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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第五章「カトゥシュ封鎖」 (四)


 飛竜達が再び大きく翼を広げた。厩舎の中に、鋭い鳴き声が重なって響く。
「どう、どうっ! 落ち着けよ、どうした?」
 今日の明け方から飛竜屋の男達は飛竜の間を走り回って、落ち着きの無い飛竜の首を叩いては宥めすかし、餌や水を足して回っていた。
 捻り鉢巻の男が前掛けで手を拭いながら、閉口したように騒がしい厩舎内を見渡す。
「何なんだろうな。こんなん初めてだぜ」
「今朝から飛竜が妙に怯えてやがる」
 空の桶を提げて、もう一人の男も頷く。桶の中身は飛竜の餌箱に空けてきたが、食べる気配はない。水が足りていないわけでもなく、体調が悪いわけでもない。
 彼が自分でも言ったとおり、飛竜達は怯えているというのが一番納得の行く説明だった。
「何かあるのかね。地震とかよ」
「前触れってヤツか? 気味悪いな」
 お互いの顔を見合わせて眉を顰めた時、傾いだ音を立てて扉が開き一人の少年が入ってきた。男達は素早く商売人の顔に戻る。
 捻り鉢巻の男は桶を足元に置くと、少年に近寄った。他の男達はまたそれぞれ騒がし飛竜達を宥めに向かう。
「らっしゃい!」
 威勢のいい掛け声に迎えられ、レオアリスは厩舎の中を見渡した。広く天井の高い造りで、入ってきたのとは反対側に背も幅も大きな両開きの扉がある。そこから飛竜を出すのだろう。
 左右には木の柵が並び、その奥に飛竜が繋がれているのが見て取れる。合計十頭の飛竜達が、柵の向こうで興奮したように声を上げていた。
「……賑やかだね」
「そ、そりゃな。うちの飛竜は活きがいいのが自慢だよ!」
 捻り鉢巻の男は口早に言ったが、レオアリスは素直に頷いた。
「一頭借りたいんだけど、いくら?」
「何日だい?」
「二日……いや、三日かな。そのくらい」
「案内人付けりゃ三百ルス、自分で操れるなら二百二十ルスだ。戻った時に八十ルス返る」
「三百!? たっけえ!」
 捻り鉢巻は動じた様子もなく腕を組んだ。
「相場だぜ」
「もっとまからねぇの?」
「何言ってんだ。飛竜なんて買ったら五千ルスは下らない高級品だぜ。それを貸し出すのに三百なら安すぎるくらいだ」
「いやでも、ほんのちょっとくらい……」
「他を当たんな。ま、この街はここしかねぇけどな」
 独占商売の強みで、なおも食い下がろうとするレオアリスに対し、捻り鉢巻は強気に口を閉ざした。
 どうしようかとレオアリスは迷って眉をしかめた。借りない事には、計画は全部崩れてしまう。馬ではとてもカトゥシュ森林まで行って、それから王都へ向かうなど、日数が足りなくて無理だ。
「自分で操るなら、二百……」
「二百二十だよ。まあ、選ぶ飛竜にも寄る。一番安いので二百二十だ」
「――うーん」
 唸って腕を組み、レオアリスはすぐ右側の飛竜をそれとなく眺めた。飛竜を間近で見たのは、実は初めてだった。
 何となくハモンドの使い魔の、まだ幼い飛竜の姿を想像していたのだが、柵の中の飛竜達は鼻息の荒さも、眼光の鋭さも、人を乗せて飛ぶのだから当然と言えば当然なのだが、体格も並ではない。
(……手強そう……)
 自分で御せるだろうかと、それが不安だ。
 初めて乗るし、馬とは勝手が違うだろう。御者は欲しいところだが、三百はとてもじゃないが無理だった。懐がすっからかんになってしまう。
「――初心者向けは……?」
 居ない? と尋ねると、幸いな事に捻り鉢巻はあっさり首を縦に振った。見るからに初心者っぽいから、価格を吊り上げてもバレない、と思ったかどうかは定かではない。
「いるぜ。年季入ってるから、二百五十になるがね」
「二百五十――」
 レオアリスは再び息を詰めた。高い。だが、御者をつけるのが無理である以上、妥協点はそこしかない。
「……仕方ない、そいつで」
