がある。謁見の間では既に、ファルシオンから王へ、今回の顛末を報告する為の場が整っているはずだ。
 昨夜の内に王へは、スランザールから全ての経緯と事実を伝えている。西海の関わりも含めて、全てだ。その上で王はスランザールの採った結論を良とした。
 謁見という場でこれから報告するのは、レガージュでマリ王国海軍提督メネゼスとの会談において定めた、マリ王国とアレウス王国二国間の正式な、いわゆる政治的判断に立った結論だった。
 あくまで表向きの結論だが、その事がやはり西海に関する国と国、そして歴史的な関係の難しさを物語っているのだと、改めて認識させられる。当然その判断の大前提にあるのは、当日までもうひと月を切った西海との条約再締結の儀式だ。
 それらを踏まえながらこの諸侯がそろう公式な場で報告を行うのは、ファルシオンにとってマリとの会談に劣らない、王位継承者としての資質が試される国務でもあった。
 高い扉の左右で、近衛師団第二大隊の隊士が敬礼を向け、ファルシオンを迎える。ファルシオンは大階段を上がり切って一度スランザールを見上げ、スランザールが頷いたのを確認すると身体全体で息を吐いた。今度はレオアリスの顔を見て、それから、広く高い扉の前に立つ。
 レオアリスが近衛師団隊士に目線を送ると、二人の隊士は左右から、重く高い両開きの扉をゆっくりと開いた。
「王太子ファルシオン殿下、ご帰還――!」
 謁見の間に隊士の朗々とした声が響く。
 広間にはファルシオン帰還の報を受けていた軍部と各院の正副長官達が揃い、扉から玉座へと一直線に敷かれた深緑の絨毯の左右に並んでいた。彼等の後ろには高い天井を支える数十本もの重厚な円柱がずらりと並び、その向こうを別の空間のように霞ませている。
 声と共に諸侯は一斉に膝をつき、王太子が通るべき玉座への道の前に深々と頭を下げた。衣擦れの音が潮騒のように流れる。
 ファルシオンは静まり返った謁見の間を、彼等の間を歩いて玉座へと向かった。十日ほど前、自らの祝賀式典の為にこの絨毯を歩き、今日でまだ二度目の事だ。早朝の帰途の疲れもその緊張に紛れ、一歩一歩踏み締めるようにゆっくり進んで行く。
 レオアリスは謁見の間の扉を潜った瞬間、皮膚に痺れが走るように、覚えのある感覚を捉えた。
 どくりと鼓動が鳴る。
 ファルシオンの後方に付き従って歩きながら、その感覚をもたらした原因へと、自然と視線が引き寄せられる。前方の一角に止まりかけた視線を、レオアリスは意識して外した。
(西方公――)
 玉座への階段の左右、常に四大公が控えるそこに、西方公ルシファーがいた。諸侯と同様に膝をつき頭を垂れている。
 王への謁見の場だ、当然だと思う反面、意外な思い――はっきり言ってしまえば驚きがあった。王都に戻っていないのではないかと、明確にではないにしろ、どこかでそう考えていたからだ。
(――)
 近衛師団の控える方を確かめれば、一足先に入っていたグランスレイやロットバルトの表情にも同じ驚きが読み取れる。ロットバルトと視線が合い、そこにある問いかけに、レオアリスは今感じているこの感覚を改めて確認した。
 肌に触れる感覚は、確かにあの異界で感じたものだ。
 隠しもしない事に不審すら覚える。
(どういうつもりなんだ……。俺があの時気付いたとは考えていないのか)
 いや――あの海でレオアリスの問いかけに対し、もう判っているのではないかと笑った。核心から視線を逸らしたがったレオアリスの躊躇いを見抜くように。
 レオアリスは前を行くスランザールを見たがスランザールの視線は返らず、ルシファーへ向けられてもいない。その事がスランザールの意志を伝えてくるようだ。
 スランザールはこの件にはかなり慎重な姿勢を示している。
 スランザールは昨夜の内に王へ報告を上げている。その時にルシファーの事に言及しただろうか。
 王は、何を言っただろう。
 ほんの僅か迷い、レオアリスは敢えて、視線をルシファーへ向けた。
 ルシファーは膝をついた体勢でやや足元をるように顔を伏せていて、まだ距離もあるせいか、レオアリスの視線に気付いて返す気配は無かった。
「――」
 心の中で息を吐く。
 ルシファーの瞳と合わず――、そこに答えを見つけずに済んだ事に、レオアリスは確かに安堵を覚えていた。自分でも矛盾した感覚だ。
 思考を変えるように視線を外しかけ、それはすぐにもう一度、元の位置に戻った。
(え?)
