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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第十章「闇をく者としるべの光」 (六)


 暗い坑道の中で松明が頼りなく揺れた。
 何か重いものを叩くような、引き摺るような音だった。
 音は闇の中を、次第にレオアリスとアーシアのいる方へと近づいてくる。
 砂袋のような重い何かが壁に当たる音。足元からずしんと、腹に響く振動が伝わる。
 二人は緊張した顔を見合わせ、じり、と後退った。だが引き返すという選択肢は二人の中には無い。アナスタシアがいるのはこの道の先なのだ。
 道の先に目を凝らしても、黒々とした闇に覆われていて見通す事ができない。
 レオアリスは新しい松明に火を移し、消えかけていた松明を闇に向けて放り投げた。松明はくるくると回りながら狭い坑道を束の間照らし出し、数間先に落ちた。
 ――何もいない。
 炎が照らし出した一直線の坑道には、音の主は見つからなかった。
 だが音は確実に、視線の先で頼りなく燃える炎を嘲笑うかのように、絶え間なく坑道を震わせながら二人へと近づいてくる。
「どこかに、脇道があるんだ」
 松明の炎でははっきりとは判らなかったが、音はもう、松明との中間辺りから響いて来ている。
 レオアリスは視線を走らせた。道幅は狭い。黒竜では無いはずだ。ただ、この闇にどんなものが潜んでいても、何の不思議もない。
 レオアリスは腰に帯びていた剣を抜き、アーシアの前に出た。松明の炎に細い刀身が光を弾く。それは微かに青白い光を纏っているように見えたが、レオアリスもアーシアもその事には気付かなかった。
「何が来る?」
「多分、」
 アーシアが口を開きかけた時、がしゅ、と再び闇が囁いた。
 二つの光が浮かぶ。殆んど目の前だ。
 手にした松明の光の輪に触れるか触れないかの所に、長い首が突き出していた。まるで壁から生えているように見える。
 連なる鎧の如き鱗の中で、二つの光――両眼が銀貨のように光を弾いた。
「レオアリスさん!」
 はっと身構えた瞬間、不意に空気を切る鋭い音とともに、足元に太い尾が打ち付けられた。尾はぎりぎりレオアリスの脚を逸れ、地面を砕く。レオアリスはよろめいて壁に手を付きながら、坑道を塞ぐように現れた姿を見つめた。
「竜……!」
 だが黒竜ではない。それは黒竜よりずっと小さい、レオアリス達よりふた周りほど大きい程度の、緑の鱗を持った竜だった。カトゥシュ森林に――この坑道に古くから棲む竜だ。
 黒竜ではない事にほっとしたものの、すぐにそれは間違いだと気付く。どんな竜であれ、レオアリス達にとっては脅威に違いはない。
 爛々と瞳を燃え上がらせ、竜は再び尾を引いた。
「逃げて!」
 咄嗟にアーシアが投げた荷物が竜の眼の間に当たり、がぁんと岩に響く硬い金属音を立てる。竜は驚いたのか尾を巻いて、一瞬だけ怯んだ様子を見せた。
 レオアリスは走る代わりに右手を上げ、空中に法陣を描き出す。鋭く術式を唱えると、風が渦巻き、光る法陣から弾かれて暗い坑道を疾った。
 無数の風の刃を受け、竜が身を捩る。風の刃は鱗に弾かれるように散ったが、竜は脇道に退いた。
 重い足音が遠退き――、消えた。
 しん、と静寂が戻る。
 だがそれは安堵をもたらすものではなく、どこから来るのか判らないあぎとに怯える静けさだ。
「レオアリスさん、今の内に抜けましょう!」
 アーシアはレオアリスの背を押して、坑道を走り出した。竜が姿を現した脇道の前を駆け抜ける。
