第六章「重なる軌跡」 (一)
夜。人工的な明かりの一つもない森の中は、月の光も樹々の広げた枝をすり抜ける事が出来ず、十歩も離れれば見えなくなってしまうほどの暗闇だ。
下生えの葉の陰を走る小動物の足音も、暗闇の中で光る捕食者の目もなく、鳥の鳴き声ひとつしない。
生物の影のない、そんな静けさの中、闇の奥から、次第に何か、騒音――いや、賑やかな声が近付いて来た。
「黒竜出てこい取って喰うぞ〜」
握った拳を突き上げる。またすぐ調子っぱずれの声。
「真っ黒黒竜取って喰うぞ〜」
妙な節回しで、アナスタシアは更に拳を上げた。それから黙って隣を歩いていたアーシアに瞳を向ける。
「ほら、アーシアも」
「え」
アーシアはうろたえてアナスタシアを見つめ返した。
「一緒にぃ、私が『取って喰うぞ〜』って言ったらアーシアもすぐ『取って喰うぞ〜』って言って、拳を突き上げるの。いい?」
「――」
アナスタシアの声はかなり音程を無視している。この先アナスタシアが歌劇団に入りたいとか言いださなければいいな、とアーシアはちらりと思った。成功する可能性は非常に低い。
「ほらっ行くよ〜。取って喰うぞ〜!」
「と……取って喰うぞー……」
おー! と二人して拳を突き上げたとき、ぐぐぅっとお腹が鳴り、暗い森に響いた。アナスタシアの顔が悲しそうに歪む。
「――もぉ、こんなんばっか!」
首をぶんぶん振って、長い髪が踊る。
彼等は朝から何も食べてはいなかった。またか、と言っても事実だから仕方がない。つい昨日経験したばかりの状況の繰り返しに、アーシアは情けなさそうにうな垂れた。
「すみません……」
アナスタシアはぴたりと足を止めてさっとアーシアに向き直り、小さな顔を力一杯振った。
「アーシアのせいじゃないよっ! 私が急かしたからだろ」
「そんな、アナスタシア様のせいなんかじゃありません」
「違うの! 私のせい!」
「いいえ、僕のせいです」
自分のせいだと言い合う主従愛は麗しいが、かと言って食料がどこからか現われる訳でもない。アナスタシアもアーシアも、すぐ情けなくなって口を閉ざした。
自分達が余りに生活能力が無い事は既に痛いほど良く判った。もしかしたらそれがこの旅一番の収穫かもしれない。
ただ反省はともかく、現実としてはつい妙な歌を歌ってしまうほど、アナスタシアはお腹を空かせていた。
「今黒竜が出てきたら食っちゃうぞ〜。焼いたら旨そうだよねぇ〜」
アナスタシアのどことなく夢見がちな声はあながち冗談にも思えなくて、アーシアは乾いた笑いを洩らした。アナスタシアは木立の間の闇に挑みかかるように拳を振る。
「ホントもー、さっさと出て来いよなぁっ。せっかくこの私が出向いてやったのに、何て言うの、これ? 怠慢?」
無茶苦茶だなぁ、とまたアーシアは笑った。
しかし現実には、正午から太陽が沈む迄の間ずっと、黒竜の影すら見えないまま、まるで迷うように歩き続けている。それは彼等にとって予想していなかった事だった。
いざ森へ降りたのはいいが、黒竜の意識はカトゥシュの森全体を覆っていて、肝心の黒竜がどこに居るのか、アーシアにもはっきりと辿る事が出来なかったのだ。
ただ、足を向ける方向によって、身体を包む圧迫感が多少変わる。
アーシア達は行きつ戻りつしながら、非常にゆっくり森を歩くしかなかった。その間に陽はとっぷりと暮れ、辺りは真っ暗になってしまった。
「昨日みたいに屋台出ないかなぁ」
「アナスタシア様、ここは森の中です。いくら何でも屋台は出ません。せめて兎とかいれば良かったんですけど」
冗談を言ったつもりなのに、とアナスタシアは目の縁を赤くして瞳を伏せた。
「アーシアは真面目だ」
「でも、兎なら森にいてもおかしくないのに全然見かけないです。獣も」
「……隠れてるのかな」
黒竜がいるから、と言うと、アーシアも頷いた。
「そうかもしれません」
