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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第四章 「剣士ザイン」


 広場と街の騒めきを厚い銅製の扉が閉ざす。交易組合会館の中は打って変わって静まり返っていた。
 建物に足を踏み入れた瞬間、空気の中に一つの気配を感じて、レオアリスは天井を見上げた。
 気配は上から、語り掛けるように降りてくる。以前、バインドと相対した時に常に感じていたのと同じ、レオアリス自身の剣の騒めきが今も感じられる。
 ただあの時よりずっと静かな気配で、そこからは穏やかな人柄が想像された。
「上将、どうか?」
 傍らに居たグランスレイは、先ほどのホースエントの処置について話をしていたレオアリスから返答が無い事に、訝しそうに問いかけた。
「いや」
 そう首を振って歩きながら、レオアリスはもう一度すぐ近くにいる気配を視線だけで見上げた。
「こちらへ――」
 カリカオテが先に立ち、ファルシオンとレオアリス達を案内して玄関広間を横切っていく。
 二階への階段を登ろうとカリカオテが段に足を掛けた時だ。廊下の柱の陰からレオアリス達との間にぱっと小さな影が走り出た。
「殿下、後ろへ」
 レオアリスはすっとファルシオンの前に出た。勢い良く飛び出して来た影を取り押さえる寸前で、一瞬驚きに瞳を見開く。
 子供だ。
 手首を掴み、通常ならそのまま捻り上げるところを止めた。
 ファルシオンの前にはもう、フレイザーとロットバルトが立っている。それを確認し、先ほどのホースエントの時の繰り返しに幾分苦笑を覚えながらも、レオアリスは改めて相手を見た。
「何だ――」
 年齢は十歳程度だろう、黒く艶やかな短い髪をしている。燃えるような黒い瞳が手首を掴んでいるレオアリスを見上げた。
「父さんは裏切ってなんかいない!」
 唐突な高い声には、しかし訴えるような必死な響きがあった。レオアリスはじっと子供を見つめ返した。
「父さん? 何の話だ」
「ユージュ! 王太子殿下の御前だ、失礼を」
 ファルカンが駆け出て、ユージュの肩を引き寄せた。そのまま膝を付きファルシオンに向かって頭を下げる。
「重ねてご無礼を致します――この子は」
 ユージュはファルカンの手を跳ね除けた。
「ユージュ!」
 光る瞳がファルカンやカリカオテを睨む。
「絶対、何かの間違いだ! 父さんがこの街を絶対裏切ったりするもんか! ここは母さんの街なんだから!」
「ユージュ、今は」
「父さんを出してよ! 皆ひどい――っ」
 ユージュはレオアリス達に向き直り、誰に訴えていいか判らないままに彼等の上に視線をさ迷わせた。
「父さんはボクの見た夢を、ちゃんと確認するって言ってくれただけなんです! マリの船を沈めたのは、」
「ユージュ!」
 ファルカンは今度こそ、ユージュを捕まえた。怖い色をしたファルカンの眼に、ユージュも言葉を呑み込む。
 レオアリスには状況が掴めなかったが、ユージュという名前ははっきり覚えていた。手紙をくれた、ザインの子供だ。
「夢? 裏切るとか――どういう事なんだ」
 その単語に、どくりと心臓が鳴る。
 ザインに、何があったのか――そういえば何故、ザインの姿がこの場に無いのかとレオアリスは訝しんだ。本来ならもう、姿を見せていてもいい立場だ。この館の中にいるのは先ほどから気配で判っている。
