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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第十章「闇をく者としるべの光」 (四)


「ここだ。最近立ち入った跡がある」
 坑道の入口は森の斜面に樹々に隠されぽっかりと口を開けていた。打ち捨てられた古い木の扉が両脇の柱に傾いでしがみ付き、辛うじて扉としての役割を果たしている。押せば何の抵抗も無く軋んだ音を立てて開く。
 足元の土には、複数の足跡が残されていた。もう擦れかけているが、レオアリス達よりも少し大きい、大人のものだ。
 レオアリスの肩の上でカイは誇らしげにピィと鳴いた。その喉を撫でてやりながら、傍らで同じように坑道を覗き込むアーシアと視線を合わせた。
 アーシアの顔は蒼白だ。アナスタシアへの心配と、黒竜の存在への恐怖。それはアーシアが一番感じている事だろう。レオアリスにしても、心臓の鼓動は高まっている。
 レオアリスは一度背後を振り返った。宿営地は遠く、まだ二人を追ってくる気配は近くには無い。
 実際には二人が宿営地を後にしてから半刻足らずで、法術士団が到着していた。今はワッツ達が地底への入口が見つかり次第、彼等を追って発とうとしているところだ。法術によって時もかからず、この入口を捜し出すだろう。
 ただ二人には状況は全く判らず、どのくらい猶予があるのかは全く判らなかった。
「カイ、暫くここに居て、軍が来たら教えてくれ」
 そう言うと、カイを扉の柱に残して、レオアリスは暗い坑道に足を踏み入れた。アーシアもその後に続いて扉を潜る。
 身を包む強い闇の――黒竜の気配に、アーシアは一度身を震わせた。
(いる……)
 黒竜のあぎとがすぐ傍にあるような、息づく気配だ。
 ほんの僅かな期待ではあるが、アーシアは黒竜があの崩壊で弊れたのではないかと考えもした。そうでなければ、弱っているのではないかと。
 だが今全身に感じる気配は、少しの衰えもない。それどころか今まで以上の怒りがひしひしと伝わってくる。
 ただ、その中に、アナスタシアの存在も確かに感じ取れた。
(アナスタシア様が、僕に気付いてくれればいいけど)
 アーシア達が彼女を捜している事を、伝えられれば。
 レオアリスはアーシアが足を止めた事に気付いて、坑道の入口を振り返った。
「アーシア? 大丈夫か?」
「……大丈夫です。行きましょう」
 アーシアは力強く頷いて、青い瞳を煌めかせた。
 レオアリスは一度アーシアの顔をじっと見つめた。アーシアの様子はあの脱け殻のような状態とは、もう全く違う。
 黒竜を恐れているはずの、その中にある強さに驚きすら覚えながら、レオアリスは顔を戻して再び歩き出した。
 数歩進むだけで、背後の入口から僅かに差し込む夜の光さえ失われ、坑道内は真の暗闇に満たされてしまう。レオアリスは間に合わせで作った、木の枝を括った松明に火を灯した。ゆらりと壁が揺れる。
「――あんまり役に立たないな」
「そうですね」
 二人は松明を心許無げに見つめた。声がつい心細そうな響きになるのは仕方が無い。松明の明かりは一間ほどの――大人二人が手を伸ばした距離ほどしか照らし出す事ができず、その先は深い闇が粘つくように凝っている。ただ、松明の炎が前後に揺らめき、少なくとも風が通っている事だけは分かった。
 二人はお互いに手を伸ばせば届く距離で進んでいた。それは図らずも、数日前にこの坑道を降りた二人――御前試合を目指していたタナトゥス達と同じような距離だ。松明の明かりが闇を払える、僅かな光の版図でもある。
 進むほどに、距離も、時間も定かではなくなる。それほどの闇と、何よりも、無音。
 一刻も早くアナスタシアを探し出したいと焦る二人の気持ちを、闇はその無言と無情で麻痺させようとするかのようだ。
 真の闇というものがこれほどに、言いようのない恐怖を感じさせるものだとは、レオアリスもアーシアもこれまで経験した事が無かった。闇そのものが何か恐ろしい巨大な存在で、自分達はその巨大な生物の喉の中を、胃袋に向かって歩いているように感じられる。
 黒竜と対峙しても、これほど得体の知れない恐怖は感じなかった気がする。
「あのさ」
