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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第五章「カトゥシュ封鎖」 (七)


 マリーン達が休んでいる宿にデントが戻ったのは、すっかり日が暮れてからだった。
 心配に気を揉んでいたマリーンは、父親の姿を見たとたん、両手を広げて駆け寄った。
「お帰りなさい、父さん。ずいぶん長かったけど、身体は大丈夫?」
「ああ。被害者だからな、扱いは良かった。ただ軍が少し混乱してて、事情聴取がなかなか始まらなくて、参ったよ」
「なぁに、軍が混乱って」
 マリーンは父親に手を貸して椅子に座らせながら、首を傾げた。
「どうも、カトゥシュ森林の一帯を封鎖するらしい。おかげで領事館全体がバタバタ走り回ってて、我々の事なんてそっちのけだ」
「封鎖? やだ、何かあったの? 他にも野盗が出てるの?」
 胸元で両手をぎゅっとしぼり、マリーンは表情を強張らせた。デントは無事な方の手を伸ばし娘の背中をさする。
「いや、違う違う。もう野盗の心配はいらんよ。安心しなさい。……はっきり聞いた訳じゃないが、黒竜がカトゥシュに現れたらしいんだ。俄かには信じられんがね」
 マリーンは束の間口をつぐみ、それから声をひっくり返した。
「――黒竜? やっだぁ、おとぎ話じゃない!」
 マリーンは笑ったし、デントも似たような表情だ。しかし、軍が騒然としていたのは事実だった。
「とにかく、我々も西の経路は取るなと言われたよ。まあ普通ならあまりカトゥシュに行く者はいないらしいんだが、今回の御前試合で志願者が森に入ってるらしくてな。御前試合の出場資格が、カトゥシュ森林に棲む竜の宝玉らしい。全く酔狂な事だよ。黒竜なんて出て来なくたって死にに行くようなものだ」
 へぇ、怖いわね、と頷きかけて――マリーンは真っ青になって立ち上がった。
「いやだ、あの子!」
 デントは娘を訝しげに見上げた。
「何だね、いきなり」
「あの子よ、レオアリス!」
 今気付いて、デントは片眉を上げ、室内を見渡した。
「……そういえば、あの子はどうしたね。もう行ったのか?」
「うん、父さんにもくれぐれもお礼とお詫びを伝えて欲しい……って――違うの! 行っちゃったのよ! どうしよう!」
「マリーン」
 呆れて溜息をついた父親の前で、マリーンは心配のあまりそわそわと身体をよじった。
「マリーン、落ち着いて話しなさい」
 父親の声も、マリーンの耳には届いていないようだ。
「私、軍に言ってくるわ」
「何を」
「だから、あの子、カトゥシュへ行っちゃったのよ! 絶対そうよ! 御前試合に出たいんだって言ってたんだもの!」
 そう言うと、父親の言葉も待たず、マリーンは踵を返した。
 デントはぽかんと口を開け、それから、まだ事情の飲み込めないままに、扉から飛び出していくマリーンを慌てて追いかけた。




