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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第四章 「剣士ザイン」

二十五

 海面を突き抜けた青白い閃光が、ファルシオン達を捕えていた水柱を斜めに断った。
 断たれた水の柱は一度動きを止め、初めからただの水の塊だったと言うようにざぁぁと音を立て海面に落ちる。
 甲板の上でロットバルトとグランスレイは、それを仰ぎ見た。フレイザーが船縁に駆け寄り、近衛師団隊士達が飛竜の上で身を乗り出す。
「あれは――」
 青白い閃光。
 良く、知った光だ。
 降り注ぐ水流の中からハヤテが飛び出す。
「……殿下は、ご無事か」
 その背の上のファルシオンの姿に安堵の息を吐き、ロットバルトは海面へ目を向けた。今の閃光は確かに、レオアリスの剣が生む余波だった。
「上将――」
 安堵が沸き起こると同時に、疑問も生じる。
 あの下で、何が起きているのか、覗き込む海面からは窺い知る事ができない。



 ヴェパールはのっぺりした面に驚愕の色を浮かべ、耳の傍を通り抜けた光の先を睨み、そしてゆっくり、視線を足元へ下ろした。
 青白い光が目を刺す。
 斜め下に、レオアリスが立ち上がっていた。
「――」
 右手に青白い光を纏う剣を提げ、左手でヴェパールの戟を掴んでいる。
 ヴェパールの視線の先で、戟は水が飛び散るように、形無く砕け散った。
 ヴェパールは喉の奥で息を溜め、それを驚きと共に押し潰した。
「まさか――我が戟を、砕くだと」
 先ほどまで戟が貫いていた胸にはかすり傷一つ見当たらず、揺らぐ海中でレオアリスは地上と変わらずに身を起こし、海面を見上げていた。瞳にあるのは明確な意思ではなく、剣が纏うのと同じ青白い光だ。
 何を見ているのか――、自分に一切向けられる事のない視線に、何かがヴェパールの意識に警鐘を鳴らす。
「――」
 ヴェパールが掲げた右手の内に、細かな光の粒子が集まり形を作る。戟が再生されていく。
 レオアリスの瞳が向いた。
 青白い閃光がヴェパールの顎の先をはしった。形成されたばかりの戟があっさりと砕ける。
「!」
 閃光はそのまま海面を貫いた。



 再び海面を切り裂いて光が奔る。海面からマリ海軍の軍船の一隻へ逼り、波に煽られて揺れた船体をほんの僅かに掠めて、消えた。
 帆を張る為の船首の梁が断ち切られ、ぴんと張られていた縄が空中に跳ね踊る。
 甲板にいた者達は弾けた縄に声を上げて身を竦めたが、メネゼスを含めほとんどの視線は海上に向いていた。
 彼等の視線の先で、それまで海面を荒らしていた水竜巻がふいにぴたりと止まり――、崩れた。
 船を被う海水も同じく力を失い、波が引くように船体を滑り落ちる。
 拘束を解かれ、兵士達は驚いて辺りを見回した。
『何だ』
『消えた――何だったんだ』
『とにかく助かった――』
 竜巻の消えた空は何事も無かったかのように青い。マリの水兵達は互いの顔を見合わし、びしょ濡れになった姿に、込み上げる笑いと安堵を堪え切れず笑い声を立てた。
『ひでえな……泳いで来たみてぇだぞ』
『他人の事を言えんのかよ』
「――」
 ロットバルトは周囲が解放された驚きと安堵に湧く中で、先ほど剣光が掠めたマリの軍船を見た。幸い船首の梁が断たれただけで済んでいるが、それは波に煽られた為だ。
 剣光はそのまま、船体を切り裂いていた可能性もあり得た・・・・
 光の消えた海面に視線を落とす。
 海面を切り裂いた剣光、あれは、一つの光景を思い起こさせる。
 熱を帯びた海の上に、北の黒森の凍てついた空気を呼び込む。