 通り過ぎる瞬間にちらりと覗いた脇道は、墨のような闇に埋まっていた。
 坑道にレオアリス達の足音だけが響く。
「お前、荷物、何入ってたんだ?」
 あんな音が響くようなものが何があるだろうかと、レオアリスは走りながらアーシアを振り返った。
「鍋が役に立ったみたいですね、持ってきて良かった!」
「鍋……?」
「でも、もうアナスタシア様に、ご飯を作って差しあげられません」
 瞳を見交わし、思わず噴き出した二人の背後で、どさりと大きな音が響いた。上から物を落としたような音だ。
「まずいぜ」
 周囲に眼を向けたレオアリスの顔が厳しさを増す。坑道の両脇、そして頭上には、いくつもの脇道や縦穴が黒々と口を開けていた。アーシアの頬からも笑みは失せ、緊張に張り詰めている。
「気配が……複数ありますっ」
 枝分かれした道は、どこに竜が潜んでいるのか判らない。アーシアが竜を感知する、その感覚だけが頼りだ。
「追いかけて……集まって来ます!」
 今走り抜けてきた闇からは、竜が立てる重い音が響き始めている。
「とにかく、走るしかない!」
 彼等の後を追って足音が迫る。振り返ると再び、竜が姿を現わし、四つん這いになって坑道を進んでくるのが見えた。
「来た――」
 走りながら首を巡らせていたレオアリスの瞳が、大きく見開かれた。脇道から、両眼を燃やした竜が次々這い出してくる。
「……マジかよ、何匹いるんだ?!」
 見えただけで四頭の竜が二人の後を追ってきていた。竜の足は早く、距離はみるみる縮まっていく。
 ただ坑道の狭さが竜達の動きを制限し、レオアリス達に有利な状況を作ってくれていた。彼らは一頭ずつしか道を通れず、少なくとも一斉に襲い掛かられる心配だけは無い。
(それなら――)
 先頭の竜が動きを止め、顎を開いた。小さな光が集まってゆくのが、暗い坑道にはっきりと見える。竜の息だ。ひゅうひゅうと細い音を立て、風が吹き始める。
「レオアリスさん! 竜が息を吐きます! 風です!」
「くそっ」
 両脇を見ても、こんな時に限って脇道が無い。ここで吐かれたら、どこにも逃げ場が無かった。
 どくりとレオアリスの身体の内側で鼓動が響く。鳩尾の辺りが熱を帯び、意識の奥底から、呼び掛けるものがある。
 ただ、それはひどく近いようで、まるっきり別の空間にあるような感覚だった。まだそれを、レオアリスは掴む事ができない。
「レオアリスさん!」
「お前は先に行け!」
 身の裡の鼓動を追っている時間は無い。狼狽えて立ち止まろうとしたアーシアを押しやり、レオアリスは術式を唱え、宙に雷撃の法陣を描いた。
(風なら――)
 法陣が完成する寸前で竜の息が迸った。目の前に渦巻く風が迫る。
 レオアリスは風を見据えたまま、構わず指先を振り切った。
 法陣から閃光が膨れ、竜の放った風と正面からぶつかる。
 轟音が坑道内に響いた。雷撃と風が砕け、狭い坑道内で嵐のように吹き荒れる。壁や天井が削られ、荒れ狂う風に舞い散る。
 相剋という、術に良く見られる現象だ。同系統の風と雷が互いに互いの力を削ごうと鬩ぎ合い、散った。
 竜は渦巻いた風と雷に弾かれ、長い首を反り返らせて倒れ込み、追ってくる仲間の竜達の道を塞いだ。
 レオアリスもまた、二つの衝撃に吹き飛ばされ、数間先に叩き付けられる。
「っ」
 意識の飛びそうになる頭を振り、跳ね起きて、すぐにレオアリスはもう一度法陣を描いた。
 次に迸った雷光は竜ではなく、坑道の天井を撃った。先程の衝撃でもろくなった天井の岩壁に亀裂が入り、腹を上にしてもがく竜の上にばらばらと欠片が落ちる。だがレオアリスの狙い――天井を崩すまでに至っていない。
(弱いっ、くそ!)