 もう玉座へと延びる長い深緑の絨毯を半ば辺りまで歩いて来て、玉座のきざはしの下は全て見て取れる。通常、階の左右には四人の公爵が立った。
 そこに、ルシファーの横に立つはずのアスタロトの姿が無い。
(遅れてるのか……?)
 けれど絨毯を挟んだ対面には既に他の二公も揃っている上、そもそもファルシオンが入場する段になってもの不在というのは、基本的に有り得なかった。正規軍を見れば、副将軍タウゼンも参謀総長ハイマンスと共に立っている。
 日頃は適当に見えてもアスタロトは実際には責任感が強く、今までこうした場に遅れたり欠席したのをレオアリスは見た事が無い。
 だから何か、この場に出れない理由があるのだろうと、そうは思う。
(一昨日の軍議には居た。あの時は体調が悪いとか、そんな感じは――ああ、いや、違う)
 何かふさいでいるようだった。一昨日だけの話ではなく、最近ずっとだ。
(あれが何か関係あるのか?)
 ファルシオンの、王への報告の席を欠席するほどに?
 胸の奥に漠然とした、収まりの悪い感覚が生まれる。
(何だ――)
 ふと、ルシファーの口元に微かな笑みが浮かんだが、その笑みはレオアリスの視界には入らなかった。
 ファルシオンが玉座への階段の前で一度足を止め、階上を見上げる。
 スランザールが深緑の絨毯の上から一歩退ききざはしの横に立ち、レオアリスは幾つもの疑問を一先ず横に置いて、スランザールのやや後ろ、階段側に寄って立った。王からファルシオンの警護の任務を解かれるまでその位置で控えるが、もう後はファルシオンの奏上を見届けるだけだ。
 ファルシオンは彼にとってはまだ段そのものが高い階を一つずつ上がって、玉座から三段目の位置で両膝をついた。場が整った事を知らせる鐘が一つ鳴り、短い余韻が静まり返った広間に溶ける。
 レオアリスは改めて謁見の間を見渡した。
 一昨日の軍議と同じ顔触れだ。内政官房、財務院、地政院、正規軍各方面の王都守護隊である第一大隊、そして近衛師団各大隊の正副の長と補佐官達、およそ四十名が出席している。一人、アスタロトを覗いて。
 正規軍副将軍タウゼンは、壮年の面に普段見ないほど厳しい色を浮かべて膝をついていた。その理由はほぼ間違い無くアスタロトの不在にあるのだろう。
 レガージュへ赴いているたった一日の内に、何があったのか。
(何だ)
 もう一度、レオアリスはそう呟いた。アスタロトの周囲に何かがあって、それをまるで知らないという事にレオアリスは自責に近いものを覚えていた。
 アスタロトは大切な友人だ。その友人に何か問題があった時に何も知らないで、そう言えるのか。自然と拳を握り込む。
 問題がどこまで大きいのか――他の参列者達がこの不在をどう思っているのか、しかしそれを読み取ろうとする前に、王の出座を知らせる鐘の音が響いた。参列者達が再び面を伏せる。レオアリスもその場で面を伏せた。
 玉座の奥の幕がするすると左右に巻き上がる。そこから近衛師団総将アヴァロンを伴って王が現れ、玉座へ着座した。アヴァロンが玉座の左後ろに立つ。王の纏う威厳が謁見の間を満たし、静まり返った空気を揺らす。
 再び鐘が二つ鳴らされ、静寂がその余韻を飲み込んだ。
 ファルシオンが面を伏せ再び上げる間もずっと、王の瞳はファルシオンの上に注がれていた。
「ただいま、帰還いたしました。この度の、フィオリ・アル・レガージュで行った、マリ王国との会談について、アレウス国王陛下に、ご奏上いたします」
 ファルシオンが報告するのは整えられた結論だ。当然、その目的にルシファーも気付くだろう。レオアリスは少なからず緊張したが、ルシファーの並びにいるスランザールは特に隣を確認する事無く、泰然とファルシオンの報告に耳を傾けている。
 ファルシオンはまだ少したどたどしいながらも、一つ一つ思い起こすようにして丁寧に言葉を繋ぎ、王へ報告を終えた。