 ヴェパールは胸と顎から散った血を眺めた。たった今、剣光が抜けた場所だ。
 傷は瞬く間に塞がったものの、ひやりとした感覚を残している。
 何より、今、そこにいる者の気配が、船上にいた時と全く違った。凍てついた気配――それが更に研ぎ澄まされて行く。
 その気配に当てられたように、ヴェパールは思わず目の前の存在を見据えた。
 ヴェパールの視線の先で、レオアリスの右手の剣が鼓動を打つ。
 左手が鳩尾に当てられ、ズブリと沈む。
 ひどく無造作に、何の躊躇いも無く、レオアリスはその剣を引き抜いた。
 青白く怜悧な――凍る光を纏う、もう一振りの剣。
「――」
 互いを写したような二振りの剣が、青い色を重ねる海の中で更に青く、静かに脈打った。
 剣の脈動が水を伝い、ヴェパールの皮膚に届く。肌を切る感覚にヴェパールは思わず腕に目を向けた。何事も無い。
「――二刀目」 一刀のみと相対していた先ほどよりも、感じる圧迫感が違う。
「……だが、まだそれだけだ。貴様は我が領域の中にいる」
 この海中にいる限り、ヴェパールの圧倒的優位は覆らない。それは確かだ。
 それでいて、この喉を締めるような感覚は何なのか。
 まるで、存在そのものが変わったような――、別人を前にしているようにすら感じられる。
 既に海上の支配が途切れているのは気付いていたが、ヴェパールはレオアリスへ向き直った。
「何ができる」
 その言葉に含まれた微かな感情を無視し、ヴェパールは左手を緑の光球にかざした。水が振動する。
 ヴェパールの周りを取り囲み振動していた水は、円を描くように六箇所、鋭利な先端を持つ杭となって突き出した。
 それぞれがレオアリス目がけて奔る。
 レオアリスは二振りの剣を無造作に提げたまま、逼る水の杭を眺め、口元に薄い笑みを浮かべた。



「――ダメだ」
 上空を旋回するハヤテの背から海上を見下ろしながら、ファルシオンは無意識に呟いた。
 今、海面は凪いだように静まり返っている。
「殿下?」
 スランザールが聞き返す。見開かれた金色の瞳に不安の色があるのをスランザールは見て取った。
「剣を――」
 駄目だ。

 このまま、剣を振ってはいけない。

 眼下の海面に、青白い光が揺れている。
「レオアリス――剣を振っちゃダメだ!」
 叫んだ瞬間に、海面が六ヶ所、盛り上がったかと思うと杭のように突き出した。
 鋭利な先端が船首や手摺を掠め、或いは砕く。
『何だ!』
 水の杭はメネゼス達の目の前であっけなく崩れ、ただの波になって海面へ戻った。再び海面が静まり返る。
『提督、二番船が……!』
 メネゼスは振り返り、奥歯を噛み締めた。中央にいた二番船の左舷の上部が、一部削ぎ取られている。
『くそ、まだヴァイパルが何かしてやがるのか』
 メネゼスは苛立ちを吐き出したが、ロットバルトは口元を引き結び、海面を見下ろした。
 ファルシオンの制止の声を、確かに聞いた。
(――殿下は、何に対して制止された……?)
 剣を振るな、と――
 嫌な予感が胸の奥に湧き、渦巻いている。
(あの下の状況を知る事ができれば)
 知れたところでどうなるのかと、思考の端で呟く。
 誰が止めるのか・・・・・・・
(……早計だ)
 今、浮かんでいる考えを否定したい。
 それが難しいと気付いている自分の意識に苛立ちを覚えながら、ロットバルトは海面を睨んだ。



 ヴェパールは水の杭が貫いた箇所を、まじまじと見つめた。
 自分の腹を。
 貫いて行った。
 驚きが解けるのを待っていたかのように、ゆっくりと傷が閉じていく。
 目の前に漂っている腕を見つけ、ヴェパールはそれを掴んだ。たった今切断された右腕だ。
 切断された傷口に当てると、苦も無く付いた。右手を確かめるように幾度か握り込む。
「――」
 瞼のない銀色の双眸が、レオアリスへと向けられる。レオアリスはただ二刀を提げてそこにいる。
(何をした――)
 それも実際の行為は判っていた。弾き返されたのだ。
 レオアリスはただ、剣を一閃した。
 気付いた時には全てがヴェパールへ向かっていた。
「――ふざけた真似を」
 どくん、と脈動が伝わる。
 それがレオアリスの持つ剣の鼓動だと気付いて視線を落とし、その視線をレオアリスの顔へと持ち上げて、ぎくりと息を呑んだ。
 無機質な瞳――、その上に、愉悦がある。
 ヴェパールも良く知っている、好むものだ。三百年前、いつもその中に身を置いていた。
 戦場での歓喜。
 思う様、敵を追い詰め、いたぶり、命を絶つ。
 怯えながら往く船を沈める。
 その時に感じる愉悦、それと同じもの。