「まいど! こっちだ、あの真ん中のヤツだよ」
 そう言うとついて来いと片手を上げて、捻り鉢巻が右側の柵へと歩き出す。レオアリスも荷物を肩に掛けなおし、飛竜へと向かった。
 捻り鉢巻は柵の前で振り返り、落ち着き無く身体を振っている飛竜の首を叩いた。
「乗り方は? 乗った事あるか?」
「……いや、知ってるけど、初めてで」
「知識があれば一応大丈夫だ。馬とそれほど変わりねぇよ。鞍に跨って、手綱をしっかり引いときゃいいから」
 あれが鞍、あれが手綱、と指を差して教える男の横で、レオアリスは飛竜を見上げた。自分よりも身体半分ほど上の位置に、長い首がある。真っ直ぐ広げたら身体の倍はありそうな翼。
(でけぇ……)
 全身を覆う緑の鱗に、茶色の瞳。その瞳とばっちり眼が合って、つい逸らせなくなった。ギッと鋭い眼光がレオアリスの上に落とされる。
 飛竜と睨み合ったレオアリスを眺め、捻り鉢巻は面白そうに笑った。
「そうそう、それいいぜ。舐められたら言う事きかねぇからな。そうやってガン飛ばすのは重要。ボウズ、筋いいねぇ」
「す、筋いいっつーか……」
 飛竜と向かい合ったまま、いつ逸らしたらいいのかと真顔で聞いたレオアリスに、捻り鉢巻は大声で笑って飛竜の首を叩いた。
「おら、いつまでもガンくれてねぇで座ってやんな。客だからよ。――どこまで行きたいんだ?」
 男の言葉に、飛竜はようやく首を垂れて身を伏せた。それでも背中の位置はレオアリスの頭辺りにある。
「カトゥシュまで……」
 とたんに、目の前の飛竜が首を振り上げた。固い鼻先が当たりそうになって、レオアリスと捻り鉢巻が慌てて飛びのく。
「おいおいおい! 落ち着けって、まったく何なんだ! 朝っからよぉっ」
 さすがに慣れたもので、捻り鉢巻はさっと手綱を掴むと、興奮した飛竜の首を下ろそうと引っ張った。いやいやしている飛竜に、懐から出した草の根っこのようなものを差し出す。
「ほら、落ち着けって」
 飛竜は一瞬間をおいて、それからぱくりと根っこを口にした。彼の好物なのか、鎮静作用でもあるのか、飛竜は急に大人しくなり、ちょっと目を細めて奥歯の辺りで根っこを噛っている。
「……大丈夫なのか? 乗れるの?」
「だ、大丈夫だって!」
 捻り鉢巻は慌てて両手を振ると、飛竜の長首をパンパンと叩いた。
「こうやって首を叩いてやりゃ、落ち着くからな。それから、どうしても騒ぐ時はこいつを喰わせてやるといい」
 そう早口に言うと、あの根っこを一つ、レオアリスに手渡した。少し値が張るものだが、このまま借りずに帰られて、街中で飛竜が妙だったと口にされても困る。
「大体こいつは経験豊富だ。行きたい方角を言えば理解するし、土地名も有名どころなら理解してる。カトゥシュなら一刻半くらいで飛べるぜ」
 もう一度飛竜が暴れかけたのを手綱を引いていなし、さすがに怪しそうな顔をしたレオアリスに対して、捻り鉢巻は引き攣った笑いを浮かべた。
「ちょぉっとばかし今日は荒れてる。うちとしてもお客様第一だからな、乗り心地が悪いのに高い金取っちゃ申し訳ねぇ、……二百二十に負けといてやるよ」

 飛竜を借りるための書類に必要事項を書き込んで、レオアリスは代金を男に手渡した。
 書き込んだのは名前と、出身、それから行き先に借用日数といった基礎の項目だ。
 それが終わると捻り鉢巻きは両開きの扉から飛竜を外に出した。
 一通りの説明を繰り返してから、捻り鉢巻はレオアリスに飛竜の上に乗れと促した。開放的な屋外に出たためか、飛竜も大分落ち着いている。
 レオアリスは鞍に跨ると、どきどきしながら手綱を握った。
 視点が高い。丸い背はかなり滑りやすそうだ。鞍から繋がった命綱が無いと、あっという間に滑り落ちそうだった。
 ただ、怖いから心臓が鳴っているのとは、また少し違う。
(飛竜だ――)
 空を駆ける王者。強靭な疾い翼は、少年達の憬れそのものだ。レオアリスも今回の旅に出る前から、ずっと飛竜に乗ってみたかった。
(すげぇ)
 これから、空を駆けるのだ。晴れ上がった空を見上げる。
