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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第五章「カトゥシュ封鎖」 (五)


 木登りは昔から得意だった。幼い頃から黒森で遊んでいたレオアリスには、高い樹の幹をよじ登ることも、枝から離れた枝へ飛び移ることもお手の物だ。
 たまに足を滑らして落っこちて目を回し、祖父達に小言を貰っていたが、やはり子供の頃から色んな経験をしておく事はいい事だ、とまだ十四歳のレオアリスは年齢不相応な事を考えながら、高い樹の枝と幹を伝い器用に地面に降り立った。
 先に落としていた袋を取り上げようと身を屈めた時だ。
 心臓を掴むかのような冷たい感覚が走り、レオアリスははっと顔を上げ、辺りを見回した。
「――」
 周囲には誰も、獣すらいない。樹々が風にゆれて騒めく他は、至って穏やかで、静かだ。
 高い樹々が茂っている割りには陽射しが射し込んでいて、明るくてなかなか歩き易そうでもある。
(――気のせいか……)
 見回した光景にちょっとした違和感を感じたものの、レオアリスはそのまま袋を拾い上げて肩に掛け、剣をまた腰に括った。
「しかし、どう行くべきかなぁ……」
 無事地面に降り立つ事ができたにしても、先ほど上から見渡した時に得た、いや、得られなかった情報から、何も改善していない。
 竜の棲み処がどこにあるのか、まったく見当も付かなかった。
 腕を組み、首を傾げて考え込み、しばらくしてレオアリスはポツリと呟いた。
「――術」
 その通り、レオアリスには術が使える。探索系の術は知らない訳ではない。ただ、少し憂鬱そうに呟いたのは、それがレオアリスの苦手な、土系統の術だったからだ。
「いや、でもそれが一番確実だ」
 発動すれば、と自分で口に出そうとして、止めた。
 とにかく、先ずは竜を探さなければお話にならないのだから、苦手だの、今まで成功したためしがないだのと、そんな事は言っていられない。
 今やれることをやるしかない。
「枝、枝、と……すみません、一本枝貰います」
 今降りてきた樹から、一番低いところに張っていた枝を一差し拝領すると、レオアリスは一度ゆっくり深呼吸して、それから地面に法陣を描き出した。
 法陣の多くは丸い円で、良く真円でないといけないと誤解されがちだが、別に完璧でなくてもいい。完全に閉じていて、書き込む術式さえ間違えなければ発動する。
 レオアリスは注意深く、一語一語、円の中に術式を書き込んでいく。
 二重の円を描き、その二つの線の中に術式を意匠化した記号を散らし、真ん中に土の紋章を描く。それから最後に、もう一回り大きな円で、法陣を囲んだ。中央に折ったばかりの枝を立てる。
「よし、完璧」
 後は詠唱を行うだけだ。
 カイルなどはよく失せものを、それで瞬く間に探し当てた。失せものだけではなく、水が出る場所や、薬草の生えている場所などを容易く見つけ、レオアリスはそれを誇らしさと憧れを持って眺めていたものだ。
(……じいちゃん達はカッコ良かった。俺が土を苦手なのは、なんでだろうなぁ)
 いや、弱気になってはいけないと、レオアリスは首を振って詠唱を始めた。
 祖父達のようにやればいい。彼等の一挙手一投足をなぞるように。祖父の言葉を追いかけるように。
 祖父は何と言っていたか。
 詠唱とは、呼び掛ける言葉――対話だ。
 『命令するのではなく、尋ねるのじゃ。協力を仰ぐ。土は繊細で、優しい。おおらかで懐が広い。相手を感じ、尋ね、力を請えば、必ず応えてくれる。』
 レオアリスは瞳を閉じた。
 詠唱がゆったりとこぼれ落ち、地面に描かれた法陣の上に触れて、吸い込まれる。
 法陣は微かに光りだした。
 『呼び掛け、相手を感じ、対話する』
 閉じた瞼の裏に、つい今まで目にしていた森の姿が浮かび上がる。足元の草と土。木漏れ陽、苔蒸した樹の幹。それらが重なり合うように立ち並び広がる森。
 瞼に結んだ像はやがてぼやけ、形のない光のもやのようになって拡散する。
 それから、レオアリスはゆっくりと、そこに『降りた』。
 暖かい、深く深く、底の無い感じ。広く果てなく、どこまでも続く感覚。
 今感じている感覚が『土』だろうかと、レオアリスは頭の片隅で思った。
(いける、かも――)
 高度な対話はレオアリスの今の術ではできない。簡単な単語でのやり取りだけだ。
 レオアリスは、すうっ、と息を吸い込んだ。
 意識から、全ての雑音が消える。法陣の光だけが、瞼の奥に揺れた。
 土に尋ねる。
 名前は?
 束の間の沈黙の後、頭の中に深くゆったりとした『声』が返った。