 どくりと剣が脈打つ。
 脈動はレオアリスの中に幾重にも重なり沈んでいく。
 戦いを。
「――ス」
 微かな声が落ちてくる。誰か――、知っている声だ。
 それは剣の脈動に掻き消された。
(――)
 音にならない微かな呟きが零れる。
 黄金の、良く知った光が頭上のどこかにある。
 その光の前に、目の前のこの相手を引き据えるのだ。
「――首だけでも、構わないな」
 全ての力を削いで、完全に沈黙させる。
 その方が確実に、主を守る事ができる。
 その方が――


 楽しい。


 剣が青白い光を纏い、脈動する。
 レオアリスはヴェパールを見上げた。



「ダメだ――! ハヤテ、降りて!」
 ファルシオンの言葉に何を感じ取ったのか、それまで一切命令を聞かなかったハヤテが、海面へと急降下する。
「殿下、一体」
 スランザールはファルシオンの肩に手を置いた。
「海面に近付くのは危険です。上空へ」
「ダメなんだ!」
 ファルシオンはその手を振り解き、叫んだ。
「レオアリス――! 剣を戻して……!」



 剣が、脈打つ。
 レオアリスは両手の剣の柄を握り込んだ。

「よせ、レオアリス」
 ふいに伸びた手が、レオアリスの右手の剣を掴んだ。
 研ぎ澄まされた刃がそれを掴んだ掌に食い込み、滲んだ血が海水に溶ける。
 ザインはレオアリスの正面に立ち、はっきりと告げた。
「お前は、戻れ・・――」
 ザインの剣が鼓動を打つように淡く発光する。その光に呼応するように、レオアリスの剣が一度、脈打った。
 無機質だった漆黒の瞳の奥に、ぽつりと光が灯る。
 レオアリスはザインの顔を見つめ、それから忘れかけていたものを思い出すように、瞳が焦点を結んだ。
「ザ――イン、さん」
 途端に、それまで一切感じていなかった息苦しさに、レオアリスは喉元を押さえた。
「! っ――」
 ザインがレオアリスの肩を押す。押されて離れていくレオアリスをじっと見つめ、それからレオアリスではない、誰かに告げた。
「早く連れて行け」
「――」
「彼を助けるんだろう」
 レオアリスは喉を押さえながら、霞む視界の中のザインを見つめた。
(……何の、話を)
 誰と。
(他に、誰かいるのか――)
 そう言えばザインは、どうやってここに来たのか。何故平然と、まるで地面に立つようにそこに立っているのか。
「どうした。俺に語った事は全て偽りか」
 ザインが語りかける声が耳の奥で反響する。
「――ザ」
 まったく唐突に、すうっと呼吸が楽になり、レオアリスは喉元に当てていた自分の手を見下ろした。
「……、何だ……」
 その理由はすぐに判った。手の指や手のひら――、身体の周囲に、薄い幕のようなものがある。
 それが海水とレオアリスの身体とを隔てていた。
「――ザインさん! 一体何を――」
 ザインは何をしたのか。
 誰と、話している。
「ザインさん!」
 レオアリスの声はザインへは届いていないのか、それとも聞こえない振りをしているのか、ザインはレオアリスへは視線を向けなかった。
「くそ」
 身体が思うように動かない。ただ浮いているだけだ。
 誰と話しているのか。
 何をしようとしているのか。
 ザインがここに来た理由を。
 確認して――
 止めなくては。
 けれど漂う身体を止める事すらできず、レオアリスはザインの姿を追った。



 ザインは辺りを見回した。
 あの日、彼女を見送った青。
 一度眼を閉じ、肌に伝わる感触を確かめる。
 それから、ゆっくり後ろを振り返った。
 そこに三百年もの間、待ち焦がれていた相手の姿があった。
「――三の戟」
 ヴェパールはレオアリスから、ザインへと視線を移していた。苛立ちと、興味の合いまった視線を投げる。
「ザインか」
 ザインの唇が、笑みの形に吊り上った。
「ヴェパール――、会いたかったぞ・・・・・・・





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