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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第三章「炎舞う」 (七)


 ガタガタという振動に目が覚めた時は、既に夕刻近かった。
 壁の右側にある小さい窓からも赤い夕陽が流れ込み、室内を照らしている。
 レオアリスは眩しさにもう一度眼を瞑り、再び開いた。
 あの方角が、西だ。
 遠くに霞んで見えるのがカトゥシュの森だろうか。
「おはよう。ずいぶん寝てたわねぇ」
 聞き慣れない女の声に、レオアリスはびっくりして身を起こし、声のした方を振り返った。すぐ隣で、女は可笑しそうに頬を緩めている。
 そういえば馬車に乗せてもらったのだと、改めて思い出す。馬車の中にいるせいなのだが、だいぶ南に進んで何となく暖かくなってきたような気がした。
「フォアには、明日の午前中には着くわよ。歩きだったらあと二晩はかかるでしょ、良かったわね。というより、この時期に歩くなんて自殺行為よぉ。私達が通らなければどうするつもりだったの? ずっと歩き? それで、あんたは何しにフォアに行くの?」
「やめなさい。起きたばかりでそんなに一辺に」
「あら父さん、だって気になるじゃない。こんな子供に一人で歩いてお使いって。あ、ゆっくり答えていいわよ。そういやあんた名前は?」
 商人は娘と口でやっても勝てないと判断したのか、口を横に引っ張って閉ざし、肩を竦めた。
 女は非常に賑やかで、おしゃべり好きのようだった。レオアリスを馬車に乗せたのも、実は話し相手が欲しかったのかもしれない。
「えーと……」
 何を聞かれただろうとレオアリスが首を傾げると、女は笑った。裏も面もない、感じのいい笑顔だ。
「じゃあまず名前から。一緒の馬車なんだから名乗り合わなきゃね。あたしはマリーンよ。マリーアンジュ・デントっていうんだけど、マリーンでいいわ。あの人はあたしの父さんで、エドモンド・デント。結構やり手の商人よ。で、あんたは?」
「レオアリス」
「レオアリス、何? 名字は?」
「いや、それだけ……です」
 若い少年が無理やり語尾に丁寧語を付けたのを見て、マリーンはまた笑った。
「いいわよ、慣れない言葉使わなくても。いい名前ねえ。歳は?」
「十……四」
 そろそろ十四だ。今年も王都から使者が来るのだろうと、ちらりと思った。
「十四! 若ぁい! あたしよりも十も下?! それで歩いてフォアまで行くつもりだったの?」
「乗り合いに乗るつもりだったんだけど、ちょうどいいのが無かったんだ。馬は高かったし、俺は北の端の生まれだから、一応雪は慣れてるし」
「へえー。でもやっぱり無謀よぉ」
 確かにそうだったかもしれないと、レオアリスは素直に思った。あと一日半、あの調子で歩いたら、それこそ倒れそうだ。
 そこから先が問題なのに、街まで行くのに無理しては元も子もない。
「で、フォアまでは何しに行くの?」
 レオアリスは少し迷って、……やはり御前試合の事は言うのは止めた。
 止められそうなのもあるのだが、何となく、今誰かに無理だと言われたら、負けてしまいそうな気がしたからだ。
 凍り付きそうな雪の中とこの馬車では、あまりに世界が違った。
「仕事です。俺の村、術を生業にしてるから。その関係でフォアに呼ばれたんだ」
 マリーンは驚いて瞳を真ん丸にした。
「あんたが仕事するの? って事はあんた術士なの?」
「まあ……修行中だけど……」
 マリーンは術士が珍しいのかひとしきり感心し、どんな事ができるのかとか、今度見せて欲しいとか、半ば一人で興奮しながら喋り続けた。
 たまに商人――父デントにたしなめられながらも、マリーンが商隊に付いてきているのは父の仕事を勉強する為だという事から「こないだ長年付き合った男と別れちゃったのよー」などという事まで、結局陽が暮れるまでレオアリスは他愛のない明るいお喋りに巻き込まれたのだが、彼女のおかげで久しぶりに肩の力の抜けた時間を過ごす事ができた。
 陽がすっかり沈んだ辺りで、商隊の馬車は車輪を軋ませて止まった。
「あら、そろそろ夕飯ね」
 マリーンが顔を上げ、窓の外を見透かした。丁度扉が叩かれ、護衛の一人が顔を出すと、食事の準備を告げた。
「はいはーい」
 マリーンは腰を屈めて扉へ向かい、一度レオアリスを振り返った。
「悪いけどあんたも手伝って?」
「あ、やります」
 仕事ができて逆にほっとしながら、レオアリスもマリーンの後について馬車を降りた。
 かがり火の明かりの中で、護衛と御者達が、先頭の荷馬車を街道沿いの草地に寄せているところだ。今日はここで夜営するのだろう。
 足元を見て、レオアリスは驚いた。すっかり雪は姿を消し、地面は乾いている。
(すげぇ……)
 もうこの土地は、冬から抜け出している。
 そんなところまで来たのかと、改めて思う。
 その分、故郷は遠いのだ。
 ふいに沸き起こった感情に、レオアリスは両手を握り込んだ。
 振り返った先、今通って来た街道は、夜の帳の奥に霞んで消えている。
 眼を凝らしてみても、その向こうを伺う事はできなかった。





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