 闇の喉を歩く感覚を振り払おうとレオアリスは口を開いた。声は囁くようで、レオアリスは一度口を噤んでから、もう一度意識して声を出した。
「アーシア。聞いていいか?」
「何をでしょう」
 二人の声が微かな残響を残して闇に消える。だがレオアリスが話を始めた事で、アーシアもほっとして前を歩く彼の背中を眺めた。話を始めても、二人の足が止まる様子はない。
「……聞きたい事自体は、一杯あるんだよな。でも取り合えず――お前は、飛竜なのか?」
 単刀直入な聞き方が面白くて、アーシアは口元だけで笑った。
「そうです」
「……飛竜って皆そうなのか? そうなのかってのは、人の姿を取れるのかって事だけど」
「僕もよく分かりません。でも、書物で見る限りでは、飛竜が僕と同じように人の姿を取るのは例が無いみたいです」
 その言い方が不思議だったのか首を巡らせたレオアリスへ、アーシアは苦笑を返した。
「僕は自分の一族というものを、よく知らないんです。殆んど記憶にありませんから、彼等が僕と同じだったのか、それも判りません」
 レオアリスは足を止め、束の間驚いた顔をしていたが、「じゃあ、俺と同じだな」と可笑しそうに笑って呟き、再び顔を戻して歩き出した。
「――びっくりしたからさ。いきなり目の前で飛竜がアーシアに変わるんだもんな。もしかして俺がここまで乗ってきたヤツも同じで、結構無理矢理連れて来させたから怒ったのかなーと」
「怒られたんですか? 飛竜に?」
「怒られたっつーか、カトゥシュに向いたがらなかったところを無理矢理来させて、最後は放り出された。それでも森の上に放り出してくれたからまだ良かったけど」
 アーシアは目を丸くして、今度は小さく声を立てて笑った。
「今思えば、多分黒竜が居たからだろうな」
「そうですね……」
 アーシアは今でも、身の芯から来る震えを感じている。少しずつ慣れてきているものの、黒竜の存在は絶え間なくアーシアの意識に触れてくる。
 自分がこれほど黒竜の存在を感じるのだ。他の飛竜達がそれを感じるのは当然だろう。よくカトゥシュまで飛んだものだと、アーシアはその飛竜に尊敬の念を抱いた。そう言うとレオアリスも改めて頷く。それから、アーシアは先程から気になっていた事を尋ねた。
「同じって、どういう事ですか?」
「――」
「すみません、無理に聞くつもりは」
 途端にアーシアが恐縮した為に、レオアリスは慌てて手を振った。松明の光が併せてゆらゆらと揺れ、二人の影を伸び縮みさせる。
「そうじゃない。俺も、自分だけなのか、俺の一族っていうのもそうだったのか、良く判ってないから、まあそこが同じっていうか」
「一族というのも?」
 レオアリスの言い方は一族という存在すら曖昧なもののようで、アーシアは思わず聞き返した。
「俺はじいちゃん達に育てられたけど、種族は全然違う。じいちゃん達は半鳥族なんだ。てことは、やっぱり他に同じ種族がいるはずだろ?」
 一度言葉を区切り、レオアリスは話の方向を変えた。
「アナスタシアは、俺の事を剣士なんじゃないかって言っただろう。覚えてるか?」
「覚えてます。まだ……今日の昼の事です」
 あの時のアナスタシアの口振りまで、はっきりと思い出せる。自分の発見に喜んでいる、どこか得意そうな響き。
 何でそう思ったのか、もっと真剣に聞いておけば良かったと思う。
「うん。……その後他のヤツからも、同じ事を言われた」
「剣士――?」
「そう。というか、そうだと断言された」
「やっぱりそうだったんですか?」
 変な会話だな、と呟いて、レオアリスは少しだけ笑った。
「判らない。今まで聞いた事も無かったし、第一どうやったら剣が出てくるのかだって、さっぱり判らないからな。普通困るだろ、そんな事いきなり言われたって」
 どうやらレオアリスが話し続けているのは、自分の考えを纏めたいからのようだと、アーシアはその後姿を見つめた。
 ただ、彼はそれほど、自分が剣士である事を否定しても嫌がってもいないように、アーシアには思える。もう既に受け入れているが、単にそこからどうすればいいか判らず戸惑っている、そんな感じだ。
「腕が剣ってなぁ……どう思う?」
「どうって……」
「腕が剣になったら、飯とか風呂とかどうするんだろうな?」
「それは……そういう問題なんですか?」
「――まあ、違う」