(出して、って言ったな……)
 父さんを出して、と。
 カリカオテが青ざめ、ファルシオンの前にひれ伏した。
「申し訳ございません、この子は、その」
「カリカオテ殿、事情がどうあれ、まずは殿下のご案内を。それとその子供も同席させて、話を聞いた方が良さそうですね」
 ロットバルトがそう言うと、ファルシオンは頷いた。ファルシオンにもユージュの言葉は今回の件に深く関わっているように思えたし、レオアリスが気にしているのも気付いていた。
「そうしてくれ。私もその者の話が聞きたい」
 ユージュはまだ何か言いたそうにしたものの、自分よりも幼いファルシオンの落ち着き払った様子に思うところがあったようで、喉の奥に溜め込むと俯いてじっと唇を噛んだ。
「ありがとうございます――ユージュ」
 ファルカンがほっとした顔で手を伸ばすと、ユージュは躊躇ったあと、ふいと横を向いた。
 ファルシオンの後について階段を上がりながら、レオアリスは斜め後ろのユージュへ視線を落とした。黒い髪は自分と同じだ。バインドも黒髪だったから、剣士の一族は皆そうなのかもしれない。
 ザインも同じように黒髪なのだろうか。
 一体何があったのだろう。
 レオアリスがザインの事を考えたのが判ったかのように、ユージュはぱっと顔を上げた。黒目がちの、勝気っぽい顔がちょうどレオアリスの胸の高さにある。
「君が、ユージュか」
 名前を呼ばれたユージュは、瞳を瞬かせてレオアリスを見上げている。
「俺に手紙をくれただろう」
 戸惑っているので安心させる為ににこりと笑うと、白い頬にすうっと頬に赤みがさした。それから「あ」と呟く。
「もしかして、ジンの子供?」
 最近は常に、「近衛師団の」や「王の」という枕詞がついていたから、ユージュのその言い方が珍しく思えてレオアリスは首を傾けた。
「ああ、そうか――」
 同じ立場――剣士を父に持つからこその言い方なのだろう。もっとずっと、身近な感じがする。
 確かに二人は、ザインとジンと、それぞれを父に持つ同じ立場だ。
「そう、ジンの子だ」
 改めて自分で口にしたその言葉は、暖かな温度を感じられた。
「本当に来てくれたんだね! きっと父さんが喜ぶだろうな――あ」
 ユージュは瞳を輝かせた後、すぐにうなだれた。先ほどまでの高ぶりを思い出したのか、ぎゅっと両手を握って感情を堪えている。
「……それについては、後で話を聞くから」
 だから心配するなと安易な事は言えないが、レオアリスにとってもそれは気持ちが急かされるものだった。ユージュは唇を噛み締めたまま頷いた。
 ふと気になり、レオアリスは改めてユージュの腕を見た。
 どちらも剣の気配は無い。まだ覚醒していないからか、それとも先ほどから館の中に満ちているザインの剣の気配に隠れて、感じ取りにくいのかもしれない。
 そもそも、いわゆる混血のユージュには、剣はあるのだろうか。
 それから改めて気が付いた。
(本当に、まだこれほど幼いんだな……)
 確かブレンダンがそう言っていた思うが、こうして対面してみてもやはり、三百年の時を経てなお十歳前後の外見をしている。
 剣士は長命種ではあるものの、それは剣の力を維持する為だと聞いていたし、幼い年齢で成長が止まるというのは考えた事が無かった。
(まだ剣が覚醒してないからなのか――?)
