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王の剣士<番外>


 タニアをセルテおばさん――彼女は先ほどの通りで会った女性だ――に預け、改めて、エル、一番年長で十歳のサルカ、惣菜屋のプティ、エルより一つ年下で赤毛のライナス、ライナスと同い年のケイ、ケイの従弟のテッド、それぞれ六人の少年達は、意気込み高く、時折興奮の余りちょっと騒ぎすぎたりしながら、街外れの廃屋へと行進した。
 何度もレオアリスを振り返ってそこに実際にいるのを確認しては、押さえ切れない喜びに隣と手を取って跳ね回る。
「王の剣士は人気ですね」
 ロットバルトの苦笑に、レオアリスは少し照れくさそうに首筋を擦った。
「どんな噂が流れてるんだかな。聞くのが恐い」
「口から火ぐらいは吹くかもしれませんよ」
「剣じゃねえのかよ……」
 あり得ない話でもない。噂というものは兎角肥大化するものだ。
 ロットバルトは口元だけで笑って、それから傍らを歩く上官に視線を落とした。
「子供等は置いてきた方が早かったでしょうに。手間を掛けられるものだ」
「まあな――けど、お化け屋敷とやらが本物だろうとなかろうと、そこにあるんだから恐がってばかりじゃ進まない。本当は俺がここに居なくたって、あいつ等はミーニャを助けに行かなくちゃいけないんだ。自分の身近な存在の為なら、自分で動かないとな」
 サルカとプティが手を振り、レオアリスは片手を上げた。途端に全員が競争するように手を振って、その勢いの良さに笑う。
 恐がっていてミーニャを助けに行かなかったら、彼等は、特に兄のエルはその事に対する引け目を折に触れて感じていく事になる。それが少し気がかりだったから、レオアリスは彼等を連れて行くことにしたのだ。
「まあ些細だが、俺はきっかけとしてはいいだろ」
 一行はどんどん街の外れへと歩いていく。賑やかだった通りは次第に人通りの無い、うら寂れた雰囲気を漂わせ、子供一人で通らせるのは躊躇うような狭い路地になった。
「タニアがこんなとこよく通ったな」
「ミーニャがいたからでしょうね。どこでも支障はないでしょうから……」
「こっち!」エルが手を大きく振って、曲がり角を指し示し、二人は足を早めた。
 角を曲がった瞬間に、その屋敷はあった。
 細い通りの行き止まりに、他の建物に挟まれるようにして、屋敷の門がある。高い塀を刳り貫いたような門で、厚い木の板でできていた。
 門は固く閉じられていたが、木の板は下の方がぱっくりと大きく割れ、影を孕んで口を開けている。子供が通るのでやっとな大きさだ。
 割れ目から見えるぼうぼうに生い茂った雑草と、蔦の絡まった木。その奥に覗く屋敷の壁も一面緑の蔦に覆われている。
 敷地は正面から見たよりも広そうで、屋敷は門の向こうで左右に棟を広げていた。
 子供達が恐がるのも頷ける。王都にこんな場所があったとは、思ってもいなかった。
 その一角だけ忘れ去られたようにしんと静まり返り、それはまさに、廃墟だ。
「ミーニャ!」
 エルは門の傍に寄って声を張り上げたが、屋敷から返る声は無い。逆に静寂が一層増した気がする。
「まだここにいるのかな……もういないんじゃ」
 サルカ達は怖そうに、レオアリスとロットバルトの背中から屋敷を見上げている。
