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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第五章「カトゥシュ封鎖」 (三)


「ああ、飛竜屋なら角を曲がって、ずっと真っ直ぐ西門に抜けるといい。西門の手前だよ。今の時間なら開いてるだろ」
 呼び止めた住人だか旅人だかの親爺さんは、腕を伸ばし通りの先を指差して教えてくれた。レオアリスが礼を述べると、気前良く笑ってまた歩いていく。
 ここフォアからは、飛竜を借りてカトゥシュ森林に向かうとレオアリスは決めていた。徒歩では半月近くかかるが、飛竜なら二刻とかからずカトゥシュまで行ける。今はまだ午前も早い時分だから、今借りれば正午位にはカトゥシュ森林に着けるだろう。
 御前試合まであとひと月強。どうしても飛竜を借りたかった。
 懐には、約四百ルス、銀貨四枚とちょっとだ。
(これで王都までも借りられればいいんだけど……)
 代金が二百ルスくらいでその中から保証金が帰ってくれば、もう一回くらい飛竜を借りる事ができる。
(――よし!)
 ぐっと気合いを入れ、少ない荷物を担ぎ直して、レオアリスは目抜き通りを歩き始めた。
 袋の底で首飾りの鎖が微かな音を立てる。あの野盗から取り戻したものだ。鎖を直さなくちゃな、とちらりと思った。
(無事帰ってきたら直そう)
 かなり賑やかな街だ。カレッサの街と比べて通りを行き交う人も多く、何より表情が明るい。
(寒くないし……空が明るいからかな)
 道に雪の降った跡はなく、カレッサと同じ服装をしているのに全く寒くない。それに、空は良く晴れていて、その青さが違う気がした。
 同じ晴れでも、故郷の空は少し澄んだ透明な青、ここでは輝く青だ。
(……気持ちいいな……)
 空を見上げて一度瞳を閉ざす。太陽の残像が白く目蓋の奥に残った。
 それが昨夜の炎と重なる。
 レオアリスは瞳を開いた。
 高く上がり始めた太陽、あんな高みから、あの炎が降っていた。
(何だったんだ、あれ)
 突然、昨日の出来事がまざまざと甦り、背筋を寒気が走り上がる。
 ただ、恐怖や悔しいという思いより、後悔が強い。
(今度は絶対……)
 レオアリスは視線を戻し、再び歩き始めた。
 この街はどの建物も三階までの造りだ。道の両側に連なった壁は薄紅の煉瓦と白塗りの漆喰で組まれていて、街全体が暖かい印象を受ける。建物ごとに、二階の高さに正方形の彫刻が飾られているのが特徴的だ。
 彫刻の模様はまちまちだが、竜を象った物が多く見られる。やはりカトゥシュ森林があるせいで、この街の者達にとっては竜の存在はより現実感のあるものなのかもしれなかった。
 ひとつの竜などは財宝の山の上に寝ていて、その店は見れば宝飾店だった。彫刻の竜は金銀財宝の山の上で満足げだ。恐ろしいはずの竜をこの街の人々は身近なものとして捉えているようで、レオアリスは思わず口元に笑みを浮かべた。
(……宝玉って、ホントに手に持ってんのかな。あの中から探すんじゃぁかなり大変だぞ)
 そんな事を考えながら、上を見ながら歩いていたものだから前がお留守になっていて、うっかり肩が誰かにぶつかった。相手は走ってきたらしく、かなりの衝撃に、レオアリスは思わずよろけて二、三歩退った。
「あ、ごめん……」
「ばーかっ! ぼけっとしてんな!」
 そんな言葉を投げつけられ、むっとして振り返った時には、駆けて行く後姿だけが見えた。
 黒い長い髪が、背中で跳ねている。少女だ。
 レオアリスが言い返す間もなく、少女の姿は通りの角に消えた。
「……なんだ、あれ」
 ぼうっと上を見上げていた自分も悪いが、駆けてきて思いっきりぶつかっておいて、「ばか」と言って去るだろうか、普通。
 束の間、印象的な黒い髪がレオアリスの瞳の奥で揺れていたが、通りの人並みに押されるようにレオアリスは再び歩き出した。
「――まぁいいか。それより飛竜だ」
 通りの壁に「西門」の表示を見つけ、レオアリスは矢印の方向へ向かった。



「アーシア! アーシア!」
 アナスタシアは宿屋に駆け入ると、部屋の寝台の上に座り込んでいたアーシアの元に駆け寄った。辛そうに背中を丸め、顔を伏せているアーシアへ、大事に抱えてきた壜を差し出す。