アナスタシアはとても残念そうに、ぺったんこになったお腹をさすった。お腹が減りすぎて身体に力が入らない。はぁ、と切ない溜息をつく。
その隣で、アーシアはそっと息を吐き出した。
身体が重い。アナスタシアへは告げていないが、森に入ってからずっと息苦しさを感じていた。
黒竜の意思はアーシアの身体を包み、途切れる事がない。同族であるが故に、それは他の何よりもアーシアに干渉してくる。
押さえたはずの溜息を耳聡く聞き付け、アナスタシアはアーシアを覗き込んだ。
「疲れた?」
「いえ――」
首を振ろうと思ったが、うっかり足元に盛り上がった樹の根に足を取られて、アーシアはよろめいた。アナスタシアはさっと手を伸ばしてアーシアを支え、怒ったような勝ち誇ったような顔で「ほらぁ」と言った。
「いえ、今のは別に」
微笑み返したが、アナスタシアの表情は厳しい。
「いいよ、無理すんな。そろそろ休も? また明るくなってから歩きゃいいし」
「すみません」
「謝る必要ないだろ。私も疲れてるし、腹減っててこれ以上歩けないもん」
「はい」
頷いて、アーシアは辺りを見回した。しかし休むと言っても何もない。足元も樹々の根があちこちに盛り上がり、寝転がるにもそれだけの場所が無かった。せいぜい樹の下に座るくらいがいいところだろう。
それでもアナスタシアが座れそうな窪みを見つけ出し、アーシアは袋から布を出して丁寧に草の上に広げた。
「座り心地が悪かったら言ってくださいね」
「大丈夫」
地面は少しゴツゴツしたが、アーシアの気遣いに応えるように、アナスタシアはまるで絹張りの長椅子に腰掛けるように座った。座ると自然と溜息が洩れる。
「ふー、やっぱ疲れたね」
「そうですね。こんなに歩いたのは初めてじゃないですか?」
アーシアはアナスタシアの右側に回り、その幹に寄りかかって座る。アナスタシアはもう一度、疲労を全て押し出すように息を吐き、頭上の茂った枝葉を見上げた。
枝の向こうには群青の夜空が見える。半分くらいの月と星の光が明るく散りばめられていたが、ここまで届かないのだと思った。
こんな暗闇をアナスタシアは経験した事が無い。ここに比べれば、王都の夜は昼みたいなものだ。多分、たった一人だったら、恐くて仕方なかっただろう。
もう一人いるから。恐さを感じないのは、傍らにアーシアがいるからだ。
星は遠い頭上でぐるぐる回る気がする。
「腹減って目が回る〜」
そんなふうに表現して少し黙り、それから再び口を開いた。
「アーシア……大丈夫?」
そおっと、遠慮がちな響きだ。かなり自分勝手に動いて、アーシアを振り回している自覚は、アナスタシアにもある。
「――少し。でも、森に入ったら逆に、あまり怖くなくなりました。だから却って、黒竜の居場所が判らないんですけど……」
アーシアが素直に頷いたので、アナスタシアは少しほっとした。余り無理はさせたくない。
「それって、もういないのかな」
「いえ、それは違います。居るけど、近すぎて却って掴みづらいんです。ほら、山とか王城も、近付いた方が見えにくいでしょう?」
「あ、そういう事か。うん」
広大な、高い尖塔が幾つも聳える王城の姿を思い浮かべ、アナスタシアは納得して頷いてから複雑そうに眉を寄せた。
「でも、あんま有り難くないな。それだけでっかいって事だろ」
おや、とアーシアはアナスタシアの横顔を見つめ、そっと苦笑を忍ばせた。
彼女にしては珍しく弱気発言だ。ずっと歩き続けて疲れているからか、お腹が空いているからか、それとも辺りに満ちる重い闇のせいだろうか。
もしかしたら、今説得すれば、帰ると言うのではないかとも思う。
(――それはないか……一度言った事は曲げない方だもの)
幾ら活発な性格でも、アナスタシアは一応深窓の令嬢として育てられている。移動は常に馬車で、こんな距離、道なき道を歩くのは慣れていない。それでも歩き続けるのは、彼女の責任感故だ。
無論アーシアとしては、出来る事ならアナスタシアに安全な街へ戻ってもらいたい。