「恐くなったか?」
「恐くなんかないよ! いや、ありません!」
「いいよ、その喋り方は止めとけ。いつもそんなふうに喋らねぇんだろ。その内舌噛むぞ」
「でもー」
「慣れない事に気を遣ってると怪我もしやすい」
 エルやサルカは残念なような、ほっとしたような表情で顔を見合せ、頷いた。
「それじゃ中に入ろう――乗り越えるか、下を潜るか」
「我々には無理ですね。乗り越えましょう」
 門の高さは一間ほど――六尺あるロットバルトよりも、まだ身体半分ほど高い。まるで来訪者を拒絶しているようだ。
「先に」
 そう告げるとロットバルトは腰に佩びていた剣を抜き、地面に立てた剣を足場代わりにして、苦もなく塀の上に飛び乗った。
「忘れ物」
 レオアリスが投げた剣を受け取り、塀の向こうに降り立つ。
 ほどなく閂を引き抜く音がして、厚い木の扉が身を軋ませながらゆっくり内側から開いた。
 いよいよ屋敷に入るのだ、と、少年達はびくりと首を縮める。だが彼等より前に立つレオアリスの背中を見つめている、その瞳には不安は無い。
 扉が開き切ると、レオアリスは一歩雑草の中に分け入った。
 本来あっただろう玄関に続く小路の先に、蔦の覆った屋敷が建っている。玄関の扉は木の板で打ち付けられていたが、門よりも荒れ果てて漸く蝶番で止まっているといった様相だ。
 壁に並ぶ窓も全て割れ、無事なものは一つも無い。
 誰も住まなくなってから十年は経っているような、それほどの歳月の経過を感じさせる。
「ここは昔、おじいさんが住んでたんだって。母さんが言ってた」
 プティがそーっと、屋敷に聞かれるのを恐れるように、注意深く口を開いた。
「いつも怖い顔してて、友達もいなくて、すっごく、へん、へん……」
「偏屈?」
「そう、そのへんくつな人だったて」
「最初は奥さんと住んでたんだろ。でもいきなりいなくなったんだって。だからさ、皆はおじいさんが奥さんを殺したんじゃないかって言ってる」
「あ、知ってる! それ以来変な音とか声とかするようになったって、ばあちゃんが言ってた」
「じゃあ金物屋のエディが見たのって、そのきっと奥さんだ」
 レオアリスはロットバルトの瞳を見たが、同じ感想しかその中には見当たらない。
 要は全て、伝聞の域を出ない話だ。
「いつから無人になったんだ?」
 レオアリスの問いにプティは指を折った。
「えーっと」
「プティが生まれた年だろ」
「じゃあ、八年前」
「八年か」
 八年の間にこの立派な屋敷が「お化け屋敷」と化してしまう理由。それは何だろう。
「ねえ、そう言えばさあ」
 一番年下のケイは隣にいた従弟のテッドに首をかしげた。
「おじいさんって、どうしていなくなったんだろ。死んじゃったのかな」
「知らないよお」
 サルカがちょっと神妙な顔で、年下の少年達を見回す。
「いたりして……」
 ぎゃあ! と悲鳴を上げ、少年達は身を寄せ、レオアリスにピタリとくっついた。
「やめろよもうっ」
「サルカのばぁーかっ!」
 ケイ達の手はもとより、口にした張本人のサルカまで、しっかりレオアリスの軍服を掴んでいる。苦笑を洩らし、それからレオアリスは館を振り仰いだ。
「――さて、どう捜すかな」
「一度ぐるりと屋敷の周囲を巡って……」
 バン!