 果汁に蜂蜜を溶かした、甘い飲み物だ。疲労に良く効く……と、店のおかみさんが言っていた。
「大丈夫?」
 青ざめた顔を上げ、アーシアは頷いた。
「飲んで、ほら。美味しいし、元気出るから」
 アナスタシアは壜から飲み物を注いだ杯を、アーシアに差し出した。そんな事、と断ろうとして、息を弾ませて心配そうに覗き込んでくるアナスタシアの顔を見て、アーシアは素直に受け取った。
「すみません……」
 一口飲むと、それを見てアナスタシアはとても嬉しそうに笑う。その笑顔が甘い飲み物よりもずっと、アーシアの心を軽くしてくれた。ほうっと吐息を落とす。
「どう?」
「美味しいです」
「よかったぁ……。気分は? 横になる?」
 ずっと心配そうに見開かれていた深紅の瞳が、ようやくほっと緩んだ。
 アーシアは夜明け前、急に震え出した。自分でも抑えの効かないほど震え、アナスタシアの問い掛けにも一時は満足に答えられないほどだった。
 アナスタシアは初めて見るそうしたアーシアの様子に、医者を呼ぼうとも言ったが、アーシアはそれを押し止めた。彼にはその理由が判っていたからだ。
 ふいにアーシアの意識を覆った、あの気配――。
 恐ろしい気配が北から急速に近づき、この街の傍を通り越し、更に西へ向かった。
(あれは――黒竜だ)
 怒りの交じった感情が、アーシアの精神を恐怖と共に捉えた。
 その感覚は、同族であるアーシアにしか判らないものだっただろう。
 伝説と言われ、お伽噺の一つのように語られながら、黒竜が今までずっと眠りに就いていたのを、アーシアは本能で知っていた。
 竜は長い寿命を持つ。一つのまどろみで千の夜を越す。だからこそ、人は彼等に出会わずに済んでいるのだ。
 気に入った寝床を滅多な事では離れない竜が、何が目的で場所を移したのかは判らないけれど、身を震わす怒りの感情はくっきりとアーシアに降り注いだ。
 今でさえ、西からそれがひしひしと伝わってくるのが感じられる。
 怖い。
 その思いを、アーシアはぐっと飲み込んだ。アナスタシアに余計な心配をかける訳にはいかない。
「いえ、もう大丈夫です。すっかり……」
 微笑み返そうとして――、アーシアはピタリと動きを止めた。
「……アーシア?」
 訝しさと不安の入り混じった顔で、アナスタシアはおろおろとアーシアを見つめた。頬が青ざめ、瞳を見開いたまま、アーシアは彫像のように凍り付いている。
 手にしていた木製の杯が、するりと滑り落ちた。
「アーシア?!」
 杯は転がって床を汚したが、アーシアはそれを見ていない。瞳は硝子玉のように宙に向けられている。
 その上、身体が再び小刻みに震えだした。
「アーシア!」
 虚ろに開かれたアーシアの瞳を、アナスタシアは慌てて覗き込んだ。額に自分の額を当てたが、熱は無いようだ。
 アナスタシアには全く、そしてアーシアにさえその理由は明確に判っていなかったが、それは丁度、カトゥシュ森林の廃坑で、タナトゥス達が闇に遭遇した時と同時刻だった。
「――」
 アナスタシアは視界に広がる青い瞳を見つめながら、何があったのだろうと一生懸命思考を巡らせた。こんなアーシアの状態は、いままで十年間、一度も見た事が無い。
 震えて――怯えて。
 そうだ。アーシアは、怯えている。
(何に……?)
 額を離そうとした時、アーシアが囁くのが聞こえた。
「――黒竜が」
 アナスタシアは動きを止めて、アーシアをしげしげと見つめた。
 黒竜?
(黒竜って……)
 風竜とかと並び称される、あの黒竜の事だろうか。何故、いきなりそんな言葉が出てくるのだろう。
「アーシア、黒竜がどうしたの?」
 はっとしたようにアーシアは顔を上げた。きょろきょろと明るい部屋の中を見渡し、それからアナスタシアに視線を戻す。
「黒――、いえ、僕は」
(どうしよう……)
 何と言うべきだろう。
 そもそも告げていいものか、それが判らなかった。
 告げたところでアーシアに何が出来る訳でもない。黙ってアナスタシアをこの地から遠ざけた方がいいのかもしれない。
(……そうだ、その方がいい)
 アナスタシアを危険に晒す訳にはいかない。そっとこの街を離れて――。
 それはずるい、それでは自分勝手だと心の隅で声がする。
 黒竜が来た事を知っているのは、もしかしたらアーシア一人だけかもしれない。もし、被害が出たら?