 王は幼い王子が真剣に報告する姿を黙ったまま見つめていたが、ファルシオンが口を閉ざすと、思いがけず温かな笑みを浮かべた。こうした場では非常に珍しく、列席していた諸侯が驚きを覚えて顔を見合わせたほどだ。
「ファルシオン」
「――はい」父王から向けられた笑みに頬をほころばせていたファルシオンは慌てて顔を伏せた。
「国使として初の任務には厳しい案件だったと思うが、良く求めに応えた。レガージュに損害を与えず、尚かつマリ王国との友好関係と交易を保った事は、私の想定以上の成果だ」
 ファルシオンは頬を紅潮させ、父王へきらきらした瞳を向けた。
 レオアリスはそっと息を吐いた。ファルシオンが担った初めての国務は、これで終了する。
 昨日の昼の段階では解決策を見い出す事すら困難だったものが、今やこうして国王へ報告を上げられるまでになったのも、不利でしかない状況の中でファルシオンが決して諦めず、懸命にマリ海軍と対話をしたからだ。
 ファルシオンの姿が昨日の軍議の席よりも成長したと見えるのは、レオアリスだけではなく他の諸侯も同じだろう。
 この場の誰もが、今回の一件にファルシオンを関わらせた王の意図を見ていた。
 まだずっと先の話ではあるものの、いずれ――、ファルシオンがこの国を継いでいく。
 その流れに向けて、確かに王位継承者たる能力を有している事を、ファルシオンは父王に示し、諸侯へもはっきりと示したと言える。
 おそらくこうした機会が次第に増え、いずれファルシオンが国政の場にいるのが当たり前になって行くのだ。
 やがては中心に立つ。
「これを以って今回の任を解く。以降はレガージュで得た事を忘れず、そなたの経験として活かしていくと良い」
 ファルシオンは改めて頭を伏せ、深々と一礼した。
 謁見の終了を告げようと、内政官房長官ベールが一呼吸入れて面を上げた時、落ち着きかけた場を揺するように声が割って入った。
「発言をお許しいただけますか、陛下」
 レオアリスは僅かに眉を潜め、声の主――、西方公ルシファーの横顔を見つめた。
(何を言うつもりだ)
 ベールが王の意思を伺うように視線を上げる。一瞬その瞳を、他人には気付かれない程の微かな光が過った。
 王は金色の双眸をルシファーへと向けたが、間を置くほども無く頷いた。
「構わん」
 何事かと訝る視線が集まる中、ルシファーは深く面を伏せ、一旦王へ一礼した。その瞳の奥に何の理由か、苛立ちに近い色が瞳に湧き上がり、ただスランザールへ向けた時には消えていた。
「――スランザール。貴方に少しお聞きしたいのだけど」
 スランザールの皺を刻んだ面がルシファーと向かい合い、促すように白い豊かな眉が上がる。
「今殿下の仰った事は、果たしてこの問題の全てを示しておいでなのかしら。貴方は何か、隠している事があるのではない?」
 ざわりと広間の空気が揺れた。西方公が何を言おうとしているのかと、それぞれに顔を見合わせる。ファルシオンは思いがけない問いに何が始まったのかと戸惑い、きざはしの途中に膝を着いたまま階下のルシファーとスランザールを見つめ、そして不安そうな瞳をレオアリスへ向けた。
 レオアリスもまた内心には緊張を抱えていたが、それを抑えて穏やかな視線をファルシオンへ返した。ファルシオンの戸惑いは当然のもので、斜め向こうに立つグランスレイやロットバルトの上にも、同様の疑問があるのが判る。
 それらを余所に、スランザールは普段と変わらない飄々とした様子を崩していない。
「隠していると、そう考える根拠は何じゃ」
 まるで他愛のない会話を受けるようにそう言った。ルシファーの口元に笑みが広がる。深い明け方の色を讃えた瞳に、掴み所の無い光が渦を巻いた。
「マリ王国との和解が不自然に思えるのよ。レガージュには罪はなく、マリの船を沈めたのが南海の海賊による偽装行為だった。それが和解の理由と言ったけれど」