 適当に喋り過ぎた事が少し恥ずかしくなって、レオアリスは短い髪をくしゃくしゃと交ぜた。僅かな沈黙の後、アーシアは躊躇いがちに口を開いた。特に尤もらしい事が言える訳ではなかったが、感じている事をそのまま伝えたいと思ったのだ。
「剣士って、僕からすればやっぱり少し怖いですけど、でも僕は、もしレオアリスさんがそうだったら、嬉しいです」
「嬉しい?」
 意外な言葉に、レオアリスは瞳を見開いて振り返った。
「自分勝手な意見ですけど。でも、今、すごく希望が湧きました。風竜を斃したのは剣士でしょう? だからもし貴方が剣士なら、絶対、僕達はアナスタシア様を助けられるって。――怒ってくださっていいです、すみません」
 アーシアは真剣な色を浮かべて頭を下げる。一方でレオアリスにしてみると、真剣に謝られても、怒りを感じるというより戸惑う気持ちの方が強い。
「でも俺、剣なんて使えないぜ」
 だから役には立たないだろうというと、アーシアは首を振った。
「いいんです。これは僕の自分勝手な期待ですし、そんなものの為に貴方が黒竜と戦う必要なんてありません。ただ……多分そう思うだけで、希望が湧くんです」
「希望?」
「希望です」
 アーシアは力強く頷いた。レオアリスはどう返すべきか判らないまま、ただ黙って足を進めた。
 剣士だから黒竜と戦って斃せるなどと言われても、実際に黒竜を見てしまった後では真実味などないし、それで希望と言われると面映い。
 ただ、単に誰かの希望になるのなら、それはそれで――それだけでも意味はあるのかもしれない。
 暫く二人はそれぞれの想いに沈んだまま、道を急いだ。道は長く緩やかに下へと下っていく。実際に見える訳ではないが、地底へと深く降りているのがじわじわと感じられた。
 会話が途絶えると、再び闇は重苦しく道に横たわり始める。ただ闇の色は、アーシアが口にした希望に、少し弱められたようだ。
 ふと明かりの輪の先に二つの闇が揺れ、レオアリスは足を止めた。左右に道が分かれている。右は下へと下り、左の道は同じように下っているが、すぐ先で更に左へ折れ曲がっている。
「分かれ道だ――。どっちか判るか?」
「――こっちです」
 覗き込んでも先など殆んど見えない筈なのに、アーシアは少しも迷う事無く左側の道を選んだ。代わり映えのしない狭くて緩い下り坂を、今度はアーシアが先に立って進んでいく。
 アーシアは明快だ。それは真っ直ぐ、目の前の目的だけを見ているからだろうか。
(そうかもしれない)
 可笑しな言い方だが、レオアリスは今では、自分が剣士であってもいいと思う。いや、剣士であれば、もっと何かできる事は増えるだろう。それならその力が欲しい。
 自分にできる事があるのなら、それが欲しい。
 身体の奥で鼓動が揺れた。
 瞳の奥に夢で見たあの青白く光る剣が浮かぶ。
 まるで近寄るだけで、空気ごと切り裂かれそうな、研ぎ澄まされた刃。
 あの光は、希望に見えるだろうか。
 手に入れたら、アーシアの希望は、叶えられるだろうか。
 アナスタシアを助け出して、お前の考えは正しかったと、そう告げる事ができるだろうか。
 黙々と歩く内に余計な事は頭から流れ出していく。
 レオアリスは自然と、あの剣が実在し、それを手に取る事を考えていた。
 どうやったら得られるのか、その事を。
 北の故郷を出て果てしない街道をただひたすら歩いていた時、王都への想いだけがそこにあったように、今心の中にあるのは、あの剣の事だった。
 レオアリスの身の裡で、ゆっくりと青白い光が明滅したが、それを見る事はまだできなかった。
 幾つかの分かれ道を、アーシアの導きのままに足早に進んでいく。そろそろ松明が燃え尽きそうになり、レオアリスはアーシアに声を掛けて立ち止まった。
「火を移す、ちょっとこれ持ってくれ」
 差し出された新しい松明を受け取り、火を移そうとした時、ふとアーシアが顔を上げ、辺りを見回した。
「レオアリスさん……」
 アーシアの声が緊張を含んでいて、レオアリスは手を止めて彼の顔を見つめた。アーシアの額には汗の粒が浮かんでいる。
「どうした?」
 アーシアが答える前に、前方で物音がした。何かを引き摺るような、重い音だ。
「!」
 二人は咄嗟に身構え、じっと闇に目を凝らした。
 がしゅ。
 前に凝った闇が囁いた。





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