それが駄目なら、ずっと傍にいて、彼女を助けるつもりでいる。その為に自分はいるのだと、彼はずっとそう思っている。
アナスタシアと出逢い、その暖かい炎でアーシアを包んでくれてから、ずっと。
ただ、今、身体が重い。それは事実で、大きな問題だった。
黒竜の意思の満ちている森。重い身体。息苦しさ。
それは、アーシアを常に包み注がれている、暖かい力を邪魔している。
このまま奥に行けば行くほど、その状況は悪化していくだろう。
座らなければ良かったと、アーシアは思った。
疲労は自覚しているよりもずっと、身の内に溜まって肩や背中、手足に纏いついていて、座ってほっとしたとたんにどっと吹き上がってきたようだ。
(それに、今は夜だ……)
夜の闇が、さらに黒竜の存在を濃く強くする。
「あ、ねぇ、樹には果物とか生るんじゃない? 明日はそれを探そうよ」
そう言って返事が無い事に傍らを見れば、アーシアは寝てしまったのか、膝に顔を伏せるように俯いている。
自分の膝に掛けられていた布をアーシアに掛けようとして、アナスタシアはふと動きを止めた。
アーシアは眠ってはいない。それどころか、肩で浅い息をして苦しそうだ。
「アーシア?」
呼ばれてアーシアは顔を上げた。その上の、夜目にも判る疲労の影に、アナスタシアの瞳に不安が灯る。一度瞳をしばたたいてから、アーシアは首を傾げた。
「……どうかしましたか?」
「――」
アーシアがこんなに疲れる事は有り得ない。アナスタシアといる限り。
(まさか)
アナスタシアは自分の中を探った。その瞳がさっと青ざめる。
アナスタシアとアーシアを繋ぐ力が、ひどく弱く、細くなっている。
(私が腹減ってるからか。それとも)
黒竜のせいだろうか。黒竜の気が満ちていて、二人の、特にアーシアの身を包んでいるから。
「いつから……」
そう口にしかけて、アナスタシアは唇を噛んだ。いつからなんて決まっている。森に入った時からだ。
「何で言わなかったんだ!」
「大丈夫です」
「そんな訳」
アーシアが自分から言う性格ではないのは、アナスタシアが一番良く知っている。
(私が気付かなきゃいけなかったんだ)
自分を張り倒したい腹立たしさを拳に握り込み、アナスタシアは立ち上がった。
「何か探してくる」
「ま、待ってください、こんなに暗い中で、危険です!」
アーシアに腕を取って引き止められ、アナスタシアは心配の色を浮かべた瞳で振り返った。
「だってアーシア、辛そうだ。黒竜がいる上に、私が腹減ってるから充分に行かないんだろ」
アナスタシアの一見何を差しているのか判らない言葉に、アーシアは気まずそうに俯いた。その手をそっと解いて、アナスタシアは暗い木立を見回す。
理想的なのはやはり同族だ。でもその同族が見つからないから、こうして森を彷徨っている。そう思うと少し腹が立った。
(くそぉ。黒竜見つけたら思いっきり搾り取ってやる!)
それが出来なければ人か、あるいは大型の動物がいいのだが、そのどれも近くにはいない。
(この際、樹でもいいか)
アナスタシアは右手を傍の幹に当てた。掌に意識を集中しようとした時だ。
ふと、風が流れた。
まるで薄い布がひらめき流れるように、一陣の風が樹々の間を縫っていく。その流れを目で追って、アナスタシアは闇の奥を見透かした。
「――」
(何かいる)
アナスタシアは風の流れた方へ歩きだした。足元の樹の根を跨ぎ、乗り降りする間も、アナスタシアの瞳はずっと風の残した痕跡を追っている。
「アナスタシア様?」
まるで何かに導かれるように木立の間へ向かったアナスタシアに、アーシアの訝しそうな声がかかる。アナスタシアは「こっち」と曖昧な返事を返したものの、闇に迷う素振りもなく、立ち止まらずに歩いていく。
灯り一つ無い闇の中では、ほんの少し離れただけでアナスタシアの姿が朧げになってしまう。木立の間に見え隠れするアナスタシアの姿を見失いそうになって、アーシアは急いで後を追った。