「それが判ったからこそ、事態が平穏に収まったのだから理に適っておろうが、何が不自然と思うのか」
「平穏に? 残念な言葉だわ、スランザール」
 挑むようなルシファーの口調が、いやが上にも室内の緊張を浮き立たせる。ルシファーが長官を努める財務院の官吏達は、彼女がどんな立場で物を言おうとしているのかが判らず気もそぞろに青い顔をしている。
 そもそも誰一人、スランザールが付き従った上でファルシオンが収めた案件に、異議を唱える者がいるとは思っていなかったのだ。スランザールが既に王とこの件について話をしている事を、彼らも前提にした上での報告の場だった。
 それは一般的に取られる手順でもあり、つまりもう王も承諾している内容に対して、ルシファーは異議を唱えていると捉えられた。室内の騒めきが収まらない。
 自分に対する疑念の騒めきをルシファーは面白そうに聞き、唇の端を上げた。「――ご存知の通り、私は西方の所領を任される身として、レガージュでの情報もそれなりに耳に入ってくるわ」
 レオアリスにはそこに含みがあるように感じられたが、ルシファーの口調は話し出した時から変わっていない。
「先ほど殿下はマリ王国海軍が火球砲を発射したと仰ったけれど、回数までは仰らなかった。でもそこはこの件を収める上でとても大きな要素になる。確か」
 一呼吸置くと、騒めきは鳴りを潜め、謁見の間は静まり返った。その場の全ての者がルシファーの言葉に注目しているのが良く判る。
「私の得た情報では、マリ海軍は火球砲を四度、撃ち込んでいる。四度。決して少なくはない数よ」
 四度――、という呟きがあちこちで漏れた。
 その回数は諸侯に驚きを与えるのに充分だったようだ。特に正規軍や近衛師団でも将校達は、火球砲が一度ならず撃ち込まれた事が何を意味するか直に理解して、眉をひそめる者もいる。
「弱気な外交ね」
「そうかの」
「ええ。国益を損ねていると、そう思うわ」
 王の相談役に対する遠慮の無い言葉に、周囲の方がひやりと首を竦める。スランザールは黙ってルシファーの次の言葉を待っている。
「レガージュに非は無く、マリ王国側の誤認だと判って収まったのは幸いだけど、何故それだけで納得して帰ってきたの。策略に誘導されたとは言え、火球砲を撃ち込んだ事はマリ側の失策として、最終的にレガージュは優位な立場に立っていたはず。本来なら同等の決着になどなり得ないわ」
 ファルシオンは何かを言うべきかと助言を求めて父王の顔を見たが、王は黄金の瞳をルシファーへ落としているものの、特に場を止める気配もない。ファルシオンには王の瞳の中にあるものは、読み取る事ができなかった。
「ふむ」
 渦中のスランザールは枯れ木のような手を上げ、白い豊かな髭を撫でた。
「マリ王国との戦乱を避けられ、今後の交易に於いても問題は生じなかった。それが今回の交渉の第一の目的で、それだけでも充分国益を保持していよう。マリ側もまた二隻の船を沈められ甚大な被害を被っておる。火球砲によるレガージュへの直接の被害は無かったのじゃ、それ以上を求める必要はないじゃろう」
「確かに、もっともな説明だと思うわ。ただ私が言いたいのはそれそのものの是非ではない。つまり、貴方がそれをしなかったのは何らかの――非公式な取り決めをマリとの間にしたからではないかと言う事よ。言わば交換条件として――」
 レオアリスは鼓動を押さえ込む為に、ぐっと拳を握った。
(一体何を言おうとしているんだ――まさか)
 頭を過った考えに、警戒と、もう一つ、不可解さを覚える。
 ルシファーが開いて見せようとしているものがレオアリスの予想通りなら、そこには彼女自身が関わっている。自ら立場を危うくする事を言うだろうかと、そうした不可解な思いだ。
 それではまるで自分がこの件に関わっていたと、自ら告げる行為のように思える。