 “――カトゥシュ”
 成功、した。
 すごい、という興奮と驚きを、レオアリスはぐっと押さえ、術式に精神を集中させる。
 森がさわさわと枝葉を揺すり、そこに誰がいるのかと、レオアリスを覗き込むようだ。
 今、自分がいる場所は?
 “我が懐”
 土の声は優しかった。足元から自分の身体がじわりと暖かくなっていくように感じられる。
 祖父達から遠く離れたこの地で、漸く祖父達の想いの一端に触れた気がした。
 ゆっくりと、レオアリスは詠唱を繋ぐ。
 位置は?
 “……東、……南”
 では――、竜の棲み処は。
 “――”
 僅かな沈黙の後、ふいに、土からの返答が途絶えた。
「えっ」
 思わずそれまで閉じていた瞳を上げ、レオアリスは足元に視線を落とした。
 法陣は依然切れもせず、レオアリスの足元にある。術式も間違えた覚えは無い。
(え、何で?)
 だが、術はすっかり途切れて、もうあの暖かさも感じられなかった。
(失敗しちゃったのか?)
 土の声はずっと優しかった。怒らせた感じではない。
 ただ、最後の沈黙。あれは何か、思案するような、そんな感覚が伝わってきた。それから、どこか、恐れるような――。
「もう一度――」
 レオアリスは再び土の術式を唱え出した。再び暖かくなる足元にほっと息を吐いたのも束の間、同じ問い掛けをすると、土は沈黙してしまう。
 問い掛けが曖昧すぎるのかと、竜の洞窟と言ってみたり、竜の特徴を言ってみたり、竜を知っているかと問いかけてみたりしたが、その都度土は沈黙した。
 何度目かに術が途切れた後、レオアリスは肩で息をしながら、法陣の上に座り込んだ。
「――何でだ……? おんなじところで、何で切れちゃうんだよ……」
 術を使えば精神を研ぎ澄ませる分だけ疲労も大きい。疲れてぐったりと地面に寝そべりながら、レオアリスは抗議のように草に覆われた大地を軽く叩いた。
「頼むぜ、もう……初めて成功したと思ったのに」
 もちろんそれに答えは返らない。汗ばんだ額をゆるく抜ける風に晒し、レオアリスは樹々の間から覗く空を見上げた。
(ああ……)
 こんな時でも、この森は綺麗だと思った。
 竜の棲む森と聞いていたから、もっと暗くひっそりと、それこそ黒森のように厳しい姿をしているのかと思っていたが、陽は枝葉の間から心地良く差し込んでくるし、緑の葉は燃え立つように鮮やかで、風が抜ける度に光を受けてきらきら輝く。
 それを眺めながら寝転がっているのは、とても気持ち良かった。
「――どうしようかなぁ……」
 ただ、困っているのには変わりは無い。
 何度も術を試みたせいで疲労は蓄まったし、だいぶ時間も経ってしまっている。着いた時には丁度てっぺんに上がっていた太陽も、今は傾いで地平へと近づいて来ていた。
 闇雲に歩いて夜になっても、ただ森に迷い込むだけだ。
 レオアリスは深く、全身から絞り出すように、息を吐いた。
「疲れた――」
 改めて思い返せば、術の連発に加えて昨日の夜から一睡もしていないし、食事もしていないし、飛竜には振り落とされそうになり、結局振り落とされるし、レオアリスはかなり疲れていた。
 草地に寝転がっていると、やはり土の温かみを感じる。頭も次第にぼうっとしてきた。
 『無理しちゃだめよ』と別れ際のマリーンの言葉が頭を過ぎった。
 確かに、少し焦りすぎているかもしれない。村を出てからずっと、休むことなど考えずに、進むことばかり優先してきた。
(飯……いや、寝るかな……)
 少し黄色味の増してきた空が、何となく瞼を重くする。
「一度寝て……それから、考えよう」
 そう呟いたが早いか、レオアリスは瞬く間に睡魔に捕らえられ、その場でまどろみ始めた。


 レオアリスの身体の下で、法陣はまだ生きていた。
 レオアリスが深い眠りに就いている、その間に、法陣は再び光り始めた。
 光は微かに、傾いた陽光にすら掻き消されがちに、円を縁取っている。
 ”こど……も“
 微かな『声』
 ”危険“
 ”――去れ“
 身体を包む暖かさに、レオアリスは無意識に寝返りを打った。
 ”……の子“
 『声』はざわめく樹々のように、不規則に大きく、小さくなる。
 ”…竜“
 レオアリスは微かに眉根を寄せたが、起きる気配はない。
 ”森“
 ”去れ“
 ”救え“
 ”去れ“
 ざわざわ、ざわざわと樹々は身体を揺らした。
 ”――剣、……の……こども“
 『声』は次第に小さく、微かになっていく。
 ふいに法陣に差していた枝が、パタンと倒れた。
 ”……救え……“
 やがて、法陣の光は完全に消えた。





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