 けれどレオアリスは剣が覚醒するまでも今も、年数そのままに成長している。
(――)
「どうぞ、お入りください」
 カリカオテは廊下の突き当たりにある扉を開き、賓客を迎える為の部屋へファルシオンを通した。ファルシオンを迎えに出たカリカオテとビルゼンの他に、エルンストとオスロも先に室内にいてファルシオンの到着を待っていた。
 カリカオテ達が処断される事なく戻ったのを見て、緊張していた二人の面に血の気が戻る。二人は急いで絨毯の上に両膝をついた。カリカオテがファルシオンを広い楕円の卓の上座に案内する間、じっと頭を伏せたまま、身を硬くしている。
 スランザールがファルシオンの傍らに座り、レオアリス達は二人の斜め後ろに立つ。スランザールはファルシオンの顔を確認した後、膝をついたままのカリカオテ達を見た。
「面を上げ、卓に着くがいい。先ほど既に、王太子殿下は組合長カリカオテより謝罪をお受けになった。今はそれでよい。それよりもマリ王国の指定する刻限まで、あと僅か四刻ほどじゃ。まずはこの度の一件について、殿下に経緯をお聞かせ申し上げよ」
 レオアリス達から向かって左手の壁に、凝った細工を施した円盤状の時計が掛けられている。どこで作られたものか――、使われている鮮やかな色彩は余り王都では馴染みが無く、交易先の国から来たものなのかもしれない。
 室内に置かれた調度品やこの会館の造りにしても、王都の上層地区にある屋敷などと比べても引けを取らず、レガージュという街の繁栄ぶりを物語っているようだ。
 時計の針はかちりと一つ時を刻んだ。
 しばらくは、カリカオテの言葉の他は、その時計だけが音を立てていた。ファルシオンはじっと彼等の言葉に耳を傾け、ユージュも部屋の隅で、ファルカンの傍らにわざと少し離れて立ち、この場を見つめている。
 カリカオテが語る経緯いきさつは、昨日軍議の中やその後に読んだ法術士の報告書とほぼ変わるところは無かった。
 ただこうして直接彼等の口から詳細を聞けば、やはりレガージュ船団がマリの交易船を沈めたとは思い難い。
 レオアリスはカリカオテや、時に他の幹部達が補足する説明を聞きながら、じっと考え込んだ。
 マリ王国側の示す「事実」と、レガージュ側が把握する「状況」と――どこかに掛け違いがある。それを探すのが今回の任務の一つでもある。
(そもそも、救出したマリの船員の内一人は、レガージュが沈めたんじゃないと言っている――)
 その時はっきりと意識があった訳ではないようだが、ただ熱に浮かされた言葉だと片付けるべきではないだろう。
 法術士から改めて話を聞いてみなくては判らないものの、アルジマールは昨日の時点で、早ければ今日にも目を覚ますだろうと言っていた。
 間に合うか――。レガージュ交易組合はそこに強い希望を掛けている。
 彼さえ目覚めれば、と。
 レオアリスも、マリ王国に証拠として提示できるものがあるとしたら、今の時点ではそれが一番だろうと思う。ただ、不安な点が幾つかあるのも確かだ。
 まずはそれが真実かどうか。こればかりは話を聞いてみない事には判らない。
 次に、無事目が覚めたとして、証言できるのか――生死の境を彷徨っていた時の事を覚えているかどうかも含めて。
 そして真実であり覚えていたとして、この状況を知った上で尚、母国であるマリ王国海軍に対してレガージュが沈めたのではないと、彼にそう言い切れるだろうか。
(何か他に、もっと確実な証明ができるものは無いか)
 今回の一件にはどこか奇妙な落ち着かない感覚があるが、今の船員の話だけではマリ王国海軍の認識を覆すほどの証拠にはなり得ないだろう。
 ただ一つ明確な疑問があるとしたら、昨日も感じた通り、マリ王国海軍が余りに早く登場した事だ。
 昨日スランザールやロットバルトとも話をしたが、やはりその点の捉え方は同じだった。
(……そうだ――)
 ふと、レオアリスは光沢のある楕円形の卓に視線を落とした。艶やかな漆塗りの表面は、その下の板に描かれた模様を柔らかく浮かび上がらせている。
 登場、とたった今自分はそう考えていた。普通なら、現れた、と、そう表現するところを登場と考えたのは、ただ現われたのではなく計ったようだと――、まるで王都の劇場に掛かる演目の、舞台上に展開する物語の一節のように予め台本が用意されていたみたいだと、そう思えたからだ。
(じゃあこれは、昨日ケストナー将軍が言ったみたいに、マリの海軍が仕掛けたものなのか?)
