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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第四章 「剣士ザイン」

十三

 太陽の強い陽射しが照り付ける。
 遮るものの無い陽射しは海面に反射して拡散し、熱で立ち上る微かな水蒸気と相まって、十一隻の軍船の影を時折おぼろに揺らしていた。
 そのマリ王国海軍船団の中央に位置する提督メネゼスの司令船に、レガージュの――アレウス国国使を乗せた船が横付けされ、船体の軋む音と共に止まった。
 帆は既に巻き上げられて風を除け、帆柱の先端に一りゅう、漆黒の近衛師団旗がなびいている。マリ王国が旗を下ろせと指定したものに、それは反していた。
 揺れる甲板上には左右二十名の近衛師団隊士が並び、船室から国使が出てくるのを待っている。
 メネゼスは自分の船へ渡された渡り板の斜め前に立ち、まだ閉ざされている船室への扉へ視線を注いだ。
 居並ぶ近衛師団隊士が一斉に踵を鳴らし、左腕を胸に当て姿勢を正す。扉が開く。
 銀髪の大柄な男が身を屈めて甲板へ出た。背に纏う長布と振る舞いから、一目で近衛の将校だと判る。扉へ向き直り、隊士達と同じように敬礼を向ける。
 続いて現われたのは、若い、まだ十代後半の少年だった。
 再び、近衛師団隊士が踵を鳴らす。空気がぐっと引き締まった。
 メネゼスは片眉を上げた。
 あの少年は、将校――それもどうやら先に出てきた大柄な男より官位が上らしい。
「ほう、こいつぁまた凄ぇな」
 メネゼスの呟きを耳にして、副官が眉を潜める。
「彼が国使ですか――ずいぶん若い者を送って寄越しましたね」
「何言ってんだ、ありゃあ近衛師団の将校だ、国使じゃねェ。が」
 アレウス王国近衛師団にあれほど若い上級将校は、一人しかいないはずだ。
 他国の軍に関する事も派手な噂は伝わって来る。ただ少し、呼び名は異なった。
「第一大隊大将――、アレウス国王のつるぎだ」
「は……では、あの」
 副官が感心した顔を再びレガージュの船に向けた。時折吹き付ける風が、レオアリスのまとう漆黒の長布をなびかせる。
「しかし」 メネゼスが唸る。「だとすると、国使は」
 扉から、小柄ながら威厳に満ちた老人が現れ、一度振り返って扉の奥に何事か言葉を掛けた。近衛師団隊士達がその場に膝を着く。老人と二人の将校は立ったまま、扉へ向かって恭しく頭を下げた。
 こつ、と小さな靴音がした。
 メネゼスが隻眼を細める。
 現われたのはまだ幼い少年だ。
 だが王家の色、暗紅色の生地に刺繍を施した長衣に身を包み、近衛師団が護る人物は限られている。
「て、提督」
「――王太子、ファルシオンか。いや、しかしこりゃあ」
 やはり、と思いつつも尚、メネゼスは呆気に取られて口の中で呟いた。
 そもそも近衛師団が来た時点で、相当な地位の国使を送って来たとは読んでいた。それによってアレウス王国の対話の意志は、メネゼス等マリ王国海軍に示された。
 しかし国使に王太子を送って来る事までは、メネゼスも想定していなかった。
「なるほど旗を降ろさない訳だ――。しかし王太子はまだ五歳なったばかりと聞いているが――」
 メネゼスは検分するようにファルシオンを眺めた。
 ファルシオンはメネゼスの視線に気付いたのか、じっと見つめ返して来るようだ。
「――幼いな」
 メネゼスは口元にうっすら笑みを浮かべた。
 両国は船の上で波を挟み、互いに向かい合っている。
 左右十隻のマリ海軍軍船は横一文字の陣形を僅かにずらし、今は全ての船首がレガージュの船を覗き込むように並んでいる。その半数もの船首には、火球砲の砲門があった。
