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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第十章「闇をく者としるべの光」 (八)


 カイは闇を疾駆し、レオアリスの許へ戻った。
 青白い丸い光。それがカイが見ているもう一つのレオアリスの姿だ。
 以前は微かで不安定な光だったが、今、その光は闇の中でまばゆく輝きを増している。
 辺境の村からカトウシュ森林まで、微かな光を追うのは幼いカイには少しくたびれたが、今は苦もなくそれを目指す事ができた。
 主の許へ戻った喜びに一声鳴いて、カイはレオアリスの肩に降り立った。
「カイ!」
 レオアリスは足を止め、翼を休めた小さな身体を撫でてやる。指先から伝わるカイの言葉に、近寄ったアーシアへ瞳を輝かせた。
「見つけたぜ!」
「本当ですか!? どこに――アナスタシア様はご無事で……お怪我は?! 意識はあるんですか?!」
 矢継ぎ早のアーシアの質問に、レオアリスはとにかく安心させようと、カイに確認しながら一つ一つ答える。
 アナスタシアに怪我が無い事、意識がある事を聞いて、アーシアは張り詰めていた頬を緩めた。
「良かった……」
 ほっとして力が抜けたのか、アーシアはふらふらと壁に寄りかかった。実際、殆んど休む事無く進んできて、体力の限界も近い。
「良かったな」
 レオアリスの言葉にこくりと頷く。上げた青い瞳は涙交じりだ。
 それを眺め、レオアリスは僅かに躊躇ってから、アナスタシアのいるもう一つの状況を口にした。
「けど、救け出すには少しだけ困難な場所にいるみたいだ」
「困難……?」
「はっきりは判らないけど……土の中の、空間らしい」
「――土の、中」
 それが土砂に飲まれたせいだと、アーシアにも容易く想像が付いたようだ。再び顔が青ざめる。
「――」
「……とにかく行こうぜ。先ずはそこまで行って顔を見せてやらないと。お前の顔を見たら安心するだろ」
「……は、はい」
 アーシアは震える唇で何度も頷いた。
「ここまで何とかなったんだ。絶対に救けられる」
 ぽんとアーシアの肩を叩き、一度背後の闇に厳しい眼を向けてから、レオアリスはアーシアの背を押して再び坑道を進み始めた。
 最初の内だけ早足を保っていたものの、アーシアは抑えきれない想いに駆られて坑道を走り出した。レオアリスは彼を呼び止めようと手を延ばしかけたが、思い直してそれを降ろす。
 今のアーシアに体力を削るなとか、この先の道の危険性などを言っても無理な話だ。
「カイ。アーシアに付け。いざって時はまずアーシアをアナスタシアの所に連れて行くんだ」
 肩のカイに告げ、カイがアーシアを追うのを確認してから、レオアリスはもう一度背後の闇に視線を投げた。
 ずっと、二人を追う重い足音がある。竜だ。
 足音は付かず離れず、確実に二人の後を追って来ていた。
 距離はまだ遠いようだが、立ち止まれば足音も止まり、進めばまた動き出す。追い縋るのは容易いはずなのに、決して近付いて来ようとはしなかった。
 それはわざと一定の距離を保っているようにも思えた。
 どうにか引き離したくても、先程からずっと一本道なのだ。深く深く、ただ下っている。
「――」
(わざと……俺達を追い込んでるなら)
 この先にいるのは。
 アナスタシアを救出した上で、竜達に追い付かれる前に抜け出すのはおそらく難しいだろう。
 もう一度道を塞ごうかとも思ったが、それでは帰り道を失う可能性が高い。
(とにかく、アナスタシアの所まで辿り着くのが先だ)
 アーシアに告げた言葉をもう一度呟いて、レオアリスも道を急いだ。
 アーシアは一心不乱に駆けて行く。ただ、気持ちは一刻も早くアナスタシアの許に辿り着きたくても、身体には大分疲れが蓄まっていて、走りながらよろめき、膝に手を当てて屈み込んだ。
 カイがばさりと羽をはばたかせてレオアリスを呼ぶ。
「大丈夫か?」
 追い付いて覗き込むように声をかけると、苦しそうに肩を揺らしながらも、アーシアは唇を噛み締めて首を振った。足が震えているのに、それでも走ろうとする。
「大丈夫、です。行きましょう」
「休んだ方がいい。まだ追い付かれるには余裕があるし、いざって時に走れなかったら何にもならない」
「でも」
 足を止めたくない気持ちはレオアリスにもよく判ってはいた。こうしている間にも、アナスタシアがどんな状況に陥っているか判らないのだ。
 だが無理をして自滅しては何にもならないからと、レオアリスはきっぱり首を振った。
「お前の主人はそんなに柔じゃないだろ」
「――」
「とにかく、休まないにしても走るんじゃなくてせめて歩こうぜ。さすがに俺も、お前がここで倒れたら担いでやれないし」
 レオアリスの言葉にアーシアははっと顔を上げた。申し訳なさそうに足元に視線を落とす。視線の先には、もう乾いているが怪我を負っているレオアリスの足がある。