「私がこんな事を言っている理由は、あなた方には判っているはずよ」
 レオアリスの考えが聞こえているかのようにそう言い、ルシファーは彼女がこれから放つ言葉の効果を測るようにゆっくり謁見の間を見渡すと、淀みなく告げた。
「今回の件には西海が絡んでいた」
 広間に瞬間的な静寂と、次に雄弁な沈黙が満ちた。
「西海――」
「まさか」
 ロットバルトは視線を巡らせた。内政官房や地政院の事務官達だけではなく、正規軍の将校、そして近衛師団のトゥレスやセルファンの上にも驚きと――、困惑がある。
 ルシファーの言葉が彼等の意識に浸透するにつれ、それは不審に変わって行くだろう。
(伏せていた分、この開示のされ方では不審を招くのも当然だ――だが、もともとおおやけにするつもりは無かったとは言え、時期を見てある程度の開示はスランザールも考えていたはずだ)
 回復はできる。それがルシファーに判らないとも思えなかった。
(西方公の目的は何だ。自らの関与に対する告発を封じ込める為に、先手を打ったのか?)
 その推測はどうしても腑に落ちない。ロットバルトもレオアリスと同様に、ルシファーの意図が読めずにいた。
 不利なのだ。自らが。
 西海を持ち出したところで、スランザールがルシファーの関わりを告発した時点で全て引っ繰り返る。
 目的は自己の保身ではなく、もっと深い所にあるように思えた。
 何が――。
 ふとロットバルトは、昨夜のザインの言葉を思い出した。
 レオアリスが、ルシファーの関与の証人でもあるザインの身の安全を懸念して身辺に軍を配備しようと言った時、ザインはあっさりと断った。剣を失ったとは言え、剣士としての矜持もあるだろう。
 ただ断った理由を、ルシファーには隠すつもりがなかったからだと、そう言った。
(隠すつもりがない……)
 ザインはルシファーと直接会話したからこそ、それを確信してそう言ったのだろう。
 何故か――、その言葉は、見えない部分で欠けて事態を不安定にしていたものを、するりと補った気がした。
 隠すつもりがない。正体の見えない言動の中でそこだけが唯一、一貫して見える。
(そう断じるのは危険だ。憶測に過ぎる)
 拙速になる思考を戒めながらも、それは道に刻まれた轍にはまった車輪のように進む。
 隠すつもりがないのが前提だとしたら、この状況で何を狙うだろう。
 まるで、ルシファーが西海に関わっていた事を、逆に指摘させたいような。
 ロットバルトはその思考を脳裏で繰り返し、視線を上げた。
(――何を言わせたい・・・・・・・
 まさか、と思う。
 この状況で、ルシファーの言葉を回避する為に、スランザールや、もしレオアリスが、口にするとしたら。
(まさか)
 そこまでは、穿ち過ぎだ。そう思う。
 そう思いながら警鐘が消えず、ロットバルトはレオアリスを見た。レオアリスの視線はルシファーに向けられていて、ロットバルトの視線に気付く様子はない。
(スランザールは――)
 スランザールはちらりと、正面に立つベールと視線を交わしたように見えた。
 ルシファーが自分の言葉が発した効果を手繰るように続ける。
「私が聞く限りでは――、マリの船を沈め、レガージュの仕業のように見せかけた者がいた。それが西海の三の鉾の一人、ヴェパール」
 謁見の間が揺れる。
(どこまで――)
 レオアリスが息を抑え、思わず口を開きかけた時、制止するようにスランザールの右手が触れた。
 辛うじて聞き取れる声で、スランザールがぼそりと告げる。
(え――)
「この件はヴェパールの手によるものだと判ったからこそマリ海軍は矛先を変え、そして西海との間に起こった問題を塗り消すために貴方はマリと交換条件とも言うべき協定を結んだ」
 レオアリスは先ほどのスランザールの言葉を、困惑と共に反芻した。
乗るでない・・・・・
(どういう意味だ――)
 乗るな、とは、何に。
(スランザール?)