 突然、何かを打ち付けるような音が、屋敷の中で響いた。
「うわぁっ」
 少年達が驚いて声を上げ、今度こそがっちりと、レオアリスに身を寄せた。
「――」
 レオアリスは素早く視線を走らせた。音がしたのは二階の左側のどこかだ。
 屋敷は既に、薄気味悪い静寂を取り戻している。
「屋敷の中が先か」
 頭を軽く撫でて少年達の手を解き、膝の辺りまで生い茂った雑草に分け入って、レオアリスは玄関へと近付いていく。
「気をつけてね」
 少年達が固唾を飲んで見守る中、鍵も把手も機能していない扉は、押すと簡単に開いた。
 軋んだ音と一緒に背後から差し込んだ陽光が、埃塗れの床の上にレオアリスの影を黒々と落とす。
 床は様々な大きさの足跡で一杯だ。小動物の足跡も散っている。
「肝試しに入る奴はいるみたいだな……」
 陰影に浮かび上がった玄関広間は三間ほどの広さで、正面に階段があり左右に扉の設けられた、典型的な作り。
 「お化け屋敷」など、それなりにもっと禍々しいものかと思っていたが、期待と違い至って普通だ。
 レオアリスの剣士としての感覚には、屋敷は何も訴えてこない。
 身の裡の剣はぴくりともそよがない。
 ただ少しだけ――、剣士としての感覚とは違うところで、ぴりりと肌を撫でるものがある。
 レオアリスは口元に笑みを浮かべて、埃の中に一歩踏み込んだ。
「上将」
 ロットバルトの声と一緒に、がさがさと草を鳴らしてエル達が走ってくる。
「待って」
「僕らも入る」
「お一人で行かず、一緒に進んでください」
 一人でさっさと進んでいくレオアリスに苦笑しながら、ロットバルトは少年達の後から屋敷に入った。
「ああ、悪い」
 どうやらレオアリスは興が乗っている。ただの廃墟に見えるこの屋敷に何かが、彼の興味を引いているものが、何かあるのだ。
(最終的には俺一人でお守りか)
 この年若い上官の性格は良く判っていて、ロットバルトはこの後六人の少年達をどう制御すべきかと考えながら玄関広間を見渡した。階段の前でふと瞳を細める。
 床の埃に刻まれた足跡は、どれも左右の扉や置時計、壁の鏡など、あちこちに動き回っているが、階段前の足跡には一つの特徴があった。
 階段前から扉へ、一直線に――
「走ってるな」
「え?」
 レオアリスが問い返す。
「足跡です」
 指差した方向を眺め、レオアリスも気付いたのだろう、漆黒の瞳を煌めかせた。幾つもの足跡が皆、何かから逃げるように扉に向かっている。
「第一段階かな。どんな趣向だか――」
 ぎし、と傷んだ木の床を軋ませて、レオアリスは階段に近付いた。少年達が付いてこようとするのを手で制し、階段の上がり口の一番下に立つ。
 三段目辺りで、ほとんどの足跡が引き返している。
 足を掛けて、一段登った。耳を澄ますが、これといった変化はない。もう一段。
 更にもう一段――。きしりと階段が鳴った瞬間。
 突然、壁を震わすような大音量が鳴り響いた。例えるなら狼の咆哮――まるで屋敷全体が鳴っているようだ。
 少年達が悲鳴を上げる。
 同時に、階上に白い霧が発生し、階段を雪崩落ちるようにどっと吹き付けた。
 瞬く間にレオアリスの周囲を白い霧が取り囲む。
「上将!」
「兄ちゃん!」
 ロットバルトは駆け寄ろうとして少年達が怯えているのに気付き、足を止めた。肩を竦めて階段を見れば、すっかり霧に包まれて、レオアリスの姿は隠されている。
「ど、どうしよう、」
 少年達がロットバルトを見上げた時、霧の中から微かに、歌うような響きが聞こえた。レオアリスの声だ。
「まあ――大丈夫でしょう」
(初めて見るな――)
 レオアリスのもう一つの得意業だ。
 少年達を退がらせた方がいいかと瞳を細める間に、霧は渦を巻き――、次いで内側から吹き散らされるように四散した。
 突風のような風が、遅れてロットバルト達の髪を煽る。
「久々成功ー!」
 弾んだ声と共に、すっかり姿を表したレオアリスが、何とも嬉しそうな顔で階段の途中から振り返った。
「――法術ですか」
「そう、風の――もと、俺の十八番な」
 歌うような響きは風を呼ぶ詠唱で、霧を吹き飛ばしたのはレオアリスの起こした法術の風だ。
「まぁ前より落ちたけど」