 計ったような登場。
 目的は、この国に謝罪をさせ――?
 その先は?
(隣接してるならともかく、マリとは領土を遠く隔ててる。領土の割譲とか、そんな目的じゃなさそうだ。国としての謝罪を求めるなら、目的は立場を強くして交易を優位に進める事か……でも駄目だ。それじゃいくら何でも)
 マリ王国は実際に、交易船一隻とその乗組員を失っているのだ。マリ海軍の言葉をそのまま聞くのなら、軍船一隻も。
 交易で優位に立つ為に、二隻もの船を自ら沈めるだろうか。
「殿下、少し私から確認をさせていただいてもよろしいですか」
 レオアリスの問いかけにファルシオンは頷いた。
「かまわない――気になることは、今、できるだけはっきりさせたい」
 ファルシオンは緊張した顔を向けた。レオアリスやスランザールがここで尋ねる事の意味とその答えを、マリ王国の国使と話をする為に、ファルシオンはきちんと理解しなくてはいけない。
「ありがとうございます」
 ファルシオンに一礼し、レオアリスはカリカオテ達へ向き直った。
「レガージュ船団の船団長にお尋ねします」
 まだファルカンは口を開いていない。レガージュ船団を率いる彼がどう考えているのかが知りたかった。
「何なりと、お聞きください」
 ユージュの傍らに立っていたファルカンは、改めて膝をついた。
「俺は海の事は判らないので必要に応じて訂正していただきたいんですが――、今回の状況を聞いてまず気に掛かったのは、マリ王国海軍は、常時この近海まで航海するものなのかどうかという点です。演習の為の航路が元々存在するのか。彼等は余りに計ったように現われている」
 ファルカンはレオアリスの言葉に瞳を見開き、ぐっと身を乗り出した。
 彼もまた同じ疑問を抱いていて、王都の近衛師団大将がそこに疑問を持った事に、安堵したように見えた。素早く口を継ぐ。
「いいえ。マリ海軍の演習航路はもっと南の海域です。何かしら目的があれば別――多くは交易船の護衛ですが、それでも船団一つが護衛に着くほどの規模は滅多にありません」
「その確認は?」
「確認は……できていません。しかしそれだけの船団が航行する場合、事前に沿岸の港には伝令使を送るものですが、今回はそれはありませんでした。……レガージュに伝令使を出す前に、事が起ったのかもしれませんが」
「なるほど――」
 それはどちらとも言い難い。レオアリスはほんの僅か考えを巡らせ、続けた。
「もう一つ。ゼ・アマーリア号が沈んだ時、その近海を航行していたレガージュ船団の船は何隻あったか、記録はありますか」
 はっとして、ファルカンはカリカオテ達と顔を見合わせた。何故それを確認しなかったのかと、そんな思いが見て取れる。
 レガージュ船団の船が物理的にマリの交易船を襲撃できるかどうか、それはマリ海軍の誤解を解く為の重要な要素だ。
「……航海予定表を、今持って来させます」
 ファルカンが扉を開けて廊下にいた船団員へそれを取ってくるように指示を出す。
 すぐに船団員が一冊の幅広の帳簿を抱えて来た。楕円の卓の上に置いて開く。
「記載の基準は?」と問い掛けたのはロットバルトだ。
「航海の履歴と予定をここに書き込んで管理しています。出港前に帰港までの予定を書き入れ、帰港後、航海日誌を元に履歴を付けます」
 ファルカンの示した箇所はエレオノーラ号の航海記録欄で、当初の予定を書き入れたものと、そのすぐ下の欄にも実際の行程を書き込んだ跡があった。
「各船ごと月ごとに分けて表にしていますから、今日どの海域にいるかは、大体これで把握できます。無論天候などによって多少のずれがありますが」
 帳簿をファルシオンとスランザールの前に差し出す。スランザールはレオアリス達を帳簿が見えるように手招いた。