 カトゥシュ森林へ――竜の宝玉を取りに、行く。
 血が全身を駆け巡る気がした。
「じゃ、出すぞ。いいな」
 捻り鉢巻は漸く落ち着いた飛竜にこっそり安堵の息を吐きつつ、その尻を叩いた。飛竜が翼を大きく広げる。
「振り落とされんなよ! 小僧!」
 飛竜にうっとりしていたレオアリスは、その言葉で我に返った。
「え、何……っう、ぁああぁあっ!!!」
 振り返ろうとした瞬間、飛竜は一気に大空へと駆け上がった。
 放り出されそうになって、レオアリスは必死に鞍と手綱にしがみついた。瞬く間に足元の街が下方へと離れていく。
「だから、落ちるなよ〜って、……無理かもな」
 捻り鉢巻はあっという間に点になった飛竜の影を追いかけながら、うーんと腕を組んで唸った。




「アーシア、ごめんね。怖い?」
 アナスタシアは自分を運ぶ青い飛竜の背をそっと叩いた。あれからすぐフォアの街を出てまだ一刻と経っていないが、もう目の前には、カトゥシュ森林の緑の海が横たわっているのが見える。
 あの広大な森のどこかに、黒竜がいる。
 アナスタシアは自然、ぐっと身体に力を篭めた。
「もし我慢できなかったら、お前は戻ってていいから」
「何言ってるんです。貴方を置いていくなんてしません」
「でも」
 珍しく口篭るアナスタシアを瞳を上げて見つめ、アーシアは笑みを浮かべた。
「貴方のお傍に居れば、怖いものなんてありません」
「――」
 アナスタシアの頬に、輝くような笑みが灯る。その笑顔を見るだけで本当に、アーシアは自分の裡から恐怖が拭い去られていくのが判った。
 それは彼女の傍に居る喜びの他に、彼女を守るという、アーシア自身の強い意志が成せるものだ。
 ただ、黒竜と対峙して、もしもアナスタシアの身に危険が及ぶような事があれば――その時は何を言われても、アーシアはアナスタシアを連れて逃げるつもりだった。
 その為にも、アナスタシアの傍を離れる訳にはいかない。
 眼下の森に、黒竜の意志が渦巻いているのが判る。荒々しく強靭な、近付く者の身を切るような意志だ。
 引き返したがる翼を、アーシアは叱咤した。
 身を包みこむ意志。それはまだ、森の中にのみ向けられている。あれが外に向く前に。
「……もうすぐ森です。もしかしたらもう、黒竜には気付かれているかもしれませんが、少し距離を取って降ります。降りたら一度、作戦を練りましょうね」
「うん」
 さすがにアナスタシアも、緊張気味に頷いた。アーシアのように黒竜の存在を感じ取れる訳ではないが、それでも足元からの言い様のない圧迫感を感じる。
 アナスタシアは一度ふるりと身を震わせた。それは武者震いかもしれないし、ほんの少し、怖いのかもしれない。
(でも私は、母様の子だ)
 母も同じ事をしたはずだと、そう思った。
 アナスタシアは真っ直ぐ、目の前の森へ視線を注いだ。背後から差す太陽が、飛竜の影を一足先に森へ落とす。
(――行こう)
 アーシアの青い翼は陽の光を弾いて、緑の海の中の、すこし開けた草地を目指し、空に円を描くようにして舞い降りた。




 耳元を風が唸りながら通り過ぎていく。
 風を感じられるようになったのは、飛び立ってから半刻くらいは経っていただろうか。危なっかしかった飛行も大分落ち着いてきて、飛竜は青い空の中を悠々と風を切っていた。
 アナスタシア達が森に降りた同じ頃。レオアリスは飛竜の背に括り付けた鞍に深く身を沈め、心底安堵の息を吐いた。
「――死ぬかと思った…」
 今回の旅に出てから、そんな思いばかりな気がする。やはりケチらずに騎手を頼むべきだっただろうか。
(けど、これで漸くカトゥシュに辿り着ける)
 慣れてしまえば、飛竜の上は心地よい。空は遮るものもなく広く、抜けるように青く、身体を叩くように吹き抜けていく風さえ、疲れを吹き飛ばしてくれるようだ。
 陽の差し掛かる空に眼をやり、正面から差し込む陽差しの眩しさに手をかざしかけ――「違うって!」レオアリスは飛び起きた。
 飛竜は全くの逆、東に向かっている。
(何でだ!?)
