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王の剣士<番外>


 ターニャの家は商家の立ち並ぶ王都第二層の外れ辺りにあった。表通りには野菜や肉類、生活用品など手ごろな価格の商店が軒を連ねている。
 すぐ傍を細い用水路が流れ、込みあっていながらどこか落ち着いた佇まいの区域だ。
 真っ昼間に軍服を着た男が二人、幼児を抱えて買い物客の間を歩くのは、想像以上に浮いた。
「ちょっと間違うと誘拐犯だと思われそうだよな」
 すれ違う買い物客達の視線が、物問いたげな様子で三人の上に注がれていく。突然振り向いても多分、目が合うに違いない。
「師団の軍服を着ていなければ確実に疑われるでしょうね」
「やっぱりお前がいて良かった。俺一人で手を引いてたら通報される」
「まさか。単に遊んでいると思われるだけですよ」
「――」
 その言葉の含みに顔をしかめた時、ふいに大きな声がかかった。
「タニアちゃん?!」
 通り添いの店から店仕舞いの準備をしていた四十絡みの女が、驚いた顔で走り寄ってくる。
 恰幅のいい女は二人を遮るように立ち、少女と二人とを見比べた。
「あんたら軍人さんかい? タニアちゃん何かあったの?」
「タニア?」
 尋ねかけて、それがターニャの本名なのだと気付く。
「まさか事件にでも巻き込まれたのかい」
 女は何か大事でもあったのかと青い顔で詰め寄った。当の本人はロットバルトに抱えられたまま、すっかり気持ちよさそうに眠っている。
「いや、この子――」
「遠出をして迷子になったようですね。我々が保護して、家へ送り届ける所です」
 さりげなくレオアリスを制して、ロットバルトが穏やかな口調で説明すると、女はそれで納得して漸く安堵の色を浮かべた。
 近衛師団の軍服と二人の外見――特にこの場合ロットバルトの――のお陰で、余計な疑いは抱かれなかったようだ。女はうっとりした眼でロットバルトを見つめ、大きく溜めていた息を吐いた。
「ああ良かった。助かったよ。ついさっきエル――この子のお兄ちゃんが慌てて飛び込んできてね、タニアちゃんがいないって言うもんだから、今店閉めてとにかく探しに行こうと思ってたとこなんだ」
「お兄さんは?」
「家の前に居ろって帰したよ。早く行ってあげてちょうだい」
 そう言うと、タニアよりも十倍は正確に少女の家までの道を教えてくれた。
 礼を言って女と別れ、しばらく通りを歩いて行くと、教えられた路地の表示はすぐに見つけられた。
 表通りから入り込んだ細い路地の左右に扉が並び、こちら側が表通りに店を構える住人達の、普段の通用口のようだ。
 小さな窓の横を抜ける時には、話し声も聞こえてくる。
「ああ、あそこですね」
 ロットバルトが示した先に、女が教えてくれた特徴の家があった。狭い路地の奥の、石段を五段ほど上がった小さな家で、緑に覆われた玄関が良く目立つ。
 その玄関の前に十歳位の少年の姿がある。
「タニア、あれ兄ちゃんだろ」
 声をかけて肩をそっと揺すると、タニアは寝ぼけ眼で顔を上げた。家の前に少年の姿を見つけて、ぱっと顔を輝かせて元気一杯に手を振る。
「エルー、ただいまー」
 うろうろと狭い玄関の前を行ったり来たりしていた少年はタニアの声を聞いた途端、まだ幼い顔に不安と怒りと、それから安堵をごちゃ混ぜにした。階段を駆け下り、あっという間にロットバルトの手からタニアを奪い取り、庇うように抱き抱える。
「誰だあんた等! タニア、お前朝からどこ行ってたんだ、このバカ!」
「ミーニャをさがすんだもん」
 タニアには兄が怒っている理由が判らないのだろう、あどけなくにこにこと笑っている。エルはタニアの言葉にさっと青ざめた。
「ミーニャって……まさか一人であそこに行ったんじゃ」