「西街道入口付近、封鎖完了!」
「東北東街道について、封鎖完了しました!」
 夕刻になり、西方第六軍が暫定指令部を置いたエスクロートには、次々に近隣地区の封鎖の報告が届き始めた。
 エスクロートは、フォアの街から更に西へ百里、徒歩にして十日ほどの地点にある。軍が拠点に出来る機能を有する街の中で、最もカトゥシュ森林に近い街だ。
 封鎖地点は計二十四箇所にも昇る。カトゥシュ森林に沿うように敷かれた街道の西、及び南側に、一中隊千名を五つの小隊五百名に等分して置き、その他カトゥシュへ続く小道や抜け道に至るまで、一小隊百名をそれぞれ配置した。正に鼠一匹見逃さない構えだ。
「ベクス村近辺、配備完了の報告です」
 最後の一箇所の小隊から報告が届き、幕舎となった領事館の執務室で地図を睨んでいた第六軍大将ウィンスターは、満足そうに口元を引き締め頷いた。
「よし。全地点封鎖完了の旨、ヴァン・ヴレック閣下へ報告せよ。各隊はそのまま待機、常に監視を怠るな。カトゥシュ方面へ向かおうとする者には迂回を指示。もしカトゥシュから戻って来る者があれば、一旦留め置き森林内部の情報を取れ。僅かなりと疑義のある事、また有事には必ず本陣へ一報を入れ、指示無き内にカトゥシュへ近づく事は絶対に避けるのだ」
 第六軍の三人の中将達はウィンスターの言葉に、右腕を胸に当て敬礼した。ちょうどその時、扉が開き、一人の兵が駆け込んできた。
「申し上げます!」
「何だ」
 兵の慌てた表情を見て取り、何か不味いことでも起こったのかと、ウィンスターが濃い眉をひそめる。
「目撃情報です。正午前、一頭の飛竜がカトゥシュに入ったとのことです」
「――何だと!? 確かなのか!」
 左軍中将から厳しい声が上がり、兵は思わず身を固めた。
「当時エスクロートに向かっていたダレン隊が、東方からカトゥシュに近づいた緑鱗の姿を目撃しています。ただ、すぐカトゥシュ上空から去ったとの事で、降りた者がいるのかどうか、未だはっきりは」
「はっきり判らんで済むか、何の為の封鎖だ! 何故その場で押えなかった! 封鎖については第一報で知っていただろう!」
 ウィンスターの剣幕に兵はうろたえて口篭った。
「その、すぐに戻ったので、何事も無かったのかと」
「そこを止めて状況を確認するのが今回の仕事だ! 馬鹿者が!」
「ウィンスター殿、この者を責めても仕方ありますまい」
 中軍中将がやや苦笑して取り成す。苛立ちながらも息を吐くウィンスターの前で、再び扉が開いた。
「緊急伝達です!」
「今度は何だっ!」
 ウィンスターは振り返りざま怒鳴り、いきなり怒鳴りつけられた伝令兵は首を縮めた。
「そ、その、」
「さっさと言え!」
「こ、これは近隣の農民の証言ですが――、飛竜が一頭、カトゥシュに降りたと言っています。それから、フォアの街からは、少年が一人、午前中にカトゥシュへ向かったと領事館へ報せがあったようです」
 ウィンスターはこの時点になって畳み掛けるように入ってくる情報に、髯を蓄えた口元を歪めた。
「……同じ情報か? その子供はフォアから飛竜で向かったのか」
 伝令兵は、手にした伝令文を慌てて覗き込んだ。
「ええ……――街の飛竜屋に確かめたところ、そのようです。ただ、貸した飛竜は既に帰って来ているとの事でして、ええと、これは別件で、飛竜屋から飛竜が空で帰ってきたことに対して、領事館へ申告がありまして……」
「要領を得んな」
「も、申し訳ございません!」
 ウィンスターと中将達達は部屋の中央に置かれた卓に近寄った。卓の上にはカトゥシュ森林一帯の地図が広げられている。
「とすると、一人だけ降りたのか……ダレン隊が通った道筋はこの南からの主街道だ。降りたのが見えたということは、それほど深い位置ではないな」
「志願者でしょうか。御前の」
「おそらくな。くそ……その一人の為に軍を動かすか?」
 ウィンスターは卓上で拳をぐっと握り込んだ。封鎖令が近隣に行き渡ったのは、正午を二刻も過ぎてからの事だ。しかし、だからと言って仕方ないと済ませられるものでもない。
 見捨てるか、助けるか――。
 王都の総司令部は森への立ち入りを禁じている。
「総司令部は現在森に入っている者に対しても、様子を見よと言っています。ここは指示通り様子を見るしかないのでは」
「それは仮定だ。入っているかもしれない、まだ中にいるかもしれないという仮定の状況とは違う。確実に、しかも子供が入ったとあって、それで様子見に徹せられるか?」
「森の外れに降りたのであれば、今から急ぎ捜索させれば」
「しかし、黒竜がどのあたりに降りているか、それが分かっていない。志願者がどこに降りていようと違いはない」
 ウィンスターと中将達が厳しい表情で言葉を交わす傍で、伝令兵は伝令文からおずおずと顔を上げた。
 一見すれば、この少年について複数の情報が入っているようにも見えるが、何度も読み返すうち、それが違っている事に気が付いたのだ。
「――た、大将殿、ちょっと変なんですが」
「何だ!?」
 噛み付かれそうな気がしたのか、伝令兵は一歩後ずさった。自信が無さそうに、伝令文とウィンスターの顔を見比べる。
「さっさと言え!」
「い、いえっ、農民の話では、降りた一頭は、珍しい青い飛竜だという事です。この少年が借りた飛竜は通常の緑鱗で……もしかして、カトゥシュへ入った飛竜は二頭いるのでは……と……」
「二頭――待てよ、青……?」
 ウィンスターは灰色の眼を見開いて、伝令兵へと一歩近寄った。伝令兵の言葉にあるひっかかりを覚えたのだ。
 青。青い飛竜。
 ふいにウィンスターは伝令兵の肩を掴んだ。
「――確かか! 確かに青鱗の飛竜なのか!?」
「は、はい。珍しいので、ずっと飛んでいくのを見送っていたからよく覚えていると……」
 ウィンスターだけでなく、三人の中将達もその言葉に顔を引き締めた。中将の一人が、ウィンスターの耳元に囁く。
「大将殿、確か先日の指令に」
 言われるまでもなく、ウィンスターも気付いていて、だからこそ青ざめたのだ。
 公女アナスタシアの捜索命令には、公女は一人の少年――青鱗の飛竜族を伴っているとあった。
「まさか……」
 青鱗の飛竜など、他では例を見ない。ほぼ、アナスタシアと見て間違いがないと思えた。
 知っていて入ったのか、知らずに入ったのか――。とにかく、公女アナスタシアがカトゥシュ森林へ入った、それが事実なら、一瞬でもここで迷っている時間は無かった。
「……動かせるのは」
 中将達が顔を見合わせ、左軍中将が素早く頭の中で兵の配置状況を算段する。
「現在ここに駐屯している我が左軍のうち、小隊三隊なら今すぐに。しかしそれだけで森へ入らせるのは……」
「いい。まずはカトゥシュ森林の手前まで移動させろ。その後の事は王都に、ヴァン・ヴレック閣下にご指示を仰ぐ」
「承知いたしました」
 左軍中将は頷くとすぐに扉に向かい、その後を追って、伝令の兵も王都への新たな伝令を抱えて続いた。





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