「レオアリスさん! こっちに……!」
 アーシアは切迫した声でレオアリスを呼んだが、レオアリスは立ち止まったまま、再び術式を唱えた。竜はもがきながら起き上がり、獲物を脅かすように吼えた。耳をつん裂く咆哮が坑道を震わせる。
 法陣が組み上がり、闇に光る。
「崩せ!」
 三度目の雷光が奔り、一直線に天井を撃ち砕く。三度の衝撃を受けた岩盤は、耐え切れず轟音を響かせて崩れた。
 牙を剥きレオアリスを噛み砕こうと迫った顎が、飛び退いたレオアリスの足を掠めて、ばくんと空気を噛む。掠めた牙が肉を裂く感覚があった。
「っ」
 二、三度地面を転がって再び跳ね起きた時、竜の頭上から崩れた岩が降りかかり、竜を押し潰した。次々と降り注ぐ岩に土煙が上がり、視界を覆う。
 坑道に跳ね返り響いていた音と土煙が収まった時には、岩は完全に道を塞ぎ、竜の姿を覆い隠していた。
「――」
 束の間息を殺したまま崩れ落ちた道を見つめ、レオアリスは痛む足を僅かに引き摺りながら、駆け戻ってくるアーシアへ近寄り、どことなく反省の色の交じった笑みを浮かべた。
「悪い、退路を断っちまった。て言っても、どっちにしろもう退けないけどな」
 崩れた岩の向こうからは、落石を逃れた竜達のくぐもった咆哮が聞こえてくる。アーシアはまだ青ざめたまま首を振った。
「そんな事よりレオアリスさん、足が」
「ああ」
 竜の牙が掠めた左足のふくらはぎから血が滴り落ち、服と靴を真っ赤に染めていた。布地が裂けて両側にふた筋の裂傷が走っている。レオアリスは少し眉をしかめたが、足を動かしてみて頷いた。
「これくらいなら大丈夫だ」
「このくらいって……駄目です、手当を」
 アーシアは傷を良く見ようとしゃがみこみ、驚いた様子で青い瞳を見開いた。服を染めた血の量と比べて傷は浅く、既に血も止まりかけている。幸いにも皮膚を掠めただけのようだ。
「見た目だけ派手なんだ。あんまり痛みもないし」
 上着の裾を剣で切り素早く足に巻き付けると、一度地面を蹴り走れる事を確かめて、レオアリスは心配ないと言うようにアーシアの背中をぽんと叩いた。それから、背後にちらりと眼を向ける。
 竜の咆哮はまだ聞こえるが、その数は最初よりも少なくなっている。それが意味するところは一つだ。
 諦めた訳ではないだろう。
「急ごう、あれもそんなには保たないだろうし、脇道がまだあるかもしれない」
 二人は再び坑道を走り出したが、レオアリスが走りながらも自分の両手を見比べているのに気付き、アーシアは首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「いや……術が、弱い気がする」
「術が――?」
 返ってくる反応が弱いのだ。
 あの雷撃は、黒竜を斃せないまでも、地に伏させる程の衝撃を与えた。レオアリスの目論見では風の力を吸収し、威力を増すはずだった。それが今回は、あの竜の息に相殺されている。
(そういえば――)
 宿営地で眠りの法術を唱えた時も、術からの反応が弱く発動が遅かった。焦っているせいで術式が雑になっているのかもしれないとも思うが、再び竜が現れた場合を考えると不安が付き纏う。
 もしアナスタシアを見つける前に黒竜に出会ってしまったら、今の術の状態では目眩ましにもならないのではないか。
 今回は運よく坑道を崩せたが、何も手が無かったら――。レオアリス達はアナスタシアを助けられずに終わってしまう。
(何か、他の手――剣)
 手にした抜き身のままの剣は、頼りなく細い。この剣ではなく、もっと――
 どくりと、身体の裡で鼓動が響く。
 レオアリスは手にしていた剣を鞘に収め、その手をじっと見つめた。
 もう少しで何か判りそうな……掴めそうな感じと、それができないもどかしさがレオアリスの中で鬩ぎ合っている。
(どうすればいいんだ?)
