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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第五章「カトゥシュ封鎖」 (二)


 黒竜飛ぶ――。
 その報せが王都へ走ったのは、まだ夜が明けたばかりの事だった。北方辺境軍と西方第六軍から、ほぼ同時に急使が到着した。
 予定を繰り上げて始まった軍議の席で、二人の使者の口から語られた事も、ほぼ同じ内容だった。
 北方では、辺境の軍都ガスカに駐屯する第七軍の歩哨が、黒森ヴィジャの方角から夜を切って飛来する巨大な黒い竜の影を見、西方のカトゥシュ森林近くでは街道警備の第六軍が、空を塞がんばかりの黒耀石の鱗を持つ竜が、森林を目指すのを目撃した。
 どちらか一方からのみであれば、俄かには受け入れられなかっただろう。いわゆる四竜など、既に伝説に近い存在だ。子供たちが寝物語りに身を縮めても、真剣に四竜の脅威を語る者はほとんどいない。
 長い眠りについていると言われていたが、何処でかも定かではなく、今では存在すら疑う者もいるほどだ。
「黒竜――」
 正規軍副将軍タウゼンは一度唸った後、黙り込んだ。経験豊富なタウゼンですら、その報告をどう受け止めるべきか、眉間に思案の色を浮かべている。
「黒森の奥地から飛び立ち、カトゥシュ森林に降りた、ということか」
 タウゼンの言葉に、北方、西方それぞれの将軍も複雑な面持ちだ。
 いきなりお伽噺から飛び出してきた印象を受けると同時に、それが事実であれば、黒竜の動きによっては大規模な戦闘を覚悟する必要もあるからだ。
 一人、参謀長ハイマンスは、年経た思慮深い灰色の瞳をタウゼンに向けた。
「あながち無い事とも言えますまい。今カトゥシュには御前試合の資格を得るために、複数の者が入っております。竜の領域を荒らしている事が、黒竜を刺激したとも考えられますな」
「ふむ……しかし黒竜は北の総領だろう。西の竜達の事まで感知するものか……」
「北、西などはあくまでも我々が勝手に分類して名付けているに過ぎません。ともかくも、こうして二つの報告が上がってきた以上、見過ごす訳にはいきません。速やかにカトゥシュ森林一帯を封鎖すべきと考えますが」
 ハイマンスの言葉に、タウゼンは考え込むように口元に手を当てた。
「封鎖か……」
 今だ信じ難い事ではあったが、事実であれば速やかに何らかの対策を講じなければならない。二箇所からの、同時期の急使。ハイマンスの言う通り、それを単純に否定するのは危険すぎた。
「お言葉ですが、ハイマンス参謀長。事実黒竜だと想定して、封鎖だけでは解決にならないのではありませんか。被害が出る前に封じるか、倒すかしなければ事は終わりません」
 異を唱えたのは四将軍達の中でも最も好戦的でもある、南方将軍ケストナーだ。西方将軍ヴァン・グレッグはさっと顔を強張らせ、ケストナーに厳しい表情を向けた。
「そうは言うが、黒竜を倒すなど容易な事ではないぞ。貴侯にいい手立てがあるのか」
「確かに。大戦の風竜の記述を前提にするならば、甚大な被害を覚悟しなければいけないでしょう。まだ黒竜がどう動くかもわかりません。それは現時点であまり得策とは言えないのでは?」
 ヴァン・グレッグは自らの軍を危険に晒す事になる提案に首を振り、一番の穏健派である東方将軍ミラーもそれに同調する。
 風竜が大戦後期にもたらした被害は、街一つという生易しいものではない事は、歴史上の事実だ。
 しかしケストナーは更に身を乗り出した。
「貴侯等は我々がどなたを擁しているかお忘れか」
 炎帝公だ、とケストナーは語気を強めた。ケストナーの言葉にヴァン・グレッグも考え込むように口を閉ざす。だがミラーはすぐに首を振った。
「それは現実的ではないでしょう。第一公女は今、どこにおられるか」
 それまで黙っていた北方将軍ランドリーが、低くそれを遮る。
「公女については昨夜北のサイトから、それらしき人物の情報が入っている。まずは公女をお探しし、その上で黒竜に当たるという事も考えられなくは無い」
 その場の視線がタウゼンの意志を伺うように集中する。一方でタウゼンもそれを全く考えなかった訳ではない。
 だが、アナスタシアの持つ炎の能力を、まだ直接見た事のある者はいないのだ。黒竜を相手に即戦力として計算に入れるには、期待より不確定要素の方が強かった。タウゼンは卓を見渡し、それを口にした。
「……公女はまだお若い。戦場の経験などおありではないだろう。例えその炎が先代公に引けを取らぬものであったとしても、すぐさま先代公と同等に考える訳にはいかん」
 闇雲に力を振り回せば倒せる相手ではない。そう言ったタウゼンに対し、南方将軍ケストナーが尚も言葉を継ぐ。
「では、剣士を召してはどうでしょう。かつて西の風竜を倒したのは剣士です」
「剣士か……」
 室内にしばし沈黙が落ちた。
 剣士とは戦闘種と呼ばれる種族の一つであり、身体の一部を剣に変化させる特質から、そう呼ばれていた。
 幾つか在る戦闘種の中でも、最も高い戦闘能力を有している。好戦的な性質と高すぎる戦闘能力から、「殺戮者」と揶揄される事すらある程だ。
 ただ、組織に属する事を好まず、その数も少ない。また気に入った戦いにしか参加しない、性質的な扱いにくさがある。その為、現在軍には剣士は存在しなかった。
「風竜を倒した剣士はもう居ない。それにいかに剣士とは言え、そうそう黒竜を相手に出来る者がいるかどうか……」
「……例の北の剣士は? 使えないのか?」
 ケストナーの言葉に、ランドリーは苦々しく顔を歪めた。
「それこそ、非現実的な話だ。下手をすれば黒竜以上の災厄を呼び込む事になる」
「第一、使い物になるのか? あらゆる意味で不確実だろう。貴侯、自分の領域でそれをやれるか」
 ヴァン・グレッグにそう問い質され、さすがにケストナーも口を閉ざし、それ以上は強く主張しなかった。議論が一段落したのを見て取り、タウゼンは将軍達の顔を見渡した。
「事に当たる前から外部に頼っては、正規軍は無力だと吹聴するようなものだ。まず今すべきは、被害を出さぬ事だろう」
 そう言ってタウゼンは参謀長ハイマンスへ顔を戻した。
「どれほどを向ける?」
「カトゥシュ全体を封鎖するとなれば、広範囲に渡ります。一大隊が適当でしょうな」
 タウゼンは頷いた。西方将軍が顔を引き締める。一大隊、約三千の兵を投入するなど、めったな事ではない。
「カトゥシュ森林を封鎖する。正式に王のご裁可を戴こう。ご裁可の降り次第、西方は一個大隊を以てこれに当たれ。一切の森への立ち入りを禁じるのだ。兵達も、なるべく森へは立ち入らせるな。いたずらに黒竜に刺激を与える事は避け、周辺の安全確保を最優先とする」
 ヴァン・グレッグが頷くのを見て、タウゼンは言葉を継いだ。
「また、カトゥシュ近辺の街道の通行も禁止した方がいいだろう。早急に調査隊を組み、黒竜の動向を見極めた上で、改めて対策を練る事になろうが、当面は様子見になるな」
「既に入った者に関しては……」
「現時点では今言った範囲の中で対応せよ」
 黒竜との接触は可能な限り避け、事態の方向を見極める。消極策だが、現時点で取り得る策の中で最も無難な手立てをタウゼンは選んだ。





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