大した時間も掛からず、アーシアはほんの少し開けた草地に出た。頭上を覆う枝葉が薄く、そこは月の光が音もなく降り注いでいる。
(……なんか、ここ、すごく空気がいい)
始めに、そう思った。どういう訳かは判らないが、この草地の空気は清浄だ。呼吸が楽になるような、空気が冴えているような感じ。
薄白い月光の中に、アナスタシアが立ち止まっていた。アナスタシアはじっと俯いている。漆黒の髪が頬に落ち掛かって影を落とし、音もない世界で、幻想的な絵姿のようだ。
アーシアはそっと歩み寄った。
「アナスタシアさ」
しっとアナスタシアは口元に指を当て、足元を指差した。アナスタシアの少し前の草の上に、人影がある。
「アーシア……これ」
少年だ。アナスタシアと同じ年頃だろうか。一瞬死んでいるのかとドキリとしたが、目を凝らしてよく見ればゆっくり胸が上下しているのが判る。深く眠っているのか、二人の会話にも、まるで目を覚ます気配がない。
右腕の辺りに、木の枝が一本倒れている。
「……誰でしょう、こんなところに」
「丁度いい、こいつでいいや」
「え?」
何の事かとアーシアが見つめる前で、アナスタシアはしゃがみこみ、少年の胸の上に手を当てた。
ぼうっと、その手が光を帯びる。
アナスタシアが何をしようとしているのかに気付き、アーシアは慌てた。
「だ……駄目ですよアナスタシア様! そんな事したらその人死んじゃう……!」
「ちょっとだけ。このままじゃアーシアにあげられないから、今ちょっと楽になる分くらい」
アーシアは首を振ってアナスタシアの顔を覗き込んだ。
「僕はまだ全然平気です! ここ息苦しさが無いし……他に何か、貴方が食べられるものを探しますから……」
「だってアーシア、今のままじゃ辛いだろ? すぐ食べ物が見つかる保証は無いし、だからちょっと」
本当は、別にちょっとじゃなくても構わないとさえ思っていたが、さすがにそれではアーシアが納得しない。
「こいつには後で何か礼やるから」
ものすごく適当な口調だ。
「れ、礼って……じゃ、せめて起こして事情を話してから」
「事情話したら断られるに決まってんだろ? どんなお人好しだよ」
それはそうだろう、とアーシアは思わず頷いた。食物を分けて欲しいとか、そんな次元の話ではない。「ちょっと命分けてください」「うん」とは普通言わないだろう。
「あ、でもその人、食べ物持ってるかも」
「いいから! こっちのが手っ取り早いんだから!」
ぴしりと言い放ち、口をぱくぱくさせたアーシアに背を向けて、アナスタシアは自分の手に集中した。ちょっと悪い気もしなくもないような気もしないが、アーシアの為だ。
眠っている少年の身体から何か光の粒のようなものが、胸に置かれたアナスタシアの手に向かって集まっていく。
先ほどからのアナスタシアの行動は、全てこの目的の為だった。
アナスタシアは彼女の掌に、生命の欠片を集めようとしているのだ。
純粋な、生命力。それが今のアーシアには一番効く。黒竜の気が二人の間を隔てているのなら、直接与えればいいのだ。
もちろん死んでしまうほど貰うつもりはないが、もしアーシアが死んでしまいそうな状況だったら、多分アナスタシアは躊躇わないだろう。
(アーシアが怒るから、ほんのちょっとだけ――)
光の粒が集まるにつれ、少し青白い光となってアナスタシアの手が染まる。それはほんのり暖かい。少年は眠ったまま、微かに眉を寄せた。
細心の注意を現わして細められていたアナスタシアの瞳が、ふと見開いた。
(あれ……?)
異質な存在が、触れている手に伝わる。硬質で、冷たい――
その瞬間、急にぞくりと背筋に冷たいものが走り、アナスタシアは咄嗟に手を離し身を引いた。
逃げ遅れた黒髪の先が、さくりと切れ、夜に散った。
「何だ、こいつ――」
気が付けば、青白い光が、少年の身体を包み込んでいる。
唐突に、直感でアナスタシアは悟った。
(こいつ、昨日の……!)