 不意に羽音が響き、二人はぎょっとしてつんのめるように立ち止まった。だがすぐにその羽音が竜のものではなく、もっとずっと軽やかな聞き覚えのあるものだと気付く。辺りを見回したレオアリスの肩に、黒い鳥が降りた。
「カイ!」
 カイが高い声を上げ、レオアリスに軍が坑道へ到着した事を報せた。
「軍が? くそ、早すぎる」
「どうしましょう」
 できるならアナスタシアを助け出し、地上に出るまで彼等の到着を遅らせたかったが、もうこれ以上レオアリスにも打つ手が無い。
(手っていうのも変か)
 もともとレオアリス達は、軍からすれば随分厄介で勝手な行動を取っていると見られているだろうし、本来軍の到着は今の状況にとっては、逆に有り難い話には違いない。
 足手纏いになるのは嫌だが、何もしないでただ待つのはもっと嫌だと、たったそれだけの意地の話だ。
「……もう仕方ない。せめて一刻でも早くアナスタシアを捜そう。カイ、お前が来たのは丁度いい、捜してくれ。昼間一緒に水を捜しに行った奴だ。覚えてるな?」
 レオアリスはカイの金色の瞳を覗き込んだ。伝令使は遠距離を一瞬にして飛べるが、まったく情報の無い場所へ行ける訳ではない。カイが行ける場所は、レオアリスの明確な指示があるか、もしくはカイ自身が何がしかの情報を持っている者か場所だ。
「炎の気配を捜すんだ。この闇で、目が覚めてれば絶対火を灯す」
 この状況下でどれほどアナスタシアを捜し出せる可能性があるのか、レオアリス自身にも判らなかったが、カイは了承を表して高く鳴くとレオアリスの肩から舞い上がった。
「カイ、アナスタシアを見つけたら、戻る前に伝えてくれ」
 カイはレオアリスの言葉を待って、ゆっくり翼をはばたかせている。
「アナスタシア――」
 レオアリスは少しの間、何と言うべきか想いを巡らせた。
 おそらく暗い闇の中でたった独りでいる、彼女に、少しでも安心させられる言葉を。
 アーシアはじっと、希望を託すようにカイを見つめている。
「……アーシアか俺か、必ず行くから――そこでじっとしてろ」
 金色の瞳をぱちりと瞬かせ、カイの姿は闇に溶けるように消えた。アーシアはカイの姿が消えた闇に祈るような眼差しを注ぎ、それからレオアリスに視線を戻した。
「僕達は――」
「このまま進む。この先にいるのが確実なら、待ってるより少しでも進んだ方がいいしな。でも本当はどっちが先とかじゃ無くて、軍が先にアナスタシアを助けたら、それはそれでいいんだし」
 アーシアは頷き、一度レオアリスの顔を見つめてから、再び坑道を早足で歩き始めた。
「……すごいですね」
「何が?」
「すぐ答えが出てくるのが――僕は慌ててばっかりです」
 レオアリスの見せる判断力に、アーシアは驚きを覚えていた。竜達に追われている時も混乱する事無く、術で坑道を崩して見せた。今のように何かを決めるのも、あまり迷う様子を見せない。
 森で出逢った時から、レオアリスは年齢の割りにとてもしっかりしていて、アナスタシアやアーシアを感心させ、その事にアナスタシアは拗ねたりもしたが、今はそれがより際立っているように感じられた。
「今はやれる事があんまりないし――やれる事が逃げるか戦うかの二つに一つなら、誰だってどっちかを選べる。……それにお前だって、鍋投げたじゃねぇか」
「あれは、本当に咄嗟です。鍋が入ってたのも忘れてましたし」
 レオアリスは可笑しそうに短く笑った。アーシアが一番驚きを感じているのはこういうところだ。この状況下でレオアリスは緊張こそすれ、恐怖を感じている様子が無い。
「――怖くはないんですか?」
「怖い?」
 そう尋ねられ、レオアリスは首を傾げて暫く考え込んだ。
「――確かに、あんまり怖くはないかもな。まぁ慣れてきたのかもしれないし、どっちかって言うと……」
「? どっちかっていうと?」
「いや、何でもない」
 問い返したアーシアに対して、レオアリスは首を振った。
 アーシアはそう言うが、レオアリス自身は焦ってもいるし、緊張もしている。まだ先は殆んど見えていない上に、竜の脅威から完全に逃れた訳でもなく、いつ襲い掛かってくるか判らない狭い坑道の中にいる。そして確実に――、行く先には、黒竜がいる。
 客観的に冷静に考えれば、これほど危険で無謀な状況はないだろう。まさに死と隣り合わせの道を、言ってしまえば自ら死に向かって歩いているようなものだ。
 それなのに、自分の中に高揚感があるのが判る。
 そう口にするのは不謹慎な気がして、レオアリスはその感情を飲み込んだ。
「すごいなぁ、貴方は」
 アーシアの純粋な呟きにほんの少し、後ろめたさを覚える。
「すごいって……怖くないのは単なる慣れとか、物を知らないだけってのはあるだろ。怖いのにアーシアは足を止めない。そっちの方が俺にはすごい」