「……すみません。足は」
「足? ああ、これは平気だ。もう痛みもない。問題は体力だよ。お前ふらふらだぜ」
「すみません」
 アーシアは頭を深く下げ、深呼吸をして歩き出した。歩くと余計に、背後の足音は大きく響く。
「貴方も疲れてるのに、すみません」
 何度も謝るアーシアへ、レオアリスは困った顔で苦笑を洩らした。
「まあ俺は、まだ行けるかな。慣れてんだ、歩くのは。食料の買い出しに隣の街まで歩いて一日かかったし、周りは森しか無いからどこへ行くのもひたすら歩く。森を抜けて街道に出るのも半日がかりでさ」
 俺の故郷な、と付け加え、懐かしそうに近寄ったカイの羽を撫ぜる。
「――そういう場所は、僕も好きです。アナスタシア様も」
 レオアリスは嬉しそうに笑った。
「そうか? じゃあいつか案内するよ。まぁ案内するったって何にもないけど」
「本当ですか?」
 アーシアが思いの外嬉しそうな顔をしたので、レオアリスは故郷の森しかない情景を思い浮かべ、逆に気まずそうに眉を寄せた。
「あんまり期待持たれても――」
 ふいに、唸るような音が聞こえた。長く、尾を引くような、震える低い唸りだ。
 ぎょっとして、二人は闇の先を見つめた。
 強い風が前方から吹いてきて、二人の短い髪を煽る。再び闇は唸った。
 獣の咆哮か、威嚇する時の唸り声に似ている。背筋がぞくりと粟立つようなその唸りは、尾を引き、耳を騙そうとするようにくぐもりながら壁に谺して、消えた。
 しん、と不気味な静寂が戻る。
「――まさか、黒竜か?」
「いえ……黒竜のいる場所は確かに近いですけど――そんな感じはしません」
 アーシアも良く判らないといった顔で眉を潜めている。二人は瞳を見合わせ、松明を前にかざすと、口をつぐんだままゆっくり進んだ。
 唸るような音は進むに従って、次第に幾つも重なるようにぼうぼうと鳴り響き、消え残った音が坑道に反響を始める。
 それほどの距離もなく、二人は坑道を抜けた。
 目の前に広がったのは、ぽっかりと口を開けた広い空間だ。
「ここは――」
 踏み込んだ途端、角笛のような太い音が唸りを上げた。
「うわっ」
 レオアリスは全身に叩きつけた突風に煽られ、たたらを踏んで壁にぶつかり、そのまま寄りかかった。
 驚いて近寄ろうとしたアーシアの前で、松明が大きく揺れ、消えた。
 炎の残像だけを目の奥に残し、真っ暗な闇が辺りを支配する。
 唸る音。四方から渦巻くように強い風が吹き付けてくる。風が渦巻く度に、空間全体が震えるように唸りを上げていた。
「この音――風だ」
 見えない空間を見上げ、レオアリスは呟いた。広い空間に風が吹き込んで渦を巻き、唸るような音を立てているのだ。複数の音が重なっているという事は、入り口が複数あるという事だ。もしかしたら、地上が近いのかもしれなかった。
「松明を……」
 消えてしまった松明に、改めて火を灯そうとした時、風の音に紛れて、頭上で奇妙な音がした。
 かりり、きし。
 何かを擦るような音だ。すぐに新たな風に掻き消されたが、風が弱まった隙間を縫って、音は再び聞こえてくる。
 かり、かりり。
「レオアリスさん、火を……!」
 アーシアの声は震えている。
 かりり、ぎし。
 レオアリスの反応が返らない事に、アーシアはぎくりとして声を強めた。
「レオアリスさん?」
 微かに慣れてきた眼に、レオアリスが先程のまま、壁に寄りかかっているのが映る。
 レオアリスはずっと頭上を見上げていた。
 何かが光った気がしたのだ。
「レオアリスさん!」
「あ、ああ」
 顔を戻したレオアリスは一瞬アーシアの位置を見失って頭を振り、それから松明に火を灯した。風のせいで上手く点かず、じりじりとした焦燥が募る。
「くそ、点けって」
 早く火を灯さなくては。
 早く火を灯してこの闇を払いたい。
 かり……かりり。
 やがてぱちぱちと音を立て、漸く炎が燃え上がり、レオアリスはそれを頭上に高く掲げた。吹き付けた風に、炎が大きく瞬いた。
 がり。
「――な……」
 大きく風に煽られた炎が、一瞬だけ空間全体を照らし出す。
 二人は頭上を見上げたまま、そのあまりの光景に息を飲んだ。
 網膜に焼き付くように浮かび上がった、高くそそり立つ岩の壁、幾つも刻まれた風の入口。
 そして、その壁に逆様に張りつき、長い首をもたげて二人を睨む――、竜の姿。
 がり。
 壁を掴んだ竜の爪が、岩を締め付ける音。
 その数は、十体を超える。
 竜の巣だ。
 風が渦巻き、太い唸りを上げる。
 レオアリスは知らず、この場所が本来は風竜の版図であった事を思い出していた。
 ああ、だから風が強いのだ、と。
 風が渦巻く、竜達の棲み処。
 竜の両眼がぎらぎらと光を弾き、愚かにも自ら飛び込んで来た獲物を睨んだ。





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