「ちがうのー。ターニャけんしさんをつれてきたの。けんしさんはミーニャをたすけてくれるのよ」
「――剣士……?」
 ぽかんとして、エルは妹と、ロットバルトと、それからレオアリスの顔を見つめた。タニアと同じ鳶色の瞳がみるみる見開かれる。
「……師団の軍服だ――すげぇ」
 まずは軍服に感嘆の溜息を洩らし、それからロットバルトとレオアリス、二人の胸にある紀章を見比べた。
「銀三本て中将……うわ、横三本に縦一本って、第一大隊大将だっ! ほ、ほんとに剣士?!」
「……お前の兄ちゃんはあれか、軍愛好家か何かか?」
 紀章を見れば所属や階級が判るようになっているものの、そこまで判断するとは珍しい少年だ。
「エルはへいたいさんが大好きなのよ」
 どうやらタニアが近衛師団まで遥々やって来たのには、ここに原因があるらしい。
 エルは飛び上がって駆け出し、それから慌てて戻ってタニアを玄関に押し込んだ。
「お前はもう家でじっとしてろ! すいませんありがとうございます二人とも帰んないで!」
 言うが早いか、今度こそだっと駆け出し、あっという間に路地の角に消えた。
「慌ただしいな……」
「早めに済ませたいところですが、彼に事情を確認してからですね」
 しばらく待たせてもらう事にして、二人はタニアの後に続いて玄関を潜った。玄関から短い廊下を伝ってすぐが居間になっている。生活感溢れる――というか、親が居ない間に好き放題散らかした様子が一目で見て取れた。
 待つほどもなく、扉の向こうが騒がしくなる。
「帰ってきたのか、早いな」
 一人ではなく、何人か連れ立っているようだ。だが賑やかな声はするものの、一向に入ってくる様子がない。
 訝しく思ったレオアリスが扉に近寄り開けた途端、子供達が五、六人、床に雪崩落ちた。
「な、何だっ?」
 子供達は床の上からレオアリスをじっと見上げ、それからどっと沸き上がった。
「――王の剣士だ! こないだ俺御前演習見た!」
「ほら、俺の言った通りだろっ」
「すごい」
「本物だぁ!」
「すごぉい!」
 立ち上がって手を叩き合い、瞳を興奮にきらきらと輝かせる。レオアリスが呆気に取られていると、一番前にいた一人がそおっと手を伸ばし、つん、とレオアリスの手をつついた。
「……触ったー! 俺いちばーん」
 少年は拳を突き上げた。
「あっずりぃ! 学校で自慢する気だろ」
「タニアが連れてきたんだぞ! 勝手に触るな!」
「俺もっと長く触るー!」
「僕にも触らせてよー」
「ちょっと押すなよ」
 身の危険を察知し、レオアリスがじり、と後ろにさがる。が、時既に遅く、少年達は立ち上がり押し合いへし合いしていたと思うと、一斉にレオアリスに群がった。
「ちょっと待て、落ち着けって――ぎゃあぁ!」
 一気に押し寄せた重量に負けて、レオアリスは扉の前に倒れこみ、ぎゅうぎゅうに押し潰された。子供達が五、六人、積み重なるようにレオアリスの上に乗っかっている。
「重ーい!」
「ちょっと触れないだろ、どけよっ」
「お前がどけばいいじゃん!」
 にょっきり伸びた複数の手が、髪やら顔やら肩やら、所構わずぺたぺたと触る。重い上に、くすぐったい事この上ない。
(ご……拷問だっ)
 子供達の頭ごしにちらりと金の髪が見える。
「……ロットバルト! 見てないで何とかしてくれ!」
「ああ――、手が要りますか?」
 何だか今思い当たったような、そんな返答にレオアリスは思わずロットバルトの涼しい顔を睨んだ。確かレオアリスの後ろに立っていたはずなのに、いつの間にかちゃっかり室内に移動して壁に悠然と寄りかかり、どこか楽しげにすら見える。
「お前なぁ」
 多分、いや間違いなく先ほどの意趣返しだ。だが文句を言う前に、のしかかる重量にレオアリスは降参した。
「い――要る要る、潰れて死ぬから! 内臓出る!」