「ゼ・アマーリア号が沈んだ時刻に、付近にいた船はあるのか」
 グランスレイが問うとファルカンはもうそれを確認していて、筋肉の張った首を振った。頬に血の気が上がり、解決へ、手応えを掴んだようなそんな顔だ。
「予定上では、十海里以内を航行していた船はありません。――最も近くにいたのは初めにアマーリアの漂流物を発見しエレオノーラ号と護衛として付いていた三番船ですが、当時はアマーリアの沈んだ海域より北東におよそ十五海里離れた場所で嵐を避けて停泊していました」
 カリカオテやビルゼン達は顔色を明るくしてお互いを見交わした。
「おお、そうだ……この帳簿なら、実質的にあの時間にアマーリアに近付けた船は無いという証明になる――」
「で、ではこれでマリに説明ができるのだな、沈めたのは我々では無いと」
「ならザインに言って、そうすればもう」
「――完全な証明にはならないと思う」
 レオアリスは彼等の安堵に水を差す事に幾分罪悪感を感じながらも、そう言った。
「これは後から書き替えられるものです。書き替えてはいないと、そう確実に証明できるものじゃない。ただ、当然、状況を示す証拠の一つにはなると思いますが、マリを納得させるには」
「そんな――我々は書き替えてなどいない! そんな事をする訳がない」
「判っています。けれどマリ側としたら、まずそれを疑って掛かるはずです」
「マリの言い分が正しいと――? まさかあなた方まで我々を疑っていらっしゃるのですか」
「カリカオテ、それは違う」
 ファルカンが宥めたが、カリカオテはファルカンを睨んだ。普段見る事のない激情が、疲労した顔の眼の中にあった。
「違う?! お前は事情を知っているだろう、ファルカン。疑うべきは我々なのか、マリか?! そうじゃないはずだ。本当はどちらでもなく、」
「落ち着いてください。今、我々の言っている事はそうした話ではありません」
 ロットバルトの冷静な声が割って入り、カリカオテははっと口を閉ざした。自分の激高した様子が、いかに周囲に奇妙に映っただろうかと、慌ててファルシオンに頭を下げた。
「――も、申し訳ありません、醜態を」
「かまわない。不安なんだろう」
 ファルシオンはそう言って首を振った。
「そこに書かれていることは、私もマリ王国の国使に伝えるつもりだ。でも、レオアリスが言ったことも、ちゃんと考えなくちゃいけない」
 マリ王国を納得させられるだけの説明を、一義的にはファルシオンがする必要がある。カリカオテはもう一度、マリ王国の国使と会談するのがこの幼い王子なのだと思い出したようだった。
 ロットバルトはカリカオテ達を見て、続ける。
「先ほどのカリカオテ殿の発言では、レガージュ交易組合は今回の件をレガージュ船団による行為では無いと考えているのは無論ですが――、マリ王国の仕掛けたものでもなく、第三者の存在を疑っているように伺えます。――そう捉えても?」
 ロットバルトの言葉の間にも、カリカオテ達にみるみる緊張が走った。
「そ――」
 ファルカンは頷きかけ、ぐっとそれを止めたように見えた。
「――その」
「第三者の存在があれば、この問題を解くのは少なからず容易になります。考えに入れるべきか、それとも除外すべきか」
 カリカオテやビルゼンと、躊躇うような視線を見交わしている。それを見咎めたスランザールが叱責に近い声を投げた。
「何でも良い、疑念のある事は全て申せ。このに及んで王太子殿下の前で隠し事は罷りならん」
「は――、わ、我々は」
 ファルカンもカリカオテも、それでもまだ口籠もった。
 スランザールは厳しい眼でカリカオテ達を見回した。普段のあの飄々とした様子は今はすっかり影を潜め、レオアリス達も身を引き締めるような厳格さがあった。
