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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第四章「闇の淵」 (二)


 ゴツゴツとした黒い岩の壁に、濡れたような赤い光が揺れる。その先の暗がりを進む、二つの松明が投げる明かりだ。
 不規則に伸び縮み、ゆらりゆらりと闇に影を映す。
 岩をくり貫いたような暗く長い通路は、人の手の入ったものだ。四角く口を開け、一定の間隔で木材の柱組みが壁と天井を支えている。
 ここはずいぶん前に打ち棄てられた廃坑だった。
 カトゥシュの森の東南に位置するそれは、以前は鉱石の採掘で活気があったが、ずいぶん前に掘り尽くされ、今は山中を縦横に走る暗い穴だけになっていた。
 いつからか、そこに竜が棲み付き、その数が次第に増えるとともに、人は恐れて近寄らなくなった。古い、忘れ去られたような廃坑。
 そしてここが、王都を夢見る者達の、今回の舞台の一つだ。
「シュルツ、道が二つに別れてる。どっちだ?」
 男は肩で息を切りながら、後ろを歩くもう一人の男を振り返った。
 シュルツと呼ばれた中年の男は術士、男は傭兵だ。ついこの間までは南方ユーフィリア地方ルフト伯爵領の警備隊に所属していたが、王の御前試合に出る為に警備隊を辞め、旧知のシュルツと二人で資格を取りにやってきた。
 高い剣技を持ち勇猛な男で、ライモン・ジェント・タナトゥスというその名は方々に知られている。
 彼等は今まさに竜と――そう、竜と、一戦を交えてきたのだ。
 恐らくこの森で最も力のある竜だっただろう。他の挑戦者達も、この廃坑は避けていた。
 廃坑に入って丸一日くらい歩いただろうか、地中の奥深く、かつては掘り出した鉱石の集積所として使われていた広い空間に、この廃坑の主がいた。
 軽く小屋程の大きさを持ち、その癖動きは俊敏だった。
 竜と戦う時厄介なのはその長い尾、そして吐き出される息だ。それを掻い潜らなければ、剣は何の役にも立たない。
 まず二人は事前に戦術を決め、時にシュルツの術、時にタナトゥスの剣で竜の気を逸らしつつ、最終的に術で竜の動きを封じた。
 気心の知れたシュルツの術は上手いところに働き、見事竜から宝玉を得る事ができた。
 竜はシュルツの術で身動きが取れなくなった為か、追いかけてくる気配もない。
 後は地上に戻るだけだった。
「お前の欠点は記憶力だな。印を付けてきただろう」
 シュルツはそう言うと、岩壁に微かに光る石を示した。
「行きと方向が違うんだ、判んねぇよ」
 そう言い合いながらも、お互いに口調は軽い。これで難関を抜けたかと思うと、足取りも軽かった。
 しかし、その足がすぐに止まった。先に立っていたタナトゥスがシュルツに首を巡らせる。
「おい、こっちじゃないぜ?」
「何言ってるんだ、きちんと目印を辿って来ただろう、この方向でいいはずだ」
「いや、行き止まりだ」
 掲げた松明の灯りに、岩が崩れ道を塞いでいる様子が照らし出された。棒一本差し込む隙間も無いほど、土砂が道を埋めている。
「――崩れたんだ」
 シュルツの顔が、松明の不安定な灯りの中でさえ、くっきりと青ざめる。
「多分、昨日の地鳴りだ。いや、明け方か」
「明け方か深夜か、ここで判るかよ」
 そうは言ったが、確かに地鳴りはあった。
 まるで廃坑が潰れるのではないかと思えるほど激しく揺れ、ただ、すぐに収まった。
 あまりに呆気なく収まったせいで、逆に忘れていたのだ。
 タナトゥスは腰に括り付けた袋を守るように触れた。苦労して手に入れた宝玉、御前試合の出場資格だ。
「とにかく、他の道を探そう」
 シュルツは声を落ち着かせると、懐から折り畳んだ紙を取り出して松明の灯りに近付けた。
 この坑道の図面だ。このお陰で彼等は、楽に暗い道を進むことができた。今もこの図面から他に複数の経路を探す事ができる。
「少し遠回りだが、さっきの分岐まで戻って左へ行こう」
 赤い光が再びゆらゆらと闇の中を移動していく。
 もしかして、他の道も崩れているかも知れない――そんな不安が過りはしたが、とにかく彼等は急いで暗い坑道を進んだ。
 道が塞がっていたという事実は、暗い闇をより圧し掛かるように感じさせ、竜とすら戦った屈強な男にさえ不安を抱かせる。
 いや――それはただの、道が塞がれている事だけに対する不安だろうか?