 ロットバルトは手を上げ、鋭く両手を打ち合せた。
 パァン! と乾いた音が響き、水を打ったようにその場が静まり返る。
「立って整列! 駆け足!」
 魔法のように、子供達はわらわらと立ち上がり、部屋の真ん中に並び始めた。
「僕が前だよ、プティはエルの後ろだろっ」
「僕の前はケイだってば」
「ちょっと早くしろよ!」
「ねぇねぇ一番前ってさあ、何で腰に手を当てんのー?」
「それは学校だろ、これは右腕だって」
「え、左だよ」
「右」
 まさに蜂の巣をつついたような騒ぎも一瞬で、子供達は見事な隊列を作り上げた後、さっと静まり返った。
 解放されたレオアリスが漸く立ち上がったのはその後だ。
「――何今の」
 ロットバルトが手を伸ばし、肩や背中に付いた埃を払う。
「軍に興味があるなら、訓練の真似事位するでしょう」
「――ああ……」
 レオアリスは疲れた顔でがっくり肩を落とした。
「どうぞ」
「?」
「期待されてますよ」
 ロットバルトの示した方を見れば、少年達の瞳がきらきらとレオアリス達に向けられている。
 レオアリスが――剣士が何を言うのかと、期待に満ち溢れた瞳だ。
 何か、前も同じような事があったな、とふと思い出が甦った。気負い過ぎてろくな事が言えなかった。
「……あー、敬礼はそうじゃない。師団は左腕を胸に当てる」
 別に大した事を言った訳でもないのだが、少年達はまたわっと騒がしくなった。
「ほらみろ俺の言った通りじゃないか」
「右は正規軍だよ」
 今度こそ全員左腕を胸に当て、真剣な顔でレオアリスとロットバルトを見上げる。全員真顔の分、レオアリスは吹き出しそうになった。
「もう敬礼はいいぜ。――」
 これで訓練はおしまい、とでも言おうかと思ったが、ふと思い付いて口元を引き締める。十歳ばかりの少年が六人、充分な数だ。
「この中で、将来近衛師団に入りたい奴はいるか?」
 少年達の瞳が輝く。
「はーいっ!」
「入ります!」
「第一大隊に入れてください!」
 次々と威勢良く挙がった六本の手の前で、レオアリスは殊更真面目な顔を作って頷いた。
「入隊は厳しいぜ。試験がある」
「試験やりますっ」
「師団に入れるなら、どんな事でもがんばります!」
 間髪入れずに返る少年達の情熱にレオアリスはそっと口元を緩め、すぐまたそれを引き締める。
「なら、最初の試験だ。これから作戦の指示を出す」
 少年達は思いがけない言葉に顔を見合せ、喜びに沸き上がった。作戦、という響きが、少年達の憧れを大いに掻き立てたようだ。
「やったぁ!」
「王の剣士からの作戦だぜ! 本物だ!」
「すっげぇー」
「静かに」
 ぴたりと静まり返り、六対の瞳がレオアリスの顔をじっと見つめる。
「簡単な作戦だ。これからすぐここを出て」
 期待に満ちた少年達の顔は、次の言葉に瞬く間に凍り付いた。
「お化け屋敷とやらにミーニャを救出に行く」
 途端に全員がそれまでの元気を無くし、俯いてしまった。足先をもじもじと動かし、お互いの様子を伺うように、そっと視線を合わせている。
「簡単だろ、エルの妹の為だ」
「でも――」
 呆れた素振りで、レオアリスは腕を組んだ。
「師団に入りたいなら、この位できないと駄目だろ」
「でもっ」
 意を決してサルカと呼ばれていた少年が顔を上げる。彼がこの中では一番身体が大きく、年長のようだ。
「でも本当に出るんだ」
「すっごい恐いんだよ」
「誰もいないのに明かりが灯ったり、声が聞こえたりするんだ」
 サルカや他の少年達は口々にお化け屋敷の恐ろしさを語り始めた。タニアの兄のエルだけは、まだ視線を落としたままだ。
「大人だって近寄らないんだから」
 薄気味悪そうな声は、彼等が本当に恐がっている様子をはっきり伝えてくる。
「前に金物屋のエディがあの家に入ろうとして、追っかけられて逃げたって。エディはこの辺りで一番年上だし、強いんだよ」