 少年達はぽかんとしているが、法術は剣士として王都に出るまで、レオアリスの生活の基盤だったものだ。
 実際、剣士としての剣よりも、法術の詠唱の方が長く身に馴染んでいるとさえ言える。
 久々に法術を使って、レオアリスは満足気に見えた。
「今の、術?」
「何かすげえ」
「術も使えるなんて、最強じゃん」
 階段の中程に立ったままのレオアリスに近付き、ロットバルトは暗い階上を見透かした。
 薄暗い廊下には何も見当たらない。
「今のは何だったのか、判りますか」
 レオアリスは考え込むように瞳を細めた。ちょうど階段を上がった二階への入り口部分から、霧が噴き出していた。
「うーん……攻撃って言う感じじゃ無かったな。どっちかっていうと、警告に近いか」
「警告ですか」
「驚いて逃げ出す事を狙ったような、そんな感じがする。まあ二度目は無いだろう。切ったから」
 切った、という言葉が何を指すのかロットバルトが問い掛けようとした時には、もうレオアリスは階段を昇り始めていた。階段下の少年達を手招く。
「もうここは大丈夫だ、行こう。さっきの音が気になる。ミーニャが上に居るかもしれないぜ」
 少年達は顔を見合せ、先ほど術を見た興奮そのままに、わっと階段を駆け上がった。
 二階に上がると左右に廊下が延びている。両側に部屋があるらしく、窓の無い廊下は昼でも暗い。
「……ミーニャ」
 エルはミーニャを呼んでみたが、思いがけず響いた声に、慌てて口を押さえた。
 何かに聞き咎められたら困ると、そう思わせる暗がりだ。
「どっちに行くかな」
 両翼ともに対照的な造りの館の為に、どちらとも決め手が無い。
「物音が聞こえたのは左側のどこかです」
「じゃあ左から行こう」
 踏む度にぎしぎしと音を立てる廊下を、歩き出した。
「灯りが要ったな。俺が術で灯してもいいが、あんまやった事ないから加減難しくて――下手したら爆発するけど――やってみるか?」
「迷惑な。要りませんよ」
 当然そんなものはありがた迷惑なだけなのだが、レオアリスは少し未練がましく両手を眺めた。
「迷惑ってなぁ……」
「そんな確証の無い手段より、光なら簡単に入りますよ。どうせ鎧戸も硝子も無い窓だ」
 ロットバルトは手を伸ばし、片側の扉を開くと、途端に眩しい陽差しが目を眩ませた。
 割れた窓から差し込む午後の陽射しは廊下まで届かないものの、扉の近くの薄暗がりを後退させるには充分だ。
「――」
 少年達は顔を見合せ、エルとサルカが駆け出した。廊下をとにかく明るくしようと扉を次々と開けていく。
 五つある部屋から光が差し込んだ廊下は、今までの不気味な雰囲気など無かったかのように、ただの埃の舞う白茶けた木の空間に変わった。
「――ミーニャ!」
 エルの呼び掛けも先ほどより力強い。サルカやプティ達も、開け放った扉の奥を覗き込みながら次々ミーニャを捜し始めた。
「ミーニャ! 出ておいで」
「ミーニャ!」
 再び物音が聞こえた。
「ミーニャ?」
 エルは足を止め、辺りを見回す。
「いた?」
「しっ」
 唇に指をあてると、サルカ達はさっと口を閉ざし、エルの顔を伺った。静かになった廊下で、全員にそれは聞こえた。
 音は一定の感覚で聞こえてくる。
 ひた、ひた、ひた。
 微かな――、だが、誰かがゆっくりと歩き回る音だ。
「……ミーニャ――?」
「靴音じゃないな」
 レオアリスがそっとロットバルトに囁く。
 ひた。
「ミ」
 サルカは素早くエルの口を押さえた。
 しん、と静寂が落ち、呼吸の音だけが耳に伝わる。
 五度目位に呼吸の音を数えたところで、再び足音は動き出した。
 ひた、ひた、ひた。
 今度は前よりもはっきりしていた。聞こえてくるのは今居る廊下ではなく、背後のまだ光の差さない暗がりからだ。
 ひた。
『――』
 声がした。
 レオアリスが眉を潜める。
 今、確かに声はレオアリスの名を呼んだ。
 聞き覚えの無い声。
 いや、どこかで聞いたことがある気がする。
 ひた、ひた、ひた……。
 足音は止まり、再び、名前を呼んだ。


『――レオアリス』





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