 この闇は、これほど粘つく質感を持っていただろうか。
 いつの間にか会話すらなくなって、お互いに手を伸ばせば触れられるほどの距離を無意識に保ちながら歩いていた。
 不意に前を歩くシュルツが悲鳴を上げて体勢を崩し、咄嗟にタナトゥスが彼を捕まえられたのは、そのお陰だった。
「何やって……」
 両肩を抱え込んだタナトゥスの腕に、ずしりと体重がかかる。
 それで漸く、タナトゥスはシュルツが転んだのではなく「落ちた」のだと理解した。
 それほど唐突な、坑道の変化だった。
 手から離れた松明が、ゆっくりと落下していくのが見える。
 シュルツの――いや、タナトゥスの足元すれすれに、暗い穴が口を開けていた。
「は――早く上げてくれ!」
 暗い闇に吊り下げられている恐怖に、声をひきつらせてもがくシュルツを引き摺り上げ、安堵の息を付きながらタナトゥスはその穴を見つめた。
 視線が穴の底を見ようと、虚しくさまよう。
 先ほど落ちていった松明の、妙にゆっくりした動きを、タナトゥスは思い出していた。
 それは底知れない闇の淵に、力なく消えていった。
「……何だ、ここは――」
 囁きほどの声が空気に残響し、静かに散っていく。
 山中に丸々空いたのではないかと思われるほど、それは巨大な空間だった。
 見上げた先も、深い闇に沈んでまるで見えない。
「……すげえ……」
「感心している場合じゃあない、こんな空間があるなんて聞いてないぞ」
「俺だって知らねえよ」
「そうじゃない、見ろ」
 シュルツは図面を松明の光にかざして見せた。彼等の持つ図面は、この坑道がまだ使われていた最終期のもので、いわば一番新しい。
「図面では、こんなところに空間は無い」
「――じゃあ後から掘られたのか?」
「馬鹿な。こんな巨大な穴、何に使う。そんな労力を掛ける理由があるか?」
「知らねえよ。いいからとっとと出口を探そう。要はここは行き止まりなんだろう」
 シュルツはまだ何か言いたげに図面に視線を落としたが、タナトゥスの後を追って立ち上がった。
 壁に手を掛けて身を起こし……ふと動きを止める。妙な感触があった。
(何だ……)
 もう一度岩肌を撫でる。それまでの坑道のようにつるはしや鏨で削ったゴツゴツした跡ではなく――。
 岩が、溶けている。
「まあここさえ出られれば、あとはもう勝ったようなもんだ。多分俺達が一番デカイ奴とやったからな。ぶるって小物相手にした奴等とは、格が違う……」
 坑道を戻りかけていたタナトゥスは、シュルツが付いてこない事に気付いて振り返った。
「おい、何やって……」
 振り返った先に、シュルツの姿は無かった。
「――おい? ……どうした!?」
 どこか角を曲がったのか。いや、そんな横道は無い。
「落ちたのか!?」
 ぞっとしてタナトゥスは再び駆け戻った。足元に空いた深い穴を覗き込む。
「シュルツ!」
 呼び声は、何度も壁に跳ね返りながら闇に沈んでいった。
 身体を締め付けるような沈黙が辺りに落ちる。
 声を出す事すら恐ろしい程の沈黙に、タナトゥスはにじるように後ろへ退った。
 ふと、闇の底で何かが光を弾いた。
「シュルツ! お前か!?」
 しん……、と恐ろしい沈黙が返る。
 永遠のように感じられる沈黙の後、ゆっくりと空気が揺れた。
 がしゅ。
 低い、地の底から響くような、空気を摺るような音が昇ってくる。
 闇の奥に光が灯った。燃え立つ、眩しいほどの、二つの白光だ。
 がしゅ。
 音は確実に大きくなっている。
 淀んだ空気が揺れた。
「――」
 がしゅ。
 吹き付ける生臭い風が、タナトゥスの髪を煽った。
 ゆっくり、ひどくゆっくりと二つの光は闇を這い上がり、目の前に浮かんだ。
 眼だ。
(……あり得ねぇ……)
 この大きさと、この位置。
 がしゅ。
 音の正体に、タナトゥスは気付いた。
 ほんの一刻ばかり前に聞いていた、竜のあぎとから吐き出される息の、独特の擦過音――。
「……そんな」
 悲鳴は、すぐ闇に呑まれた。





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