「近衛師団第一大隊大将」
 はっとしてルシファーへ顔を向ける。高い天窓から差し込む光が一筋、ルシファーとの間に落ちている。その白い光に紛れ、ルシファーの表情は読み取りにくかった。
「あなたは、ヴェパールの死をその眼で見届けたはず。いえ――ヴェパールを殺したのが誰かも、あなたは良く知っているのではない?」
「――」
 どうしてそこまで詳しく知っているのだと、簡単に問い返せる。
 どうして・・・・
「ヴェパールの死は二国間の関係に大きく関わる。ヴェパールがどう死んだのか、重要な要素よ。誰が殺したの」
 鼓動が大きく打ち鳴らされている。
 誰が?
 その問いへ答えろと言うのか。
「さても、困った事じゃな」
 泰然とした声が、レオアリスの中にあった当惑を打ち消した。
 スランザールは長衣の前を払い、改めてゆったりとルシファーに向き直った。
「西方公という立場にある者が、いたずらに混乱を招く事を言うとは思わなんだ。今は国使として王太子殿下から国主へ報告をお上げになる場じゃ。殿下がご報告になる事は即ち国の公式見解でもある。もしそなたの言うとおり、今回の一件に西海が絡んでいたとしても、今の時期を考えればそれを公にする事には意見があろう。それはこの場にいる誰もが理解できるはずじゃ」
「そうかしら。うやむやにする事にこそ意見があると思うわ。この件に関わっていたのが」
「西方公」
 ルシファーが言い募ろうとした時別の低い声が割って入った。声の主は筆頭公爵家でもあるベールだった。
「私にはスランザール公の説明がもっともだと思える。特にこの場では」
 押さえ込む響きの声に、ルシファーの面に軽い苛立ちが昇る。
「議論は無し? 明らかな疑問があるのに。内政官房の長である貴方までそんな事を言うとはね」
「立場を考えるのなら尚更そこまでにした方がいい。それは別の場の審議になるだろう」
(――)
 ロットバルトは、その時に見て取ったものを、じっくりと反芻した。
 ベールが口を開いた事により、幾つかの反応があった。四大公の残りの一人、東方公はまるでどうでもいい事だと言うように口元を歪めたが、アヴァロンと内政官房副長官のヴェルナー侯爵は、面に昇らせないものの微かな安堵を纏った。
 その誰もがこの国の中枢にある存在だ。
 ルシファーは嘲笑の色を浮かべ、ベールを睨み付けた。
「今この場でも、大して顔振れは変わらないでしょう。私にはまだ」
「ルシファー」
 掛けられた冷厳な響きの声に、ルシファーは口をつぐんで壇上の玉座を見上げた。
 王の黄金の瞳がルシファーの上に落ちている。
「全てを聞いている。ここで今、その議論をする必要は無い」
 張り詰めていた空気が解け息を吐いたのは、レオアリス達よりも居並ぶ諸侯の方だった。
 王がルシファーの言葉を間接的に肯定した事で、ルシファーが投げかけた先の見えない不安感が薄れた。
 ルシファーは広間の安堵を背に、ぎらぎらと、彼女に相応しくない光をその暁の瞳に湛えた。
「陛下――貴方はいつも」
 そう呟き、ただその先は発されず口の中に消えた。緩やかに一礼を向ける。
「場をお騒がせ致しました――お許しください」
 ほんの束の間、ルシファーは王に瞳を据えていたが、すぐにそれを伏せた。





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