 アーシアの顔は今でも青ざめているし、時折震えている。それが松明の揺れる不安定な明かりのせいだけではないのは、レオアリスにも判っていた。それでも一切口には出さず、一度も引き返そうとは言わない。アナスタシアが生きていると判ってからは、取り乱す事もない。
 レオアリスにはひどく感心させられる事であると同時に、何となく、出会ってからの二人の様子を見ていて、その理由が納得できる気がしていた。
 それだけの強い絆が、二人の間にはあるのだ。
「僕は――」
「アナスタシアは絶対に生きてて、絶対に自分が助け出すんだって、そう思ってる。だろ? だから俺は多分、それにすごく影響されて走ってる気がする」
 アーシアの強い意志がなければ、坑道の闇を見た時か、それとも複雑に分かれている道を見た時か、竜が現れた時か――、アナスタシアを助ける事を諦めはしないにしても、レオアリスは別の方法を探ろうとしたかもしれない。
「信頼って言うか……信頼以上か。ちょっと羨ましい」
「……僕は、食物を食べないって言ったでしょう?」
 唐突なアーシアの言葉に、レオアリスは聞き返す事無く頷いた。それが、アナスタシアが生きていると二人が、アーシアが強く確信している理由だ。確信しているから、確証がなくてもこの道を下っている。
「生まれつき、食物を摂取できないって。誰かに力を与えてもらわなくちゃ、生きていけません。だから本当は、もうとっくに死んでいたはずなんです」
 初めてアナスタシアと出逢った時、アーシアは誰にも顧みられずに、死に瀕していた。
 あれは駄目だと諦める同族の声が、今でも耳に残っている。自力で食物を摂取できない者を救う術など彼等も持たなかっただろうし、アーシア自身もそれを仕方の無い事だと諦めていた。
 ただ――それでも、生きたかった。
 諦めながら、心の奥底では生きたがっていた事に、アナスタシアに気付かされたのだ。
 差し伸べられたのは、暖かい、小さな手。幼い声。
 『お前、何で泣いてるの?』
 息が絶えようとしていた時に、アーシアは自分でも気付かないまま、ずっと泣いていた。
 アナスタシアの手から注ぎ込まれた温もりが、アーシアの身体をその時からずっと、そして今、こんな状況でもなお、暖め続けてくれている。
「アナスタシア様は、僕にあの方自信の命を、分け与えてくださっているんです。けど、アナスタシア様が僕にくださったのは、それだけじゃありません」
 『アーシアって呼ぼう。お前にあげる。もうアーシアはおねえさんになるから』
 幼い自分の呼び名をくれた、アナスタシアの深紅の瞳とそこに温かく宿る炎を、アーシアは今でもはっきりと思い出せる。
「十年間ずっと、あの方は僕に暖かい居場所をくださった。ずっと、温もりを与え続けてくれました。だから今の僕があります」
 多分まだ言葉足らずだろうアーシアの話を、レオアリスは否定の色も見せずにじっと聞いていた。
「だから僕は、あの方の為に生きるんです。それが僕の唯一の望みです」
 アーシアの声は誇りと喜びに満ちている。その誇りがこの闇を照らすようだ。
「こうなった今でさえ、アナスタシア様は僕に力を与えてくれています。――絶対に、お助けします」
 その誓いに似た響きに押されるように、レオアリスは無言のまま頷き返した。
 遠くで何かの崩れるくぐもった音が響いた。炎が吹き抜ける風に煽られて揺れる。
「来たぜ」
 おそらく、道を塞いでいた岩が崩されたのだ。咆哮が岩壁に反響しながら、二人の場所まで届く。
「――どっちかが必ず、アナスタシアの居る場所まで辿り着くんだ。もし俺が遅れても、お前はとにかく先へ進む事を考える。それでいいな」
「貴方も、そうしてください」
 二人は同時に頷き、それから身を翻して坑道を走り出した。咆哮は反響を繰り返し、次第に大きくなってくる。
 走りながらアーシアは、すぐ後ろのレオアリスと、それからこの坑道の先にいるはずのアナスタシアの事を考えていた。
 今この場の暗い坑道を抜け出す事でも、竜のあぎとから逃れる事でもなく、これから先にある未来の事を。
(きっとこの人は、アナスタシア様の持ってる色んな枠に捉われずに、あの方の傍にいてくれる)
 アナスタシアが誰なのか、知らなかった時も知った今も、レオアリスの態度は全く変わっていない。
 『嘘つきだって』
 たった一人でもそういう相手がいれば、アナスタシアがあの時のような傷ついた瞳をする事もなくなるだろう。
(王都に――)
 アナスタシアが帰るべき王都へ、レオアリスにも行ってもらいたいと、アーシアは強く思った。
 この光の少ない道を抜けるには自分は何をすべきか、アーシアは走りながらずっと考えていた。





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