 ファルシオンの乗った船は半ばマリ海軍の懐に収められた状態だ。メネゼスにその意志があれば、ファルシオンの生命すら簡単に危険にさらされる。
 それをどちらも理解していて、場はそれぞれの緊張に満ちていた。


 ファルシオンは真っ直ぐに、対面の船に立つ大柄の男を見つめていた。
「恐らくあの男がメネゼス提督でございましょう」
 スランザールがそっと告げ、レオアリスも眼を向けた。
 マリ人に特有の浅黒い肌と陽に焼けた短い黒髪。グランスレイと並ぶ体躯と立ち姿からは、経験に裏打ちされた豪胆さが伺える。
 何より左の額から頬にかけて長い傷が走り、左眼を閉ざしているのが印象的だった。右の眼光が鋭く、そして迷い無くファルシオンに向けられている。
 マリ海軍は納得の行く説明を求めていて、それができないのなら国として謝罪をしろと要求している。レオアリス達はまだ、彼等を納得させるだけの材料を持っていない。
 今できるのはただ、レガージュはマリの船を沈めていないと、それを改めて説くだけだ。
 もしメネゼスがファルシオンの言葉を受け容れなければ――
 ファルシオンは張り詰めた顔で、メネゼスをじっと見つめている。
「俺が先に参ります」
 レオアリスはそう言って、隊士達の間をマリ海軍の船へ向かおうとしたが、ファルシオンはぐっと手を引いて止めた。
「殿下?」
「スランザール、レオアリス」
 ファルシオンが瞳を見開くように、二人の顔を見上げる。黄金の瞳に光が揺れた。
「隊士たちは、この船に残す。私たちだけで行こう」
「――しかし、それでは殿下の警護の体制が不十分になりましょう」
「いいのだ。話し合いをするために行くんだから」
 そうきっぱりと言った。
 スランザールはファルシオンの言葉を吟味するように眉を動かした。どのような状況であれ、ファルシオンを最も安全に護る事が最優先の命題だ。
 スランザールはレオアリスと視線を合わせ、ややあってゆっくり頷いた。
「殿下の仰せの通りに致しましょう」
 ファルシオンも頷き、ただ頬を強ばらせている。レオアリスは膝を付き、口元に笑みを刷いた。
「問題ありません。御身は必ずお護りします」
 ファルシオンは何かを言おうとして口篭ったが、レオアリスは一礼して立ち上がった。
 先導の為に一人、渡り板を渡ると、メネゼスの立つ甲板に降りる。漆黒の長布がふわりと翻る。
 まるで気負う事の無い身のこなしに、左右の甲板に出ていたマリ海軍兵達は呑まれたように一歩、後退った。メネゼスの鋭い視線を向けられ、慌てて姿勢を正す。
 レオアリスは数歩歩みを進めて立ち止まり、メネゼスを真っ直ぐに見て一礼した。
「マリ王国海軍提督、メネゼス殿とお見受けします」
「いかにも――貴殿はアレウス国近衛師団第一大隊大将か」
 名乗る前にそう問われ、レオアリスは少し驚いてメネゼスを見て、頷いた。僅かに身体を向き変え、横付けした船を示す。
「アレウス国王が一子、ファルシオン王太子殿下です。貴マリ王国国王陛下の国使を受け、アレウス王国国王陛下より全権を委任され、この度の問題について話し合う為にアレウス王国国使として参られました」
「問題の話し合い、とは、提督」聞き咎めた副官が憤りに顔を赤らめ、傍らのメネゼスに囁く。「我が国が求めているのは謝罪だと、まずそれを理解させるべきでは」
「――」
「必要なら見せしめに使者を斬ってでも再度意思を示し、例え王太子だろうと追い返すのが」
 今、この若い将校はこの船にたった一人でいる。捕えるも斬り捨てるも簡単な事だ。
(通常はな)
 メネゼスは隻眼を細めた。
 他国の兵に囲まれ、決して友好的とは言い難い状況にあって、落ち着き払っている。というよりは自然体に近いのだと思えた。
 剣も何も帯びていない。それが油断でもおごりでも、ましてやマリに対する恭順の意でもない事を、メネゼスは理解している。