「王太子殿下が国使としてマリ海軍のただ中へ出向こうとされている時に、そなた等が口を閉ざす事が許される案件か。それは殿下の御身を危険に晒す行為と心得よ」
「――父さんは、レガージュが沈めたんじゃ無いって思ってる!」
 声を必死に張り上げたのは、ファルカンの横に立っていたユージュだった。室内の視線が一斉に集中し、ユージュは僅かにたじろいだものの、きっと睨むように見返した。
「父さんはボクが見た夢を信じて」
「ユージュ、待つんだ!」
「西海がマリの船を沈めたんだって、そう思ったんだ。でも、西海は危険だから、だから皆が父さんを閉じ込めたんだ!」
「ユージュ!」
 レオアリスはユージュの放った言葉に、素早くグランスレイ達と瞳を見交わした。次いでスランザールに視線を落とす。スランザールは厳しい目をユージュへと向けている。
(西海――)
 その言葉を今聞くとは、考えていなかった。
「皆だって同じじゃないか! 皆だって本当はそう思ってるくせに!」
「止めるんだ、ユージュそれは」
「西海とは」
 スランザールが呟き、カリカオテやファルカンはぎくりと身を強ばらせた。
「その根拠は何じゃ」
「スランザール公、それは」
「ユージュとやら、そなたは説明できるかね」
 スランザールはまだ躊躇うファルカンからあっさり視線を外し、ユージュを促した。ユージュは思わず身を縮めながらも、こくりと頷いた。
「では殿下にご説明申し上げるのじゃ」
「――ボクはあの日、マリの船が沈んだ時に、夢を見たんです」
 唐突な言葉に戸惑いはしたものの、レオアリス達はそれを面に出さず、耳を傾けた。
 ファルカンはその傍らでまだ迷いながら――しかしどこかほっとしたような表情を浮かべている。レオアリスはそれに気付いて、束の間彼の様子を見つめた。
 おそらくファルカンは、ユージュが語る事を正しいと思いながらも、街としての対応との間で煩悶していたのだろう。
「その夢では、マリの船は嵐の中にいたんだ。すごく荒れて、波に揉まれてた。そこに、船が二隻きて――でも嵐の中なのにその船は揺れてなかった」
「二隻?」
 レオアリスがユージュへ視線を向けると、ユージュは目の端を赤くしてぱっと目を逸らせた。
「ええと、そうです。それで、その二隻がマリの船にぶつかって、船を沈めたんだ。でも、違うんです。――だってあの船は」
 ユージュの言葉は静かな室内に跳ねるように響いた。
「あれは、海から生まれたんだから。海の波が、船になって――あんなの絶対に、レガージュの船なんかじゃない!」
「――」
 レオアリスはユージュの言葉を測るように瞳を細めた。
 カリカオテやファルカンは何も言わない。ただ否定をする訳でもなく、ユージュの言葉がファルシオン達にどう受け取られるのか、それを恐れながら、一方では待ってもいるように見える。
 期待して。
(――)
「海が、波が形を造って、すごくそっくりだけど、でも全然本物じゃない。あんなの誰も、何も運ばないもの――」
「海から生まれた船――いや、形成されたと言うべきか」
 ロットバルトは呟いて、レオアリスを見た。その瞳に明確な光を見つけ、レオアリスは短く問い掛けた。
「覚えがあるか?」
「あります。しかし文献上の話です。私より老公がご存知でしょう」
「――スランザール公」
 スランザールはじっとユージュを見つめていたが、ややあって静かに息を吐き、室内をぐるりと見回した。
「わしも直接見た事はない。だが確かに、西海にはそれを行える者がいた」
「で、ではやはり」
 ファルカンが咳き込むように言って身を乗り出す。
「西――」
「まだ早計じゃ」
 スランザールはきっぱりと言った。
「なるほど確かに――そなた等が言及を避けていた理由は判った。その判断は概ね賢明じゃの」