「でもその後熱だして三日間寝込んだんだ」
「お婆さんがいたって言うんだ。真っ白ーい髪で、にやあーって笑って、こう」
 サルカが両手を広げて追いかける振りをすると、周りの少年達がぎゃあっと悲鳴を上げて散らばった。
(面白そうにしか見えねぇ……)
 少年達は本気で恐がっているのだが、どの話もどこかで聞いたようなものばかりで、レオアリスにはほんの少し物足りない。
 ただ、ミーニャを助ける事は恐いとか物足りないとか、そんなものとは別の話だ。
「安心しろよ、別にお前達だけで行けって言ってんじゃない。――俺も行く」
「――ほんと?」
 さっと顔を上げたのはエルが一番先だった。レオアリスは力強い笑みを口元に浮かべ、エルと、他の少年達の瞳をしっかりと見つめた。
「ああ。俺は常に王をお守りするが、――今日はお前達を守ろう」
 それは形もない、だが確実な力を持つ誓約だ。
 少年達は自分の目の前にいるのが誰なのか、改めて思い出したのだろう、再び瞳を憧れと喜びに煌めかせた。
 王の認めた剣士がいて、しかも自分達を守ってくれる。
 恐いものなどあるはずがない。
「できるな?」
「できます!」
「ターニャもできるー」
 少年達の唱和に、幼い声が重なった。見ればタニアが元気いっぱいに小さな手を上げている。エルは腰に手を当てて首を振った。
「お前はダメ。家に居ろ」
「ターニャもミーニャをたすけるもん」
「だめだったら、危ないだろ。遊びじゃないんだから!」
「いくもんー!」
「駄目だったら駄目!」
「うっ」
 ぴしりと言い切られ、タニアはくしゃりと顔を歪ませた。泣く、と思った瞬間にはもう大音量だ。
「行ぐうー! ミーニャがまづってうもんー!」
「泣くなってば、もうー」
「ミーニャがおばけやしきでひとりなんだもんー!」
「だから兄ちゃん達が行ってくるって」
「いやあー!」
 タニアは困り果てたエルの横を抜け、ロットバルトの足にしがみついた。
「おねえしゃんターニャもつれてってーミーニャをたすけるにょぉっ」
「お、お姉さん?」
 間違いに気付きエルの方がぎょっとして慌てて顔を見上げたが、ロットバルトは特に怒った様子もなく手を伸ばしてタニアの頭を撫でた。
「今回はさすがに駄目ですよ」
「いやぁ! いくったらいくにょぉー!」
「タニアがもし怪我でもしたら、エルはとても悲しむでしょう。タニアがミーニャを心配するのと同じだ。それは判りますね」
「ミーニャ――」
「当然ミーニャも悲しみますよ」
 タニアは長いこと考えてから、こくりと頷いた。
「ミーニャはお兄さんが助けてくれます。エルもそう言っているでしょう」
 タニアが間違うのも無理はない整った顔を向けられて、エルはぱっと顔を赤くしながら首を縦に振った。
「ちゃんと連れて帰ってくるから。兄ちゃんを信じろよ」
 手を伸ばしてタニアをぎゅうぎゅう抱き締めると、タニアは一層安心したようだった。妹の涙を拭いてやりながら、エルはこっそり耳打ちした。
「あのさぁタニア、言っとくけど、その人兄ちゃんだぞ」
「エル?」
 タニアが指差したのはエルだ。
「そうじゃなくって――中将だよ、偉いんだ、間違えたら失礼だろ」
「まあまあ、気にすんな、面白いから!」
 きっぱり言い放って、レオアリスは笑いながらエルの肩を叩き、ついでにタニアの頭をくしゃくしゃと撫ぜた。
 ロットバルトの含みのある視線をやり過ごして、レオアリスは彼等を見渡し、ちょっと真面目な顔をしてみせる。
「さて、行こうか。この潜入及び救出作戦の成功は、お前達の双肩に掛かっている。気を抜くなよ」
「はい!」
 近衛師団の隊士達にも負けない、いい返事が返った。




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