(剣士か――、まだこの眼で直接見た事はねぇが)
「会談に当っては、場に控える四名について貴船への乗船をお認め頂きたい。一名は殿下の補佐を務めるスランザール公、残り三名は我々護衛です。近衛師団隊士達は船にこのまま待機させます。その上で、護衛をこの人数以下にする事もまた、ご容赦頂きたい」
「――」
 メネゼスは隻眼を細めた。護衛に付くのは僅か三名、二十余名の兵はレガージュの船に残るという事になる。
 通常、王族を警護するにおいて、その交渉ならば過ぎる程の譲歩と言える。しかし
(それ以上――剣士一人で、待機させた近衛師団隊士二十名を充分補えるはずだがな)
「提督、如何されますか」
 副官はアレウス国側が最大の譲歩をしたと、そう受け止めたようだ。
(乗せられてやがるな。王太子を持ってきて、尚且つ護衛を最小限にするとありゃぁ)
 メネゼスはにやりと笑い、組んでいた腕を解くと頷いた。
「いいだろう、王家護衛の事情は判る。乗船を認めよう」
「有難うございます」
 レオアリスはメネゼスに一礼し、渡り板の傍に歩み寄った。
 初めにグランスレイが渡り、続いてスランザールが船を移る。
 ファルシオンはロットバルトの手を借りて自分の胸の位置にある渡り板に乗ると、一人で細く不安定な板を渡った。レオアリスが腕を支え、危なげ無く甲板に降りる。
 ロットバルトが渡った後、残ったフレイザーの指示で、近衛師団隊士達は渡り板を取り外した。
 マリ海軍の水兵達が驚き、互いに顔を見合せて騒めく。
 渡り板を外すなど、退路を自ら断つようなものだ。万が一の時に、近衛師団隊士達の救援も期待できない。
「帰り道は無くていいのかな」
 メネゼスの笑い含みの問いかけに、スランザールが皺顔を上げる。
「これが殿下のご意志じゃ」
「ほお……まるで人質を取る気分だが」
「無論帰路は、貴船団が見送ってくださると信じておる。我々が危ぶむところは何もござらん。当然、この会談の結末もじゃ」
「なるほど――。だが互いに船を寄せ合えば、間に上がる波も高かろう」
 そう笑い、メネゼスはファルシオンへ向き直った。
「ようこそ我が船にお越し頂けた――王太子ファルシオン殿下。一同、まずは歓迎致します」
 親しげな口調とは裏腹の鋭い眼光が、他の誰でもないファルシオンに据えられる。
 ファルシオンもメネゼスを真っ直ぐ見上げた。
 メネゼスが今自分に向けているのは、興味を含んだ探る視線だ。
 何ができるのか。何を言うのか。
 期待をまさか裏切るまい、と。
 メネゼスの視線が外れ、ファルシオンはそっと息を吸い、吐いた。
 この中で自分が一番、何の力も無い事を、知っている。
 スランザールやレオアリス達に助けてもらわなくては、何もできない。
 もし――もっと自分が、せめてレオアリスと同じくらいの年齢だったならと、そう思った。
 斜め後ろにいるレオアリスをそっと見上げる。レオアリスはすぐに気付いて、にこりと笑った。
『身命に代えても、王太子殿下の御身をお守り致します』
 レオアリスは昨日の軍議で父王に対し、そう誓った。
 剣の主に。
 もし、ファルシオンの身に万が一の事が起これば、必ずレオアリスはそう行動するだろう――
 心臓の鼓動が早くなっているのにファルシオンは気が付いた。
 本当に、このやり方で正しかっただろうか。
 危険に晒しているだけではないのか。
 レオアリス達も、残した近衛師団隊士達も。
「こちらへ」
 メネゼスはそう言うと、先に立って船室への階段を下りていく。
 ファルシオンはぐいと顎を持ち上げ、メネゼスの後に付いて扉を潜った。





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