 スランザールが一度自分に目を向けたのに気付き、レオアリスはスランザールの肩口辺りを見つめた。
「剣士ザインはこの一件に、どのように関わっておるのか」
(ザイン――)
 胸の奥に微かな不安がよぎる。どうしても、連想してしまう。
(違う。全く別の事だ)
 ユージュの声が答える。
「父さんは、レガージュが沈めたんじゃ無いって証明するつもりなんです」
「証明――どのようにして証明するつもりじゃ」
「ザインは――」
 ファルカンが再び膝をつく。ファルシオンとスランザールに対して理解を乞うように膝を詰めた。
「西海の――三の戟が今回の件に関わっていると――捕える事で事実が明らかになると、そう考えました。しかしそれでは、今度は西海との紛争が避けられません」
 誰にも口を挟まれないうちに、ファルカンは早口で言葉を継いだ。
「我々はザインと話し、マリとの話し合いが終わるまで、ザインを交易組合内に留める事にしました。ザインも承知の上です――今は、西海を騒がせるつもりは、ザインにも無いと」
「三の戟――そう考えた根拠は何じゃ」
 ファルカンは額に汗を浮かべている。
「――おそらく、三百年前の大戦と似通った点があったからだと」
「ボクの夢と、マリの船員の人が言った言葉を聞いて、だから父さんは同じだって思ったんです!」
 ユージュはもう卓の端に来て、その向こうから身を乗り出して訴えた。
「マリの船員? 彼は目が覚めて?」
 レオアリスは船員の姿を探すように扉へ目をやった。目が覚めているなら、と思ったがファルカンは首を振った。
「いえ――、うわごとに……アマーリアを沈めたのは船ではない、と、そう言いました。ユージュと、ザインがそれを聞いています」
「『船ではない』? だからザインは、西海が絡んでいると考えたのか」
「理由があるんです――三百年前、レガージュ戦線で西海軍の指揮を執ったのが三の戟の一人」
「そう、第二位のヴェパールじゃ」
 スランザールは中空を睨むように言った。それきり黙り込む。
(――また、三の戟か)
 レオアリスもやはり、その名を知っている。ビュルゲルと同じ海皇の守護部隊を率いる一人、三人の中で第二位の将軍だ。
(三百年前の、大戦の――。そうか……)
 思い当たってしまう。
 ザインの主の――
 仇。
 ザインは三百年、その相手を、待って
 身体の中で、剣が脈動する。
(ずっと――)
 ファルシオンが傍らのスランザールを見た。
「ザインに会って、話を聞きたい」
(ずっと、この日を待っていたのか。もう一度目の前に、現れるのを)
「それが良いでしょう。カリカオテ殿、剣士ザインをここに」
「は、はい。すぐに」
(三百年、少しもやわらぐ事無く)
 激しい焦燥を感じた。
 何に向けた焦燥か。
(主の)
「レオアリス」
 はっとして、レオアリスは顔を上げた。スランザールが自分を見つめている。傍らのファルシオンは瞳に気掛かりそうな色を浮かべていて、自分が想いに沈んでいたのに気が付いた。
 スランザールはレオアリスの瞳を捉えたまま、ゆっくり告げた。
「――レオアリス、そなたもザインを迎えに行け」
 万が一、ザインがここを出ようとした時の為と、レオアリスへの配慮と、スランザールの言葉にはその二つの意味が含まれている。
「……承知致しました」
 レオアリスはそれを汲み取った上で頷くと、周囲には判らないようにそっと息を吐いて幾つかの感情を押しやり、右側に目を向けた。
「グランスレイ、フレイザー、二人はここに」
 グランスレイとフレイザーが頷く。
「ロットバルトは一度、マリの船員の容体を確かめて来てくれ。法術士の話を聞いてきて欲しい」
「承知しました」
「ご案内します」