(誰かに――軍に報せて)
 けれど軍に伝えても、アナスタシアの身分を告げなければ、子供のいう事など信じてはもらえないかもしれない。かと言って身分を告げれば、アナスタシアは王都に連れ戻されるだろう。
「……何でもありません」
 アーシアは後ろめたい気持ちを押し隠して、首を振った。アナスタシアはしばらくアーシアの瞳を見つめていたが、寝台から降りると、少し怒ったような顔をしてアーシアの正面に膝を付いた。
「何でも無いわけないじゃん。そんなに真っ青になって」
「本当に何でも」
「黒竜って何?黒竜がどうしたの?」
 鋭さを帯びた瞳に、アーシアが黙り込む。
「――」
「教えろよ。恐がってたのはそれなんだろ?」
 アナスタシアの瞳の燃える影に、アーシアは自分が本当は何を恐れていたのか、思い当たった。軍にアナスタシアの身分が知られる事よりも、もっと悪い――。
 アナスタシアの気性。そこから想定されること。
「アーシア。私は隠し事は嫌いだ。特にお前に隠し事されるのは、すごく嫌だ」
 じっと注がれる瞳から視線を反らせ、アーシアは心を決めた。軍に素性を知られる方がずっといい。素早く、アナスタシアの意志をその方向へ持っていくこと、それが今は重要だ。
 なるべくさりげなく、アナスタシアが深い興味を抱かないように、アーシアは言葉を選びながら口を開いた。
「――黒竜が、この地に来ました。カトゥシュ森林に降りたのを感じたんです」
 アナスタシアは瞳を見開いて、その言葉をどう受け取るべきか考えているようだ。
「何でもないなんて嘘です。すみません。……黒竜は危険です。軍に対処してもらった方がいいと思うんです。そう思います。アナスタシア様、軍に報せに行く事を、お許しいただけますか?一刻を争う必要があります。今すぐ、街の領事館に行って」
 上手く言えているかどうか、アーシアは内心の焦りを隠しながら、矢継ぎ早に言葉を継いで行く。
(黒竜――)
 唇に指先を当て、アナスタシアはしばし考え込んだ。
 黒竜ぐらいはアナスタシアも知っている。竜の中でも、最も強大な者に付けられる称号の一つだ。
(勝手に付けてんだけど。……ホントにいたんだなぁ)
 暖かく明るい室内では切迫した実感は無く、アナスタシアとしては何となく感心に近い感想を抱いただけだ。ただ、アーシアが怖がっていた理由は納得できた。
(何かしなくちゃいけないんだよな。暴れて街とかを焼かれたら困るし。……あれ、もしかして結構大ごと?)
 アーシアは軍に報せるべきだと言っている。今にも寝台から立ち上がらんばかりだ。
(軍か)
 正規軍はどうだろう。もし黒竜に対峙して、何が出来るだろう。
 アナスタシアは首をたおやかに傾げた。
「軍でなんとかなるの?」
 彼等を信頼していないわけでく、相手が黒竜だということからくる単純な疑問だったが、アーシアはぐっと詰まった。
「それは……」
 アーシアにも、軍がどうすれば被害を押さえられるか、考えが及ばない。判っているのは、以前読んだ事のある大戦の記述だけだ。
 どれほどの被害が出たか。幾つもの街が、風竜の起こす竜巻に崩れ、どれほどの人が亡くなったか。
「でも、やっぱり軍に報せなくては」
「私が行く」
 血の気が引くのが判った。アーシアは蒼白になって立ち上がり、アナスタシアの肩を捕まえる。
「だ――駄目です! とんでもない! 絶対に駄目です!」
 アーシアは一番、それを避けようとしていたのだ。
 アナスタシアの気性。奔放で、気が強く、壁があれば打ち壊して進んでしまう。そして無茶苦茶に見えるその反面の、責任感の高さ。
「駄目です!」
「アーシア」
「軍に任せて、貴方が関わるべきじゃありません!」
 アナスタシアは繊細な眉をちょっと寄せた。
「私は正規軍の総将になるんだぞ。もしもうあと一ヶ月後の話だったら、私が何もしないって事にはならない。それに、軍だって黒竜とかいうヤツを、簡単には倒せないんだろ?」
「だからって」
「周りにも、軍にだって被害が出る。放っておいて、被害が出るのを知らんぷりなんて出来るか」
「そんな事は」
 そんな事を貴方がする必要は無い、と言おうとして、何故か言えなかった。
 喉元まで出掛かっていて、当然言うべき言葉だ。
 いくらアスタロト公爵家の直系として、高い炎の能力を受け継いでいても、それとこれとは話が違う。遊びに行く訳ではないのだ。
 ただ、アーシアはアナスタシアの瞳が浮かべた強い光に呑まれてしまった。
「私は炎帝公だ」
 そう言ったアナスタシアは、昂然と頭をもたげ、とても美しかった。深紅の瞳が、炎に照り映えるように輝く。
 アナスタシアはその瞳をふっと緩め、言葉を失っているアーシアの前でいつものいたずらっぽい笑みに戻ると、腕を組んだ。
「それに、丁度いいじゃん。黒竜を土産に王都に凱旋して、長老会に私が当主だって事を認めさせてやる」





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