中腰になって立ち上がりかけた時、高く空気を引き裂くような鳥の鳴き声が響いた。
突然アナスタシアの前に姿を現わした黒い塊が、アナスタシアの顔に襲いかかる。煽られる風に髪が舞う。
「アナスタシア様!」
アーシアは咄嗟にアナスタシアの身体を抱き抱え、地面に伏せた。
上げた視界に捉えたのは、大きな、両腕を伸ばしたほどもありそうな、黒い鳥だ。
鳥は一度高く舞い上がると、森が広げた影の中に一瞬溶けた。次の瞬間、全く違う場所から飛び出し、再びアナスタシア目がけて急降下する。
アーシアの青い瞳が怒りに光った。その姿がぼやけ始める。
「この」
「アーシア! 無駄な力使うな!」
「平気です!」
目の前に迫った鉤爪を腕を振って弾く。軽い衝撃の後、地面に何かが叩きつけられる音と――、ピィっと小さな悲鳴が聞こえた。
「え――」
戸惑って、アーシアは思わず自分の腕を眺めた。見かけからは想像も付かないほど、軽い衝撃だったからだ。飛竜へと変わりかけていた姿が再び少年のアーシアに戻る。
アナスタシアがぐいとアーシアの肩を押し、立ち上がる。長い髪が赤い光を纏って、ふわりと舞った。
「燃やしてやる」
「待ってください!」
アーシアは彼女を抱き止めて、地面に落ちた鳥を改めて眺めた。
何かおかしい。
夜の闇を見通しアーシアの瞳に映ったのは、巨大な鳥ではなく、掌より少し大きいくらいの灰色の鳥だった。それもまだ雛鳥のように見える。
先ほどまでの勢いはすっかり失せて、鳥は草の上で身を震わせている。
「――あれ……? さっきのは……?」
瞳を瞬かせて呟いたとき、いきなり足元を掬われ、アナスタシアとアーシアはきゃあと悲鳴を上げて草地に転がった。アナスタシアは転がった姿勢のまま、呆然と頭上に広がる星空を眺めた。じわり、と怒りが湧き上がる。そこへ鋭い声が響いた。
「誰だっ!!」
二人に足払いを食らわせて、少年―――レオアリスは素早く身を起し腰に佩びた剣の鞘を掴むと、地面に片手を付いたまま、まだ倒れている二人を睨み付けた。
「また野盗かよっ! 何だって俺はこう運がいいんだ?」
次々降り掛かる出来事にうんざりと息を吐き出したレオアリスの前で、アナスタシアが怒りに拳を握り締めて立ち上がる。
「野盗でも、こそ泥でもないっ!」
身構えていたレオアリスは、ぽかんと、目の前に立ちはだかった相手を見上げた。
「……はぁ?」
良く目を凝らせば、どうやら目の前の二人は、自分とさほど変わらない年頃の少女と少年のようだ。レオアリスは鞘を掴む力を緩め、ぐいと手の甲で目を擦った。
寝起きで何が起きているのか、さっぱり判らない。
(――カトゥシュだよな、ここ)
「一体何の……」
辺りを見回したとき、足元でピィ、と細い声が上がった。視線を落としたレオアリスは、その姿を認めて驚きに瞳を見開いた。
「お前、――カイ?!」
灰色の鳥は嬉しそうにもう一度ピィと鳴き、レオアリスの腕に乗っかった。確かに、それはカイルが肩に乗せていた使い魔だった。
「なんだよ、お前! じいちゃんのとこにいるんじゃないのか? ……え、俺を追ってきたの?」
レオアリスが両手に掬い上げるように目の前に持ってくると、鳥――カイは小さな嘴でピィピィと頷く。その様子を聞いていたレオアリスの瞳が、再び驚きに見開かれた。
「じいちゃんが、俺に……?」
祖父はカイに、レオアリスの傍にいるように命じたのだという。思わず胸を熱くしかけた時、その雰囲気を一刀両断する声が響いた。
「おいっ! 呑気に鳥と会話してんなよ!」
アナスタシアがレオアリスに一歩詰め寄る。
(こいつ、ムカつく! アーシア傷付けようとしやがって!)
逆恨みもいいところだが、アナスタシアは敢然と少年を睨み付けた。
「……誰だテメェ。さっきっから訳判らないんだよ」
挑戦的な声に、レオアリスもカイを降ろして立ち上がり、アナスタシアを睨む。アナスタシアは腰に両手を当てて、ぐいと顎を上げ、胸を反らせた。
「お前なんかに名乗る名はない!」
「いえ、それは」
胸を張ったアナスタシアの後ろで、アーシアは溜息とともに顔を覆った。案の定、少年は更に眉をしかめた。
「……人の安眠ぶち壊しておいて、何が名乗る名は無いだ! ふざけんな!」
二組の間をゆるく風が吹き抜け、樹々がざわりと揺れる。
広い深い森の、申し訳程度に口を開けた草地の上で、偶然だか必然だか、妙な出逢いを果たした少女と少年は、がっちり睨み合った。
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