 ファルカンが先に立ち、レオアリスがファルカンの後から部屋を出ようとした時、ユージュがぱっと近寄った。
「ボクも行っていい? 父さんのところ」
「――ああ、問題無いよ」
 ユージュの顔が輝く。だがレオアリスが笑みを浮かべて手招きをすると、ユージュは少し照れくさそうにもじもじと俯いた。
「どうかしたか?」
「ううん」ユージュは首を振り、廊下を歩いて行く。
 階段を登りながら、ユージュはレオアリスを見上げた。
「あなたの剣は、面白いところにあるね」
「判るのか?」
「うん、何となく」
 やはり剣士だからだろうかと、レオアリスはユージュを見つめた。ユージュの中には、剣の気配らしきものは無い。
「面白いか、そうかもな」
「ジンも同じだったの?」
「ジン、は――、どうだろう。俺は絵姿しか見た事がないから、はっきりは判らない」
 ただ数少ないジンの絵姿の一つに、腕から生じた剣ではない、抜き身の剣を右手に提げているものがある。
 二刀は珍しいのかもしれないが、ジン――父の剣とやはり似ているのだろうと思った。
「会えたら良かったね」
「――そう、だな」
 会えたら良かったね、と――、そんなふうに真っ直ぐ言われたのは初めてかもしれない。
「父さんはジンの方が、父さんより強かったって言ってたよ。ジンの方が年上で、憧れだったんだって」
「そうなのか……」
 年上だとか、憧れとか、不思議な感覚だ。レオアリスにとっては遠い、物語の中のような存在なのに、ザインにとっては確実な過去なのだ。
「あなたはどうなの? 強い?」
「どうだろう。単純に比べるのは難しいと思う」
「ふうん」納得したように頷いてから、ユージュは少し突っ張った顔をした。「でも絶対、父さんの方が強いな。比べるのは難しくないんじゃない? 戦ってみたらすぐ判るもん」
「――」
 レオアリスは黙っている。
「自信ないんでしょ」
「――俺は、剣士とは戦いたくないんだ」
 レオアリスがどことなく困ったように笑ったので、ユージュはその表情を引っ込めた。
「ここです。お待ちください」
 先に歩いていたファルカンが船団員の立っている扉の前で足を止め、扉を叩いた。
「ザイン――俺だ」
 レオアリスは、鼓動が大きく音を立てて跳ねるのをじっと聞きながら、ファルカンが扉を開けて中へ入るのを見つめた。
 剣の気配が伝わってくる。
 自分がこの部屋の前に立った時から、その気配が大きくなったのが判る。
「父さん―― !」
 ユージュが部屋に駆け込んだ。レオアリスもまた、扉を潜る。
 窓際に男が一人立っていて、ユージュは駆け寄ると男に飛び付いた。彼がザインだ。
 一瞬、レオアリスはぎくりとして瞳を見開いた。
(バインド――)
 違う。
 その幻影は瞬く間に消え、再び見つめた男にはバインドの面影など全く無かった。
 似ているのは黒髪と、身長くらいだ。あと一つ、見た目の年齢も、二十代後半ほどに見えるのが似ていると思った理由なのかもしれない。
 鍛えられたすらりとした体型で、だが穏やかそうな面差しをしていた。
 剣が鳴る。
 何故鳴るのか。
(似て、る)
 違う。
「上将?」
 病室へ向かう為に部屋の前を立ち去ろうとしていたロットバルトが、訝しそうに眉を潜めた。レオアリスの後ろ姿に、常に無い緊張が見える。
「どうした――レオアリス」
 ザインは立ち尽くしたまま動かないレオアリスを見て、薄く笑った。
 付き纏う感覚を振り払い、レオアリスはザインへと一歩近寄った。
「あなたが――」
 ザインがユージュを脇にどかせる。
 そのゆっくりとした動作と同時に、ザインの手元から閃光のように――彼の剣がレオアリスに向けてはしった。





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