 だが驚いている暇はない。足元の景色はどんどんと飛ぶように流れている。飛竜の長い首を懸命に覗き込みながら、レオアリスは首筋を叩いた。
「逆、逆だ! 西だよ!」
 飛竜屋の男は簡単な指示なら判ると言っていたはずだ。だが飛竜は振り向きもしない。一心不乱、翼を羽ばたかせている。
「……っ、違うっての! 聞けよこら!」
 ぐい、と手綱を引くと、さすがに飛竜は反応した。宙でぐるんと一回転し、再びレオアリスは鞍にしがみついた。
「――っ!!!」
 危うく止まりかけた心臓を叩きながら、空中停止して浮揚した飛竜を睨む。
「……いい加減にしろっ!」
 鋭く言い放つと、意外にも飛竜はびくりと首を縮めた。基本的に彼等は、人の言葉に従うよう、しっかり調教を受けているのだ。
「行くのは西だ! 出る時言われたろ!?」
 手綱をぐっと引き、西へ回頭させようとするが、飛竜は嫌がって首をよじる。
「西に用があるんだよ。カトゥシュだ。判るだろ?!」
 飛竜は嫌々と首を振った。
「い、嫌って言われても――俺は西に行きたいんだって!」
 今度は飛竜はぐるぐると、空の一点を回りだした。どうしても行きたくない様子が伝わってくる。何だか可哀想になるくらいだが、ここで退いたら全く意味が無い。
「頼むよ、西!」
 長い首を捩って、飛竜は恨みがましい眼を向けた、気がした。
「……そんな眼したって無理だっ俺西にしか用ねぇもん!」
 空の上で一人、レオアリスは必死に飛竜に話し掛けている。宥めすかしたり叱ったり、励ましたりしながら一生懸命頼むのだが、頑として飛竜は西へ行きたがらなかった。
(何なんだ――)
 レオアリスは困り果てて、漆黒の髪をくしゃくしゃにした。
「くっそぉ……。――あ、そうだ」
 ふと思い出し、レオアリスは袋から、飛竜屋から貰った根っこを取り出した。
「これ」
 掴んでぶらんとぶら下げると、飛竜の瞳が輝く。首をもたげた飛竜から、さっと根っこを引き、レオアリスはにや、と笑った。
「好きなんだな、これが」
 飛竜は右、左と首を捻ってはレオアリスの手から根っこを取ろうとするが、レオアリスは無情にも、見せびらかすだけ見せびらかして、根っこを再び袋にしまった。
 飛竜の瞳を見据えて、きっぱり告げる。
「カトゥシュに着いたらやるよ」
 もう一度、今度は袋を奪い取ろうとしたのを、さっと背中に隠す。すい、と息を吸い込んで、ぴしりと言い放った。
「俺を運ぶのは仕事だろ! 仕事しろっ! それともお前、カトゥシュまで飛ぶ力が無いのか? その程度か!?」
 二人は晴れた空の下でしばし睨み合い――、飛竜は怒ったように激しく息を吐き出した。それから急激に翼を羽ばたかせぐるりと回頭すると、矢のような速度で西を目指し滑空を始めた。


 濃い緑の帯がぐんぐんと目の前に迫ってくる。目指すカトゥシュ森林だ。
 そのまま突っ込むのではないかと思ったとき、飛竜は急激に上昇した。堪らず手を滑らせ、レオアリスは地上に落下した。
 天地が回る。
 一瞬視界の端が、何か黒い固まりを捉えた。森から離れた平原の上だ。
 だが、もう一度目を向ける暇もない。ピン、と命綱が限界まで張り――、千切れた。
「!」
 死ぬとか危ないとかヤバイとか命綱の意味ねェとか、そんな事を思ったのも束の間、レオアリスの身体はぼすん、と張り出した樹の枝の上に落ちた。そのままバキバキと枝を数本へし折って落ちた挙げ句、漸く仰向けに引っ掛かって止まった。
 我に返った時には、レオアリスはしなる枝の上で、痛みに霞む眼で上空の飛竜を見上げていた。
「――いってぇ……」
 何が何だか、もう訳が分からない。
(着いたのか……? 着いたって言うのか、これ……)
 正確には、森に降りたと言うより、森に引っ掛かったと言うのが正しい表現だ。
 その枝に引っ掛かった状態で呆然としているレオアリスの上空で、彼を森に振り落とした飛竜はもう一度旋回した。身体を振りご丁寧にその上に荷物を落とすと、地上に降りる素振りすら見せずに翼を羽ばたかせた。
 落ちてきた袋を咄嗟に掴み、レオアリスが慌てて身を起こす。ぐらりと足元が揺れたが、何とか踏み止まった。
「わあ! ちょっと待てって! まだ帰り道があるんだよ! それに保証金だって……!」
 必死の叫びに、飛竜は一旦空中でぴたりと停止した。
 ほっと息を吐くと、飛竜はくるりと振り返ってじっとレオアリスを見つめたが……、ふんっと鼻を鳴らし、再び羽ばたいた。
「ちょ……! あぁあ〜……」
 瞬く間に飛竜の姿は雲の切れ間に消える。完全に舐められっぱなしだったと、レオアリスはがっくりと樹の枝に突っ伏した。
 それともあれだけ嫌がったのに、無理矢理西に来させたのがまずかったかもしれない。
「どおすんだ……この後……」
 王都まで飛竜で一気に行こうと思っていたのだ。しかも、保証金が返ってこなければ次の飛竜も借りられない。
 深い森の樹の上ににポツリと取り残され、レオアリスは頭上に暗雲が立ち込めるのを感じた。
「……ちくしょう! とにかく宝玉だ! 帰りを考えるのはそれからだっ!」
 半ば自棄気味にそう言って、レオアリスはぱん! と自分の頬を叩き、器用に枝の上に立ち上がった。
 とにかく、カトゥシュ森林に着いたのだ。ここで竜の宝玉を手に入れれば、後は王都まで行くだけだ。
 王都まで――。
 気を抜くとすぐ立ち込めてくる暗雲を首を振って打ち払い、レオアリスはぐっと顔を上げた。
「……いや、意外といいとこに降ろしてくれたのかも」
 前向きに考えれば、ここは眺望だけは最高に良かった。この際現在地を測っておこうと、昇れる限りの高さまでもう一度昇りなおし、そこからレオアリスは手をかざしてぐるりと辺りを見渡した。
「――」
 まだ頂点に昇りきっていない太陽の位置で、大体の方角は掴める。それはいい。
 周囲には延々と、深い緑の樹々が広がっている。今背後にしている方向のほうがやや緑の帯は薄い。だからあちらが、フォアの街の方角だろう。
 更に二度ほど、レオアリスは森に頭を巡らせた。
 一度腕を組み、瞳を伏せ、それからまた瞳を開けた。何と言うか……思わず笑いが込み上げてしまった。
「……で――。洞窟ってどっちだ……?」




 アナスタシアとレオアリスがそれぞれカトゥシュ森林に降り立った、その早朝に事は遡る。
 明け方のもやの中、カトゥシュ森林から一斉に、動物たちが駆け出した。
 朝の早い農家の人々が何人も、鼠、兎、狐、狼、様々な動物が一緒くたになって、一目散に走っていく様を目撃した。また鳥達もカトゥシュ森林から逃げるように羽ばたき、一時は明け方の空を黒く染める程だったという。
 報告を受けたのは、カトゥシュ森林にほど近いエスクロートという街の領事館で、それが正午前。
 原因の判らない報告に首を捻っていたところに、更にとんでもない報せがエスクロートにもたらされた。
 正規軍が街への入場を求めているというのだ。
 しかも領事の前に現われたのは下位の伝達兵ではなく、濃紺の軍服に長布を纏った明らかに将校と判る男だった。
 男は領事の前に、ぱらりと一枚の紙を掲げた。
「正規軍将軍代理、タウゼン副将軍閣下依命通達である。本日正午を以て本領事館を徴収し、正規軍西方軍の暫定指令部を設置する」
 そう告げた西方軍第六大隊大将ウィンスターは、唖然とする領事の前で次々と揮下の兵達を動かし、瞬く間に指令部の立ち上げを進めていった。
 正午を二刻も過ぎた頃には、この国全ての軍を集めたのではないかと思えるほど、兵団が続々とエスクロートに集い始めた。到着する傍から、またカトゥシュ森林へ向けて街から吐き出されていく。
 エスクロートには街の外への外出禁止令が発布され、住民達は固く閉ざした家の中から、何が起こっているのか判らないままに、不安を抱えてその様子を見つめていた。





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